最終話

 コインランドリーではまた、タナベとケシが並んで椅子に座っていた。

「……タナベさん」

「うん?」

「何であなたは、ここにいるんですか」

 タナベは目を伏せた。その問いは、このひと月の間、何度もケシにぶつけられたものだった。そのたびにはぐらかしてきた。でも、もう、ごまかせないような気がした。

「アナタにも、キシモトさんとアズミさんみたいに、ここでもう一度出会いたい人がいて、その人を待っているんじゃないですか」

「ケシは、何処まで知っているの、俺のこと」

 タナベの問いかけに、ケシはほとんど何も知りませんよ、と応えた。

「アナタがワタシに話してくれた情報と、さっきキシモトさんと話していた情報くらいです。写真を撮っていたことと、昔恋人がいたこと、コインランドリーが好きなこと」

「ほとんどそれが全てだよ」

「……彼女は、どうなったんですか」

 タナベは黙ったまま、彼女の姿をまぶたの裏に思い描こうとした。シャッターの音が響くコインランドリーと、おとぎ話のような約束。

「俺はね、彼女に会えなかったんだよ」

 タナベは薄く笑った。その声は掠れていた。

「人間の世界の時間で言うと、十年くらい前になるのかな。たくさん人が死ぬような天災があって、ここにもたくさん人間がやってきた。その中に、彼女の姿もあった」

 思い出す。タナベには、すぐにわかった。セノの顔を忘れたことは一度だってなかった。それを守りたいがために、ずっとここにいたのだ。

「彼女は、自分の夫の手を握りしめていてね、それを見た瞬間、俺は逃げるように二人の側を離れて隠れたよ。人はたくさんいたから、彼女は俺に気付いていなかったと思う。二人は同じ洗濯乾燥機に洗濯物を入れて、それが洗われるのをじっと見ていた。彼女はここがどんな場所なのか知っているようだった。自分の隣にいた、ずっと連れ添っていた夫と、彼女は思い出話を始めたんだ」


――二人で一緒に洗濯機を回して、昔話をしながらゆっくり忘れていこう。そしてその先で、もう一度生まれ直して会えたらいいね。コインランドリーで、何処かで会ったことある? なんて言って。


 タナベは何かを飲み込むように一度言葉を切って、飲み込みきれなかったものをはき出すように、再び口を開いた。

「ああ、俺は選ばれなかったんだなって、そのとき思った」

 揺らぐ声を、ケシは黙って聞いている。

「彼女と別れるときも同じことを思ったなって、そんなことを思い出した。名前を呼んで、出ていけば良かったのかもしれない。彼女の手を掴めば良かったのかもしれない。そうすれば何か変わっていたのかもしれない。あのときも……でも、俺にはできなかった。二人が全部忘れて、消えていくのを見ていた」

 そして、タナベにとっての全てが終わったのだ。彼女は消え、タナベがここにいる意味もなくなった。

「じゃあ、どうして……」

 ケシは泣きそうな顔で問う。タナベは、そっと笑って見せた。

「俺が覚えていれば終わらないかなって、思ったんだよ。何処にもいなくなって、彼女は本当に、本当に、俺の全てになった。俺がここにい続ければ、忘れなければ、それだけは終わらないよなって思って。そんなわがままでここにいるんだ。馬鹿だなって思うよ。洗濯しなくたってさ、思い出せないことはたくさんあるのに。時間が経てばそのうち彼女の顔すら、思い出せなくなるかもしれないのに」

 タナベは言葉を切り、ケシの方を見た。

「ごめんな」

 タナベはケシの顔を見て笑う。

「何で泣いてんの」

「泣いてません」

 ケシは言う。タナベはカメラを向ける。

「やめてください」

「いいから」

 ケシはそれ以上何も言わずに、声を上げずに泣いた。涙は不思議と溢れてきた。タナベはそれを、写真に撮る。笑ってよ、とタナベが言う。無茶いいますよね、とケシは、それでもぎこちなく笑って見せた。

「わかりましたよ」

「うん?」

 ケシは涙を拭う。

「洗濯、しなくっていいですよ」

 タナベは少し驚いたように目を見開いた。

「俺をどうにかしないと、帰れないんじゃなかったの」

「帰らないんですよ」

 ケシはまっすぐにタナベを見る。

「ワタシがいます。ここに」

 それは同情とは少し違った。愛情とも、少し違ったと思う。愛着はあるが、そういうものではない。ただ、ケシはここで全てを抱えて立ち止まる彼を、そっくりそのまま、選んでもいいと思ったのだ。

「ワタシは、何処にも行きません」

 ケシを見て、タナベは目を細めた。

「……いつまで?」

「そうですね……」

 考えるように目を伏せるケシの横顔を、タナベはファインダー越しに見る。

「世界が、終わる頃まで」

 ケシは笑った。タナベはシャッターを切った。ケシは一層、綺麗な笑みを向けた。見届けてもいいと、ケシは思う。彼が覚えていることも、選んだことも。少しずつ、忘れていってしまうことも。

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コインランドリーで待ち合わせ 村谷由香里 @lucas0411

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