第3話

 菅野は、F6Fの撃墜を確認することなく、高度を取った。

 手応えは十分で、取り逃す可能性は万が一にもない。確実に叩き落としている。


 腕のいいパイロットだったが、動きがあまりにも大胆だった。

 おそらく敵が迫っているとは考えなかったのだろう。あるいは来ても簡単に振り切ることができると思ったか。

 なめたふるまいが命を落とす結果につながった。


 もっとも、おかげでやるべき事ができる。

 菅野は高度を落とし、先刻、F6Fにねらわれていた零戦の右前方に出た。

「ついて来い!」

 彼が操縦桿を引くと、烈風は力強く上昇し、戦闘空域から離脱する。

 零戦がその後につづく。

 攻撃はない。

 二機はつらなって高度を取る。

 安全な空域に出たところで、零戦は翼を振って合図する。もう大丈夫だと言いたいたのだろう。

 思ったよりも落ち着いている。これならば、何とかなりそうだ。


「ならば、やらせてもらうか」

 菅野はスロットルを開いて、再び戦闘空域に飛び込んだ。

 烈風は巨体に似合わぬ軽やかさで、グラマンを追う。

 あっという間に後方に回り込み、機銃を放つ。

 離れていることもあり、銃弾は右に外れる。

 F6Fはあわてて左旋回に入る。


 それこそ彼のねらいだ。

 F6Fは零戦をねらっており、中途半端に時間をかけたら先に落とされただろう。

 まずは味方を救い、その後でグラマンを叩く。

 無茶な要求だが、烈風ならばできる。


 菅野は敵機が後方にいないのを確認したところで、高度を落とす。

 ハ43エンジンが高らかにうなって、烈風はすさまじい加速を見せる。

 F6Fに匹敵、いや、それ以上だ。

 たちまち距離はつまる。

 F6Fは右に旋回するが、菅野は逃がさない。

 旋回性能は、烈風がはるかに上回っている。

 格闘戦の伝統を受け継ぐ機体が負けるはずがない。

 素晴らしい。本当にすごい。


「見てくれ。これが烈風だ」

 機体の堀越さん、曽根さん、エンジンの佐々木さん、井上さん。開発に携わった三菱の皆。

 小福田さん、志賀さん、空技廠の皆。

 あなたたちのやったことは無駄じゃなかった。

 烈風は確かに存在している。戦局の悪化した日本の空で見事に戦っているんだ。

 仲間を救い、国土の蹂躙を防ぐ。その役目を完璧に果たしている。


「幻じゃない。俺は、俺たちはここにいるぞ!」


 菅野は一気に距離を詰めると、F6Fを照準に収めた。

 翼がサイトからあふれそうになるぐらいまで接近したところで、機銃を放つ。

 四門の二十ミリ機銃につらぬかれて、グラマンは木っ端微塵に砕けた。

 爆発する機体の上方をかすめるようにして、烈風は上昇していく。


 菅野が下方を見ると、零戦部隊がF6Fに挑む姿が見てとれた。

 支援にかけつけた時とは、動きが違う。

 あの時はグラマンに追われてあたふたしていたのに、今では敵の動きを読んで攻撃をかけている。


「おっ、あいつは!」

 右下方では、先刻、菅野が助けた零戦がペアを組んで、グラマンを追い込んでいた。

 一機が頭を抑えて、もう一機が後方から攻撃をかける。

 見事な機動だ。

 零戦の動きは、驚くほどのキレを見せている。先刻とは別人だ。


「そうだ、それでいい」

 一機でも優れた機体がいれば、搭乗員は強い気持ちで戦いに望むことができる。あの機体に従っていけば、何とかなるのでは思うようになる。

 それが大事だ。


 負けると思って臨む戦いと、勝てると考えて自ら挑む戦いでは、動きがまるで違う。機体の性能を最大限に発揮して、突破口を開くことが可能になるのだ。

 だからこそ、烈風のような機体は存在していなければならない。

 味方に希望を与えるために。


 菅野は、なおも戦場に飛び込み、またたく間に三機を叩き落とし、二機の撃墜を支援した。

 零戦部隊も彼の戦いに煽られるようにして、性能で勝るF6Fを圧倒した。

 相模湾上空の戦いで、日本海軍航空隊はまれに見る圧勝劇を演じた。


「さて、いよいよ本命か」

 菅野が視線を転じると、左前方に迫り来る敵機の編隊が見えた。

 数は30、いや50か。

 大半が戦闘機で、剥きだしの戦意がここまで伝わってくる。

 味方の支援に来たのか、それとも本土の攻撃に向かうつもりなのか、それはわからない。


 菅野は、敵編隊に進路を向けると、スロットルを開いた。

 プロペラがうなり、たちまち速度は350ノット毎時646キロに達する。素晴らしい反応だ。


「貴様たちは帰れ。もう戦いは終わった」

 菅野は零戦隊に語りかける。

 例によって無線機は不調なので、彼の意志が伝わることはないだろう。

 だが、心配はしていない。

 烈風に就いてくることができる機体など、あるはずない。


「ここからは俺一人の戦いだ」

 満足するまでやる。ただ、それだけだ。

 たった一機となって、烈風は敵編隊に迫っていく。

 青い空を突き進むのは、何と心地よいのだろう。このまま世界の彼方まで飛んでいきたい。

 陽光を右から浴びつつ、菅野は高度を取る。

 ふと気配を感じて、菅野が横を見ると、烈風の姿が見えた。

 搭乗員がこちらを見て、手を振っている。

 戦死した関行男だ。海兵の同期で、最初に空母に体当たりをかけた男だ。

 他の誰かにやらせるわけにはいかないと言い、自ら志願したという。

「そうか、つき合ってくれるのか」

 ありがたい。さすがに友だ。

 左を見ると、また別の烈風が現われる。

 笑っているのは、松山で行動を共にした鴛淵孝わしぶちたかし大尉だ。白いストライプはあいかわらずだ。

 右後方に姿を見せたのは、杉田庄一すぎたしょういち飛曹長の機体だ。

 長い付き合いで、本音で話すことのできる数少ない男である。あまり口には出さなかったが、最後まで山本五十六やまもといそろく長官を守り切れなかったことを気にしていた。

 左前方には、林喜重はやしきじゅう大尉の姿も見える。いつもと同じ素晴らしい飛行だ。

 多くの烈風が菅野を取り囲むように飛んでいる。幻とわかっているのに、発動機の音が響いているように思える。

 俺たちの夢がここにある。

「これだけの烈風があれば負けなかったなあ」

 一機だけでもあれだけの活躍ができたのだ。10、20機といれば、F6Fなど敵ではない。

「言っても詮無きことか」

 一機でも飛ぶことができたのだからいい。

 力を示すことはできた。

 あとは決着をつけるだけだ。


「さあ、行こう」

 菅野は操縦桿を引いて高度を取る。

 幻の烈風部隊がそれに従う。

 八月の青い空を切り裂くようにして、日本海軍最後の艦上戦闘機はグラマンの大軍に向かっていく。

 その姿は、美しき矢のようであった。

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烈の旗の下に ――A7M2空戦記―― 中岡潤一郎/加賀美優 @nakaoka2016

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