10-3
しばらくして揚げ物は一段落したらしく、父は目を開けた。
「中断させちゃってごめんね。さっきの続きだけど……。君は無理に魔法使いにならなくても良いんだよ」
「――え? どうして?」
「もう僕を探す必要はないし、君は普通の人間として生きていけるはずだから」
「普通の人間として?」
「君は佳菜子から赤子の状態で産まれて、ここまで大きくなった。つまり、年を取れるということだ。だから、彼女と同じ時を過ごしていける」
父は、食卓に皿を並べ始めた千鶴に視線を向けた。
「僕は佳菜子に合わせて形を変えていくけど、いつかは彼女に置いて行かれてしまうだろう」
そう話す顔はとても寂しげである。
「父さん……その時はどうすんだ……?」
「その時は……また、何か佳菜子のお気に入りのものになるから、一緒に埋めてくれないか。佳菜子と同じ所へは行けないけど、佳菜子の一部とでも一緒にいたいから」
そんなに母さんのこと……好きなんだな……。
「ま、まぁーあと5、60年は先の話だろ? そんなのいま話したって仕方ないよなー!」
わざと声を張り上げた。そうでもしないと、いつか2人がそろっていなくなる日を想像して涙が出そうだったのだ。
急に大声が聞こえてびっくりしたのだろう、ダイニングから「何ー? 何の話―?」という母の声がした。
「こっちの話だよ、良いから!」
「そうそう、こっちの話こっちの話」
父もうんうんと頷きながら返す。
ボリュームを戻してまた話し始める。
「あのさ、別に無理になろうとしてるわけじゃないんだ。ただ……その……俺も乗せてやりたいんだよ。空気の舟にさ、千鶴を……」
ぽつぽつと話す。顔が熱い。やっぱり語尾はだんだんと小さくなった。
しかし、さすがに父にはしっかり聞こえたのだろう。いだいなる魔法使い様だからか、それとも単に耳が良いのか。
「成る程。そういうことなら、今日から……いや、明日から僕が先生になるよ」
――そう、やっぱり父さんなら『あげる』なんて言わねぇんだよ。
母の「ごっはんー!」の一声で父との会話は中断された。
4人掛けの食卓には様々な揚げ物とサラダの大皿、そして白米と味噌汁が所狭しと並んでいる。
この食卓に4人が座ることなんて、これまでなかったんじゃないだろうか。
そうだよ。少なくとも、家族3人だったころは、まだ俺は椅子なんてものに座れるような年じゃなかったのだ。
母の向かいには父、千鶴の向かいには俺が座っている。
会話は主に女性陣が仕切っていた。男性陣はというと、各々のパートナーの皿へ揚げ物を取り分けたり、麦茶のおかわりを注いだりしている。
たまに父の方をちらりと見ると、お互い大変だね、とでも言わんばかりの表情で見つめ返してくる。
いや、こういうの好きだろ、父さんは。
ま、俺も別に嫌じゃねぇけど。
そんなアイコンタクトの様子を目ざとく見つけては「ちょっとちょっと2人して何通じ合ってんのよー」と母が騒ぎ、「怪しいですね、お2人さん!」と千鶴がそれに乗っかる。俺達はもう笑うしかなかった。
夕飯が終わり、しばしの休憩を挟んで、俺は冷蔵庫から手土産のケーキの箱を取り出した。
「これ、千鶴から。いまコーヒー淹れるよ」
「あ、待って、それなら……」
母がいそいそとリビングから先ほどの紙袋を持ってくる。
「このタイミングで持ってきたら、中身バレバレじゃね?」
「えー? わかんないよねぇ? 千鶴ちゃーん」
母さんは大げさに煽って、千鶴を見た。
「うふふ。もしかして、ペアのカップだったりしませんか?」
千鶴はウィンクしながらそれに答える。
「まさか……。開ける前にわかるなんて……」
父は本当に驚いているようだった。どこまで純粋なんだよ、この人。
解けかかっているリボンを、今度は勢いよく引っ張る。包装紙は丁寧にはがすのが俺のポリシーだ。まぁ、最後はどうせ捨てるんだけどさ。
包装紙がはがされ、むき出しになった白い箱を開けると、中には、男の子と女の子の顔が描かれたペアのカップが入っていた。
「これは……、ちょっとベタ過ぎねぇ……?」
「若いんだから、これくらいベタじゃないとねー。――でも、本当にいまわかったの?」
自分達用の簡易包装をはがしながら、俺に向かって母が問いかける。
両親の方はシンプルな白いカップだった。よく見ると雪の結晶の模様が入っている。それくらいの方が良かったんですけど、俺も……。
「千鶴がさ、たぶん、ペアのカップ買ってくるはずだって。俺らの分までは予想外だったけど」
箱から出したカップを回収し、軽く洗う。
「さっすが魔法使いの嫁ねー。母さんの目に狂いはなかったわー」
「まだプロポーズもしてねぇよ! っつーか、第一、男は16じゃ結婚出来ねぇだろ!」
『嫁』という言葉に動揺してカップを落としそうになる。すんでのところでキャッチしたが、果たして実力かどうだか……。そう思って父をちらりと見たが、何のこと? とでも言わんばかりに首を傾げられた。
「まだ、ってことは、これからする、ってことよねー」
母がふふふと笑う。
「祥太朗、君のお嫁さんも将来有望だね。僕も安心だ」
それにつられて父も笑った。
ていうか、『も』ってなんだよ、『も』って! 俺には母さんが有望株だったとは思えねぇんだけど!
「父さんまで! 先のことなんてまだわかんねぇだろ!」
慌てて俺が言い返す。千鶴はニヤニヤしながらそれを見守っている。
「いいや、わかるさ。僕を誰だと思ってるんだ?」
父は、口元に笑みを浮かべたまま片目を瞑って俺を見る。
2回目となるこのやりとりに、俺は先手を打った。
「俺の、父さんだろ?」
これが正解だよな? とばかりに横目で睨み、ニィ、と笑う。
父はそれを悠然と受け止め、ゆっくりと頷いてから言った。
「そうだよ。――そして、『偉大なる魔法使い』だ」
――終
魔法使いと珈琲を 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa
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