第6話 鷹の目

 行く手に雲が見えた。いや……あの陽光の照り返しは雲ではあり得ない。あれは雲独特の柔らかい照り返しではなく……もっと硬い。水面が見せる照り返しとも違う。言うなれば、金属が放つ光沢がもっとも近い。

 「……マジかよ」

 その正体に気づいたコテツの口から呆れ混じりの呻きが漏れた。

 あれは……雲でもなければ蜃気楼でもない。航空機の大群だ。それが雲と見紛うほどの大編隊を組んでいる。文字通り、雲霞のごとき大軍勢、と言う奴だ。

 開戦以来、戦場の空を二年以上飛んできたコテツであるが……こんな大編隊、お目にかかったことはない。

 「あんなのとやり合えってのかよ……」

 さすがにこれは戦力差がありすぎる。

 あんなモノに嬉々としてちょっかいを出す者がいるとすれば、戦闘狂バトルマニアか自殺志願者のどちらかだろう。残念ながら、そのどちらでもないコテツは暗澹たる気分に陥る。この場で上昇反転インメルマンターンをかまして、全力で逃げ出したところで誰もコテツを責めはすまい。

 だが、それでは島は……ハルナは護れない。むしろ、あれだけ目立つ大編隊を組んだ敵に感謝すべきだ。半ばヤケクソ混じりの感謝だが。

 コテツは操縦桿を倒し、海面近くまで高度を落とす。

 あれだけの戦力に真っ正面からやり合うのはどう考えても得策ではない。相手を目視で確認できたのであれば、相手に合わせて目立つ高空に居座り続ける理由はない。理想を言えば、身を隠す雲の一つや二つは欲しいところではあるが……残念ながら見渡す限り抜けるような晴天。雲と言えば、前方の大編隊が作る雲モドキぐらいのモノだ。

 逆に言えば、これだけの快晴であれば海面は強烈な陽光を照り返し、波が乱反射を起こす。海面近くを飛べば、敵からは逆光となるため、発見が遅れるはずだ。島風の塗装が碧い洋上迷彩であれば言うことは無いのだが……これだけ海面が乱反射していれば、銀色の翼も十分に周囲に溶け込むはず。

 このまま、敵編隊の真下まで回り込み、急上昇して敵の中枢―サイレンスを狙う。そのまま、一気に編隊の中を抜け反転、今度は急降下で真上から再度襲いかかる。典型的、お手本のような一撃離脱戦法。本来であればアウムの専売特許であるが、この状況において自己の損害を最小に抑え、相手に最大級のダメージを与えるにはこれしかない。そもそもコテツ自身、戦法に対する拘りと言うモノも無い。単に機体特性と自身の得手不得手を鑑みた場合、巴戦がもっとも有効だった、と言うだけのことだ。

 一度高度を下げてしまうと、再び上昇するのに相応の時間を要する問題はあるが、鈍重な重攻撃機が編隊の中心に組み込まれている以上、敵の足はそこまで速くはないはず。この島風のスピードを以てすれば、十分追いつけるはずだ。いざとなれば不知火を使う、と言う手もある。

 と、雲霞から光の欠片が次々と降ってきた。

 「まさか……」

 イヤな予感がコテツを襲う。光の欠片が真っ直ぐにこちらを目指しているのを確認したコテツの中で、予感は確信に変わった。

 「見つかったっ!?」

 ピリピリした殺気がコテツの神経を逆撫でする。

 

 「向かってくるのは一機……だと?」

 無線から上がってきた報告に護衛戦闘機部隊隊長であるホークアイは眉をしかめた。彼が偵察を命じた部下はアンドリューとジョーンズの二人。だから戻ってくるのも二機でなければ、おかしい。

 だが、報告が間違っている、とも考えにくい。それにあの二人であれば、これだけ近づいたなら、無線で帰還を報告してくるはずだ。仮に帰還報告を怠ったとすれば、同士討ちにあっても自業自得、と言える。少なくとも彼の部下にそんなマヌケはいない。それだけは自信を持って言える。それにが帰還した味方機であれば、編隊に合流する寸前に、海面スレスレまで急降下する必要もない。

 と、なると……あの二人は敵機と遭遇、交戦し撃墜された、と考えるのが妥当だろう。未確認機が向かってきた方角が、あの二人が偵察に向かった方角と一致していることからも、遭遇せずにすれ違ったとは考えにくい。だが、あの二人とてかなりの手練れである上に、向かってくる機体はたった一機。まさか二対一で後れを取ったなどとと思いたくはないが……。

 「ゴームズ小隊、相手は恐らくネイヴの戦闘機だ。ここで仕留めろっ!」

 『了解っ!』

 ホークアイの命令に答え、ゴームズ麾下の四機が機体をロール、海面スレスレを飛ぶ島風へ向かった。

 

 コテツは操縦桿を引き起こし、海面から離れた。

 この状況で頭を抑えられるのは、圧倒的に不利。敵はコテツを包囲した上で、交互に攻撃を放ってくるはずだ。相変わらずネコがネズミを痛ぶるかのように。

 「……にしても、どうやってこの距離からこっちを見つけやがった?」

 疑問が口をついて出る。

 敵編隊との相対距離は五○キロ以上。どんな優れた目を持つパイロットでも、単座戦闘機一機を目視で発見することなど不可能だ。

 コテツが敵を発見できたのは、編隊の中に大型の戦略級重攻撃機がいたこと、何より雲と見紛うほどの大編隊でとにかく目立ったからだ。コテツ自身、かなり目はいい方だと自負しているが、それでも相手が単座戦闘機―それもネイヴ軍が主力とする比較的小型の機体となると、条件がよくてもせいぜい二○キロが限度。それ以上離れたら目視での発見はまず不可能だ。

 いくら敵に複数の目があるとは言え、こうも簡単に、しかも遠距離から発見されるのは明らかに不自然。攻撃機の搭乗員が望遠鏡を使って索敵しているのかもしれないが……望遠鏡で拡大された映像は、遠距離を見ることが出来る代わりに視野は狭くなる。おおよその見当が付いているならまだしも、たった一機で奇襲を仕掛ける単座戦闘機を、そう簡単に見つけられるとは思えない。

 思えば、先に出くわした二機も不自然と言えば不自然だ。まるでコテツの居場所を始めから知っていたかのように、真っ直ぐこちらに向かって飛んできていた。そもそも戦闘機が二機のみ、編隊から離れて飛ぶのもおかしい。偵察の可能性は否定できないが、それならば二機一組と言うのは腑に落ちない。偵察であれば戦闘の必要はない。わざわざ同じ方位に二機も出す必要がない。そんなことをするぐらいなら、二機を別々の方向に偵察に出した方がはるかに合理的だ。

(本当にこちらの位置を予め掴んでいた?)

 だが、それこそあり得ない。

 これだけ目立つ大編隊ですら目視できないほど、島風は離れた空域を飛んでいたのだ。正直、あの襲撃がなければ、この編隊を見つけられたかどうかすら怪しい。だと言うのに、敵が先にこちらの位置を掴んでいたなどあり得ない。可能性があるとすれば……、

 (電探レーダーでも使われたか)

 しかし、可能性は低い。

 電探は装置自体が巨大である上、大電力を食う。それなりの規模の基地でなければ運用できない。近年では小型、省電力化も進み、艦船にも搭載され始めているが、それとて戦艦、空母と言った大型艦に限られる。そして見渡す限り、大型艦の姿など見当たらない。

 こちらの目視可能圏外に大型艦が待機している可能性は無いでは無いが……それこそ目視可能圏外にいられては探しようもない。

 何より、既に相手に発見されてしまっているこの状況では、相手の索敵手段など分かったところで意味はない。

 一機のタイコンデロガが急降下しつつ、機銃を掃射。急降下急上昇による一撃離脱戦法を繰り出す。まさにコテツがやろうとしていた、アウムの十八番だ。

 コテツは機体を横転させて、この一撃をかわした。

 と、二機目が続けざまに降りてくる。さらにコテツは連続横転で側方回避。だが、三機目、四機目と次々に降下してきては島風に銃撃を浴びせる。五月雨式、時間差で襲いかかる高度な波状攻撃。

 と、下方から殺気。思考するより速く、コテツは操縦桿を切り返した。機体が反対方向へ横転し、その影を切り裂くように、弾丸が島風をかすめていく。

 その傍らを急降下から急上昇に転じた一機目が通過し、さらに二機目が上昇しつつ、銃撃を放ってきた。

 これもギリギリの横転機動でかわすが、かわせばかわすほど、横転を繰り返せば繰り返すほど、機速は落ちていく。だが、急降下と急上昇を繰り返す四機のタイコンデロガは、実質機速が落ちることがない―一時的に機速が落ちても、その時には高度を稼いでいるため、急降下ですぐに機速を回復できるためだ。

 今はこうやって何とかかわせているが、回避のたびに機速は削られ……やがて敵の餌食となる。まるで蟻地獄だ。いずれ蟻地獄に捉えられ……沈められる。

 「一か八かだっ!」

 吐き捨てると同時にコテツは右フットペダルを思いっきり蹴り込んだ。

 島風が右へ横滑りを起こし、三機目からの攻撃を回避。が、ぐんっと機速が落ちる。だが、コテツは一切の躊躇なく、反対側のフットペダルを床を踏み抜かんばかりの勢いで蹴りつける。今度は左へ横滑りを起こした。その機動により、続く四機目の銃撃も回避。だが、ムリな横滑りを連続して繰り返した結果、島風は失速し、ユラユラと不安定に揺れながら、自由落下を始める。

 予想を超えた、と言うより予想の斜め上の動きに、四機目のタイコンデロガの上昇速度が鈍る。コテツはコックピットの中で自由落下独特の浮遊感に包まれながら、すれ違いざまにその機体を撃ち抜いた。

 木の葉落とし。

 連続して左右の横滑りを起こすことで、自ら失速状態を起こし、自由落下を起こす荒業だ。翼にまとった気流を自ら剥ぎ落とすようなムチャな機動は、ほぼ確実に失速状態に陥る。このため、左捻り込みよりもさらに制御が難しく、実戦での使い所もかなり限定される。負うリスクの割りに効果は微妙で、正直、実用性に乏しい機動と言わざるを得ない。

 実際、コテツも演習では試したことはあるが、実戦で使ったことはこれが初めてだ。それだけ、現状が切羽詰まっているとも言えるし、そんな分の悪い賭けに手を出せるほど島風を信頼している、とも言える。

 コテツはスロットルレバーを思いっきり叩き、エンジン出力を最大まで引き上げた。が、いかに強大な出力を持つ島風の心臓を持ってしても、失速して自由落下に陥った機体を持ち上げることはできない。

 航空機が自由に空を飛ぶことができるのは、翼により揚力を発生させているためだ。航空機のエンジンが発揮する推力にできるのは、せいぜいその翼の周りに揚力を発生させるための気流を生み出すことぐらい。推力のみで重力を振り切ることは、現代科学ではまだまだ不可能、と言うのが実状である。たとえ不知火を使っても、だ。

 と、島風の機体が徐々に、だが確実に傾いて行っている。失速状態に陥り、翼から気流が完全に剥離してしまっているにも関わらず。

 プロペラの回転によって発生するカウンタートルク。それを利用しているのだ。

 翼が揚力を得ている状態であれば、揚力による安定性がカウンタートルクを上回るため、航空機が勝手に傾くようなことはない。だが、失速状態に陥った場合はカウンタートルクを相殺する作用力が航空機に掛らない。この状況でエンジン出力を上げられるだけ上げたら、機体が傾くのも道理、と言うわけだ。

 コテツの切り札の一つ、左捻り込みもまた、プロペラの発生するカウンタートルクを利用することで、ムリな機動を機体に強いながらも失速に陥ることを防いでいる。故にあの技の名前は捻り込み。プロペラの回転方向上、右側には繰り出せないのだ。ムリに繰り出せば、機体はたちまち失速を起こし、錐揉み状態に陥る。

 とは言え、カウンタートルクを用いて機体姿勢を無理矢理変えるなど、通常の機体にできる芸当ではない。飛鷹ではエンジン出力が足りず、機体を大きく傾けるまでに至らない。逆にアウムのエセックスやタイコンデロガはエンジン出力は島風に劣らないだろうが、機体が重過ぎる。あれではいくらエンジン出力を上げようと機体が傾くことはないだろう。

 ネイヴ特有の小型軽量の機体と、アウム機並みの出力を併せ持つ島風だからこそできる力業。

 もっとも、カウンタートルクにより機体姿勢が変動するなど、メリットよりデメリットとして捉えるパイロットが大多数だろう。戦場において最も好まれる機体と言うのは、パイロットの思い通りの挙動を安定して繰り出せる機体であり、俊敏ではあってもトリッキーな動きを見せる機体ではない。戦場の空では、いつどんな状況に自分が放り込まれるか分からないのだ。そんな時にいくら高性能であっても、意図した動きをしてくれない機体など、何の意味もない。

 そう言った意味では、島風は高性能な駄作兵器の典型例であると言える。コテツぐらいにしか自在に操れない機体など、汎用性がないにも程がある。そのコテツですら、最初はその特殊な機体特性に面食らっていたのだ。新米パイロットなど、無事に離着陸できるかどうかすら怪しい。

 機体が傾くたび、操縦桿とフットペダルに重みが増して行く。翼を押し返そうとする空気抵抗、気流の重さだ。

 コテツは纏わり付いた気流を手放さないように慎重に操縦桿を動かし、機体姿勢を水平に持っていく。眼前にどんどん海面が迫ってくるが、コテツの集中力は乱れない。

 海面スレスレで完全にコントロールを取り戻したコテツは、洋上を滑らせるような低空飛行へ移行。

 ここまで高度を下げてしまうと、かき分けられる水面が大きな白波となって、逆に目立ってしまうのだが……さすがにコテツもこの状況で敵の目を気にする余裕はない。機体を制御するだけで精一杯なのだ。既に見つかっているのだから今更コソコソ隠れて近づくこともできない、と開き直っている部分もある。

 と、残ったタイコンデロガが三機揃って急降下してきた。お約束のように、バカの一つ覚えのように、五月雨式の時間差一撃離脱戦法を繰り返す。

 だが、戦場で生死を分けるのは、大抵がこう言った愚直さだ。訓練で培った技術をいかなる状況でも発揮できるパイロットは存外強い。そもそも訓練とは実戦で培われた戦訓を元にその内容を組み立てられている。故に実戦に全く役に立たない訓練など一つもないのだ。

 無論、訓練で経験したことのない想定外の事態など、戦場にはいくらでも転がっている。が、そうした想定外の状況に出くわしても、こう言った愚直に訓練をこなすタイプは、訓練を疎かにしがちな自称実戦派より生き延びる可能性が高い。訓練によって培われた技術は、精神的に動揺しようとも身体が覚えているモノだし、何より訓練をこなしてきた自負が精神力をも鍛えあげる。想定外の事態に出くわしても動揺すること自体が無いのだ。そして、ホークアイ麾下のタイコンデロガ隊は、徹底的な反復訓練を受けた猛者たちだ。仮に部下が墜とされて動揺したとしても、それで操縦が乱れることは一切ない。ある意味、身体と感情が切り離されている、と言っても過言ではない。

 閃きで臨機応変に状況を切り抜けるパイロットなど、ハイレベルな技量と、頭のネジがまとめて五、六本抜けてるようなぶっ飛んだ思考回路が必要だ。そう、コテツのように。

 三機は、降下によって得た機速を維持したまま、島風よりわずかに高い高度をキープ。後方より追いすがる。

 機速を失っている島風はあっさりと後ろにつかれた。タイコンデロガは追い抜きざま、後方上位から弾丸の雨を降らせる。コテツは気配で敵機の射撃タイミングを見切り、横滑り機動で避けてみせた。撃ったタイコンデロガは島風の後方に執着することなく、そのまま上を通り過ぎ、宙返りに入る。

 間髪入れず、二機目が横滑りを終えた直後の島風に牙を剥く。これも紙一重の機動で回避するコテツ。

 島風が海面スレスレにあるため、得意とする急降下急上昇は使えない。だが、見事に息のあった連携であることに違いはない。

 三機目が来た。コテツはこれも気配だけで攻撃を見切り、敵機が頭上を通過した直後に機首を引き上げた。

 急降下急上昇と違い、この攻撃方法では往復による攻撃はない。単純計算で言って手数が半減する、と言うことだ。しかも、コテツの木の葉落としにより、敵は一機失っている。であるならば、攻撃に割り込む隙などいくらでもある。

 しかし、上昇する敵機に追いすがっても、単に上昇競争になるだけだ。島風が十分に機速を得ている状況ならばともかく、現状では通過直後を狙っても追いつけない。少なくとも、相手が上昇に入る前に照準に入れることはほぼ不可能と言っていい。逆に迂闊に敵の尻を追いかければ、宙返りを終えた他の敵機に背後を取られる危険性すらある。だからこそ、敵も簡単に弱点であるはずの後ろ姿を見せているのだろう。

 「頼むぜ、島風……」

 前を行くタイコンデロガを睨みつけながら、コテツは不知火を作動させる。

 キィィィィィィィンっ!

 その主の言葉に応えるように、島風が一際甲高い咆哮を上げ、タイコンデロガに追いすがる。

 追いかけられるタイコンデロガのパイロットは、聞こえてきた奇妙なエンジン音に振り返り、思わず目を剥いた。あの風変わりな戦闘機がどんどんこちらに近づいてくる。

 あり得ない。こと上昇力に関して言えば、ネイヴ機はアウム機の足元にも及ばないはずだ。見たことのない珍妙な機体であることから、新型であることは想像に難くないが―島風に限らず、ネイヴでは新型開発のペースがアウムに比べて早い。もっとも、それはアウムの開発能力が劣っているからではなく、優れた機体を開発できるからこそ、一度開発した機体を長く使えるからであるが―このタイコンデロガとて、アウムの最新機。エセックスが持つ重装甲、高出力エンジンを継承し、ネイヴ機に負けない運動性を獲得した機体だ。もともと上昇力に優れていたエセックスをも上回るタイコンデロガについてこれる機体などあるはずが無い。しかも、相手はさっきまで機速を落とし切り、海面にへばりつくことしかできなかった機体なのに。

 「一体、何が……」

 呆然とした呟きは、猛烈な震動にかき消される。タイコンデロガのパイロットが舌を噛まなかったのは、単なる幸運に過ぎない。

 世界が崩れたのではないか、そんな錯覚すら覚えるほど揺れ動く視界の中で、乗機の胴体後部がズタズタに引き裂かれるのを、タイコンデロガのパイロットは見た。


 前を行くタイコンデロガの撃墜を確認した直後、宙返りを終えた一機目が背後に取り付いたのをコテツは感じる。

 タタタタッ!

 比較的短い銃声は牽制。今度はあっさり追い抜くのではなく、後ろに食らいつくつもりなのだろう。

 次々と僚機を失い、五月雨式の一撃離脱戦法を敢行するのは手数が足りないと判断したか、島風の驚異的な上昇力を目の当たりにし、一撃離脱戦法は不利と判断したか……ひょっとしたら、仲間の仇をこの手で討つ、と言う怨嗟の念もわずかながらあったかもしれない。

 いずれにせよ、相手は巴戦に乗ってきてくれた、と言うことは……即ち、コテツと島風の独壇場。

 コテツは上昇機動から操縦桿をわずかに倒し、左斜め方向へ宙返りを描く。敵機が追いかけてきたところで、左捻り込み。背後をとって、一息に墜とす。恐らく、タイコンデロガのパイロットは状況を認識できないまま、墜とされたことだろう。

 残りは一機。コテツは墜ちて行くタイコンデロガの陰にその姿を認めると、背面逆落としで急襲。敵機も機首を引き上げ、反航戦を挑んできた。

 

 「ゴームズ隊長っ!?」

 目の前で隊長機を墜とされたタイコンデロガのパイロットは、思わず叫びを上げた。三機いたはずの僚機は次々と墜とされ、ついに自分一人になってしまった。

 敵戦闘機の動きは奇妙奇天烈。まるで目の前で手品でも見せられているような気分にパイロットは陥る。少なくとも、アウムの戦闘教義からは全く考えられない、想像もつかない機動の連続だ。あれで失速しないのは手品と言うより、魔法と言った方が正しいかもしれない。

 小細工は通用しない。むしろ、ヘタな小細工は敵の不可思議な機動に翻弄され、マイナスにしかならない。

 そう判断したパイロットは真っ直ぐ上昇、反航戦を挑む。あれだけの機動性を誇る機体、そしてこれまでのネイヴの機体の特性を考えると、あの新型機も装甲はさして厚くはないはず。一撃浴びせることができれば、墜とせる可能性は高いはずだ。

 もっとも、僚機が墜とされた場面を振り返る限り、向こうの砲火の威力も大したモノだ。真正面から食らえば、タダでは済むまい。だが、目の前で全ての仲間を墜とされたパイロットは、冷静な思考を欠いていた。相打ちなら御の字、刺し違えてでもこの機体を墜とす。本気でそう考えていた。

 と、敵機がわずかに右に逸れた。途端に強烈な光がパイロットの目を眩ませる。

 「何だっ!? 敵の新兵器かっ!?」

 動揺するパイロット。だが、ネイヴにそんな強烈な光を発する兵器など、あるはずもない。 コテツは単に、背後にある太陽の位置を確認し、太陽とタイコンデロガの間に島風を割り込ませたのだ。タイコンデロガのパイロットからしたら、太陽の中に島風が入った格好だ。

 強烈な光源を背負った島風を直視できす、タイコンデロガのパイロットは敵の姿を見失う。コテツはその隙を逃さず、敵機の鼻先に三○ミリ弾を叩き込んだ。

 タイコンデロガの機首が、そこに搭載されたエンジンが火を噴く。炎は瞬く間に搭載燃料に引火、弾薬の誘爆を引き起こし、堅牢な装甲に鎧われた機体は内部から食い破られる。

 砕けた機体、噴き零れる炎の間からコテツは周囲の空域に視線を走らせる。

 

 「四機のタイコンデロガがまるで相手にならん、か」

 上空で戦闘の一部始終を眺めていたホークアイはポツリ、と呟く。その声音からは部下を死地に追いやった悔恨は感じられない。わずかながらの驚きすらない。ただ単に事実を声に出して確認した、と言った感じだ。

 『隊長っ! 敵は強力な新型を投入してきたようですっ! 包囲して一気に叩きましょうっ!』

 慌てふめいた部下の叫びが無線から飛び出してきた。

 (まぁ、これがフツーの反応だな)

 ホークアイは冷静に部下の態度を評価しつつ、

 「待て」

 冷静に制止。

 「あれだけトリッキーな動きを見せる機体をどうやって包囲するつもりだ?」

 「……! それは……」

 (やはり、特に考えもなしか)

 それどころか、冷静ですらないだろう。今の進言も勢いに任せて叫んでみただけに過ぎない。

 「闇雲に突っ込ませても徒に戦力を消耗させるだけだ。私はそのような戦いは好まない」

 ぴしゃり、と言ってみせるホークアイ。その言葉に部下は完全に押し黙った。

 (しかし、さりとてどうしたモノか……)

 逡巡してる間にも、敵機は反転、上昇に転じる。

 「よし、ケビン、マギー、ウィラー、以下三名はオレに付いてこい。

 他は引き続き、サイレンスの直掩だ。

 オレがあの新型に構っている間はレイ、おまえが全体の指揮を執るんだ」

 即断即決。直属―特に信頼のおける部下にそれぞれ指示を出し、ホークアイは愛機を翻す。その機首に描かれた鷹のノーズアートが陽光に鋭く煌めいた。まるで全てを見透かす鷹の目のように。

 

 (何だ?)

 上から強烈な圧力プレッシャーが降りてきた。

 今までの連中とは違う。これまで対峙してきたタイコンデロガのパイロット達も相当な手練れであったが……それとは比べモノにならないほどの凄腕が上から降りてくる。コテツは直感的にそう感じた。

 (特に先頭の奴がやべぇ……っ!)

 コテツの危機感を煽るかのように四機のタイコンデロガが散開。うち、二機が左右から挟み込むように迫ってきた。

 

 「よし、ケビン、マギーは左右に展開。挟撃して奴を追い込め。ウィラーは奴のケツに張り付いて一二.七ミリ弾をぶち込んでやれっ!」

 『了解っ!』

 威勢のいい返信が無線から返ってきた。

 

 (何を企んでやがる……?)

 降りてきた四機のうち、三機は猟犬よろしくコテツに牙を剥いてきたが、一機は文字通りの高みの見物を決め込んで、一定の高度を保ったまま旋回し続けていた。その存在がどうにも不気味に思えて仕方がない。

 そのコテツの思考をぶった切るかのように、

 タタタタタタタっ!

 右から銃撃が襲い来る。

 「……とっ!」

 |左へ切り返し、これをかわす。と、今度は右から銃撃が降り注いできた。咄嗟に螺旋機動バレル・ロールでかわしていくコテツ。だが、機速が落ちたところで後ろに食いつかれた。

 「ちっ!」

 コテツは舌打ちをしつつ、背面逆落としで振り払おうとあがく。と、鼻先に銃撃を放たれる。

 「にゃろっ!」

 機体を無理矢理捻り、この一撃もかわすコテツ。だが、おかげで機速を上げることも急降下で逃げることもかなわず、完全に後ろの一気に食らいつかれた。

 「ならっ!」

 連続ロールで振り払おうとするコテツ。だが、

 タタタタっ!

 その機先を制するように、再び鼻先に銃撃が放たれた。

 どうにも二機のうち、最初に左右に分かれた二機は徹底的に牽制に徹し、残った一機が本命で後ろから島風に一撃を食らわせる腹積もりらしい。

 「そっちがその気なら……」

 コテツは一気に操縦桿を引き上げる。

 クンっ!

 主の意思に応え、島風が一気にその機首を上げた。左右から断続的に銃撃が襲い来るが、コテツは連続ロールでこれをかわす。いわゆる、バーティカル・クライム・ロールと呼ばれるアクロバット機動だ。だが、ロールすることにより島風の上昇速度が鈍る。背後からタイコンデロガが迫る。振り向かずとも気配ではっきりとわかる。だが、これこそコテツが狙った形。

 機速が落ちたところで宙返りの体制に持っていくコテツ。後ろのタイコンデロガもついてくる。

 「くらえっ!」

 コテツは踏み込んでいた左のフットペダルを緩め、右のフットペダルを蹴り込む。続いて淀みなく操縦桿を右に入れた。左捻り込みが見事に決まり、背後から襲い来るタイコンデロガをかわす。

 

 (ここだっ!)

 上空から俯瞰していたホークアイは、島風がバーティカル・クライム・ロールから宙返りに移行した瞬間、操縦桿を翻し、背面逆落としで急降下。そのホークアイの視界の中、島風が宙返りの頂点で半横転を打ち、さらに横滑りを始める。先ほど、ゴームズ機を墜とした不可思議な機動、左捻り込み。

 原理まではわからないが、宙返りの頂点で強引に横滑りを起こし、背後から追いかけてくる敵機を追い越しさせる空戦機動だと言うことは理解できた。恐らくあのタイミングで横滑りを起こし、減速されたら、仕掛けられた側の視界からは掻き消えたように見えることだろう。

 だが、それは仕掛けられた側から見た場合・・・・・・・・・・・・・は、だ。傍から見ていれば、それは宙返りの最中に急減速を掛ける、トリッキーではあるが、ただそれだけの機動でしかない・・・・・・・・・・・・・・。むしろ、減速する分、いい的だ。

 「もらったぞ、ネイヴの新型っ!」

 自らの勝利を確信し、ホークアイは照準の中の島風に向かって引き金を引く。

 

 (殺気っ!?)

 左捻り込みの最中、まるで死神の鎌のような鋭い気配を感じた。

 (やべぇっ!)

 さらに強引に操縦桿を捻る。張り詰めた神経がはっきりと告げている。これ以上操縦桿を入れれば、間違いなく失速する、と。だが、入れなければ間違いなく島風は蜂の巣にされる。確かに島風の機動性と攻撃力は飛鷹とは比べモノにならないが、耐久力自体は飛鷹とそうは変わらない。かすっただけでも致命傷になりかねない。

 ガクン。

 操縦桿から手応えが消えた。視界が不意にぐるぐると回る。落下感がコテツを襲う。ムリをし過ぎて、島風が失速状態に陥ったのだ。その島風の直上を弾丸が通り過ぎていく。

 「どうだ、変則の木の葉おとしでぃっ!」

 叫ぶコテツ。もちろん大嘘、単なる負け惜しみだ。

 まさか左捻り込みが破られるとは思いも寄らなかった。しかもこのような形で。今にして思えば、左右に展開してた二機が牽制に徹していたいのは、左捻り込みを誘っていたからだ。そして、上空に一機残っていたのは、その左捻り込みが繰り出されるのを辛抱強く待っていたからだろう。コテツはまんまと敵の罠に飛び込んだと言うことになる。


 「やったかっ!?」

 錐もみ落下を始めた島風を目の当たりにし、ホークアイは思わず叫ぶ。だが、

 (妙だ……)

 違和感が頭の片隅から離れない。何かが違う。直感などではない。ホークアイは現実主義者であり極端ではないが科学崇拝者でもある。科学的に理屈を説明できないことは信じない。だから、これは直感ではない。自身の視覚の中に、予想外で予測外、想定外の出来事が起きているのだ。それを無意識に脳が違和感として検知している。

 (どれだ……どれがこの違和感の正体だ……)

 錐もみ回転していく島風に目を凝らす。間違いなく、あの機体のどこかに違和感の正体があるはずだ。

 (待てよ……)

 よくよく考えたら、装甲の薄いネイヴ機の耐久力で、タイコンデロガに装備されている一二.七ミリ弾の直撃を受ければ、大抵は機体がバラバラになるはずだ。掠めただけでもエンジンが火を噴いたり燃料漏れを起こすはず。あの新型の異常とまで言える高い機動性を考えたら、装甲が厚くなったとは考えにくい。

 ……となると……。

 「かわしたのか、あのタイミングでっ!?」

 導き出した回答は自分でも信じられないモノだった。だが、目の前の状況をもっとも合理的に説明しようとしたら、それしか答えはない。

 (ただでさえトリッキーな宙返り中の横滑りに続き、意図的に失速状態に持っていき、オレの攻撃をかわした、と言うわけか)

 ゴクリ。

 無意識のうちにつばを飲み込んだ。自分が相手にしているのは実は人間ではなく、悪魔なのではないか。そんな妄想すら湧き上がってくる。

 いや、そんなはずはない。それこそ非科学的だ。恐らく、偶然……いや、あれが偶然の産物であろうが意図的な機動であろうが、関係ない。左捻り込みの状況から、失速状態に移行し、ホークアイの必殺の一撃をかわした。事実はその一点のみ。

 ホークアイは操縦桿を翻し、背面逆落としの体制で島風を追う。

 

 「本気マジかよっ!?」

 背後から迫る気配を感じ、思わず悲鳴を上げた。この失速状態ですら、敵の予測の範疇だと言うのか。

 「くそっ!」

 不知火発動。島風の落下速度が一気に上がるが、そのことにより強烈な空気抵抗が発生。失速したことで剥離していた風が、島風の翼に戻ってくる。

 すかさずコテツは左フットペダルを思いっきり踏み込んだ。ワイヤーを通して垂直尾翼が反応、錐もみ回転を強引に止める。だが、加速したことにより一気に海面が近づく。海面スレスレ、コテツは機首を引き上げ、島風は滑るように海面を疾る。

 その鼻先を狙うかのように、

 タタタタタタっ!

 一二.七ミリの雨が降り注ぐ。

 コテツは島風を右へ滑らせ、回避。同時に後方上位を目視で確認する。ついてきたタイコンデロガは一機―ホークアイ機のみ。早いタイミングでこいつを墜としてしまえば、この状況を打開できる。コテツはそう目論んだのだが……。

 「ケビン、マギー、ウィラーっ! 何をやっているっ!? さっさと上から援護しろっ!」

 ホークアイはコテツの頭を押さえつつ、部下を呼び寄せる。

 慌てて三機が急降下。この様子では、恐らくはホークアイと違い、完全に島風は墜ちたモノ、とタカを括っていたに違いない。機体の動きにも、どこか精細さを欠いた、慌てふめいた様子が表れていた。

 「いいか、要領はさっきと同じだっ! ケビン、マギーは左右に展開。ウィラーはこいつのケツを突つけっ!」

 命令を受けた三機が一気に散開。先ほど見せた動揺の色は完全に消えていた。さすが、ホークアイ直下の部下達、と言ったところか。

 ケビン、マギー、ウィラーは三方に散ると、島風と同じ高度まで機体を落とす。その手際を見る限り、アウム軍の中でもトップクラスの腕利きであることがわかる。

 ケビン、マギーは息の合った連携で左右からの十字砲火を島風に浴びせてきた。下は海面。コテツにとって、逃げ場は上しかない。

 だが、この状況で迂闊に頭を上げれば、上空のホークアイ機に確実にトドメを刺される。先ほどは無理矢理失速状態に持っていくことで何とか回避することはできたが、今度は高度がない。失速すれば間髪入れず海面に叩きつけられる。

 「っそたれっ!」

 一か八か、コテツは不知火を発動させる。不知火の加速度が敵の予測を上回っていれば、十字砲火を一気に振り切れるかもしれない。

 キィィィィィィィィィンっ!

 (抜けたっ!)

 敵の十字砲火が島風の後ろを抜けていく。包囲網の気配が遠ざかっていくのを感じる。確かにタイコンデロガは高速だが、不知火発動時の島風の比ではない。

 「今のうちにっ!」

 コテツは一気に操縦桿を引く。島風が高角度で急上昇。そのあまりの速さに水面近くまで高度を落とした三機のタイコンデロガは付いてこれない。

 「これで一対一だな、鷹野郎っ!」

 鷹のノーズアートが描かれたタイコンデロガ―ホークアイ機を睨みながら、コテツは吠えるっ!

 

 置き去りにされた三人の部下が高度を回復するだけの時間的余裕はない。それを待っていたら、奴は一気に上空のサイレンス部隊へ肉薄するだろう。上に残してきた部下達が無能だとは微塵も思っていないが、相手が悪すぎる。ホークアイとその直属の部下が振り切られたのだ。連中が束になって掛かってもあっさり墜とされるか、振り切られるかのいずれかだろう。

 「オレが止めるしないか……」

 静かに呟き、ホークアイは機体を翻す。正直、勝算はない。組織戦ならともかく、単機同士の戦闘では、恐らくこちらが分が悪い。だが、部下が高度を回復するだけの時間、奴を足止めするだけでいい。それで再び組織戦を仕掛けることができる。

 「行くぞ、新型」

 ホークアイは静かに闘志を燃やす。

 

 一直線に突っ込む島風。その動きから敵は反航戦で一気に決着をつけたいのだろう、とホークアイは予想を付ける。

 「……腕は確かだが、駆け引きは苦手なようだな」

 あまりに動きが直線的で単調。稚拙とすら言っていい。

 下の三機が上がってくることを嫌がっていることが見え見えだ。

 「悪いが、付き合ってやるわけにはいかんな」

 呟き、ホークアイは操縦桿を引く。タイコンデロガは上昇に転じ、ひらりと島風の突進をかわす。だが、上昇に転じたことで、タイコンデロガは引き換えに機速を失う。しかし、ホークアイはその減速を利用し、一気に旋回。機首を島風の後ろに向けると急降下で追いかける。上昇旋回機動ハイ・ヨー・ヨーと呼ばれる空戦起動の一つだ。左捻り込みのような超難易度の機動ではなく、基本技能の一つではあるが、使いどころさえ誤らなければ効果は絶大。事実、島風はきっちり後ろを取られた形になる。

 タタタタっ!

 タイコンデロガは、両翼に搭載した一二.七ミリ機関銃を一斉射。もちろん、この一撃で島風を落とせると思っていない。案の定、島風は旋回してこれをかわしてみせた。

 と、流れるように島風が宙返りの体制に入る。

 「例の機動をやるつもりか」

 恐らく、左捻り込みで一気に決着をつけるつもりだろう。しかし、

 「悪いがつきあってやるつもりはない」

 ホークアイは追撃をあっさり中止。一旦、右旋回で距離を取る。

 「って、おいっ!?」

 慌てふめいたのはコテツ。今まで、このケースで誘いに乗ってこなかったアウム機はいなかった。そもそも、機体の上昇力は大抵の場合、アウム機の方が上なのだ。宙返りと言う自身の得意な状況に食いつかないパイロットはいない。恐らく、左捻り込みに沈んだパイロットの大半は、この宙返りが罠ではなく、敵パイロットの苦肉の策だと思ったことだろう。

 「っちっくしょっ!」

 コテツは宙返りした機体をロールで翻し、上昇旋回機動ハイ・ヨー・ヨーで旋回するホークアイを追う。急降下で機速を稼いだ島風は、あっさりとタイコンデロガの後ろに付いた。

 あの状況で敵機を見逃せば、逆に後ろに付かれることは想定内。それでも、あのまま付いていけば、間違いなく左捻り込みで墜とされていた。ホークアイは機体を大きく左右に振り、敵機に照準を定めさせない。コテツもまた、ここで振り払われてたまるかと言わんばかりに食らいつく。尋常でない小さな半径で交錯機動シザースを描く二機。その翼端が雲を曳き始めた。青空に二機が紋様を描く。

 「くそ、思ったより距離が縮まらねぇっ!」

 さっきやり合ったアンドリュー機と比べても、ホークアイ機の切り返しは鋭い。このままではダラダラと時間ばかり浪費していくだけだ。そして……それはホークアイの部下―三機のタイコンデロガが上がってくることを意味する。

 このままでは埒が明かない。そう判断したコテツは機体を切り返す際、操縦桿を斜めに倒しこむ。島風はまっすぐホークアイ機を追いかけるのではなく、降下旋回する形で敵機の下方に回り込んだ。エンジンによる推進力だけでなく、重力をも利用して機速を得、一気に敵機の下に潜り込む。

 機速が増した分、やや旋回半径は大きくはなるが、増した機速は旋回の頂点で機体を捻り、上昇に転じることで相殺。そして減速を利用して、一気に機首の向きを変える。ムダ一つ無い、理想的かつ基本的な空戦機動。上昇旋回機動と対をなす空戦機動、下降旋回機動ロー・ヨー・ヨーと呼ばれる機動だ。

 だが、ホークアイは冷静にその動きを見切り、

 「ここで下降旋回機動ロー・ヨー・ヨーか。悪くない判断だな。……しかし」

 操縦桿を引き、機体の動きを旋回から上昇へ切り替える。またしてもコテツは肩透かしを食らった格好になってしまった。そのままホークアイは再び上昇旋回機動ハイ・ヨー・ヨー。逆にコテツの背後に取り付く。この形を嫌ったコテツは再び宙返りを仕掛けるも、やはりホークアイは乗ってこない。辞書に載せたいぐらいに見事なまでの堂々巡り。

 そうこうしているうちに、

 タタタタタタタタっ!

 三機のタイコンデロガが追いつき、島風に向かって銃撃を浴びせてきた。当初の指示通り、ケビン、マギーが左右からの挟撃で追い込み、ウィラーが後ろにまとわりつく展開。

 「よし、そのまま追い込めっ!」

 部下の到着を確認し、ホークアイもまた、上昇に転じる。次に左捻り込みを繰り出した時、それがあの新型の最期だ。

 

 宙返りの最中に左右からの十字砲火に晒される。連続ロールでこの銃撃を回避するが、その分、宙返りの速度が落ちる。その隙にウィラーが完全に後ろに張り付いた。まるで時間を巻き戻したかのように、完全にさっきと同じ状況を再現されてしまう。

 「くそっ!」

 この状況を打開するには、左捻り込みしかない。だが、再び左捻り込みを繰り出せば鷹のノーズアートを描いたタイコンデロガが絶妙のタイミングで攻撃を放ってくるだろう。さっきは失速状態に陥ることで何とか回避することができたが、あれは偶然だ。二度とできるとは思えないし、できたところで、もう一度失速状態から立て直せる保証もない。よしんば、確実に立て直すことができたとしても、立て直しに掛ける時間的余裕はないだろう。今度は島風が火を噴くか、バラバラに分解されるまで攻撃の手を緩めないはずだ。機体を立て直している間に蜂の巣にされるのがオチだ。

 コテツは宙返りの頂点で機体を一八〇度反転、上昇反転インメルマンターンでフェイントを掛ける。左捻り込みを待っていた敵からしたら、虚を突かれたはずだ。とは言え、単なる上昇反転で背後のウィラー機を振り切れるはずもない。

 「あの機動を選択しなかったのは賢明ではあるが……同時に愚かでもあるな……。

 ケビン、マギー、ウィラーっ! 確実に奴を追い込めっ! 次こそ仕留めるぞっ!」

 部下に指示を出し、ホークアイは島風の左前方へと向かっていく。

 左捻り込みは封じ込めた。いかにあの新型が高い機動性を誇るとは言え、あの魔法のような機動なしに、ホークアイ小隊・・・・・・・に敵う術はない。

 ケビン、マギーが左右から、ウィラーが後方から一斉に銃撃を浴びせる。島風は左へ急旋回ブレイクし、これを回避。

 そう、ホークアイの思惑通り左に・・・・・・・・・・・・

 単発の航空機はそのプロペラの回転方向により、必ず得意な旋回方向がある。そして、ネイヴの機体の大半は右に比べて左の旋回が鋭い。追い込まれれば条件反射で左へ逃げるのはわかっていた。

 島風がホークアイ機の真正面に飛び込んでくる。

 「お別れだ、新型」

 静かに呟き、ホークアイは引き金を引く。

 と、照準に捉えたはずの島風が、ホークアイの視界から掻き消えた。

 「何っ!?」

 ホークアイが驚愕に目を見開く。次いで、条件反射で後ろを振り返った。本来であれば自分が撃ち貫くはずだった島風はそこにいた。機首をこちらに向けた体勢で。

 瞬間、ホークアイは自らの敗北を悟る。自らの敗因も。

 「あの機動が……宙返りからしか繰り出せない。そう決めつけたことが誤りだったか」

 島風の機首に装備された三〇ミリ機関砲が火を噴く。自身のタイコンデロガがバラバラに引き裂かれていくのをホークアイは知覚する。

 「まさか……垂直旋回中からも可能だった、とはな……」

 自嘲の笑みに唇が歪む。

 「……すまない」

 それは誰に向けての謝罪だったのか。部下に対してか、忠誠を誓った故国に対してか、その故国に残してきた家族に対してか。

 それを自身に確かめる間もなく、ホークアイの意識は雲散霧消した。

 

 視界の端に鷹のタイコンデロガが見える。こいつは絶対、捉えた獲物を外さない。コテツはそれを肌で感じ取る。

 無意識の内に、コテツはフットペダルを蹴りつけ、操縦桿を入れる。浮揚感が身体を包み込み、島風が横滑りを始めた。

 左捻り込み。ただし、それを縦機動の宙返りではなく、横機動の水平面旋回中・・・・・・にやってみせたのだ。島風はふわりとホークアイ機の真後ろに回り込む。必殺必中の間合い。コテツの指が引き金に触れる。刹那、タイコンデロガのパイロットと目が合った。その顔が自嘲の笑みに歪み、唇が何か言葉を紡いだ気がした。

 「え?」

 戸惑いが声となってコテツの口から漏れる。一瞬、その言葉を聞き取ろうとし、コテツの意識が持っていかれる。だが、

 ブォォォォっ!

 コテツの意識は野太い重低音に引き戻される。自身の指先が引き金を引いていたのだ。思考は瞬間的に停止しようとも、身体は半ば確実に仕留めに掛かっていた。

 放たれた無数の三〇ミリ弾が鷹のノーズアートを粉々に粉砕する。

 脳裏に残る自嘲の笑みを振り切るかのように、コテツは島風を一気に急上昇させる。たった一人の敵パイロットのことなど、いつまでも引きずる余裕は今のコテツにはない。そのまま上昇旋回機動ハイ・ヨー・ヨーでウィラー機に真上から襲い掛かる。ウィラーは隊長が殺られたことに呆然自失したのか、動きに精彩を欠いていた。

 ブオォォっ!

 再び放たれた三〇ミリ弾がウィラー機をあっさり貫く。

 島風は勢いそのままに急降下。ケビン機はそれに続いて背面逆落としの体制に入る。マギー機は高度を維持しつつ、旋回。恐らく、ケビン機が追い込み役。死角からマギー機がトドメを刺す腹積もりだろう。しかし……。

 (やっぱり、さっきの鷹野郎が指揮官機か)

 さっきまでの連携に比べ、どうにもこの連携は教科書的に思える。もっとも、教科書的、と言うのが悪いというわけでもない。教科書に載ると言うことは、もっとも効率的な、洗練された連携だと言うことだ。事実、その教科書的な連携によってアウム軍は多大な戦果を挙げている。

 降下によって得た機速を利用し、コテツは宙返りの体制に入る。案の定、ケビンは付いてきた。

 と、上空からマギー機が急降下で襲い掛かってくる。上下からの挟撃。左捻り込みを警戒してのことか、宙返りをさせないつもりなのだろう。

 「ちったぁ、応用も利くらしいな」

 前言撤回。宙返りを封じられる、と言うことは左捻り込みは封じられたも同然、と言うことだ。どうやら指揮官を失っても左捻り込みに対する警戒心だけは消えなかったらしい。

 コテツは引いていた操縦桿を少しだけ緩め、軌道を宙返りから垂直上昇へ変更。さらにスロットルレバーを押し込み、不知火発動。島風が加速する。上空から迫ってくるマギー機との距離がどんどん詰まっていく。

 反航戦。二機の相対速度が加速度的に上がっていく。

 タタタタタタタっ!

 マギー機が銃撃を放つ。互いの相対速度を上乗せされた弾丸が、知覚の限界をはるかに超えた速度で迫り来る。

 が、コテツはスロットルを緩めない。操縦桿も動かさない。島風は上昇速度を維持したまま、一直線に弾丸の嵐を―その中に生まれた、わずかな綻びに突っ込んでいく。

 真っ正面にマギー機が迫る。このまま直進すれば、正面衝突は免れない。まともにぶつかれば、両機とも木端微塵に砕け散るだろう。

 が、それでもコテツはスロットルを緩めない。操縦桿も動かさない。迫る敵機を睨み付け、

 「どきやがれっ!」

 裂帛の気合を解き放つ。その気迫に気圧されたかのように、衝突寸前でタイコンデロガが半横転。

 その傍らを島風が烈風のごとく駆け抜けて行く。相対速度は音速を超え、相対距離はわずか数センチ。

 あまりに高速、あまりに近すぎるニアミスに、両機の間に乱気流が発生。

 ゴウっ!

 発生した乱気流は衝撃波となって、島風とタイコンデロガを弾き飛ばす。

 全速上昇中の島風はその慣性で何とか持ち堪えるが、直前に半横転していたタイコンデロガは耐えきず、錐揉み状態に陥り墜ちて行く。

 その行く先には、コテツを背後から追い込んでいたケビン機。慌てて上空から落ちてきた僚機を回避しようとするも、まさか相対速度が音速を超える中でのニアミスなど、想像もしていなかったのだろう。その回避運動は明らかな狼狽に満ちており、キレがない。

 (回避できないっ!)

 ケビンがそう悟った刹那、両機は正面からまともにぶつかった。

 グシャグシャに砕けていく二機に一瞥をくれると、コテツは意識と視線を正面に向け直す。

 目前には巨大な戦略級攻撃機、そしてそれを護衛する無数の航空支配戦闘機。タイコンデロガの構成する鎧を剥ぎ取らない限り、本命のサイレンスへは到達できない。

 「考えている時間はない……な」

 先のホークアイ小隊との戦闘でかなりの時間を要した。これ以上の時間の消耗ロスは致命傷になりかねない。

 コテツはスロットルレバーを押し込み、一気にサイレンスに向かって肉薄する。まさか馬鹿正直に一直線に突っ込んでくるとは思わなかったのか、護衛戦闘機隊の動きにわずかながら動揺が見られた。コテツの目はその隙を見逃さない。わずかに乱れた間隙に島風を滑り込ませる。

 体勢を立て直したタイコンデロガ達がたちまち群がり、島風を火線の渦に巻き込む。

 弾幕がコテツの視界を圧殺する。空の蒼が曳光弾が生み出す紅蓮に塗り潰される。

 その紅い世界に直面してなお、コテツは揺るがない。一切の躊躇なく、スロットルレバーを最大出力の先まで押し込む。

 キィィィィィィィンっ!

 不知火の力を得て、弾丸よろしく島風が加速。その加速を維持したまま、荒れ狂う暴風のように島風は急旋回ブレイクを繰り返す。空間を埋め尽くす火線は、島風の残す残像をかき乱すことしか出来ない。

 神速の高速機動で弾幕を掻い潜り、島風は一気に包囲網から抜けた。

 と、コテツの上に影が落ちた。思わず目を見張る。

 

 そこに、そいつ・・・は現れた。

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