最終話 懐かしいね!

 アンテナを持つ右手を窓の外に突き出したまま、苦しい体勢が二、三分続く。

 この状況では俺はテレビを見ることができないし、頭が窓から出ているので音もよく聴こえない。

 ヤギが文句を言ってこないところをみると、テレビ神玉は上手く受信できているのだろう。

 それだけが唯一の救いだった。


 しかし、しかしだ。

 はたして俺は、こんな体勢のまま番組が終わるまで耐えることができるのだろうか?


 突き出した右腕がだんだんとしびれていく。

 やがて限界状態に達してしまうのは明らかだ。そんな地獄への階段を上りつつある俺は、不思議なデジャヴューに包まれていた。


 遠い昔にも、こんな辛い思いをしたことがあったような……。

 それも、ヤギのために……。


 人間の脳って、本当に不思議だ。

 すっかり忘れていたことが、刺激をトリガーにして蘇っていく。

 ――眩しいスポットライト、ステージの床の感触、そして声が抜ける広い空間。

 俺の脳裏に浮かんだのは、そんな光景だった。


 そうだ、これは市の文化会館だ。

 俺は小学校の学芸会で、天女になったヤギが羽衣を掛ける松の役を演じていて、木の枝となる右腕をずっと上げていたんだ。


 奇しくも、その様子を放映してくれたのは、俺が今受信しているテレビ神玉。

 家族でこの家にお邪魔して、皆で放送を見たんだっけ。

 本当に懐かしい――と腕のしびれを紛らわすことができたのは、ほんの数分だけだった。

 俺はたまらず、ヤギにお願いする。


「ちょっとヤギ、ボリュームを上げてくれないか?」

 せめて音が聴こえれば、気晴らしになるんじゃないだろうか。

「どう? 聴こえる?」

 ヤギがテレビの音量を上げてくれたようだ。部屋の中からテレビの歌声が聴こえてきた。

 どうやら番組の主題歌が流れているようで、それも終わりに近づいている感じだ。

 ていうか、この曲、聞いたことがあるぞ。しかも、つい数ヶ月前に。


「『毛者フレーズ』かっ!?」


 ――毛者フレーズ。

 数ヶ月前に放送が終了したばかりの人気アニメ。

 今テレビから流れているのは、その主題歌だった。


「そう。このアニメ、本放送を見逃しちゃって、でもクラスではみんな見てて、話題についていけなくて悔しかったの」

 おいおい、それなら俺にひとこと言ってくれれば良かったのに……。

「見てないことがみんなにバレるのも嫌だったしね。そしたら今日からテレビ神玉で放送するっていうじゃない。だからデンキにアンテナ作りをお願いしたの」

 なんだよ、早く言ってくれよ~。録画してたからそれを見せてやったのに、と言おうとした時、ヤギが驚きの声を上げた。


「うわぁ、これ、懐かしい〜」


 耳をすませると、懐かしい曲が聞こえてきた。

 どうやら主題歌が終わって、コマーシャルに入ったようだ。


『♪パパ、パパ、パパドーレ〜』


 おおっ、これは!?

 地元の銘菓『パパドーレ』のコマーシャルじゃないか。

 そういえば最近、あのお菓子を食べてないなぁ。お店ではよく見かけるけど。

 すると曲が変わる。次のコマーシャルに移ったようだ。


『♪カン、カン、カカン、神玉の〜』


 こ、これはっ!?

  

「「ユメコロランド!!」」

 二人の声が重なった。


 ——神玉ユメコロランド。

 夢が転がるというキャッチフレーズの、地元の小さな遊園地だ。

 子供の頃からヤギの家族と何度も行った想い出の場所。

 このテーマ曲は、地元球団『神玉シーライオンズ』の応援ソングにもなってたっけ。


「これも懐かしいなぁ」

「最近、行ってないね、デンキ」

「ああ。まだ健在だとは思わなかったからな」

「今度、行こうか。二人で」

 照れたようにヤギがボソッとつぶやく。


 そうだな。

 二人で……ってぇッッ!?


「えっ? なんか言った?」

 ビックリした俺は思わず聞こえないフリをした。

「ん、もう。もうすぐコマーシャルが終わるから動くなって言ったの! 一ミリでも動いて画像が乱れたらぶっ殺すからね」


 そんな長いセリフじゃなかったぞ。

 そもそも、アンテナを作ったのは誰だよ?

 最初に変なことを言ったのはヤギの方じゃないか……。


 完全に不意を突かれた。

 無防備だった俺は、心臓が大暴れして静まらない。

 二人でユメコロランドって、それってデートってことだろ?

 動くなって言われなくても、ドキドキしすぎて動けないよ。


 今、ヤギはどんな顔をしてるんだろう?

 今まで気に留めていなかった彼女の仕草が無性に気になる。

 すぐ近くにいるのに姿を見ることができない。

 たった一秒がまるで一分のようだ。


「おーい、ヤギさんよ。コマーシャルになったら長い棒を持ってきてくれないか。アンテナを固定したいから」

 だから俺は、思わず声を掛けていた。

「わかった。そうだよね、私ばかり見てたら悪いよね……」


 会話が途切れた。その間がもどかしい。

 子供の頃はいつも一緒にいた二人。

 一緒にいる当たり前を愛おしいと思う瞬間が来るとは、夢にも思わなかった。


「いつも、ありがとね。感謝してる」

 それは俺も同じだ。

 明るく振舞うヤギから毎日元気をもらっていた。

 そんな彼女が微笑んでくれたから、俺は松の枝を演じきることができたんだ。

「できたら来週も来てくれると嬉しいんだけど……」

 俺もそうしたい。

「じゃあ、またカスピルウォーター買ってくるよ。あの自売機で」

「あっ、台所に置きっ放しにしてたの忘れてた。コマーシャルになったら棒と一緒に持ってくるね」


 録画のことは黙っておこう。

 さそり座が見え始めた初夏の神玉の夜景。右腕のしびれを夜風で紛らわしながら、来週も無事に受信できますようにと俺は祈るのであった。



 おわり

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十五センチの地デジ作戦 つとむュー @tsutomyu

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