フォースプロローグ
【よみがえる庭】
桜井夏雄は十五年ぶりにその洋館に足を踏み入れた。
「すっかり荒れ果ててしまったな……」
ザクリと枯れた芝を踏みしめて、邸内に一歩入る。
かつては手入れされて、鮮やかなグリーンだった芝生の庭も、今は地面が露出し、夏の日差しに焼かれて焼け野原のようだ。
「それにしても、熱いな……」
夏雄は手にしていたアタッシュケースを下ろし、しゃれた形の麦わら帽子をとって汗をぬぐった。
恨めしそうに太陽を見上げたが、いくら睨んだところで、日差しが弱まるわけでなく、諦めたようにため息をついて帽子をかぶりなおした。それからアタッシュケースを持ち直し、そのまま歩みを進めてゆく。
❦
「久しぶりだな、マザー」
噴水の中央にある大理石の女神像は健在だった。もっとも、かつては白くて美しい肌をさらしていたが、今ではベージュに褪色している。さらに水盤から上がってきた蔦によって、その全身は無惨にからめとられていた。
「とうとう帰って来たな。この庭に」
一つため息をついて、改めて屋敷を見上げる。
洋館自体もまたひどいありさまだった。
板張りの外壁はペンキが剥がれ、ずらりと並んだ出窓もそのほとんどが割れていた。雨どいはあちこちで外れ、錆の赤い色がまるで血を流しているように、壁に沁みついていた。
分厚いオーク材の正面扉も無惨に老朽化し、長年の湿気で膨れ上がったせいか片側の戸は半開きのままだ。
かつての屋敷の威容は、その面影もなくなっていた。
❦
それでもここは夏雄にとって懐かしい場所だった。
だからこそ普段は吐かない独り言も、自然とこぼれたのだ。
❦
「来たな、ナツオ」
背後から声が聞こえた時、夏雄は驚いた。誰かがここにいるとは思いもよらなかったのだ。それにここに来る理由のある人物にまるで心当たりがなかった。少なくとも現在生きている人間のリストでは皆無だった。
振り返った先に立っていたのは、松葉づえをついたスーツ姿の男だった。麻素材の高価そうな白いスーツ、革靴は磨き上げられ、白い中折れ帽をかぶっている。
髪は白髪交じりの金色、ワシのくちばしのような高い鼻、深いしわが刻まれた肌は白く、その目は深い青だった。
「……これは、驚いたな。生きていたのか、ハルト」
「ヨシハルは殺したつもりだっただろうがな」
男は皺を深めてウィンクした。なんとも皮肉めいた笑み。それから松葉杖を不器用に持ち上げながら、ゆっくりと近づいてくる。
「私もキミはてっきり殺されたものだと思っていた」
「ワタシだってカクゴしたよ」
男はなんとも大げさな身振りをし、それから親しそうに夏雄の肩を二度叩いた。
「まぁ、詳しいことは中で話そう。とにかくここは暑くてかなわん」
「珍しく気が合うな。それにしても驚いたよ」
夏雄もまたハルトの肩を大げさに叩き、それから扉を大きく開いて、洋館の中へと足を踏み入れた。
❦
館の中はほんのりと涼しかった。ただ、カビの匂いと古いモノ独特の、どこか死を連想させるような香りが立ち込めている。
二人は慣れた様子で大広間を突っ切り、その奥にある蹄鉄型の階段にたどり着くと、そこに並んで座り込んだ。室内にはソファもあったのだが、脚は折れ、クッションは言うまでもなくボロボロだった。
「それで、どうやって?」
「まずはそれからだな。実際のところオレは瀕死だった。なにしろ全身をナイフでメッタ刺しだったからな」
男はそう言ってジャケットの袖をまくった。
そこには無数ともいえる切り傷が青黒く走っていた。
「……もちろんこれだけじゃないぞ。全身を刺された。なにしろ、文字通り『血の海』だったからな」
そう言って男はまだ唇を少しゆがめて笑った。その口元にも傷跡が盛り上がり、笑みは少しひきつっている。
❦
「おいおい、勿体ぶるのはよせ。どうやってそんな状態から回復できたんだ?」
夏雄の言葉にハルトはまた少し笑った。それから取っておきの秘密を語るように、人差し指をピンと立てた。
「……俺はな、【ドク】の人格を持っていたんだよ。まだ完全体ではないが、レプリカでもその能力は十分発揮された」
今度は夏雄が笑った。
その答えを予想していた。言葉に出さずともそれが分かる笑みだった。
「なんだ、知っていたのか?」
「ああ。あんたが【ドク】の人格を移植しているのは知っていた。アレはとにかく役に立つ能力だからな」
「やはりな。見逃していたというよりは、観察していたんだろう? お前はそう言う奴だ」
その答えに夏雄は再び笑みを浮かべた。
知らない人間が見ればぞっとするような、酷薄な笑みだった。
❦
「まぁな、被験者を捜す手間が省けるからな。見なかったことにしたんだ」
「だろうと思ったよ。だがまぁ命拾いした」
それから男は松葉杖を引き寄せてゆっくりと立ち上がった。
「あの研究、進捗状況はどうなんだ?」
振り返りつつ、そう聞いたのはハルトだ。
「いよいよ最終段階にはいった」
夏雄もまたゆっくりと立ち上がった。
「チルドレンもだいぶ減ったんじゃないか?」
「数は問題じゃない。要は手札、可能性の問題だよ。あの子たちの誰かが答えを持っている。私がずっと問い続けた答えを」
「ヒトを進化させる因子、だったな?」
「私としては『因子』ではなく『種』と呼んで欲しいね」
❦
それから二人は振り返り、階段の踊り場の上に掲げられた、一枚の大きな肖像画を見上げた。そこに描かれているのは軍服を着た男だ。
「グランドファーザーをずいぶん待たせてしまったな」
そう言ったのはハルト。肖像画の男を見上げる目には崇拝の色が浮かんでいる。
「今も、ナツオの中にいるんだろう? たまには話したりするのか?」
「最初の答えらならイエスだ。俺の作った精神の部屋の中にいる。だが彼の人格は扉を閉ざしたまま出てこない」
「なぁ、前から聞こうと思っていたんだが……」
「ハルト、たぶんその質問には俺は答えられない。悪いが俺もファーザーの一人でしかないんだ」
ハルトは尚も言葉を捜したが、諦めたように首を振った。
「まぁナツオがそう言うならしかないんだろう」
「そういうことで納得してくれ。それよりもハルト、再会ついでにあんたに一つ頼みがある」
夏雄は持っていたスーツケースを男の足元に移動させた。
❦
「おいおい、こちとら病み上がりなんだぜ?」
「分かってるさ、だがあんたが生きているなら、これはあんたにこそ適任だ」
夏雄はスーツケースを横に倒して、蓋を開いた。
中には入っていたのは分厚い建物の図面と小切手帳が一冊。
「これで何をしろと?」
「この建物を図面通りに修復してほしい。小切手にはサインがしてある。金額は好きに書き込んでもらって構わない」
「まぁ、たしかにオレ以上の適任者はいないだろう。だがなぜだ? 今になってなぜなんだ? こんなものを再生してなんになる?」
「ここを戦場にするためさ」
その答えにハルトは黙って夏雄を見つめるだけだった。
「面白いと思わないか?」
夏雄はそう問い、それからこう続けた。
「……あの子たちのトラウマを呼び覚ますんだよ」
サイコガーデン 関川 二尋 @runner_garden
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