第4話 若者は過去を告白する


 バスを降りると、昨日とはうって変わって柔らかな暖気が体を包んだ。


 この程度の暖かさなら、一面の雪景色も悪くないな。


 健一は恵から教えられた経路を思い描きながら、待ち合わせ場所である公園に向かった。


 徒歩で五、六分程度という話だったが、地元の人間の感覚を鵜呑みにはできなかった。見事に凍結した歩道には月面のような凹凸があり、普通に歩行する際とは比べ物にならない注意が必要だった。


 東京と札幌でもこれだけ違うのに、月にまで行くやつがいるんだからなあ。


 健一は数年前の月面着陸の騒ぎを思い返していた。あの、空に浮かんでいる球体に人間を送り込もうなんて、魔法でも信じていない限り思い付かないのではないか。それくらい突飛な話に思えた。


 目的の公園はM公園と言って、オリンピックのスケート競技のために敷地内に体育館が建設されたばかりだった。

 住宅地を抜け、しばらく歩くと恵の話通り、五輪の紋章をいただいた尖塔が姿を現した。えんじ色のタイルで覆われた外壁は城塞のようでもあり、数年前の東京五輪に続く開催地としての意気込みを感じさせた。


 正面玄関は小高い丘陵風の斜面を登った二階部分にあり、そこに恵と蓑島が現れる段取りになっていた。


 厳冬期であり、オリンピックも開催前であることから人影は少なかった。階段を上ってゆくと、尖塔の前にコート姿の人影が見えた。恵だった。


「やあ、おはよう」


 白い息を吐きながら挨拶すると、恵はにっこりと笑った。無国籍な雪の街に、目鼻立ちのくっきりした恵の顔はよく似合う。昨日よりも美しいと健一は思った。


「無事にたどり着けたようね。どこかで転んでないか冷や冷やしながら待ってたわ」


「これほど大きい建物とは思わなかった。でもなぜここなんだい」


そうね、特に理由はないけれど……ドラマチックな場所で再会したかったからかな」


 恵は冗談めかした口調で言うと、五輪の紋章を見上げた。


「蓑島は着いたばかりだろう?ここをすぐ見つけられるかな」


「八坂君」


 ふいに恵が声を上げた。見ると恵が階段の方を目で示していた。


「蓑島……もうやってきたのか」


 階段を、厚手のコートの身に身を包んだ男性が上ってきつつあった。蓑島だった。


「八坂……?」


 健一の姿を捉えたのだろう、蓑島は階段の途中で足を止め、目を見開いた。それから不敵な表情を作ると再び階段を上り始めた。階段を登り切り、恵の姿が視野に入ると、険しい表情になった。


「これはどういうことなんだ。君たちは以前から一緒だったのか?」


「あいにくと、昨日来たばかりさ。たぶん、お前さんと同じ理由でね」


 健一が言うと、蓑島は眉間の皺をさらに深くして交互に二人を見た。どうやら健一の言葉を額面通りには受け取っていないようだった。


「本当なのか?恵君」


 蓑島は糾問するように言った。恵は「本当よ」とあっさり答えた。蓑島はやれやれというように両手を広げ、大げさにかぶりを振って見せた。


「こんなところに役者を集めて、一体どんな芝居を見せようっていうんだい」


 蓑島が皮肉めかした口調で言った。恵は一切表情を緩めることなく、健一の傍らを掠めて蓑島の前に移動した。


「小田切の事について、話がしたいの。それぞれが言いたいことをここで打ち明けるの」


「なるほど、例えば……殺人の告白とか、かな?」


 蓑島はなおも片頬に冷笑を張り付けていた。どうやら健一同様、恵を疑っているらしい。


「そうね。そういう覚えがある人は、告白したらいいと思うわ」


 蓑島の皮肉に恵は一切、動じることはなかった。大した胆力だと健一は舌を巻いた。


 これだけ自信に満ちているという事は、恵はやはり小田切の死に関係してはいないのだろうか……そう思った時だった。何気なく斜面の下方に向けた視線が、ある光景を捉えた。


 公園の入り口あたりの歩道に、一人の少女が佇んでいた。分厚い防寒着に身を包んでいたが、健一はそれが「どんぐり村」で会ったヨウコという少女であることを直感した。


 どうしてこんなところに、あの子が?


 なぜか動揺が健一を襲っていた。まるでヨウコがこれから交わされる小田切事件の裁判を傍聴しに現れたかのように思われた。


 恵に少女の存在を告げようと、足を踏み出しかけた時だった。恵が唐突に口を開いた。


「それじゃあさっそく、それぞれが小田切の死について知ってることを話しましょうか」


 恵はどうやらこの場所で白黒つけるつもりらしかった。蓑島が硬い表情で頷き、話し合いに入らざるを得ない空気になった。健一も結局、二人につられるような形で同意した。


 健一はそっとヨウコのいる場所に視線をやった。彼女のいる位置からはかなりの距離があったが、健一は自分たちの会話を聞かれているような気がして落ち着かなかった。


「まず、私から言わせてもらうわ。小田切の死の原因を作ったのは、たぶん私だと思う。……でも、毒殺はしていないわ」


 恵が押し殺した声で言った。いきなり自殺か他殺かというデリケートなポイントに踏み込んできたのは、言い逃れをさせまいという牽制であるように思われた。


「俺も殺してない。自殺かどうかはわからんがな」


 いち早く蓑島が反応した。蓑島もまた、犯人扱いされるのを恐れているようだった。


「期待に添えなくて申し訳ないが、俺も毒殺などしていない」


 健一は蓑島の目を見据えて言った。蓑島は鼻白んだような表情を浮かべた。


「じゃあ、自殺で決定だ。どうだい、恵君。真相なんてこんなものだよ」


 蓑島は皮肉を含んだ口調で言った。恵か健一がなんらかの告白をすることを期待していたのだろう。あっさり答えが出てつまらないとでも言いたげであった。


「ところが自殺とも限らないんだ」


 健一はおもむろに異を唱えた。昨夜の恵の話では、小田切は以前から自殺をほのめかし、狂言自殺もいとわない状態だったという。ならば恵の言う「事故」も大いにありうる。


「どういうことだ」


 蓑島が苛立ったような視線をぶつけてきた。恵が「私が説明するわ」と割って入った。


 恵は小田切の死は事故である可能性があることを、淡々と語った。昨夜、健一にしたのと同じ内容だった。蓑島は時折意外そうな表情を見せつつ、恵の話に耳を傾けていた。


「なるほど、そういうことかい。それなら事故もあり得るな。しかし今の話には、小田切がなぜ誤って青酸カリを口にしたかっていう部分が抜けているな」


 蓑島は潔癖さを露わにするように、細かい点をあげつらった。


「だから、お芝居のリハーサルをしているつもりで、手元が狂ったんじゃないかしら。慌てて吐き出そうとしたけれど、毒が回って……そんなところじゃない?」


「そうかもしれない。……でもね。俺にはいまいち納得いかないことがある」


 蓑島がそれまでとは打って変わって厳しい口調で言った。表情も強張っている。


「どこかおかしい点があるのか」


「ああ。まず俺は、あの日、小田切を見ている。まだ生きている小田切をな」


「どこでだ?」


「恵の部屋でだよ。奴は大の字になってぶっ倒れていた」


 頭を殴られたような衝撃だった。恵も唇を震わせ、蓑島の口元を凝視していた。

「驚くのも無理はない。実は、こっそり恵の部屋の合鍵を作らせてもらっていたのさ」


「なんだって……」


 健一は絶句した。恵を見ると、恵も険しい顔つきで蓑島を睨み付けていた。


「まあ、褒められたことじゃないのはわかってる。でも、俺も心理的に追い詰められていたんだ。わかってくれ……と言っても無理かもしれないがな」


「……で、寝ていた小田切をどうしたんだ。本当に殺したってんじゃないだろうな」


「実は最初、俺は奴が死んでいるのだとばかり思っていた。テーブルの上に遺書があって、それには毒を飲んで死ぬと書いてあったからな。テーブルにはブランデーの瓶もあった。ははあ、これを飲んで死んだかと思った次の瞬間、俺の耳に奴の寝息が聞こえてきたんだ」


「つまり毒を飲まなかった、と?」


「そう考えるしかなかった。おそらく何らかの理由でためらっているうちに眠ってしまったのだろう。その瞬間、俺の耳に悪魔がささやいた。ここにおあつらえ向きに遺書がある。この遺書を利用しない手はない、とな。まだ毒を飲んでいないのなら、俺が飲ませてやればいい。ブランデーに毒が入っていれば確実に死ぬはずだ」


「やってみたのか」


「ああ。奴の上体を起こし、口を開けてブランデーを一口、飲ませた。飲み込んだ途端、奴は苦しみ始めた。俺に気づくと憎々しげに睨み付けてきたよ。だが、やがてぐったりとなった。


 俺は急に恐ろしくなって、部屋を飛び出した。鍵もかけずにね。気が付くと、ブランデーの瓶を持ったまま、アパートに戻っていた。


 ずっと手袋をしていたから指紋は残らないが、小田切がどうなったかを考えると恐ろしくて仕方がなかった。明日にも警察が逮捕に現れるんじゃないかと思ってびくびくしていた」


「待てよ、ちょっとおかしい部分があるぞ」


「わかってる。まず、小田切の死体が発見された時、傍らには毒の入ったブランデーの瓶があったという。瓶は俺が持ち出したはずなのに、だ。もう一つ、部屋は施錠されていたという。一体、誰が鍵をかけたんだ?」


「たしかに妙だ。瀕死の小田切が、もう一つブランデーの瓶を用意し、丁寧に鍵をかけてから死んだ、ということになる。随分と犯人思いの被害者だ」


「おかしな点はもう一つある。実は持ってきたブランデーに本当に毒が入っているかどうか、アパートの近くの野良猫で試してみたんだ。もし本当に毒が入っているのなら、警察に捕まる前に自分で飲もうと思っていたからな。


 ……だが、猫は死ななかった。よほどひどい味だったのか、悲鳴を上げて跳ね回りはしたが、しばらくすると何事もなかったかのように、走り去っていった。毒ならそんなことはできないはずだ」


「つまり、小田切を殺したのはお前ではないと?」


「そういうことになるな。奇妙な話だろう?俺が札幌まで来たのは、誰かがこの謎の答えを知っているんじゃないかと思ったからだ」


 蓑島は皮肉めいた口調で言うと、恵を見た。恵は口元を引き結んだまま、黙っていた。


「非常に興味深い話をありがとう。お礼に俺から、とっておきの話をさせてもらおう」


 健一は二人を交互に見ながら言った。面白いことになってきた、と思った。


「実はお前さんが出て行った後、もう一人、恵の部屋を訪ねた人物がいるんだ」


「まさか……」


「そう、俺さ。俺もお前同様、合鍵を作っていたんだ。……で、俺が何を見たかというとだ。もがき苦しむ小田切の姿だった。


 あまりにひどい苦しみように恐ろしくなった俺は、小田切の様子を詳しく確かめずに、部屋から逃げ出した。ご丁寧に部屋を施錠してね。もしその時、すぐに救急車を呼んでいたら、あるいは違ったかもしれない。そう考えると、俺は小田切を見殺しにしたということになる」


「すると、やはり小田切は自殺だったのか?」


「さあな。……もしかしたらそちらのお嬢さんが何か知っているかもしれない」


 健一はそう言って恵を見た。恵は能面のように無表情だった。健一は何気なく視線を階段の方に向け、びくりと体を震わせた。


 階段を降り切ったところに、ヨウコが立っていた。まるで三人の話を聞こうとでもするかのようにこちらを見つめている。健一は思わず視線を外すと、恵の方を見た。恵は目を閉じ、息を吸うと何かを決意したように口を開いた。


「じゃあ、今度は私が告白する番ね」


 恵が一呼吸おいて、再び口を開きかけた時だった。突然、頭がぼうっとかすみ、意識に空白が生じた。次の瞬間、恵の声で「飛ばされる!」という言葉が聞こえた。


 数秒して我に返ると、驚くべき状況が目の前にあった。恵が、かき消すようにいなくなっていたのだ。蓑島を見ると、蓑島も呆然とした表情になっていた。


「恵……どこへ行った?」


 恵の姿を探してあたりを見回した、その時だった。何かで殴られたような衝撃が健一を襲った。目の前が真っ暗になり、暗闇に頭からねじ込まれるような感覚があった。


 なんだこれは!状況を把握することすらままならず、やがて意識が暗い闇の底に没していった。


              〈第五話に続く〉

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