第三話「オペレーション・ダモクレス(上)」
「
基地の娯楽アーカイブの底の底にあった、古い映画。駐在任務が長くなると、退屈からは逃れられない。最新作は貨物便や余剰
ちなみに、低重力をいいことに、アクション映画の真似をして怪我した知人も数知れず。ケガの頻度としては任務中の負傷より多い、と軍医がボヤいていたのを聞いたことがある。
「……下手をすれば、俺が第一号なのか」
くだらない戦傷の話からの連想で、ふと現実に引き戻される。
機体のサブカメラから見える生の景色。赤茶けた大地の上に無限に敷かれたリニアレールは、宇宙へと続く道の出発駅だ。或いは、これから始まる戦いへの。
此処は、戦争ができるような場所ではなかった筈だ。だから火星では、作戦行動中の戦死者はまだ出ていない。不幸な事故や病気、負傷の類が無いわけではないが、少なくとも公式記録としては、軍人の
『おはようございます、大佐。なんの第一号ですか?』
現状を伝える機載AIのメッセージの合間に、人間の声が聞こえる。基地のオペレーターの声。まだ若い男の声。どうも独り言を拾われたらしい。
狭い火星地上基地、知らぬ相手ではないとはいえ、少し気まずい。
「公式な軍事作戦の、だ。おはよう、准尉殿。よく眠れたかい?」
『大佐の後始末で寝不足です』
「そうか。面倒をかけるな」
『仕事ですから。ミッション概要は確認済みですか?』
「確認済みだ。タイムスケジュールだけ頼む」
そう言いながら、何度も読み込んだ作戦概要を、頭の中で復唱する。作戦名は『オペレーション・ダモクレス』。想定ケースは402c、ミッション内容は、軌道阻塞ドクトリンに基づく火星低軌道域の限定封鎖。
だが、そこまでやると後始末が面倒なので、概ねその前段階として軌道を機雷等で封鎖する戦法を指す。道路に喩えるなら、検問を設定するようなもの。
それだけで、地表に拠点を持つ相手は迂闊に身動きがとれなくなる。そして、俺の仕事はオプションユニット04……『ヒルデガルド』による封鎖用の
(楽しすぎて、誰かに代わって欲しいくらいだよ……)
危うく口に出そうになった言葉を、心の中に何とか留める。また聞き耳を立てられては敵わない。
フォボス・コントロールから宇宙艦で機雷を落とせば、一瞬で済みそうな仕事を俺がやる羽目になっているのは……現在運用試験中の
迂闊に宇宙艦を動かせば、
『ストレス値が増加傾向のようですが、健康状態に問題はありませんか?』
「大丈夫。作戦前は誰だってそうなる」
落ち込みそうな気分を逸らすには、仕事、そして人間との会話が一番だ。たとえ新人オペレーターとの杓子定規なルーチンであろうとも。
だからこそ、打上プロセスがほぼ自動化された現在も、こうして人間がバックアップに付いている、のだと思う。
『タイムスケジュールが出ました。打ち上げ予定時刻は20分後。軌道遷移後、作戦指揮と管制は『フォボス・コントロール』へ移行します』
「わかっている。通信バンドは変わらないな?」
『デブリ散乱による通信障害に備え、予備バンドがあります。状況に応じて切り替えを』
「了解した。短い付き合いだが、よろしく」
まぁ、万一のための用心だ。軌道まで数分の旅路。そこで予備の通信経路を使う羽目になる、というのは、即死よりマシな程度の事態が起きた、という意味だ。
定刻。
『射出カウントダウン、Tマイナス10から、そちらのタイミングでどうぞ』
「カウント・スタート」
『カウント開始します。10 9 8 7 6 5 4 3 2 1』
『0』
腹の底に、ズシンと重さがかかる。機体がレールの上を滑り出す。
久々の1G。この僅かの間だけは、持続的に地球よりも大きな重力がかかる。
だが、刺激的であることは間違いではなく。これで射精する奴もいるとか、いないとか。正確には、加速が抜けた後の一瞬の浮遊感が良いとか、なんとか。
しかし、生憎と今回は強行軍だ。カタパルトを抜ける直前瞬間からスラスタを回し、最速最短で軌道へ到達するコース。身体にかかる重みはそのまま。レールから外れる手前でエンジンが始動し、機体振動は途端に激増する。
不自由な体と裏腹に、重みの刺激を受けた思考は飛躍する。ミッションのこと、地球のこと、この星のこと。そして、つい先日交戦した、敵の……
けれど思考は瞬く間に整理され、最後に残ったのは、前の日に食べたチキンソテー味レーションが死ぬほど不味かったな、などという、どうでもいい感慨だった。
機体のステータスとレーダーのアラートに目を光らせながら、思いを巡らせていると、瞬く間に機体は空へと届く。火星の薄い大気が見せる、青い夕焼けを視界の隅に捉えた時。
『軌道遷移確認。フォボス・コントロールへ移管します。ご武運を』
俺は、宇宙に放り出されたことを感じた。
「地球標準時刻……は、省略。『オペレーション・ダモクレス』、スタート」
剣は宙へと吊るされた。赤い大地に生きる人々に、その覚悟を問うために。
……などという詩的な感慨は、数秒後にぶち壊されることになるのだが。
チキンウィング 碌星らせん @dddrill
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