第46話『ぶつけ合いの話』

 薄々は、わかっていた。

 その可能性は、考慮に値する程度にはあるのだと。


 しかし、それは言葉にしていないから、無いものだと扱えていた。


 姉さんは、大切なものにそうするように俺の頬を撫でて、ほんのりと紅を孕んだ表情で、俺を見つめる。


 喉が乾く。

 唇が急速に乾いていく。

 呼吸が荒く、心臓の鼓動が高まる。


 正直に言って、俺がこれまで過ごしてきた中で、もっとも頭が真っ白になった瞬間だった。


「す、好きって……。お、俺も姉さんのことは好きだよ」


 声が上擦ってしまう。

 口も心も万全じゃないからこそ、どうしても言葉が軽いものになってしまった。


「それは、家族としてでしょう?」


 さすがに家族だからこそ、俺の言葉にどういう感情がこもっているかはわかったようだった。


「俺には、家族としての言葉しか言えないよ……。俺は、姉さんの家族なんだから」


 そうさ、家族なんだから。

 俺と姉さんは、血が繋がらなくても、家族だ。

 だからこそ、俺には何をどう言われても、家族としての言葉しかない。


「私もアキちゃんも、ナツくんが鈴本家に馴染もうとしてくれてたのは知ってる。……でも、私達にとって、それは嬉しいのと同じ位、認められないことだった」


 姉さんの手が、俺の頬から離れた。

 しかし、熱はまだ頬に残り、離れたとは思えないほどだ。


「だってそれって、恋人にはなれないっていう意思表示だから。あの時……私達が、ナツくんと「家族でいられない」って言ったのは、そういうこと」


 俺が美香さんに初めて怒られ、家を出なくてはと思ったあの日のことだろう。

 あれってそういう意味だったのか、と納得する気持ちがあるけれど、どうしても心の奥底で何かがくすぶるのを無視できなかった。


「……俺は、俺なりに必死だったんだ。二人に家族として認めてもらえるように。玲二さん、美香さんの恩義に報いるように。そんな俺の気持ちをわかってくれても、よかったんじゃないか」


 心の奥底で、ずっと蓋をしていた感情が溢れ出す。

 この感情を引き出したのは、蓋を壊したのは、姉さんだ。


「そのことは……ごめんなさい。でもそれは、私達の気持ちをわかって、っていうのと同じことでしょう。私達は、どっちも言葉にしてないのだから」


 それは、そうだ。

 奇しくも、俺はさっき自分で考えていた。

 言ってないからこそ、無いものとして扱っていた、と。


 なら、同じことをされて、文句を言うのは筋違いだろう。


「千堂さんが、ナツくんに告白したって聞いた時……。私は、いえ。きっと、アキちゃんも、最初に思ったのは「ズルい」だったと思う。……だって、そうでしょう? 中学で出会ったあの子より、私達のほうがずっと前から出会っていたし。気持ちだって、千堂さんには負けてない。でも、家族だから。私達は、気持ちを押し込めるしかなかった」


 姉さんの目が、潤んでいくのがわかった。

 俺と同じように、姉さんの中にも、蓋をしていた気持ちがあって……それを取り出すと、涙も一緒に流れてしまうのだろう。


「私達にできないことを、あっさりしてのける千堂さんに、嫉妬したの。……でも、もう無理。今までは、ナツくんが断ったってこと、千堂さんと離れていたことで我慢してたけど……」


 姉さんの声は、少し震えているようにすら思えた。


 どうしたらいいのか、わからない。

 いや、姉さんが求めていることならわかる。

 こんな状況なのだ。

 抱きしめて、愛の言葉を耳でささやくことを求められているのだろう。


 俺が求められていることをしたとしても、それは俺が求めている状況を生み出すことになるとは限らない。


 だから俺は、そのまま姉さんの行動を待った。


 俺が俺に求めるのは、玲二さんと美香さんの息子であること。

 姉さんの弟であること。

 そして、秋菜の兄であることだ。


 それ以外の俺なんていらない。


 硬い石のように動かない俺を見て、姉さんは涙を拭って立ち上がる。


「今日は、突然ごめんなさい。……無理だとは思うけど、明日からはいつも通りに、ね」


「……ああ」


 俺が頷いたのを確認すると、姉さんはそのまま部屋を出ていった。

 その姿を見届け、俺はどうしても映画を観る気になれず、ベッドに寝転がり、天井を見上げる。


 ……いつも通りに、か。

 難しいけれど、やるしかない。


 恋愛の不条理なところだが、相手からの思いを告げられると、こっちも迷ってしまう。


 それでも、愛を向けてもらった以上、こっちも誠意を持って応えなくてはならないのだから。


 ……俺はどうすべきなんだろう?


 千堂さんに、姉さんに、秋菜。

 いや、秋菜はまだ具体的に聞いたわけではないし、確実ではないのだが。

 それでも、どうすべきか考えなくてはならないだろう。


 と言っても、俺には誰かと付き合う気はないのが、問題なわけで。


 嬉しい、だから付き合うと言えればどれだけ楽か。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

家族になる三つの方法 七沢楓 @7se_kaede

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ