第11話

「なんだ」死確者は少し嘲るように言い放つ。「超能力は使い果たしちまったってか」


「いえ」即座に否定し、続ける。「炎の勢いが激し過ぎて、空間作ってもすぐに飲み込まれてしまうんですよ」


 我々の力をもってしても、太刀打ちできないとは……なんとも自然力は恐ろしい。


「両手でやるとかは」死確者は眉をひそめる。「効果倍増で大きくなる、とか無いのかよ?」


「無いんですよ、それが」


「身動き取れねえってわけかよ」


 死確者は視線を落とし、目を動かす。何か手はないだろうかと必死に考えている。


「屋上まで火が消えるのを待ちますか」


「このビル屋上あったか?」


 あれ?「無かったですか?」


「てか、あったとしても、屋上が開いてるとは限らんだろ」


 まあそうだな。安全のために立ち入るのが難しいか、封鎖してるところの方が大半だ。


「サイレンの音も聞こえてこねえのに、もし開いてなかったら、俺らは丸焦げだぞ」


 私は天使なので焦げることはないが、今は指摘する場面ではないことぐらい分かるので、特段訂正はしない。その代わり、「では」と代替案を提示する。


「少々危険ですが」私は階段中腹から見える隣のビルを指差した。「あそこに飛び移るというのはいかがでしょう」


「飛び移るって、ここからか?」


「はい」


 死確者はすぐさま出て、下を覗き見る。そのまま視線をビルのほうへ向け、また下に戻した。


 急足で戻ってきて、「ダメだ。子供を抱えて飛び移るには距離がある」と、首を横に振った。


「参りましたね」


「もっともお前さんが助けてくれんなら別だが」


「距離によりますね」


 正直なところ、これまでに火を退けるためにいつもより少し多めに力を使ってしまったせいで、あとどれぐらい体力がもつのかが分からない。


「詰んだ、ってことか」


「ええ」言い換えれば、万策尽きた、とでも言うのだろう。「この状況だと、消防車に水で消してもらうしか策はありませんね」


「水……」死確者は目を大きく開き、顔を上げた。「そうかっ」


 踵を返し、部屋の中へ。追いかける。


「ど、どうしたんです?」


「お前は他から布団とかクッションになりそうなもんをあるだけ、持ってきてくれ」


「布団、ですか?」


「いいから早くっ」


「は、はい」


 私は返事をしながら、慌てて部屋を飛び出した。




「何をしようとしていたのか」


 死神は腕を組んで、首を傾げた。


「分かる?」


「いや閃かん。てか、そもそもなんで唐突にクイズよ?」


「問題を出したつもりはない。ただ、先に先にって催促してくる素振りからなんとなく退屈なのかなぁと思ってさ、気を遣ったんだ」


「退屈じゃない。退屈だったら話止めてるし。てか、それより、どしたよ」


「何がだ」死神の問いかけの意図が分からなかった。


「お前らしくない」


「だから何がだ?」


「気を遣うってことが、だよ」


「……それが……私らしくない?」


 少しショックだった。気を遣える天使だと思っていたから。


「すっとぼけんな」


「別にすっとぼけてなどいない」


「いい加減、お前も気づいてきただろ? ひと昔前のお前なら、そんな気を遣うなんてこと、しなかったはずだ。というより、共感しなかっただろ」


 そう言われても……


「あれ、今私、凄く失礼なこと言われてる?」


「いいや、過去にお前と会ってきた俺の膨大な蓄積データから導き出された、いわば事実の列挙さ」


 あっ、発言そのものを差し替えるのではなく、肯定の補強をされてしまったか。


「ともかく、気を遣うだなんてこと、お前らしくないんだ」


「と言われても……」


「長く付き合ってきた俺が言うんだ。間違いない」


 どこから出る、その自信は。


「自覚が無いのが、なんか恐ろしいな……あっ」


 死神が唐突に声を上げ、思わず私の肩がびくりと上がる。「今度はなんだよ」


「いや、お前もしかして、人間と触れ合い過ぎて人間らしくなっちゃったりして?」


 片眉を上げながら死神は私に問いかけてくる。


「……いや、たりして?、と言われても、私には分からないだって」


「まあいいや」


 出た。面倒くさくなると、全てを遠投する死神の癖。というか、得意技。


「なんにしろ、間違っても人間らしい、人情溢れることなんてやったりするなよ」


「しないよ」


 私は天使だ。人間とは違うし、人情を感じる心は、心臓は最初から持ち合わせていない。


「というか、しては駄目なのか?」


「してはいいと思うけど、なんだろうな、なんで言うんだろう……」死神は腕を組み、少し首を傾げていた。「人情っていうのかね。そういうのは、お前ら天使たちの間で取り交わされてる決まり事と、なんか相反しているような気がしてさ」


 ああ……言われてみれば確かに。


「ま、クイズはいいから、脇道逸れずに続きいこうや」


「だからクイズを出したつもりはないんだって」


 なんだろう、心なしか・・・・、今日の死神、どこか腹が立つ。


 ため息をつき、首を左右にぽきぽきと曲げて鳴らし、「じゃあ続き頼む」と、好き勝手に話を進めようとする。


 かと言って、私も特にいじけることも、妨げることもなく、ただエヘンと軽い咳払いをして、続けた。


「私は他の部屋へと行き、言われた通り、布団やらマットレスやらかき集めたんだ。お隣さんやそのまたお隣さんから」


「おっ、不法侵入か?」


 早い。早過ぎる。早速もう、邪魔された。


「人命がかかった緊急事態なんだ」私は口をとんがらせる。「その程度は神様じょうしも許してくれる」




 掛け布団や敷き布団、厚さのないマットレスなどをふわりふわりと宙に浮かせ、私は部屋へと戻る。


 上へ上へと昇りたがる煙は視界をさらに悪くさせていた。


 早くしないとマズイな……


 危機管理は出来ていた。そのせいか、足元の違和感にはすぐ気づいた。


 ピチャピチャ、と音が聞こえるのだ。


 見ると、足元が濡れているのが分かった。


 これは……水?


 どこからか流れてきている。それは、灰色のコンクリートを染めて、黒ずませていた。


 消防車の音はまだ聞こえてこない。となると、これはどこからの、はたまた何の水なのだろう。


 水には僅かながら流れがあった。目線で上流の、源泉を辿る。


 あっ。


 あの部屋だ。さっきまでいたあの部屋から私の足元や階下にかけ、水が流れ落ちている。


 とはいえ、水の勢いは、栓をキツく閉めてなかったせいで蛇口から出ているかのような、老朽化した水道パイプの亀裂から漏れているような程度。消火できるには至らない。


 濡れていない玄関の壁際へ大股で歩き、壁沿いに部屋の中を覗く。


 おっと。


 なんと部屋中、水浸しになっているではないか。


 これは、これはどうしたことか。


 部屋に入ってすぐ右手側からうるさい音が耳に届いた。キッチンからだ。視線を向けると、シンクの蛇口から水が勢いよく噴き出していた。まるで局地的な小雨のようだ。


 なにか重い物をめがけて振り下ろしたのだろう。蛇口は根本から折れ、シンクに転がっていた。


 さっきまでは壊れてなどいなかった。となれば壊した人物は自ずと……


 トイレから出てきた死確者。幾つか変わっていることがある。


 顔に濡れたバンダナを巻いていること。身体の端から端まで、火の中だというのに寒そうなくらい濡れていること。前で抱えていた子供を背負っていること。子供は眠るように気絶していること。そして、死確者の右手にはレンチが握られていること。


「い、一体何を?」


「水は何も消防車だけじゃねえ。この家にもある。この部屋を燃やすには、時間が稼げるはずだ。まあ、雀の涙ぐらいかもしれんがな」


「もしかして、炎の中をくぐり抜けようとでも」


「馬鹿言え。どんぐらい燃え広がってるか分からねえのに出来るかよ」


「なら」


「燃えてねえ場所が一箇所あんだろ」


「え?」


 死確者はレンチを真横に伸ばした。その先には引き違い窓が。


「窓?」


「いや、外だ」


 ああ、その先のことか……いやいやいや、納得してどうする。


「ここから出るんだよ。ただお前の言う通り、ビルじゃなく、下。地面に出るんだよ」


「どうやって?」


 下、と言われた時に、情景は一応浮かんでいたが、尋ねてみる。


「一か八か、飛び降りる」


 え?


「飛び降りる、ですか?」


「ああ」


「し、しかし……」私は戸惑いを隠せない。


「ここは七階。んなことぐらい、分かってら」


「階数じゃありません。いくらなんでも無茶だと言ってるんです」


「だから、分かってるって言ってんだろ」


 死確者は表情を不機嫌そうに歪め、また声色を低くした。勢いよく空気を吸い込んだからか、死確者は激しく咳き込んだ。数回に渡る咳が次第に止むと、呼吸を整えて、「なに、諦めて死のうとしてるわけじゃねえよ」と元に戻して、続けた。


「お前に持ってきてもらった布団やマットレスをその窓から外に投げる。んで、その上に飛ぶ」


 成る程。衝撃を和らげる、という寸法か。


「わざわざ小さめの窓ではなく、ベランダから飛ぶのは?」


「最初はそう考えたんだが、下の階の部屋から火が噴き出ちまってんだ。水で身体を濡らせばいけると思ったんだが、シャワー浴びてる間に無理になっちまったらしい」


 だから、死確者たちの身体は異常に濡れていたのか。


「その窓の外は路地裏になってる。ビルとビルの間は人が二、人並んで通れるぐらいの広さしかない。クッションとなるものが多少薄くても、積み上げやすい。枚数さえありゃ、自然と厚みは出てくるし、出しやすいだろ」


「クッションになりそうなものをあるだけ、というのはこのためだったのですね」


「そういうこった」死確者はそばに一旦子供を下ろす。「とりあえず、そこで浮いてんのが、かき集めた分か?」


 死確者の視線が右上に向く。


「えっ、ああそうです。お時間がなかったので、とりあえず入ってすぐに目についた分だけ。もっと持ってきましょうか?」


「いや、もう出られなさそうだ」


 顎で私の後ろを示す。振り返ると、もう火の手は玄関にまで及んでいた。これで屋上案も消えたわけか。


 私は火は熱くないので出ようと思えば簡単に出られるのだが、人間二人にとっては呼吸が難しくなる危機的状況。苦悶の表情で咳き込み始める死確者や子供を見るに、悠長に取りに行く時間はなさそうだ。


「もうこれでやるしかないですね」


 私はマットレスたちを床に置く。人差し指を向け、先に力を込める。だが私の横を死確者が、早歩きで窓の方へと向かっていく。


 その両手には、どこから持ってきたのか、ゴルフクラブが握られていた。


 おぉう?


「おらっ」


 死確者は力いっぱいに窓ガラスへとクラブを叩きつけた。窓ガラスは押し出されるように、吹き飛んだように外へと落ちていく。


 唖然呆然と、だから腕を上げて立っている滑稽な、私に見向きもせず、ただひたすらに死確者は何度も何度も殴りつけていく。

 その度に窓ガラスは面積が小さくなっていく。端に辛抱強く残った破片は突いて、取り除いていく。


 半歩下り、窓全体を一瞥する。思い立ったように死確者は今度は、窓枠のサッシめがけて強く殴りかかる。

 おそらくだが、子供を抱えて落ちるには少しばかり狭いのではないかと考えたことによるものではないかと思う。


 だが、こっちは窓ガラスと違って頑な。負けじと死確者も何度も何度も執拗なまでに殴っていくと、ボコボコという鈍い音を立てながら、ぼろぼろと崩れていく。そして、壁ごと砕け、またも地面へと落ちていく。


 壁までも一部侵食するように壊れたことで、窓だったものはもはや、ただの大きな穴と化していた。


「おい」


 少し息が上がっている死確者から声をかけられたことで、私は意識を取り戻す。


「は、はい」


「そこのマットレス、全部下に投げてくれ」


「は、はい。ただいまっ」


 今度こそ私の出番。人差し指の先を向け、力を込める。


 ふっ!


 意識に反応して、ふわりと持ち上がる大量のマットレスや毛布たち。


 私は一度手元に寄せ、窓の形に合わせて折り畳む。路地裏へ落とすのにちょうど良い形にして、言われた通り、外に放った。


 死確者が落ちた時にちゃんと包み込んでくれるように面積はある程度広くとり、けど衝撃を吸収してくれるように厚みも取れるように、と良い塩梅を調節する。

 けれど、追ってくる火の手も考慮して、次々と素早く落としていく。


「終わりました」


「早いな」死確者はもう子供を抱きかかえていた。今度は身体の前で。「火事場の馬鹿力、ってやつか?」


「いえ、普段からこんな感じです」


「分かってら。ジョークだよジョーク」


 死確者は笑みを浮かべながら、後ろを仰ぎ見た。ブラックである。


 火の吹く音が聞こえてくる。熱波だ。熱波が容赦なく襲いかかってくる。部屋の壁沿いに天井にまで炎が燃え広がっており、火の手はもうすぐそばまで来ていた。


 火の手を眩しそうに疎ましそうに一瞥し、「どうせお前は死なねえんだろ?」と口にしてきた。


「ええ。ですので、お先にどうぞ」私は軽く帽子を持ち上げた。


「お言葉に甘えて」


 死確者は窓枠があった場所にしがみつき、「よっこらせ」と足を持ち上げた。


 死確者は振り返る。私と目が合うと、何故かふと笑った。


「なんです?」何か顔についているのだろうか。


「いいや、なんか改めてみると、面白ぇなって思ってな」


 ?


「んじゃあな。まっしろしろすけ・・・・・・・・

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