増えたご遺体

台上ありん

増えたご遺体

 これは霊感がまっくない僕が体験した、唯一の不思議な出来事です。

 僕の祖父は心臓に持病があったので、80代になってからは入退院を繰り返していたんですが、2月のある日、病室のベッドの上で亡くなりました。かぞえで84歳でした。


 喪主は夫に先立たれた祖母ではなくて、祖父の長男である僕の叔父が務めることになりました。

 祖父の家は古くとても狭いので、「○○セレモニー会館」という葬儀場を借りて、そこで通夜と葬式をやるということになりました。もちろん、僕も喪服を用意してその葬儀場に行きました。200人ほどは入りそうな立派な葬儀場だったんですが、通夜が行われるのはその横の細い廊下の奥にある、20畳ほどの和室でした。


 当時、僕は23歳で、就職活動に失敗して大学卒業後もフリーターをしている身でした。僕の親族には固い職業に就いている人が多く、たとえば裁判所の書記官をしていたり学校の教師だったり、民間でも大企業勤務だったりで、久しぶりに親族が一同集まったこの通夜会場は、いい歳をして定職に就いていない僕にとってはたいへん肩身の狭いものでした。

 だから僕は、祖母や従兄弟などに一通り「お久しぶりです」などと儀礼的なあいさつを交わした後は、極力も誰ともコミュニケーションをとらないように避けていました。


 午後六時くらいに坊さんがやってきて、通夜の読経が始まりました。先ほど書いた通り、祖父は持病がありましたので、僕も含めてみんなそれなりに準備というか覚悟をしていたようで、大きな声で泣いたり取り乱したりする人はひとりもいませんでした。

 坊さんの読経が終わった後は、○○セレモニー会館の職員さんが短い脚の折りたたみ式テーブルをいくつか運んできて、続いてそのテーブルの上に豪華な食事を並べていきました。2リットルのウーロン茶や炭酸飲料、ビールに日本酒の一升瓶なども運ばれてきました。

 喪主である叔父が、

「ささやかですが食事を用意しましたので、是非召し上がってください」と一同に向かって言いました。


 僕は当時勤務していたバイト先が不規則なシフトだったため生活リズムが狂いがちで、空腹になるタイミングがふつうの人とは少し異なっていたので、豪華な食事を目の前にしてもあまり食欲がわきませんでした。とりあえず、形だけ口を付けるふりをして、あとはジュースばかり飲んでいました。

 そういう状況だったので、まわりの人が飲んだり食ったりをしているなかで僕は暇というか手持無沙汰になってしまい、親族ともあまりしゃべるような内容もないことだし、席を立って○○セレモニー会館から出てちょっと周りを散歩することにしました。

 2月でしたが、低気圧がやってきてるせいか、夜空にはまったく星が出ていなくて、外はみょうに生暖かかったのを覚えています。セレモニー会館は市の中心部からは少し離れたところにあって、近くにコンビニが一件あるほかは、田んぼや耕作放棄地になっていて、少し離れたところには民家がいくつかあるくらいです。

 会館からそれほど遠くない場所に線路が通っていて、15分から30分に1回くらいの割り合いで、カンカンカンという踏切の警告音が聞こえてきて、そのすぐ後に電車がガタンゴトンガタンゴトンという音を立てながら走り去って行きます。


 30分か1時間かちょっとはっきりはしませんが、とりあえずセレモニー会館の周囲を散歩した僕は、ひとまず通夜会場に戻ってみました。親戚一同はあらかた食事は終えたようで、めいめい気の合う連中と会話をしていました。

 そのなかで、喪主である叔父が携帯電話に耳を当てて、ひときわ大きな声でしゃべっているのが聞こえてきました。

「いや、そこまではしてもらわなくても……。いえいえ、通夜の読経はもう終わって、坊さんは帰ってますから……。明日の告別式は午前10時からで……」

 などと叔父は携帯電話に向かって言っていました。その口調から、叔父が少し困惑している様子が伺えました。

 電話を切った後、叔父は祖母に向かって、こんなことを言っていました。

「××さんが今から来るって。そう、大阪からこっちに車で向かってるらしい」

 ちなみに、大阪からこの市までだと、高速道路に乗ったとしても車では7時間近くを要します。

 祖母は、

「××さんが? 仲良くしてもらっていたけど、遠くからわざわざ来てもらわなくても。そんな、申し訳ない。ご遠慮しときなさい」というようなことを言っていました。

「ご遠慮って言っても、もう出発したっていうんだから、今さら来るなとも言えないし……」

 そんな祖母と叔父の会話を聞きながら、どうやら亡くなった祖父とその××さんというのは少し離れた縁戚関係にあるらしいけれど、ふたりの関係は子供のころから続くもので、互いに無二の親友だったらしいということが伺えました。当然、僕と××さんには面識はありません。


 すでに出来上がっている親族の会話の輪のなかに僕は入れそうになく、また入りたいとも思っていなかったので、ずっと何もせずにぼーっとしていたのですが、それから2時間近くが経過したころでしょうか、叔父の携帯電話が着信音を鳴らしました。

「もしもし、……えっ? ウソだろ? 本当ですか?」

 長い会話が終わって携帯電話を耳から離すと、叔父は顔を青くしていました。ただごとではない何かが起こったというのは叔父の表情から読み取れたのですが、やがて叔父は祖母に対してうめくように、

「××さんが、交通事故で亡くなったって。高速道路で」と言いました。

 僕はそれを聞いて、悲しいや怖いというよりも、非常に罰当たりなことですが、馬鹿馬鹿しいと思いました。葬式に出席するための移動中に事故って死ぬなど、出来の悪いコントじゃないか、と。

 場の雰囲気が一気に暗いものになってしまったので、僕はセレモニー会館の横にあるコンビニに行って、立ち読みをすることにしました。


 分厚い漫画本を何冊か読み終えると、喉が渇いてきたので、コンビニでペットボトルのお茶を買って飲みました。

 いったん戻ろうと思い、和室の通夜会場に帰ったのですが、そこには先ほどまではなかった妙なものが増えていました。

 和室のいちばん奥には布団に寝かされた祖父のご遺体があって、祖父の頭の横には蝋燭や線香を立てる小さな台があるのですが、祖父のご遺体のすぐ手前に平行に並ぶように、もうひとつ布団が敷いてあって、誰かが寝ている格好になっているのです。掛け布団がこんもりと盛り上がっていて、しかも顔の部分には白い布をかぶせてあるので、どうやらそれも誰かのご遺体であることは間違いないようでした。

 つまり僕がコンビニで立ち読みをしているあいだに、祖父のご遺体のほかに、ご遺体がひとつ増えていたのです。

 なんだ、これは。僕はそんなことを心の中で思いました。

 ひょっとしたら、交通事故で亡くなったという祖父の縁戚の方のご遺体をここまで運んできたのだろうか、などとも考えましたが、時間的にそれは有り得ないし、もし仮にそうだとしても、その××さんのご遺体をここに運んでくる理由はないはずです。

 これはいったい、誰なんだろう。僕は新たに増えたご遺体の、顔の上に掛けられた白い布を凝視しました。

 誰かに事情を聞いてみようかと思って、まわりを見回してみたのですが、誰もこの状況を不思議なものとは思っていないらしく、お茶を飲んだり酒を呑んだりしながら親戚どうしで会話をしています。

「ひょっとして、このご遺体は、オレにしか見えてないのだろうか」そんなことを思ってしまうくらい、誰もが無頓着だったんです。


 僕は少し、怖いというよりも不気味になってきたので、いったん通夜会場から出ました。そして、コンビニで買ったペットボトルのお茶を、歩きながら飲みました。

 不気味ではあったものの、このままでは疑問は何も解決しないので、「この新たに増えたご遺体はいったい何だ?」ということを親戚の誰かに聞いてみようと意を決しました。

 空になったペットボトルをセレモニー会館のゴミ箱に捨てて、僕は通夜会場の和室に戻りました。


 和室に戻ると、僕はわが目を疑いました。

 謎のご遺体が寝ていた布団はきれいさっぱり消えていて、当然ご遺体もどこにもありませんでした。親戚一同は、まるで何もなかったかのように、さっきまでと変わらない様子でした。

 僕が通夜会場を離れていた時間は、おそらく10分もないほどです。この短い時間のあいだに布団を片づけることは物理的に不可能ではないでしょうが、それならばあのご遺体はいったいどこに行ったのだろう、という新たな疑問が生じてきます。

「ここにもうひとつご遺体なかった?」などと誰かに聞こうとも思いましたが、親戚一同がこの異常な現象を前にしてあまりに平然としていたために、なんとなく聞けませんでした。

 とにかく奇異なご遺体がいなくなったことで、僕は少しホッとした気分になりました。


 翌日、祖父の葬儀は何事もなく終えました。

 果たしてあの、急に現れてあっという間に消えた謎のご遺体がいったい何だったのか、いまだにわかりません。


(了)

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