エピローグ

 ジャンには向かいの飲み屋を出た。しゃぶり終わった鶏の骨を下手投げの要領で放ると、見事な放物線を描いて作業台脇のくず袋に収まった。今日はついてるかもしれない。上機嫌で性交体位素描集を開いたところで、店の前に誰かが来た。


 ラウラだった。


 奥の作業場へ招き、ジャンニは椅子を勧めた。女は立ったままでいるのを選んだ。ジャンニは腰かけを引っぱり出して座った。


「八人委員会に呼ばれたんだな?」

「はい」


 マウリツィオ・ランフレディが関与した疑いのある事件について、公爵は徹底的に調べるよう命じていた。その中には強姦事件も含まれる。脅されていたとはいえ、一度強姦はなかったと表明したせいで、ラウラは事実に反する証言をしたとして訴追される可能性が出てきていた。


 彼女がピエロと一緒に庁舎へ来たことを、ジャンニは報告しておらず、記録もとっていない。だが、八人委員会がその件を追及する方針を固めていることは、前の日に怒り心頭で工房に来たレンツォから聞かされてすでに知っていた。


 皮肉なことに、本来は被害者である彼女は偽証で有罪となり、莫大な罰金を科されるか、払わなければ投獄される恐れがあった。


「真実を追究するのもいいが、そのために窮状に立たされる者も出てくるってことはコジモ坊やにも言っといたんだけどな。待ってろ、もう一度話して来る」


「いいえ、いいんです。私はどうなってもいい。心配なのは母のことなんです」


 まっすぐジャンニを見て、ラウラは言った。顔の痣はかなり薄くなっている。


「母は何も知りません。私が投獄されたなんて聞いたら、ものも食べられなくなります。病気になってしまいます。だから誰にも知られずにすむようにしたいんです。あなたなら、何とかできるんじゃないかと……」


「いいや、そんなことにはならん」


 ジャンニは立ち上がった。ふと思い出し、革の小袋を取り出した。中には親指の先くらいの大きさをした深紅の石が入っている。


「これはあんたのもんだ」


 女は戸惑って、赤い石とジャンニの顔を交互に見た。


「もとの所有者は、もうそいつを見たくないと言ってる。ダミアーノは50スクードにもならないって言ったけど、ありゃ下手なんだよ。うまくやれば、まあ5千は無理だけど、500ぐらいで売り払えるよ」


 とは言ったものの、鴉を孔雀と信じ込ませる事が出来るようなやり手の詐欺師は、ジャンニの知り合いの中にはいなかった。レンツォなら誰か知っているかもしれない。旧市場に寄って、ちょいと話してみよう。


「どうした? 少なすぎるかい? 万が一それで罰金を払ったとしても、そのあと暮らして行けるくらいのお釣りが来るぜ。あんたはもう苦しむ必要はない。これからは幸せにならなきゃ」


 ラウラは驚きで口がきけないようだった。くぐもった話し声が帳場から聞こえた。次第に言い争うような調子を帯びてくる。やれやれ、忙しい時に限ってうるさいやつがやってくるもんだ。


「親方!」

 帳場からミケランジェロが呼んだ。


 ジャンニは怒鳴り返した。

「いないって言っとけ!」






覚書リコルディ~フィレンツェ宝飾職人の事件簿~ 〈了〉


*********************



 最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。ここから先は番外編です。登場人物は一部が同じで、舞台はおよそ500年後となります。雰囲気は本編と少々異なりますが、お楽しみいただけたら幸いです。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

覚書《リコルディ》~フィレンツェ宝飾職人の事件簿~ 橋本圭以 @KH_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ