一ノ三 トウカ


その日は待ちに待ったお祭りの当日で、うちは朝からそわそわと落ち着かない気持ちを持て余していました。

 こっちまでせわしくなるから、夕方まで山菜でも摘んでおいでとおっかさんに家を追ん出された時には、きっとふてくされた顔をしてたと思います。うちは山から切り出してきた丸太が角材に加工されて、やぐらに組みあがっていく様子を眺めたり、夜店に出すごちそうの仕込みを手伝ったりする方が好きだったからです。独りでお山に入るのは、あまり好きではありませんでした。


 背に負った籠が八分目ほどまで埋まった頃合いだったと思います。森の中を、妙な風が吹き抜けていきました。何が妙かと聞かれると困るのですが、強いて言えば、うちの知るお山に吹く風とは向きや強さが違っていたような気がします。たったそれだけの事なのに、なんだか変に胸騒ぎがして仕方がありませんでした。


 木々の隙間から見える太陽が、山々の稜線に触れようとしていた頃でした。言いつけより少し早い時刻ではありましたが、うちは急かされるように村へと戻りました。

 思えばあれが、虫の知らせと呼ばれるものなのでしょう。悪い予感は当たってほしくない時程当たるものなのだと、その時うちは思い知らされました。


 村に帰った時には、すべてが済んだ後でした。

 物心ついたばかりの頃、病気で死んだおっとさんの葬式に出た時の事を思い出していました。ご遺体を村の真ん中に持っていって火葬する前に、棺桶の上を青白い火の玉が漂っていたのを見た事があります。長老が言うには、火の玉は死んだばかりの体から魂が抜け出して、この世に留まっている証なのだそうです。魂が炎と煙に乗って、ちゃんと迷わず冥途へ旅立てるように、ご遺体を火葬するのだと言っていました。

 おっかさんはまだ小さな妹のミズハを腕に抱き、うちの手をぎゅっと握って、炎と共に天へと昇っていくおっとさんの魂をじっと見つめていました。その光景が言葉も出ない程綺麗で、綺麗なのが悲しくて、どうする事も出来ないのがやるせなくて……ただただ泣いていた事を、今も覚えています。

 

 その火の玉が、村中を埋め尽くす程に漂っていました。

 うちは籠を置いて走り出しました。我が家は村の北端にあって、そこへ至るまでにはほとんどすべての家々を目にする事になります。今このまなこに映る景色が悪い夢であればいいと、何度思ったかも分かりません。火の玉の青い燐光が照らし出す物の、何もかもが分かたれていたのです。何もかもが。


 いつもおっかあに内緒でべっこうあめをくれるサザが死んでいました。昨日、一緒にあけびを採りに行ったナズナが死んでいました。家の雨漏りを直してくれると言っていたカザミが死んでいました。来年の為に山菜を採り過ぎるなと言っていた長老が死んでいました。村一番の力持ちだったムジカが、得物を手にする暇も無く死んでいました。

 おっかあが死んでいました。祭りで振る舞うつもりであったろう煮物が、まだコトコトと僅かに音を立てていました。ミズハが死んでいました。子猫みたいにまん丸い目が、かっと見開かれていました。小さな体を斜めに断たれていなければ、すぐにでも起き上がって「ああびっくりした!」とでも言いそうな顔をしていました。


 うちは呆然としたまま、ひどく見通しの良くなった我が家から村の方を振り返りました。家の壁は、丸ごと斜めに両断されていました。みずからの重みで滑り落ちたと思しき屋根が、冗談みたいに庭先に転がっていました。他の家も、皆似たような有様でした。

 まるで山のように大きな巨人が、その体と同じぐらい巨大な刀を一太刀二太刀と振るい、村ごと切断してしまったかのようでした。


 村の中央の広場に設えられた高やぐらや、外れにある神代から生えているという一本杉などは三つに分かれていましたので、『巨人』は低い位置と高い位置に刀を打ち込んだようでした。殺し漏らしの無いよう、念を入れたのでしょう。うちが生き延びたのは、ただの偶然でした。


 それから自分がどうしたのか、あまりよく覚えていません。村がそんな風になってしまった原因を探して、闇雲に走り回っていた気がします。

 気が付くとうちは物見小屋の側に座り込んでいました。お山の中腹辺りの村から少し昇った所にある、崖際からせり出したような地形に建っていて、下から見るとねずみ返しのようになっている場所です。

 とても見晴らしのいい所で、遠くにある薄ぼんやりとした街の光や、そこからずっと山間まで伸びる細くうねった道もはっきりと見渡す事が出来たのです。


 ふと、ぼうっとした光が麓へ降りていくのが見えました。もうほとんど日も暮れかかっていましたが、うちは何とか目を凝らしてその光の正体を見極めようとしました。

 焦点が合うにつれ、どうやらそれは行灯の光である事が分かってきました。持っているのは地味な色の和服を着た、刀を差した侍のようでした。

 滅多に人の来ない山奥に何故侍などが居るのかと不思議に思ったのと、ほぼ同時だったと思います。おもむろに侍が振り向いて、うちを見たのです。

 普通であればとても目の合うような距離では無かったのですが、その時確かにうちを見たと、そう確信しました。空から獲物を狙う猛禽類のような鋭い目つきは、今もはっきりと目に焼き付いています。そしてうちは、この侍こそが村のみんなを斬殺したのだと直感しました。

 普通の長さの刀で、どうすればあのような真似が出来るのかは分かりません。しかしそんな事は関係無く、その男の……あるいは刀の纏う得体の知れない空気のようなものが、そのような蛮行を実現出来ると思わせるには十分だったのです。


 見つめ合っていたのは、ほんの僅かな時間でした。侍は再び歩き出し、うちはそれを見ていました。今から追いかけても、殺されるだけなのは分かり切っていたからです。

 その代わり、うちは誓いました。いずれ必ず力を付け、あの侍を討ち取る事を、みんなの魂に誓いました。


 ――鉄目天元の名とその所業を知ったのは、それからすぐ後の事です。






 山口を東西に走る本街道沿いには、神代に建てられた建築物の遺跡が未だ多数現存している。表層部分が剥がれ、赤茶色に錆びた骨組が剥き出しとなっているが、数百年もの間風雨に耐え抜く素材は頑強極まりなく、加工の困難さも相まって貴重な研究対象となっている。


 遺跡の傍ら、風化が進んで文字も読めなくなった看板の横を、魔力機関の放つけたたましい排気音と共に二台の鉄駆動が走り抜けていく。既に夜は明け、暁光が正面から彼らの姿を照らし出していた。


 先頭を行くはラフなTシャツとジーンズ姿の少女である。腰の辺りまである金の細髪をなびかせ、しきりに後ろを振り返る顔には明確に焦りの色が浮かんでいる。

彼女の視界に映るものは、猫頭の侍が駆けるもう一台の鉄駆動と、その後方から猛烈な勢いで迫り来る一つの人影である。

 焦燥の原因はその小柄な影にあった。鉄駆動の速度計は五十を少し超えた辺りを指し示している。にも関わらず、それは生身で疾走し、あまつさえ徐々に距離を詰めつつあった。


「ヤバイヤバイヤバイヤバイ!なんなのアレ!絶対人間じゃない!」

「舌を噛むぞ」

「なんでウサ耳なんだよ!」

「知らぬ。舌を噛むぞ」


 表面には出さぬものの、侍もまた困惑していた。何故あのような子供がこれ程の速さで、しかも単騎で追ってくるのか。己を追い込むのであれば、まず兵を集めて物量戦に持ち込むのが最も簡便で有効な手段である筈だ。そうしてみると、あの子供は福岡からの追手では無いのかも知れなかった。

 だからと言って、まず話し合いを、などという悠長な手段を取る余裕が皆無である事は、桜次郎をして経験した覚えの無い強烈な殺意を取っても明白であった。あの猛追も、明らかにここで我々を殺すという確たる意志の表れだ。

 

 決断を迫られていた。このままもうしばらく走れば山口市に入る。街へ至る道の中途には検問が敷かれている可能性が高い。この姿のまま、山口の兵から盗んだ鉄駆動で突入するのは自殺行為に等しい。街の手前で鉄駆動を放棄し、正規の経路を避けて別の侵入口を探る必要があった。

 そしてそんな事情などお構いなしに、あの子供は襲いかかって来るだろう。やるならば人気の無い今ここしかない。


「サラ!私が止まったら、少し離れた位置でお主も止まれ!」

「ああ!?どうするつもりさ!」

「ここであれを食い止める!くれぐれも巻き込まれるなよ!」


 言うが早いか、桜次郎は操縦桿を握りしめて急減速した。車輪が悲鳴と土埃を上げ、慣性を伴って停止する。

 鉄駆動に備え付けられた側鏡によって、桜次郎は追跡者の動向を把握していた。たちまちの内に追い付いたそれは、迷いの無い動作で跳躍した。振り被った大剣が朝日を反射し、鈍色に輝いた。

 転がるようにして横っ飛びに跳ぶ。大剣は予想を上回る速度で振り下ろされていた。耳をつんざく異音と共に鉄駆動が圧し潰され、両断された。分断された鉄塊は勢いのまま緩やかな回転を伴って桜次郎の背丈程も舞い上がり、派手な音を立てて墜落した。神代の誇る移動機械は、その一撃で完膚なきまでに破壊されていた。


 半ば地面に埋まった大剣をずぐりと引き抜くと、それは桜次郎を真っ直ぐに見据えた。

 間近で見ると、顔立ちや骨格から、それはどうやら少女であるように思えた。

 背丈は桜次郎の鎖骨に届く程度だろうか。黄色と黒の縞模様が特徴的な、風変わりな裃姿である。息は荒く、顔は汗に塗れていて、臙脂えんじ色の髪が幾筋か張り付いている。額には兎を模した付け耳。髪と同色の瞳は燃えるように輝いている。右手に持つ鈍銀一色の大剣は奇妙な拵えで、巨大な羽子板を縦に引き伸ばしたような形をしていた。剣というよりも鉄の延べ板のようである。


「何者か」


 膝立ちの体勢で鬼灯に手を掛け、桜次郎は誰何する。サラの鉄駆動は既に停止しているようだった。横目で位置を確認したいが、少女の射殺すような視線がそれを許さない。侍の眼には、小さな体から放たれる殺意が湯気の如く立ち昇り、背後に建つ遺跡の輪郭を歪めているように見えた。


「鬼灯」


 獣の唸り声のように低い、しかし少女特有の丸みを帯びた声だった。じりじりと身を焼くような重圧が、更に高まったように感じた。

 暴力的なまでの怒気を前に、桜次郎は努めて気勢を鎮め、尋ねる。


「鬼灯。それがお主の名か」

「――速水村のトウカ。うちはお前らとは違う。名乗りもせず、後ろから斬るような卑怯者じゃない」

「トウカ。聞いた覚えの無い名だ。卑怯者呼ばわりされる心当たりも無い」

「顔を変えても無駄だ。鉄目天元の弟子が鬼灯を継いだ。お前が泉桜次郎だな」

「いかにもそうだが」

「ならば良い」

 

 一瞬我が目を疑った。あれ程濃密な殺気が更に膨れ上がり、爆発するように拡散していく。常人であればその殺意を浴びただけで戦意を失いかねない程、それは圧倒的な暴威を孕んでいた。

 桜次郎は思い出す。「殺気は体を凝らせ、剣筋を鈍らせる」とは師の言葉だ。殺意は余分な力を産み、剣筋を荒く雑にする上、動きも読まれやすくなる。故に戦いの渦中にあっても、その心は常に凪の如くあるべしと、そう教え込まれてきた。

 しかし見よ、眼前にある余りにも膨大な怒気の奔流を。殺気を読むなどという次元では無い。トウカと名乗る少女自体が、殺意の塊であった。

 殺意が、怒気が力みを産む。余計な隙を産む。然りである。だがしかし、人域から大きく外れた存在に対して、その理屈は通用するのだろうか。


 ほんの僅かな前傾姿勢を見せた直後である。トウカの足元が突然爆ぜた。正確には、慮外の脚力による踏み込みが足元の土を盛大に抉り、後方へと撒き散らした。殆ど閃光のような速度で間合いを詰めたその時には、既に大剣が振り下ろされている。移動と攻撃が同時に完了している。


 一瞬の判断で、桜次郎は鬼灯を鞘ごと帯から引き抜き、斜めに構えて斬撃を受け流す。鬼灯の鞘と大剣がかち合い、金属質の怪音が鼓膜を揺らす。軌道の逸れた大剣が街道にめり込み、轟音と共に礫を飛散させた。

 すぐさま鍔の直上、鞘の部分を握った右手を支点とし、小さな半円を描いて鬼灯を打ち込む。鎖骨を狙った一撃はしかし、トウカの右腕によって止められた。遠心力が乗り切る手前で防がれたとはいえ、少女はまるで応えていないようだった。その感触は、大木に打ち込んだかのようである。


 顎先が空いていると思った。少女は右肘で鬼灯を止め、左手は大剣の柄に。必然、正中線が無防備になっていた。半歩踏み込み、柄尻で顎を打ちに行くが、途中で変更を余儀なくされた。トウカは左手を剣から離し、桜次郎の首元を目がけ一直線に突き出して来た。咄嗟にのけ反って躱しつつ、牽制の横薙ぎを放つ。身を沈めて躱したと同時に大剣を拾い、トウカが再び突進して来た。

 

「(見事な)」


 内心で驚嘆の声を上げたのは桜次郎だ。僅か一、二合の打ち合いでも伝わって来る、練り上げられた強さ。憤怒に支配されてもなお鋭く、的確な斬撃は、骨の髄まで型を染み込ませた証である。そのような修練の果てに身に着けたであろう武器に拘泥せず、必要とあらばあっさりと剣を手放す判断の早さは、彼女の持つ殺傷本能の優秀さを裏付けていた。

 少女は己の目的の為に、自分という素材を磨き上げたのだ。恐らくは血と汗に塗れた茨の道を踏み越えて。その道程を思うと、自然畏敬の念が込み上げて来た。


 しかし桜次郎にも、ここで倒れる訳には行かない理由がある。危険極まる妖刀鬼灯を富士の火口に捨てるまでは、例え鬼神を敵に回したとしても死ぬ事は出来ない。


 故に侍は刀を抜いた。

 背筋を氷のような怖気が走る。世界が、時間が鈍化する。トウカは既に大剣を八相に構えている。

 体格において圧倒的に劣る筈のこの少女が、その実桜次郎が逆立ちしても敵わぬ程の怪力を備えている事は既に分かっていた。でなければあの大剣を自在に振り回す事など到底出来ぬ筈である。不合理なまでの膂力――その根源タネを探っている時間は無い。桜次郎の狙いは決まっていた。


 半ば天を仰ぐようになった体勢から、後ろに体を捻りつつ、勢いそのままに一回転する。

 八相のまま凍り付いたトウカの持つ大剣の柄……狙いはそこだった。得物を破壊し、戦力を削ぐ。

 鬼灯に斬れぬものは無い。岩であろうが鉄であろうが鋼であろうが、一切平等に両断する。妖刀と呼ばれる所以の一つである。唯一切れないのは、鬼灯を収める鞘のみ。その筈だった。

 

 きん、と軽い音がして、それきりだった。その手応えが、鬼灯の刃が通らなかった事実を伝えていた。

 桜次郎がいつも通りに鬼灯を納刀し得たのは、正に修練の賜物であった。それは侍にとって、天が割れ墜ちて来たにも等しい衝撃であったのだから。


 桜次郎の動きを警戒したトウカが急停止する。一拍遅れて、高速旋回に伴う竜巻のような風が瞬間的に巻き起こり、宙を舞っていた土埃を八方へと散らした。

 風がトウカの装束をはためかせ、時速五十キロでも外れる事の無かった付け耳を吹き飛ばしていた。


「――馬鹿な」


 今度の衝撃は、胸中に留める事が出来なかった。

 師である鉄目天元が一夜にして滅ぼした鬼の一族。

 その証たる二本の角が、赤髪の隙間から覗いていた。


 






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遺世界ブルーム 陸猫 @Rikunekotton

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