最終話 絆

 空間転移で涼一が手品のようにいなくなると、若葉やアカリは茫然自失となって立ち尽くす。

 真っ先に声を出したのは、ヒューだ。


「いつまで帝都の軍を留めておけるか分からん。図書館に向かうぞ」

「でも、お兄ちゃんが――」

「転移したんだ。探索は、リズダルが総力を尽くして行う。今は逃げよう」


 美月は涼一を失ったショックと、高濃度の魔素にやられたため、喋るのも難しい。しかし、転移には彼女の力が必須だった。


「カサイ、悪いが力を充填してくれ。これを」


 先ほどまで涼一が魔素を溜めていた形代を拾い、ヒューは彼女に渡す。

 美月はただコクリと頷いた。


「……行こうか」


 ロドが一行に出発を告げ、若葉たちもようやく立ち上がる。

 ゾロゾロと歩く彼らに、まだ消えた転移地をにらむレーンが取り残された。

 ヒューは彼女を急かすように、声を掛ける。


「レーン?」


 じっと地面を見つめたまま、彼女は呟いた。


「この土……」

「転移先のものだな。大陸じゃよくある灰土だ。行き先のヒントが有ればよかったが、土しかないとはな」


 それはおかしい。空間転移が暴発したなら、避雷針が有るはずだ。

 そう考えたレーンは、転移地の中央へ走り、がむしゃらに手で土を掘り始めた。


「レーン、無駄だ。表層に無いなら、埋まってるってことだ。どこまで掘る気だ!」

「でも、手掛かりが――」


 ヒューは彼女の腕を取り、無理やり立たせる。


「避雷針を見つけても、行き先が分かるとは限らん。ここにも、また来ることは出来る」


 黙って立つ彼女も、彼の言うことが正しいのは分かっていた。

 ようやくレーンが歩き出すのを見て、ヒューはその後をついて行く。


 図書館屋上に着くまで、誰もロクに口を開かず、黙々と足を動かすだけだった。

 美月の回復には少し時間が掛かるため、皆は鳥居を前に座り込んで、彼女の合図を待つ。

 半刻後、美月の力が回復し、転移が可能になった。

 帝都軍の様子を観察していたロドとヒューは、敵の進攻が再開されたと報告する。


「ガルドも粘った方だろう。敵が来る前に、図書館を飛ばそう」


 空間転移で移動し、安全な所から鳥居を発動する、それがヒューの提案だった。


「じゃあ、やるね」


 美月が御神体で、転移陣を展開する。

 小さな円が足元に出来たその時、レーンが走り出した。


「レーンッ!」


 ヒューが怒鳴り、若葉やアカリは驚いて口を押さえる。


「絶対、連れて帰る! アレグザで待ってて!」


 階段を駆け降りるレーンは、皆にそう叫んだ。

 転移陣が広がり切って発動する、そのほんの数瞬の間に、彼女は外に飛び出すことに成功する。

 図書館がリズダルの霊山に現れると、全員で手分けしてレーンを探したが、彼女は見つからなかった。


 鳥居を使ってアレグザに戻った彼らは、住民と特務部隊から祝福の歓声を浴びるものの、彼らの表情の厳しさが皆に冷や水を浴びせる。

 待っていたマッケイが、ヘイダを捕まえて問い質した。


「世界間転移は失敗したのか?」

「いや、それは大成功だと思う」


 何が彼らを暗くするのか、最初に気付いたのはリディアとマリダだ。待ち人がいないのだから、当然だろう。


「レーンは?」


 リディアの質問に、若葉が首を横に振った。


「レーンさんは残りました。消えたお兄ちゃんを捜すって」


 第一ゾーンは、アレグザから遥かに遠い。涼一の居場所に至っては、手掛かりも無い。

 当面は、リズダルとフィドローンの情報収集力に頼り、二人の行く先を調べるしかなかった。


 若葉やアカリ、美月、それにマリダまでが、すぐに街を出て捜索に加わろうとする。

 彼女たちを説得し、引き止めるのが、その後の神崎とヒューの仕事となってしまった。





 空間転移で飛ばされた涼一は、目を開けるまでに一時間も掛かった。

 体内の魔素レベルが落ち着き、そこでやっと体が起こせるようになる。


 周囲を見回した彼は、自分がどこにいるのか見当を付けるのに苦労しなかった。

 暗く静かな闇に、地面に並ぶ光の縞模様。

 第一ゾーンの下、地下大空洞だ。


 ムカデの大群を思い出し、涼一は背筋が寒くなる。

 前回、そのほとんどを殲滅したおかげで、一時間の休眠中に襲われることは避けられた。


 ムカデがいた方向を嫌がり、彼はヨロヨロと渦の中心へ向かう。

 光る転移遺跡に再会する頃には、頭もかなり働くようになってきた。


 太古の遺跡を前にして、彼は考える。

 メリッチは、この遺跡にそっくりのコピーを作った。

 あまりに似たその設計は、実物を見たとしか思えない。どこかに地上へ通じる出口があるのではないか。

 その出口もまた、術式研究所が管理していただろう。ここはメリッチが独占したい、最優先の秘密なのだから。


 さて、その出口はどっちへ向かえばいいのか。

 根拠は勘だけだ。

 涼一は暫く遺跡の周囲を歩いて、何か脱出先の目安はないか闇を見渡す。


 ――こっちだな。


 最早、東西南北も分からなくなった空間で、一つの方角を選び、彼は歩き出した。


 ――そう、根拠は無いさ。


 だがしかし。

 彼は不思議と、自信を持って歩き続ける。

 段々と、進むほどに力強く。

 勘は確信に変わり、彼の歩く速度が上がった。


 渦の端に来て、古いクルーザーの残骸を越えた時、涼一の顔に笑みが戻った。


 ――ほら、正解だ。


 暗闇に浮かび上がるように、ローブの少女が小さく霞んで見える。

 走り寄る少女がフードを外すと、涼一のよく知る美しい栗色の髪が跳ねていた。






「それで、どうやって俺の居場所が分かったんだ?」


 暗くても、レーンの悪戯っ子のような顔が見える気がする。


「リョウイチこそ、どうやって私が分かったのよ?」

「んー……勘かなあ」


 クスクスと彼女が笑った。


「正解はね、これよ」


 レーンがいきなり涼一の手を握り、彼の魔素を吸い込んだ。


「おいおい! 俺は病み上がりみたいなもんだぞ。無茶しないでくれ」

「ふふっ。おかしいと思わないの?」


 ――何がだ?


 涼一は頭を捻り、彼女の言う意味を考える。

 レーンが術式を使える以上、魔素操作ができるのも不思議では――。


「――あっ。普通は他人の魔素を操作できない。吸収どころか、与えるのだって怪しい」

「そうね」


 自分が何度もやってきたからこそ、涼一はその不自然さに気付かなかった。

 レーンにそんな能力があるなら、自らマリダを治療しようとしたはずだ。


 二人で協力して撃った強化魔弾や冷弾、発動させた御神体を、彼は思い返す。

 確かにレーンと涼一は、力を融通しあっていた。


「力がリンクし始めているのか……」

「繋がってるのよ、どういうわけか。集中したら、リョウイチのか細い魔素を感じたわ。地上と地下、案外近いからできた幸運ね」


 黙々と歩き続けた彼らの前に、出口の光が見えてくる。


 レーンも涼一と同じで、メリッチは進入路を隠していると考察した。

 彼女は術式研究所の地下に向かい、所長の専用研究室を家捜しする。資料を当たろうとした本棚が滑り、現れたのが地下へ続く大階段だった。

 涼一を最初に迎えるのは自分の役目、いつしかそう考えるようになったレーンのこだわりは、今回も功を奏したのだった。


「まあ、美人と繋がってるなら光栄だな」


 また暫し沈黙の行進が続く。

 堪えられなくなったレーンが、ケラケラと笑い声を上げた。


「そういうテクニックは……っていう注意、言わないのか?」

「私へ使う分にはいいのよ」


 二人は笑いあったまま、長い長い階段を上っていった。





 二人が研究所の地下から脱出した翌日、フィドローン王国は再独立を宣言した。

 帝国の諸侯はそれぞれが同盟相手を選び、大陸は長い戦乱の歴史に突入する。ゾーンを核にして、術式で争うこの戦争は、ゾーン戦争と呼称された。


 ガルドたちは北の辺境伯の元に身を寄せ、ゾーン解放派としてこの戦に参加して行く。

 この時点では、終結は遥かに先の話であるが、フェルド・アレグザは最後まで独立を保ったと云う。




 涼一たちがアレグザへ戻るには、大陸を縦断する必要がある。

 帝国領の案内に、途中、彼らはヴェルダというプロの冒険家を雇った。涼一たちを見つけ、自分から売り込みに来た男を、最初は胡散臭く思い追い返す。

 だが、アレグザ国民になりたいという熱意に負け、そこからは三人の道行きとなった。ヴェルダは中々優秀な男で、元は帝国兵だと言う。

 諸邦の兵に見つからないように人目を避け、無人の国境を越えて彼らは南下した。


 もっとも、その道案内のおかげで、リズダル共和国らの調査網すら避けてしまったのは、失敗だったかもしれない。

 リズダルの調査機関は、涼一の力に渦を制御し得る可能性を見た。

 彼の力があれば、ゾーンの発生を抑えつつ、魔素を利用する道が開けるかもしれない。

 そのためにも、彼らは血眼ちまなこになって涼一の行方を追った。


 巨大カエルと戦い、カラスを焼鳥にし、道無き道を涼一たちは邁進する。

 ハータムを迂回して、ザクサを越え、アレグザを目前としたのは、第一ゾーンを出た半月後のことだった。





 アレグザ中央の本部テントでは、毎朝、食事に何人もの住民が集まる。

 必ず出席するのは、若葉、アカリ、それに美月の三人だ。


 涼一たちが消えてから、誰が言い出すでもなく、ここに集まる習慣ができた。

 今朝は山田も参加し、あまり美味くなさそうな顔で、皆はモソモソと朝食をとっている。

 そこに飛び込んで来たのが、顔だけは冷静なヒューだった。


「帰って来たぞ! 西からだ!」


 息を荒らしギュロギュロと鳴くため、彼も相当慌てたのがバレている。

 その後は、大通りを西進する住民のマラソンが始まった。


 ヒューと特務部隊は仕方がないとして、その次の位置争いは熾烈を極める。

 意外と足の速い若葉を抜こうと、アカリと美月が鬼の形相で疾走した。


 障壁を越える頃には、神崎や花岡はヘロヘロで、飽きれ顔の小関に叱咤激励される始末だ。

 彼らを置き去りにして、その先に進もうとする若葉たちを、中島が呼び止める。


「ちょっと! 我慢しなさい。有沙がついてこれないじゃないの!」


 子供をダシに使うことを覚えた彼女は、最近、頻繁にこの手を使う。

 有沙に弱い若葉たちは、渋々壁の前で涼一たちが見えるのを待った。

 小さな少女が到着すると、トテトテと一番前に出てくる。


「おにいちゃんたち、かえってきたの?」

「そうよ、絶対戻ってくるって言ったでしょ」


 若葉は地平線に目を凝らし続ける。


「おっ! あれじゃないのか?」


 揺れる三つの人影に、神崎が気付いた。


「そうよ、あれだわ!」


 横の中島もそれを認める。

 西進入口に、防衛戦の勝利の時以上の歓声が上がった。

 若葉たちも、もちろん涼一たちを見落とすはずは無かった。


「あれよ、もう顔も見える。走ってよ、お兄ちゃん!」


 皆がちぎれんばかりに腕を振ると、遠くの涼一も手を挙げた。


「やっと帰って来やがったぜ。あの後ろのオッサンは……まあ、どうでもいいや」


 山田の横で、美月が眉間に皺を寄せた。


「なんで二人は手を繋いでるの?」

「あれは友情の証です。二人はボッチモだもの。右手は私用ですから」


 帰ってきたら、少しくらいくっついても怒られないだろう――アカリはそんなことを考えていた。

 彼女の後ろに立つのは、リディアとマリダだ。


「ようやくみたいね、母さん」

「ね、待ってればいいのよ。まだ若いんだから」


 街の前に立つまで、涼一もレーンも声を出さず、二人の様子を皆もただ見守った。

 手が触れそうな距離まで近づくと、レーンが穏やかに微笑む。

 涼一は一人一人の顔を見て、そして、口を開いた。


「ただいま、みんな」


 再び上がる歓声と一緒に、二人は揉みくちゃにされる。

 レーンがその喧騒の中、涼一を見つめてパチリとウインクした。


 ――そうさ、ここが俺の帰る街だ。


 初夏の風が、彼の頬を優しく撫でて、通り過ぎた。









(了)

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魔弾の少女と障壁の街 <この世界で殺虫剤は使えますか?> 高羽慧 @takabakei

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