第8話 許されざる者、故郷に還る


 一階に戻り、健一は促されるままダイニングテーブルについた。


 恵がコーヒーを淹れ、微妙に気まずい空気の中、会話が始まった。恵が「何から話せばいいかしら」と言い、健一は少し考えた後、おもむろに口を開いた。


「君と会うのは、あの時……つまり、公園で『飛ばされて』以来だ。あの時、僕たち三人に何が起こったのか、いまだによくわからない。恵、君はあの後、どうなったんだ?」


「それを話す前に、私の事について話したほうがいいわね。私が何者なのかってことを」


 健一ははっとした。確かに、1972年の時点では恵は自分の事をほとんど語ろうとはしなかった。何か訳ありなのだろうとは思っていたが、もし自分を飛ばしたのが恵なのだとしたら、ただの人間ではないことになる。ぜひとも知りたかった。


「私はね、今、正真正銘の二十一歳なの。つまり年齢的には『あの時』から半年ぐらいしかたっていないってわけ」


「1972年から2002年に飛ばされたという事か」


「そうね。気が付いたら今年の二月だった。……でも、ただ飛ばされたわけじゃないわ。私が生まれたのは1982年。つまり飛ばされたんじゃなくて『戻ってきた』というわけ」


 恵の言う意味を咀嚼しかねて健一は一瞬、混乱した。1982年だって?


「驚くのも無理ないわ。つまりね、こういうこと。私は2000年の冬、十八歳の時に1971年に『飛ばされた』の。そして1972年の冬までの一年ちょっとを過去で過ごした後、2002年に『呼び戻された』ってわけ」


「じゃあ、君は現代の人間だったのか。どうりでプロポーションがいいわけだ」


「ありがとう。向こうじゃよく外国人みたいって言われたわ」


「あの時、きみは『飛ばされる』と口にした。まるで飛ぶことがわかっていたかのように。……改めて聞きたい。僕らを飛ばしたのは、君だったのか?そういう力が君には備わっているのか?それから僕と蓑島、そして君との間に年齢差が生じているのはなぜだ?」


「そうね……一度で答えるのは難しいわ。まず、はっきりしているのは、あなたたちを『飛ばした』のは、私じゃないわ。私は『呼び戻された』の。ある人によってね」


「それは誰だ?蓑島か?」


「蓑島さんじゃないわ。私のお母さんよ」


「お母さんだって?」


「そう。お母さんがあなたの言う「能力」の持ち主なのよ。私が小さい時から、色々と不思議なことをして見せてくれたわ。十歳くらいになるとおしおきとしてしばしば、よその時代に飛ばされるようになった。今回のようにね」


「そんな人間が存在するのか……」


「私にはごく当たり前の事だったけどね。大抵は一週間とか長くても一か月くらい。時代は五年前とか十年前ね。戻ってくるのは、私が過去で過ごした時間の分だけ、経過した日時なの。体の成長にあうようにするためだって言ってたわ」


「ということは、今回もその、「おしおき」だったというのか」


「そう。十八の時、母と私の間にちょっとしたいさかいがあったの。母が働いているお店の、若い店員さんと私が仲良くなってしまったことがきっかけ。

 どうやら母はその人がお気に入りだったみたい。散々私を罵った挙句、「しばらくの間、遠くへ行ってらっしゃい」ですって。いくら遠くと言ったって、三十年前よ。考えられる?」


「お母さんが現代から三十年前の僕らに念力か何かを送って、飛ばしたというのか」


「違うわ。過去を見る力は母にはない。あなたたちを「飛ばした」のは過去の母よ」


「過去の……お母さんがあの時代にいたというのか」


「いたわ。あの時はまだ、九歳だったけど。あれから十年後に十九歳で私を生んだの」


 ヨウコか。あの子が恵の母親だというのか。しかしなぜ、あの子が俺たちを飛ばす?


「ヨウコが……母がなぜ私にこんなきついおしおきをしたのか、戻ってきてようやくわかったわ。私は過去と現代で二度、お母さんのお気に入りの男性を奪っていたのよ」


「小田切か。小田切が原因で俺たちも飛ばされたのか」


「そう。また遠からず連れ戻される事はわかっていたけど、それまでは自分の力で生きなければならない。私は飛ばされた場所から近い「どんぐり村」を、家出少女を装って訪ねた。そこに自分の母親がいるなんて知らずにね。

 幸い、小田切さん……昭の叔父さんね、詳しいことを聞かずに雇ってくれた。アパートを借りる際の保証人にもなってくれたわ」


「そこに小田切もいた、と」


「ええ。昭は学生の頃から出入りしていて、よく子供たちの遊び相手になっていた。子供たちもなついていて……とくにヨウコちゃんは昭を本当のお兄さんのように慕っていた」


「それをいきなり現れたお姉さんが奪ってしまった……そうだな?」


「そう。私が昭と仲良くなり始めたころから、身の回りでおかしなことが起こるようになったの。二階から鉢植えが落ちて来たりね。私は子供の頃から母の能力を見てきたから、それには見覚えがあった。だからすぐわかったわ。ヨウコちゃんはお母さんだって」


「それでも、小田切と一緒に東京に行ってしまったわけだ」


「それは仕方ないことだった。小田切の魅力に参ってしまっていたから。でも、そろそろ母から連れ戻されるのを予感した時、私は小田切から離れる決心をした。いずれ未来に戻ることはわかっていたし、万が一、小田切との間に子供でもできたら、その子はどこにも父親のいない子供になってしまう。


 それで札幌に戻ってきたの。でも、小田切が亡くなったと聞いた時、ヨウコちゃんは私に原因があると直感したみたい。私が現代に戻ってきた時、母が私にこう言ったわ。子供のころ、大好きな人が突然、消えてしまって悲しかった。ずっとその原因がわからなかったけど、お前が消えている間にじわじわと思い出してきた。


 お前だったんだね、小田切さんを私から奪ったのは。お前は二度も私から大事な人を奪うんだね、と。ヨウコちゃんが私に憎しみを抱いたことで、過去の事実が上書きされたのよ」


「じゃあ、ヨウコちゃんは、君に会いにやってきた俺と蓑島を、君と共謀して小田切を殺した共犯者だと思ったわけか。だから彼女は『飛ばす』という形で俺達を処刑したんだな」


「そうよ。あの日、公園で私たちの話を聞いていた彼女は、私たちの「罪の重さ」に合わせて別々の距離に「飛ばした」んだと思うわ。もっとも罪が重い人を一番遠い場所に飛ばす、という感じでね」


「最も未来に飛ばされたのは……君か?」


「私は母から『呼び戻された』のよ。ヨウコちゃんは、自分が飛ばそうとしたとたんに私が消えたから、自分が無意識に飛ばしてしまったと思っているかもしれないけどね」


「つまり俺が、一番罪が重いと判断されたわけか」


「そうなるわね。でも……本当は私なのよ。なぜなら、小田切を殺したのは私だから」


「なんだって?」


「あの日、小田切から札幌の私の元に電話があったの。『君の部屋に入ったら、君が八坂と仲良く映っている写真があった。話がしたい。戻って来なければ死ぬ』ってね。私は彼の話の内容より、電話代の方が心配だったわ。北海道までですもの。


 ……で、私は『八坂さんとは何でもないわ、誤解だから死なないで』と言っておいた。正直、彼が死んだとしてもそれはそれで仕方ないと思っていたわ。どうせもうあと少ししたら呼び戻されるのだから……と思ってね。でもさすがに気になって、今度はこちらから電話をかけたの。


 そしたら小田切が呂律の回らない口調で『さっき蓑島がやってきて、俺を殺そうとした』というの。『これほど人に憎まれたのは、生まれて初めてだ。もう死んでしまいたい』ってね。だから私は言ってやったの。『死にたいなら好きにすれば』って。彼は絶望し、毒を飲んで本当に死んでしまった。……だから、小田切を本当の意味で死に追いやったのは、私なのよ」


「そうか。……なんとなく、あの日、なにがあったかがわかってきたよ。小田切は君を試そうとしたんだ。以前、君の部屋で見たブランデーの瓶と同じものを用意しておき、棚に置いてあった毒入りのブランデーは、自分のポケットか何かに隠す。


 そしてテーブルの上に持ってきたブランデーの瓶を置き、戻ってきた君がチャイムを鳴らしたらひっくり返って様子を見ようという算段だったんだ。もし君が驚かないようだったら、今度はテーブルのブランデーを飲む。


 おそらくひどい味がつけてあっただろうから、それなりに苦しむ様子を見せられるはずだ。それでも君がパニックを起こさなかったら、その時はポケットに隠した「本物の」毒をあおって死のう……そんなシナリオで予行演習をしていたんだ」


「だからテーブルの上に、毒入りのブランデーが置いてあったのね……。あの毒はね、実は祖母が持っていたものなの。おじいちゃんの浮気に耐えかねて、密かに手に入れた毒をいつでも使えるように箪笥に隠してあったらしいわ。


 小田切との仲が怪しくなった時、私はそのことを思い出したの。そして札幌にこっそり帰って、祖母の家……つまりヨウコちゃんの家よね、に無断で入り込んで、タンスに入っていた毒薬を持って行った容器に半分だけ移し替えて、東京に戻った。それをブランデーの瓶に詰めて部屋に置いておいたんだけど、つい毒を持っていることを小田切にしゃべってしまったのよ」


 健一は混乱した。何という奇怪な話だろう。不思議な力を持った母親に、娘が「おしおき」として過去に送り込まれた。娘は子供の頃に知った毒を過去の世界で見つけ出し、恋人の男性を死に至らしめた。そして母親によって再び、元の時代へと呼び戻される……。


 そこまで考えた時だった。ふいに、引き戸が開かれ、恵の母親が顔を出した。


「お母さん?」


 恵の母親の表情は怒りとも困惑とも取れる奇妙なものだった。次の瞬間、健一の中にかつて一度だけ味わった奇妙な感覚が甦った。意識がねじ曲がり、闇に覆われるような感覚。


 飛ばされる?


 とっさに覗き見た恵の母親の目に、なぜか憐れむかのような光があった。なぜだ……


 健一は再び意識が闇に飲み込まれるのを感じた。なぜだ、もう刑には服したはずだ。


 疑問が沸き上がり、口を突きかけた。だが、次の瞬間、意識は完全に闇に没していた。


               〈最終話に続く〉

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