第3話 僕らには動機がある
店内は暖房の熱気とラム肉の甘い匂いでむせるようだった。
「オリンピックに」
少し考えて、恵が言った。健一も「オリンピックに」と言ってグラスを掲げた。
グラスを合わせると、恵はビールをあおった。それほどビールは好きじゃない、と知り合って間もないころ恵から聞いた記憶があるが、好みが変わったのかもしれない。
「不思議な街だな、ここは。よそよそしいようでいて、あんなに大きな雪像をあっという間に作り上げる団結力も持っている。まるで熱を体内に溜め込んでいるようだ」
「そうね。そういう面はあるかもしれない。私も、昭に会わなかったら誰かと戦おうなんて思いもしなかったでしょうね」
「小田切は、ほとんど酒を飲まなかった。にもかかわらず、最後に奴のそばにあったのはブランデーの小瓶だった」
煙の向こうに恵の困惑したような表情が見えた。再会にふさわしい会話ではなかった。
「ブランデーは、私の部屋に元々あったの。警察には色々と聞かれたけど」
「青酸も?」
恵は険しい表情になった。小田切の死因となった青酸カリはブランデーの小瓶に入っていた。青酸が最初から仕込まれていたのか、小田切が持ち込んだのかは不明だ。
「青酸も、私が自分のために持っていた物よ。以前、精神的に不安定だったことがあって、いつでも自殺できるように持っていた物なの。それを小田切が飲んでしまったというわけ」
「小田切は君が青酸を持っていることを知っていたわけだ」
「そうね。彼が部屋に来た時、うっかり喋ってしまったことがあるわ」
「奴がそれで死ぬことを期待して?」
「……だとしたら、どうする?」
恵は悪戯っぽい表情で健一の顔を覗き込んできた。健一は用意した言葉を喉元で飲み込んだ。僕は誰にも言わない、死ぬまで二人の秘密だ、そう言うつもりだったのだ。
「あいにく、そこまで持って回ったたくらみはしてないわ」
恵はあっさりと言った。健一は大きく息をついた。内心、ほっとしてもいた。
「じゃあ、やっぱり自殺なのかな」
「どうかしら。……あなた、小田切を殺した?」
「いや。……君は?」
「私は殺してない。……話が振り出しに戻ったわね」
「ほかに心当たりはないのかい、小田切と対立していた人間に」
「蓑島さんのこと?……確かに、革命が成功して、自分リがーダーになったらつきあってくれとは言われたけどね」
健一は頷いた。この話をするために札幌までやってきたと言ってもよかった。
「二択になったわね。自殺か、あるいは彼に犯行が可能だったか」
「普通に考えれば、自殺だろうな。部屋に鍵がかかっていたんだから」
「こっそり合鍵を作っていたのかもしれないわよ」
「君の部屋の?そこまで君に入れ込んでいたのなら、革命よりよほど殺人の動機になるな」
「本人に直接、聞いてみたら?実はね、蓑島君も明日、札幌にやってくるみたいなの」
「なんだって。あいつも来るのか?……いったい、何のために?」
「わからないわ。小田切の話をするには決まってるけど」
「罪の告白か、それとも……」
恵が真犯人だと思い込んでいて、俺と同じように交際を迫ろうとしているか、だ。
「結局、組織の再生はあきらめたってことのようね」
「あいつにやらせたって同じさ。議論に嫌気がさしてバラバラになるに決まってる。少なくとも蓑島みたいな人間には、あれだけの人間は動かせない。頭が良いだけじゃだめさ」
健一は蓑島の怜悧な横顔を思い浮かべながら言った。組織は理論だけでは動かせない。
「蓑島が魅力を感じたのは小田切の人となりじゃなく、むしろ奴が集めた兵隊の方だったんじゃないかって気がする。そういう要領の良さを感じるんだ」
「そうね。それ自体は別に悪いことじゃないけど、小田切にしてみれば裏切りのように思えたかもしれないわね」
「つまり、殺害の動機はあると?」
「私にだってあるわ」
それを言うなら俺だって、と健一は言いかけ、恵の眼差しが急に険しい物になったことに気づいた。そして直感した。殺害犯ではないかもしれないが、恵は何かを隠している。
「ひとつ君に聞きたい。蓑島は君に告白したのか?」
「あなたと同じように?」
「そうだ」
「告白めいた言葉は、何度か聞かされたわ。ただ、あの人は慎重と言うか、プライドが高いから答えを迫るような言い方はしなかったわ。いつもほのめかすだけで」
「傷つきたくないんだろう。それに組織への未練もある。君に断られたら居づらくなるだろうからな」
「そうね。わたしもできれば気づかないふりをしていたかった。でも……」
「小田切が疑い始めたんだな」
恵は頷いた。表面上は同志として振る舞っていたが、小田切の自分たちを見る眼差しが日増しに険しくなっていくのを健一は感じていた。
たまたま小田切がいない時に恵と話していて、盛り上がっているときに小田切が現れたりすると、恵に対し燃えるような嫉妬の眼差しを向けるのがはっきりと見て取れた。きっと蓑島も同様の経験をしていたのに違いない。
「実は、俺には小田切の自殺を疑う理由があるんだ」
「なに?」
「あいつが亡くなる数日前、俺に言ったんだ。恵が浮気しているかもしれない、と。つまり俺に対する探りの意味もあったわけなんだが、俺は友人のふりをして聞いていた。すると奴はあいつの部屋を探してみようと思う、何か証拠が出るかもしれないと言った。俺はやめておけ、むなしくなるだけだと言った」
「まさしくそうね」
「だがその後、俺がもし何か怪しいものが出てきたらどうするんだ、と聞いたらあいつは即座にこう言ったんだ。恵と納得ゆくまで話をするつもりだ、と。どんな奴が誘惑しようと俺はあいつを手放すつもりはない、ともね」
「…………」
「おかしいだろう?あの日、もし小田切が君の部屋で何かを見つけたとしても、それはあいつにとって覚悟の上だったはずだ。ショックで死を選ぶとは考えにくい。蓑島がこっちに来るというのも、そのことが気になっているからかもしれない。
俺と蓑島には小田切を殺害する動機がある。そして俺にも奴にも確たるアリバイがない。このまま小田切が自殺かどうか確定しなければ、ずっともやもやを引きずることになる」
「人は思いもかけない理由で死んだりするものよ」
「そうかもしれない。だが、だとしたらなおさら、君にとって小田切の死はショッキングな出来事だったんじゃないか?それなのに君は、東京に戻ろうとはせず、俺や蓑島に疑いの目を向けもしない。なぜだ?」
「それは……ショック以上に、もう小田切の事を思い出したくなかったからよ」
「どういうことだ?」
恵は大きくため息をつくと、重い口を開いた。
「あの人は、死ぬずっと前から、私の事を疑っては死んでやると言う口上を繰り返していたの。だから彼が私の部屋で死んだと聞いたとき、思ったわ。きっと、お芝居の練習をしていてしくじったんだなと」
「つまり、奴の死は自殺の芝居をしている最中の、事故だったと?」
「私はそう思っている」
「警察には話したか?」
「話したわ。納得してもらえたかどうかはわからないけど」
「つまり今までは狂言で、今回だけは本当に毒を飲んだ、と?」
「そうなるわね。何しろ実際に死んでしまったわけだから」
「ふうむ。すっきりしないが、そういう決着なら仕方ない。俺にしてみれば事故でも自殺でも、ようするに疑いが晴れればいいわけだからな。……蓑島には、今の話はしたのか?」
「まだよ。きっと彼もあなたと同じような質問を私にぶつけてくるでしょうから、その時に言えばいいと思ってる」
「蓑島が知っていることを提供したところで、俺たち三人の見解が出そろうわけだ。事故か、自殺か、それとも……」
「私たちの誰かが殺した、か?」
「そうなると東京にいた俺か蓑島になるぜ。君が念力で殺したとでも言わない限りはな」
「案外、私が呪い殺したのかもよ。北海道から念を送って」
「なるほど、そうなりゃ、前代未聞の完全犯罪ってわけだ」
話が、徐々に非現実的な方向へとそれていった。恵の話を全て信じたわけではなかったが、これ以上、追及したところで決定的な告白が出てくるとも思えなかった。
「俺も、立ち会わせてもらえるんだろう?蓑島との再会の場に」
「そうね。でもあなたがいたら、蓑島は警戒するかもしれないわ」
「それじゃ、僕は近くに隠れていようか。うまくいけば蓑島の自供を聞けるかもしれない」
恵は眉を潜めた。言い過ぎたかな、と思い、健一は口を閉ざした。それから小一時間ほど飲んだ後、連れ立って店を出た。恵にビジネスホテルをいくつか教えてもらい、公衆電話から宿泊を頼んだ。雪まつり期間中という事もあり、部屋が取れたのは一軒だけだった。
北二十四条駅のホームで健一は、時間が決まったらホテルに電話をくれ、と言った。
恵は頷き、わかったわと言った。やがてホームに地下鉄の車両が滑り込んできた。
「こんなに遠い所ま来てくれてありがとう」
「確かに遠いな。でもいずれは新幹線が通って、東京との距離も縮まるだろうさ」
「そうね。二十一世紀くらいになれば、そういう事もあり得るわね」
二十一世紀か。それまで生きてるかな。健一は冗談めかして言うと、車両に乗り込んだ。
〈第四話に続く〉
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます