10-2
「こんにちは、千鶴ちゃん」
両手にたくさんの荷物を抱えて、母の後ろから父がひょこりと現れた。
「こんにちは。お邪魔してます。うっわぁ、イメージ通り! 素敵なおじさん~!」
千鶴の機嫌はもう直ったらしい。それが俺にはちょっとだけ面白くない。
「まぁまぁお2人さん、仲良く仲良くね。2人に良いもの買ってきたんだからぁ!」
母はそう言って、父から紙袋を1つ受け取り、それを高く上げて見せた。
「うふふ、ついでに買ってきちゃったのよね~」
紙袋の中には、簡易包装の箱と、丁寧に包装された箱が1つずつ。
「こっちはあたし達の分。こっちはあなた達の分」
簡易包装の方は食卓の端に置き、ピンクのリボンで飾り付けられた方を俺と千鶴の真ん中に置く。
「開けてみて。気に入ると良いけど」
父が微笑む。
開けなくても中身の想像はつく。
だって、さっきまでそういう話をしてたんだから。
――これって、アレだよな。千鶴に視線を向ける。
――アレだね。それを受けて千鶴もニヤリと笑う。
千鶴に向けていた視線をピンクのリボンに移し、手をかけ、軽く引っ張って――、止める。
「いや、お楽しみは取っておこう。これは夕飯食ってからにしようぜ。千鶴、大判焼きはクリームで良いんだよな?」
視線をピンクのリボンから、再び千鶴へ向ける。
「何の話?」
母が首を傾げた。
「なぁーに言ってんの。クリームもあんこもどっちも! だって2組だよ?」
千鶴は俺の顔の前でVサインを作って見せた。果たしてこれは『勝利のV』なのか、それとも『2つ』を示しているのか。はたまたその両方か。
「千鶴ちゃんまで、何の話よーぅ」
「いえいえ、こっちの話なんです。お気になーさーらーず」
いつもなら深く追究する母だが、今日はよほど機嫌が良いのだろう、そうね、取っておこうかしら、と言って、食材の入った買い物袋を探した。
そこでやっと父がずっと買い物袋を持っていたことに気付いたらしい。
袋自体はそう大きくはないが、中には牛乳や油等が詰まっているので重さは相当のはずだ。見ると、もう片方の手には米の入った袋も下げていた。
「やっだ、信吾さん、下に置いても良かったのにー! 重たかったでしょう?」
「僕なら大丈夫だよ。手伝ってもらっているから」
「手伝う?」
その言葉に反応したのは千鶴だった。首を傾げ、父の持つ買い物袋に近付く。
重さでピンと張っている袋の底から、かすかにカサカサ、カサカサと音が聞こえる。
千鶴はしゃがんで、その袋におそるおそる手を近付ける。ひゅうう、と風に触れた。
「――風? どこから? この床から――じゃないですよね?」
父は何も言わずに笑みを浮かべていた。
「さーて、準備するかなぁー」と、母がエプロンをつけ、袖をまくる。
「あ、あたしも何かお手伝いします!」と、千鶴も立ち上がる。
「あらー、ありがとー。あたし女の子と一緒にお料理するの、夢だったのよねー。今日は揚げ物だから助かっちゃう!」
「あ、じゃ、あたし衣付けます!」
女達は何やら楽し気にキャッキャと夕飯の仕度を始めた。
そうなると、いつまでもここに突っ立っているわけにもいかず、男連中は、そそくさとリビングのソファへと移動することにした。
「父さん、さっきの手伝ってってのは、やっぱり魔法なんだろ? 何に手伝ってもらってたんだ?」
3人掛けのソファの真ん中に身を沈めた俺は、どこに座れば良いのかと迷っている様子の父に、そのソファから90度の位置に配置された一人用のソファを指差した。16年も離れて(厳密にはほぼここにいたわけだが)しまうと、自分の居場所というのが定まらないものなのだろう。
ありがとう、と言って、父もゆっくりと腰を下ろした。
「風だよ。道中からずっと手伝ってもらってたんだ。家までついて来てもらったんだよ」
「風か。結納金運んだ時もそうだったの?」
「そうだよ。人の形だと、持ち歩ける重さにも限界があるみたいでね」
「そりゃあ、米10㎏に牛乳2本と油だろ。それにまだ色々入ってるんだろうし……。まったく、ここぞとばかりに重てぇもんばっかり買いやがって。――あれ? たしか、紙袋も持ってたよな。それくらい母さん持ってやりゃあいいのに」
「良いんだ。僕なら平気だから」
「父さんは過保護なんだよ」
そうかな、と言って父は笑った。
「――なぁ、俺にも出来るかな。そういうの」
俺は身体を少し起こして、父をじっと見つめた。
あまりに強く見つめすぎたからか、父は少々面食らったような顔をしている。でもすぐにいつもの穏やかな――というか、飄々とした態度に戻る。
「出来るよ。君が、敬意と感謝の気持ちを持ち続けていれば」
「敬意と、感謝、か……」
「水も、風も、この世にあるものはすべて、僕らが勝手に使って良いものじゃないんだ。勝手に使えるのは自分の身体くらいなんだよ。それ以外は、一歩引いて力を借りるんだ。普段から心がけていれば、きっと、いままで以上に魔法はうまく扱えるようになる。でもね……」
そこまで言って、父は軽く目を閉じた。しばし無言になる。
一体何事かと動向を伺っていると、静かになったリビングへ、楽しそうな女達の声が聞こえて来た。
***
「――おばさん、イカも揚げるんですね。イカって結構油跳ねません?」
千鶴は丁寧にパン粉をはたき、皿の上に出来上がったイカリングを並べた。それを佳菜子が菜箸でつまんで油の中へ入れていく。
「それがねー、ぜんっぜん跳ねないのよね。いままで一度もないのよ。油が良いのかしら。それともあたしの腕が良いのかしらね~? それはないかぁ。あっははぁ!」
イカが鍋の中に放り込まれる度、パン、パン、と油がはじける音がする。音だけ聞けばだいぶ跳ねてるように感じられるのだが。
「本当だ! 音の割には案外大丈夫なんですね! どこのメーカーのですか?」
***
「父さん、もしかして……」
目を瞑ったままの父に、声をかける。すると彼は左目だけを薄く開けて、俺を見た。
「――だって、僕は過保護だからね」
そう言って微笑む。
――畜生、
まるでウィンクをされているみたいで、どきりとした。
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