【種の発芽条件】⑱ 『芳春/戦場を後に』

 芳春はいまだに囚われていた。

 後部座席にぐったりともたれかかり、ずっと気絶したフリを続けていた。

 両手と両足はプラスチックの結束バンドでぎっちりと縛られている。


 隣にはくつろいだ様子で【キル】が座り、運転席では長い髪を後ろで束ねたスーツ姿の男が、静かにハンドルを握っている。

 パーキングエリアを出てから約三十分、ベンツは法定速度を守りながら、静かに高速道路を走り続けていた。


   ♠


「なぁ。あと、どれくらいだ?」

 キルがあくび混じりに、ハンドルを握る男に尋ねた。


「高速はもうすぐ終わり。でもそこから一時間はかかるわね」

 答えた声は意外にもだった。スーツ越しの体つきもがっしりとしていたから、芳春は男だとばかり思っていたのだ。


「まったく退屈だぜ。音楽かラジオでもかけてくれよ」

「ダメに決まってるでしょ。何がきっかけでするか分からないのよ」


「そうだったな……」


   ♠


 やがて三人の乗るベンツは高速道路から降りた。K県の中には入ったが、目的地はかなりの僻地らしく、空き地ばかりが並ぶ、がらんとした一般道を静かに走っていった。


 通り過ぎる街は、どこもさびれてほこりをかぶっていた。商店街の街路には錆びついたシャッターが並び、通行人の姿はどこにも見えない。たまに現れるコンビニエンスストアでさえ、店内に人影はなく、駐車場には車の姿もない。


   ♠


「……ホント退屈だなぁ」

 キルが何度目かのあくびを噛み殺してそう言った。

「仕事なんて、みんなそんなものでしょ? それよりあんた、油断しすぎよ」


「大丈夫だって、俺は絶対こいつに負けねぇし」

「どうだかね? 私たちの能力には相性があるから」


「分かってるよ。それでも俺は負けようがない。俺さ、コイツのパスワードを知ってるんだよ。それを言えば一瞬で気絶、戦闘不能になる」

「ファーザーの仕込んだやつでしょ? まぁ、それなら大丈夫だと思うけど……でもやっぱり油断は禁物よ」


「分かってるさ、俺だってバカじゃねぇ。特に【バイ】が相手じゃな」


 芳春は【キル】が自分を見つめている視線を感じ取った。


 気絶したフリもばれる頃合いだろうか?

 そろそろ動いた方がよさそうだ……


   ♠


(さて、どうするか?)


 バイはサナギになったまま、いつそこから出てくるのか分からない。

 今の段階で頼れるものは自分の力だけだ。

 自分の頭と自分の体、それだけが武器だった。


 これまで常にバイとともに戦ってきたことを考えれば、不利な状況ではある。


 だが芳春は二度と負けるつもりはなかった。

 たとえそれがどんなに不利な状況であろうともだ。


   ♠


「少し疲れたから、次のコンビニに立ち寄るわ」

 運転席から声が聞こえてきた。

「ああ、そうしよう。俺もなにか飲みたい」


(ココで……仕掛けるか?)


 車はわずかに方向を変え、タイヤが砂利を噛む音が聞こえた。

 それからスピードが落ちていき、やがてゆっくりと車が停止した。

 エンジンが止まると、窓ガラスの向こうから静寂が押し寄せてきた。


 かなり辺鄙な場所のようだ。


   ♠


「キル、私が先に行くから、一人でこいつを見張ってて」

「レディーファーストって奴か?」

 キルは頭の後ろで腕を組み、グッと背もたれにもたれかかった。


「あたりまえでしょ」

 運転席のドアが静かに開き、女が外に出て行くのが分かった。


「ふぅぅ……なんか背中が痛ぇな」

 キルは独り言をつぶやきながら、ゆっくりと背筋を伸ばしだした。


   ♠


 芳春は目を閉じたままで耳を澄まし、周りの状況を静かに整理していった。

 離れたところから、自動ドアの開く音がした。車から店まではちょっと距離があるようだ。店内から若い女の声で「いらっしゃいませ」と、気のない挨拶の声が聞こえてくる。

 

 今は車内に【キル】と二人。

 周りに他の人間がいる気配もなかった。


 このまま待てば、今度は女が見張りに残り、キルがコンビニへと向かうことになるだろう。その場合も車内に二人になる時間が出来る。


(さて……どちらを相手にするかだが……)


   ♠


 キルの能力はわかっている。

 素早いスピードとナイフさばき。おそらく春美に似たタイプで、実戦慣れしているに違いない。だがスキをつくことができれば、互角の勝負も可能になるだろう。


 女のほうを相手にした場合はどうか?

 体力的な勝負ならこちらのほうが断然有利だ。だが彼女の能力というものが全くの未知数だった。少し前に能力の相性について話していたことからしても、おそらく彼女は特殊な能力を持っているに違いない。


(……やっぱりコイツからだな)


 芳春は目を閉じたまま、再びキルの気配を探った。

 キルが座るのは芳春の左手側。

 キルにとっては利き手側を芳春に向けている状況だ。

 そのキルは革ジャンのポケットに手を入れ、煙草を取り出したようだった。


 体を動かしている感じと音でそれとわかる。キルはさらに体をもぞもぞと動かし、ズボンのポケットからライターを取り出そうとした。



   ♠


 芳春はその瞬間を狙いすましてそっと目を開いた。


 キルはまだ気がついていない。

 勝負は一瞬。


 一気に上体を引き起こしながら、回転力を加えて肘打ちを突き上げた。


 キルがハッと驚いた表情を浮かべ、反射的に防御しようと持ち上げた右手が、ポケットに引っかかった。


 芳春は両手を縛られていたが、突き出した肘はキルの顎を正確にとらえ、鈍い音が車内に響いた。


 一番いいのは、このまま気絶してくれることだが……


   ♠


「くっ! おまえ、気がついてたのか!」

 キルは顔をしかめながら、そう叫んだ。


「ああ! 最初からずっとな!」

 芳春がそう言ったときには、すでに次の攻撃に入っている。


 さらに肘打ちをコメカミ、目、鼻、耳、と手当たり次第にガツガツと打ち付けてゆく。両手を縛られてはいるが、この近距離では対して問題ではない。ただただ素早く、人間の弱点だけを狙って正確に打撃を加えてゆく。


「てめぇ……ずっと狙ってやがったな……」

 キルはなんとか利き手を自由にしようともがくが、芳春が密着しているうえ、狭い車内では体の動きもままならない。鼻から出血が始まり、目の周りが腫れだし、唇が切れてこちらも血が流れてきた。


 芳春は無言のまま、さらに素早く何度も肘を叩き込む。

 キルがいくら素早く動くことができても、車の中という狭い空間の中ではその能力を発揮することはできない。いくらナイフ捌きがうまくとも、それを取り出せないのでは意味がない。


 この戦場は芳春にとって、うってつけだった。


   ♠


 だがキルは思った以上にタフだった。

 キルは突然、よけるのをやめ、血まみれの口をニタリと広げた。

 

「……仕方ねぇ……」


 そしてあの言葉を口にした。


「……


   ♠


 

 それからゆっくりと体の動きが止まり、キルの血がこびりついた肘がゆっくりと下がり、その頭もまたうなだれるように沈んでいった。


「……残念だったな、ヨシハル。狙うなら、声が出せないように、まずノドをつぶすべきだったんだよ」


 それからベルトにつけた鞘からハンティングナイフを取り出した。


「よくもこんなにしやがって。てめぇの顔にも、傷の一つでもつけねぇと気が収まらねぇ」

 そう言ってグイッと芳春の顎を掴み、ぐったりとした頭を持ち上げながら、その顔を覗き込んだ。


「そうだな、まずは……その目に赤い涙のイレズミを追加してやるよ」


 と、

 その唇に酷薄な笑みが浮かんだ。


 同時にキルののどに、芳春の肘がめり込んだ。


   ♠


 それはまさに不意打ちにして、もっとも効果的な攻撃だった。

 キルの瞳がぐるりとひっくり返り、一瞬で意識を失った。

 そのまま、ズルズルと座席にもたれかかり、手からはハンティングナイフが零れ落ちた。


「ホントお前はダメな奴だよ。相棒に何度も言われたろ? 油断するなって。でもって、俺はオマエが絶対に油断することを確信していたんだ」


 芳春は素早くキルのナイフを掴み、両手を縛る結束バンドをスパッと切り落とし、次いで足のバンドも切った。


「お楽しみに水を差して悪いけど、そのパスワードはもう効かないんだよ」


 それはキルがわずかに目を離した隙に行われていた。夏雄が芳春のパスワードを解除していたのだ。

 わざわざそれをした夏雄の思惑も気になるところではあるが、今はとにかく自由になるのが重要だった。


   ♠


 芳春は自分の側のドアを開けると、ぐったりとしたキルの体を引きずり出し、車の外に放り出した。


 コンビニに目をやると、ドライバーの女が外に飛び出してくるのが見えた。

 駐車場が広いのは分かっている。たどり着くまで約十秒。


「まずは逃げる方が得策だな」


 そのまま運転席に回りこんで、車のドアを全てロックした。

 それからギアを入れ、一気にアクセルを踏み込んだ。

 タイヤが空転し、猛烈な勢いで砂利を跳ね上げる。


「逃がさないよ!」

 女の能力者が車の真正面からまっすぐに走ってくる。


 どこで手に入れたモノやら、なんと銀色の大きな拳銃を持っている。


   ♠


「馬鹿か、こいつ? 俺がためらうと思うのか?」


 芳春はわずかにアクセルをゆるめた。

 急にタイヤが地面をつかまえ、再びアクセルを踏みこむと、今度はテールを左右に振りながら、ベンツは猛然と前に飛び出した。


 女は狙いを付ける間もなく、フロントガラスの上に跳ね上げられ、天井にバウンドし、回転しながら地面に落ちた。


 芳春はバックミラーにチラリと目をやり、素早くそれを確認した。


 そして……


「どうせこれくらいじゃ死なないんだろ?」


   ♠


 芳春は素早くハンドルを回しながら、ブレーキを踏み込んでロックさせた。鋼鉄のベンツはそれに合わせて砂煙をもうもうと上げ、後輪を滑らせながら見事なターンを切る。


 再び車の正面に、地面に肩膝をついて立ち上がろうとする女の姿が見えた。


「悪く思うなよ!」

 芳春はふたたびアクセルを踏み込み、暴れるベンツを巧みなハンドルさばきで押さえながら、女めがけて突っ込ませた。

 フロントガラスいっぱいにみるみる女の姿が拡大されてゆく。


「きさま、覚えてろよ!」


 そして車がぶつかる寸前、その姿が忽然と消えた。


 ベンツはそのまま何もない空間を走り抜けた。


「なかなか変わった能力を使うみたいだな……」


 芳春は愉快そうにニヤリと笑った。

 そしてそのままコンビニエンスストアから走り去った。


   ♠


 芳春の駆るベンツは、田舎道を猛スピードで走り抜けてゆく。

 今は窓枠に肘を乗せ、頬杖をついてこのスピードを楽しんでいた。


 とりあえずこの場の戦いは終わったようだった。

 あの女は体制を立て直してまた追ってくるだろう。

 ならば今のうちに距離を稼いだほうがいい。


 なにかが始まろうとしている。

 そんな予感だけを感じていた。


 嵐のような、血みどろの戦い。

 それが間近に迫っている感じがあった。


 だが芳春の目的はそこにはなかった。

「俺の目的は一つ。最後のファーザーを殺す。それだけだ」


 芳春は幹線道路に入ると、少しスピードを落とした。

 車の量も増え、通りを歩く人の数も増えてきた。

 もうすぐ都市部に入る。


 ベンツはその車の流れの中にゆっくりと溶けていった。


 こうして芳春もまた、自分の戦場を後にした。




   ♣♥♠♦


 京一、春美、芳春、そして笑い男


 彼らの歩き出した道は、新しい戦場へとつながってゆく……





             第三部【種の発芽条件】 終わり





【お知らせ】


 お読みいただきありがとうございました!

 コンテスト応募分として、ここで一区切りとなります。

 続きは書いているモノの、まだ道半ばでして……


 この話はけっこう伏線なんかも入れ込んでおり、ある程度まとまらないと投稿できなくてですね……


 しかしながら、続きはスローペースながら書いております。

 忘れられないうちに連載の再開をしたいなと思っております。


 ということで明日に次章のプロローグを投稿し、続きはまたの機会となります。


 ともかくお読みいただき本当にありがとうございました!

 私にとってはそれが何よりうれしいことです!

 

 ではまた!

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