当日
雨はまだ降っている。
じめじめした舞台裏に、僕ら3人は集結する。
「いよいよラストライブだな。客がファンじゃないのが残念だ」
と、大黒がおどけて言った。
「俺らにファンなんかいないよ、なあ」
と、来栖が、僕のほうを見て苦笑した。
その言葉を聞いて、僕は深呼吸をする。
緞帳の裏に移動する。
舞台上手からギターの大黒、ドラムの来栖、そしてベースボーカルの僕。
見た目にもバランスが悪い。だいたいなんでボーカルが中央じゃないんだ。
緞帳がゆっくりと動き出す。
「まあ、ハデにやろう」
幕が上がる。
体育館後方から、スポットライトが僕らを狙っている。
それが眩しすぎて、客席にどんな顔がいるかは見えなかった。
その中にヒヨさんがいるかどうかなんて分からない。
でも、それでも僕はやらなきゃいけないことがある。
証明しなきゃいけないことがある。
僕には、もう、こうするしかない。
まずマイクスタンドからマイクを抜き取る。
マイクスタンドは蹴飛ばして舞台脇へ。
それから、豪快にマイクヘッドにかみつく!
ハウリングがひどいし、なにが旋律でなにが雑音なのか自分でも良く分からない。
でも、ヒヨさん、これスゲー気持ちいいです。
あのライブのヒヨさんも、きっとこんな気持ちだったのかな。
最高です。
教えてくれてありがとうございます。
これが、僕の声!
○
その瞬間、体育館全体に、天から巨人に抑えつけられたみたいな圧力がかかった。
ぴし、ぴし、とガラスにヒビが入り、天井のライトや鉄骨がめきめきと不穏な音をたてて歪んでいく。
床板もバリバリと剥がれはじめる。パイプイスや長机がバタバタ暴れている。
僕らは構わず演奏を続けている。
緞帳が目の前に落下し、その衝撃でモニタースピーカーが跳ねた。
天井からは絶えず木屑みたいな部材がぼろぼろ落ちてきて、しまいには鉄骨やライトが落下した。
観客は皆逃げたか、と思ったら、なんだよ、いつの間にか大黒も来栖もいなくなって、僕だけがステージに立っているじゃないか。
上等だ。
砂塵舞うステージで僕は歌い続ける。
鉄骨がグネグネとうねりを繰り返している。
一度曲った鉄骨が屋根を支えることができるはずもなく、ゆっくりと、屋根が落ちてくる。
知るか。
僕は歌い続ける。
轟々と粉塵を巻き上げ、体育館の後ろの方から、屋根が落ちていく。
このままだと僕もぺしゃんこになるかもしれない。
しかし屋根は都合良く僕を避けて落ちてくる。
視界が開けていい気分だ。
崩れた体育館の奥にある校舎は、今まさに崩れ落ちんとしている。
コンクリートはヒビだらけ、窓はすべて割れている。
少しずつ、校舎の背が低くなっていく。
ずずず、と地面を鳴らしながら、土ぼこりを上げながら、まっさらに整地されていく。
きっと部室もぺしゃんこで、すべてのCDが平等に粉々になっているに違いない。
校舎が崩れると、その周りの建物もドミノ倒しのように崩れていく。
街が、戦火を越えたかのような灰色の地平へと変化していく。
雨が止んだ。
びゅう、と一陣の風が吹き、砂塵が吹き飛ばされる。
やがて瓦礫の隙間、そこかしこから緑色の芽が出始める。
小さな双葉から始まり、涼しげに茂って背が伸びていく草むら、その隙間を這い回る力強い蔦。
緑は徐々に瓦礫の地平を埋め尽くしていき、幾重にも重なり合っていく。
頭上には晴れた空、雲間からやさしく照らす太陽。
そして、見渡す限りの広大で軟らかな草原――
その風景の中で、僕は歌い終わった。
音が消えると、草原のざわめく音が心地良かった。
ひと風吹くごとに、白っぽく輝く波が、緑色の海原を伝わっていく。
マイクを足元に放り投げ、ベースを下ろす。
大きく手を広げて深呼吸をひとつ。
空想の草原に違いないが、今まで思い描いていた見た目ばかりが美しい草原とは違っていた。
この草原は、破壊された壁の上に出来ていた。
ヒヨさんの壁じゃない。
僕の壁だ。
だからこそ、その景色は何よりも爽快で素敵なものに思えた。
広がる僕の野ッ原の向こうから、誰かがこちらへと歩いてくる。
その人の後ろでは、空想の草原はみるみるうちに現実へと戻されていく。
草は枯れ、風に吹き飛ばされ、瓦礫はヒビの跡さえ残らず完璧に再生し、街が、校舎が、体育館がもとに戻る。
まばらな拍手の音が聞こえる。
彼女はまだ近づいてくる。
舞台に上がる。
ぼうっとした目をして、何を考えているのかいまいち分かりにくいその人は、僕の目の前15センチで一度立ち止まった。
○
拍手が止んだ。
部員たちがざわついている。
「こっちの返しスピーカー音出てねえんだけど……壊しちまったか?」と、大黒が顔面蒼白になって言った。
それを聞いて来栖は「それマジでやばいんじゃ……凜音先輩の私物だろ……」と同じく血の気を失っている。
「宮本ーッ、やってくれたわね!」と、薬師先輩がヤジを飛ばしてくる。となりで腕を組んで仁王立ちしているのは凜音さんか。
僕は額の汗を拭って、
「聞いてて、くれたんですか」
と、ぜえぜえ息が混じる声で言った。
「うん。あのさ……私の壁、別に取られてなかったね。勘違いだ。ツマランのは私のほうだったねぇ」
「そんな、ヒヨさんが教えてくれなかったら、こんな声、出せなかった」
「でも私……まだ怖いかもしれない、歌うのが」
ヒヨさんは、泣いているような笑っているような、不思議な表情をしている。
そんな微妙な表情が出来るのか、と、僕は失礼ながら感心した。
僕はグッと首を伸ばして、ヒヨさんに顔を近づけた。
そして、その鼻に齧り付く勢いで、
「何言ってるんですかヒヨさん! もっかい、歌ってくださいよ! 僕CD割っちゃったから聞けなくて寂しいです!」
と、叫んだ。
そしたらヒヨさんも、僕の鼻に齧り付かんばかりに口を開いて、
「分かったよ! 今度は私が壁壊すとこ、見せてあげる! しっかし、ミヤ、ほんといい声してんね!」
と、叫んだ。
その時。
その叫び声を間近で浴びた瞬間。
僕は、決して見ることのできないだろうヒヨさん自身の草原を、どうしても見てみたいと思ってしまった。
〈了〉
マイクの向こうの草原 ワッショイよしだ @yoshida_oka
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