第12話
は?
なんですかそれは?、という私からの問いかけを待たず、死確者は身体を半回転させながら、背中から落ちていった。
空中で頭と膝を腹部に寄せ、身体を丸める。
ほんの数秒で地面に到達する。死確者の身体は綺麗に、ぼすっという音を立てて収まった。衝撃で布団やマットレスの両端が持ち上がったのを見て、改めてこの階までの高さを、危険性を感じた。
めらめらと音が聞こえる。振り返るともう、部屋は火に包まれていた。
さて、そろそろか。
私も部屋から飛び出すため、窓枠に足をかける。片足を持ち上げたこの感覚。気圧差によって飛ばされた手紙を追いかけるため、後先考えずがむしゃらに病室から跳んだこともあったことをふと思い出す。
いつぐらいのことだろうか、人間からしたら大分昔、という表現になる。だろう。だが、私もどこか妙な懐かしさを不思議と感じた。
帽子を押さえながら、脱出する。クッション類よりも少し遠くへ。
死確者と同じく、地面にはすぐ辿り着いた。私に対して衝撃は無いし、衝撃波も出ない。痛みすらない。そもそも、私は天使だからそんなものさえ無縁だ。
そんなことより、さっきの片膝を立てて着地した私の姿勢。
まるでこの前死神に勧められて鑑賞した映画、未来から転送された高知能サイボーグが、なんとかコナーとか言う名の選ばれしリーダーとなる男の子を過去で助ける、というストーリー。
1よりも2の方がいいと強く勧められたがために、いきなり2の続編から観たのだが、面白かった。
確かタイトルは、ターミ……
「うわぁぁぁん」
甲高い泣き声が聞こえる。不意に視線を向けると、あの子供が泣いているではないか。
「ママァ」
わんわんと耳をつんざく声。絶え間なく零れている涙。普通ならば心配するが、今は安心に繋がる。よかった、生きている。助かったのだ。
私はついていた膝を地面から離した。
死確者は守ろうと抱きかかえていた腕を広げると、子供は一目散に駆け出した。
恐怖に怯えた顔で、早く味方であるお父さんとお母さんに会って安堵したかったのか、おぼつかない足取りで光差す方へと懸命に走っていく。
小さかった背丈は、遠ざかるにつれてさらに小さくなっていった。
私は死確者の元へ向かった。まだクッション類の上で寝転がっている。
「無事に助かりましたね」
子供の姿を見ながらそう声をかけた。
「聞いていいか」
ん?
私は声をかけてきた死確者に視線を落とした。
「腹、どうなってる」
死確者は私の方に顔を向いた。何故か、瞬きの回数が多かった。
私は目線を落とす。視界に入ってきたもののせいで、私も瞬きが増える。
「ええっと……」伝えていいものなのだろうか、言葉に詰まる。
「早く、言え」
死確者は肩で息をしていた。その荒さから察するに、どうやら時間はあまりないらしい。
「……貫通してます」
「何が?」
「これは、ええっと」
正直なところ、何故なのか、私にはすぐ分かった。だから余計に、言いづらかった。
「あの、さっき折っていた、窓枠のサッシ、ではないかと」
折れたサッシが布団の中から、突き出すように飛び出し、死確者の身体、正確には右脇腹辺りを背中の方から貫いていた。
死確者は途端、苦痛に顔を歪めながらも、「血は?」と尋ねてきた。
「出てます」
「どれ、ぐらいだ?」言葉の切れ目がおかしくなり始めた。
「大量です」
服がどす黒く滲み、染めていた。
「やっぱりな、畜生めが」
一言一言発する度に、呼吸の配分が短くなり、抑揚や乱れは酷くなっていく。
「最後がこんな死に方だとはな」
死確者は空を見ながら、鉄の棒を掴む。抜こうとしているのだろうが、すぐに手を離した。
「クッソ痛ェなぁ、この野郎」
「痛み、和らげますけど」
何も言わずに私を凝視してきた。いつもより少しだけ瞼が大きく開いていた。
「あっしかし、痛みだけですよ。死なないように処置とかは、まあ出来るんですが、しちゃいけない決まりになってまして……その……やります?」
言い切る前に辞めたのは、出来るのならウダウダと自慢話してないでさっさとやってくれよ、という何とも言い難い殺気に近い眼差しに、背筋が凍りそうになったからだ。
顔を小さく、縦に動かした。
「承知しました」
私は死確者の脇腹に手を翳し、力を込める。ほんの一瞬、楽なことだ。死確者の強張っていた身体が緩んだ。そして、大きく息を吸い込んでいた。
「お前……本当に天使だったんだな」
今更ですか、なんてこともよぎるが、それよりも。「誠に申し訳ありませんでした」
「なんで謝る?」
「例の、その、サッシが、ですね……」
死確者は鼻で笑った。
「別に謝ることじゃねえ。遅かれ早かれ死ぬ予定だったんだから。それに、適当に捨てとけと言った俺が悪りぃしよ」
とはいえ。私はそう続けようとした。だが、その前に死確者は首を傾けて、ぼそりと呟いた。
「マー君、か」
私も視線を移す。
「死ぬ間際には色々なことが起きるなんて言うが、まさか俺と同じ名前の子供に出会うとはな」
えっ? あっ、そうか。確か、死確者の下の名前、
「俺もお袋から呼ばれてたんだ」
死確者は首から上だけを傾け、何度も両親に交代に抱きしめられている少年を見つめていた。
「あの子は……もう一人の俺なのかもしれねぇな」
「え?」
死確者の声が弱く小さくなっていくから、聞き返したというわけではない。唐突にファンタジーなことを話し始めたので、驚きを隠せなかったのである。
「おかしな借金が無く、転々とせず、当たり前な日常を過ごせた。そんな別の世界の俺なのかもしれない」
頬を緩ませ、鼻から息を漏らす。
「そう思うと、救われらぁ。違う世界の俺は駄目な奴じゃないんだって思えんだからよ」
「それは違います」
私はきっぱりと伝えた。死確者は私を訝しげに眺めてきた。
「子供を助けるために燃え盛るビルに危険を顧みずに乗り込んでいった。そして、子供を前で抱えて背中から飛び降りた。もし本当に駄目な奴なのだとしたら、そんな命懸けの凄いこと、有言実行出来るわけないじゃないですか。だから、駄目な奴なんかじゃありません」
死確者は微笑むと、途端吹き出すように笑い出した。
「……慰め、あんがとよ。嘘でも嬉しいぜ」
「やだなぁ」私の口角は自然と上がっていた。「本心ですよ」
「ゲホゲホ、ゲホっ」
吹き出したことへの反動なのか、死確者は大きく咳をした。顔を斜めに傾けていたため、布団に大きな血反吐がかかった。
「血は出んだな」
地面に出来たどす黒い血溜まりを見て、そう口にした。
「すいません、あくまで痛みを取り除いただけでして」
脇腹から出ている血も、付着しているマットレスをどんどん赤黒く染めている。
「なあ」
私は呼びかけてきた死確者へ顔を向けた。
「最後に聞いていいか?」そう訊ねる声はもう相当に、か細くなってしまっていた。
「あの世には、酒、あんのか?」
ここに来て、酒好きならではの質問が飛んできた。
「飲めますよ」
「そうか……」
死確者の瞬きが次第に重く、遅くなっていく。
「母ちゃんやアニキと飲めるのか。あんがとよ、おかげで死ぬのが怖くなくなった」
あぁ……、と漏れるような声を絞り出す。
「美味ぇ酒、早く酌み交わしてぇなぁ」
私は口角を上げた。「飲めますよ」
絶対じゃない。それに第一、死確者自身も言っていたように、ただでは極楽にはいけない。
冥界にいけば少なくとも何かしらの罰を受ける。どのような刑を受けることになるのか、場合によっては、果てしなく長く、過酷な時間を過ごすこととなるだろう。その間、酒はおろか、大切な人たちと会うのもお預け。
だが、逝くのがいわゆる天国か地獄か、そんなこと今はどうだっていい。
天国も地獄もお隣同士。距離はあっても、隣り合うご近所さん。
会うことだって会いに行くことだって、確かに難しいかもしれないが、もし何か少しでもタイミングとか合えば、無理ではないはず。
不可能なことなど存在しない。現世でも冥界でも、それは同じことだ。
何においてもまずは、信じること。試しにでもいい、信じてみること。そうすれば何か起こる。信じる者は救われる、みたいな具合に。
「ちなみに、未成年でも飲めたりすんのか」
「ええ。成人にならないととか、そんな煩わしい規律は冥界に存在しませんので」
「じゃあ飲めんのか、ホノカと」
ああ、そうか……
「けど、まずは謝ってからでは?」
試しに、不謹慎に、冗談でも言ってみた。ブラックというやつだ。
死確者はフッと鼻で息を吐いて、「なら許してくれたら、飲むとするか」、と微笑んだ。
「た、大変っ」
女性の声が遠くから。ふと見ると、路地裏の入口に人影が。さっきの、子供の夫婦だ。
そばには子供がいて、手を引いていた。推測の域は出ないが、どうやって火の中から潜り抜けてきたのか子供に訊ねた時に、「あのおじちゃんが助けてくれた」だとかなんとか言って、親を案内したのかもしれない。
「ど、どうしましょうっ……」
何にしろ、倒れている死確者を見て、気絶しそうなくらいに酷く慌てふためきながら、近づいてきた。
一方でご主人はその入口辺りで、スマホを取り出し、既に電話をかけていた。「救急車をお願いします」と言ったので、おそらくかけた番号は119。続けて「場所は」と、ここがどこか細かい住所を伝えている。
仕事が早いがために冷静そうに見えるが、声高に早口で話しているのを見るに、やはり動揺している様子。
「いや、散々悪りぃことしておいて、呑みたいだなんて狡りぃよな」
死確者は話し始める。その両耳には遠い夫婦の声は聞こえていなかった。
「いいえ」聞こえるか分からないので、私は大きく首を横に振った。「そんなことないですよ」
私の顔を目だけで動かし、片方の口角だけ弱々しく上げた。
「天使さんがそう言ってくれるんじゃ……心強ぇ……な……」
死確者はゆっくりと目を閉じた。脇腹に添えていた赤くなった手は抵抗なく、地面へと落ちた。操り人形の糸が切れたようにどさりと音を立てて。
「まさかそんなもんが刺さって、死んじまうとはな」
死神は大層驚いている様子。何ともおかしな話だ。
「だから最初から言っていただろう。鉄の棒が刺さって死ぬ、と」
「しかしだね、お前が話していた流れに鉄製品が出てくる余地がなかった。自然摂理的じゃない。予期せぬが過ぎるってもんだ。そもそも、窓枠のサッシは鉄じゃない」
え?
「確か、素材はアルミとか樹脂で出来ているはずだぞ」
そうなのか……
「その反応。やっぱ知らなかったのな」
「すまない」
「いえいえ」死神はぽりぽりと頬をかいた。
「とにかく、唐突過ぎたから、分かんなかったの。驚いちゃったの。オーケー?」
「オ、オーケー」
だけど……
「どした? 珍しく腑に落ちない表情しちゃって」
顎を引いて俯き加減だった私は、死神を上目で一瞥し、少し考えてから、顔を上げた。
「今回、私が死確者を死なせた、ことにはならないだろうか」
死神はフフと笑う。心配半分、疑問半分で。「いやいや、なんで突然そういう発想になったのさ?」
「だってだ。マットレスをもっと離した場所に投げていれば助かったかもしれないじゃないか」
「まあ考え過ぎな気も、たられば言っても仕方ない気もするが、確かにもしかすると、もしかするかもしれんな」
死神は親指の爪の先を立てて、頭頂部を数回搔いた。
「けど、そうだとしたら、なんともおかしな話にならね? ほら、天使の役割は、あくまで死確者の未練を果たし、死に繋げるための補助である、ってやつ」
そう。学校で習った。配役でいうなら脇役だ、と。
今回私がしたことは、脚本にないアドリブで、その主役を食ってしまったようなことである。そんなことしたら、白けてしまう。タブーではないだろうか。
「いや待てよ」
唐突に、死神は神妙な面持ちになる。少し考えた後、顔を上げて眉をひそめた。
「なんだ?」何か答えが出たのだろうか。
「多分だけどな」と前置きをした上で、死神は持論を話し始めた。
「子供を助けるという行動を起こした時点で、死確者の死に方ってのは、決まってたんじゃないのか?」
「というと?」
「要するにだ。お前が助けようが助けまいが、何かしらそこで死ぬ予定だったんだ。だけど、何で死ぬかは分からない。いや、数多ある死因の選択肢があったけれど、どれかは確実には決まっていなかった。その都度都度の状況で変わっちまうからだ。んで、今回はお前の行動も一因として運命とやらに作用した……いや、しちまったってわけだ」
そう言われてふと、天使が着く前に亡くなる人間もいるのはそのせいなのかもしれない、と脳裏をよぎった。
私の力をもってしても火が引かなかった、というのもその一つなのだろうか……
「それかぁ……」
死神は後ろに手をついて、空を見上げた。気になる出だしだ。
「それか?」
「もっと原点にあるのかもしれねえな」
「……どういうこと?」全く意味が分からない。
「ほら、俺らってさ、死因が何かって知らされないじゃん。それってさもしかして、俺らの行動が直接的に死に影響することがあるからなのかもよ?」
「直接的、というと」
「死なせるには自分の行動が必要になる。天使がそう思っちまうと、やらなきゃやらなきゃと、変に緊張させてしまって、本来の目的である未練の解消が蔑ろになっちまうかもしれない。逆に、親睦を深め過ぎた死確者だとしたら、死に繋がることを避けるような誘導ができちまう。はたまた、責任感のある奴は、自らの手で死なせてしまった、という自責の念を抱いてしまうかもしれん」
「我々には敢えて、死因を伝えないようにしている、と?」
「ただでさえ、冥界はストレスフル社会だ。余計なことを知らせて、過度に負担をかけないようにっていう、
世の中には知らない方がいいこともある、ということか。
「なら、今回の一連のことは……」
「はなっから、決められていたことなのかもしれない」
そんな……
死神は頭の後ろで手を組んだ。
「ま、あくまで俺の勝手な予想空想想像妄想に過ぎん。つまり、なーんも気にすんな」
とはいえ、ある程度の整合性は取れている。何故か死因が伝えられないという長年の疑問に少しだけ納得がいった。
あれは運命という奇跡的なことだったのか。それとも生まれた時から、もしかしたら生まれる前から定められていた悪戯という名の、
いや、無邪気なのか? 悪戯が好きな子供のようなものかも。だって、死確者の最期の最後に、自身と同じ名前の子供を助けさせたのだから。
あぁ……あの少年は、多分、死確者と同じ名前だとは知らずにこれから先を生きていくのだろう。しかし、自分とどんな繋がりがあるか分からなくても、死確者のことを忘れることはないはずだ。
自身にとってはほんの些細でも小さいことでも、相手にとっては一生残る事となるかもしれない。繋がりとは、分からなくても知らなくても見えなくても、結びついている。
こんな繋がりがこれからもあるのだろうか。我々天使のちょっとした能力なんかより、よっぽど奇跡じゃないか。
「だからな……って聞いてるか?」
「え?」
「その、え?、は確実に聞いてない証拠だ、このヤロー」
死神は私の側頭部へ拳をぐりぐりと押し込んだ。
「痛い痛い」私は肩を窄め、片目を閉じる。
「嘘つけ、俺たちに痛みはねえ!」
拳が二つに増えた。挟み撃ちにされた。
「痛くなくても痛い感じがするんだ」
「そーんな人間みてぇなこと言って、逃げられると思ったら大間違いだっ!」
ぐりぐりの速度が上がる。さらに抉ってくる。
しかし、本当なのだ。嘘偽りない事実である。
本来、痛みなど微塵も感じるはずがないのに今は少しだけ、頭も、何故か心までも、ほんの少しだけ痛むのだ。
そしてそれは、言葉に表せないのだ。掴みどころのない、雲のようなモヤのような。
今までに経験したことのないことが起きている。
これは一体、なんなのだろう……
天使と〇〇 片宮 椋楽 @kmtk
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