第3話 襲撃

 「オレの正義、か……」

 視界の端に入道雲が見えた。それがユラユラと揺れている。その様は、まるで今の自分の姿を表しているみたいだと、コテツは思った。

 あれから一晩考えぬいた。自分の正義、戦う理由。制服や国家に囚われない、一人の人間として・・・・・・・・・コテツが戦うに足る理由。

 だが、そんなモノは見つからない。いくら深く考えようが、いくら懸命に頭を回そうが、欠片すらも見つからない。

 一晩考えて考えて考えぬいて。それでも何一つ思いつかなくて。

 そして、コテツは誰に頼まれるでもなく、朝早くから漁に出た。この島の漁は、一人乗りの小舟に乗り、投網を使って魚を獲る。つまり、漁に出ている間は海の上に一人っきりでいられる。誰に邪魔されることもなく、自分の思考に埋没できる時間と空間。それを求めて、コテツは漁を買って出た。

 いや、違う。

 本当は……ハルナから逃げ出したかったのだ。ハルナの前から姿を消したかったのだ。

 駆け去っていったハルナは、夕食までには戻ってきていた。

 ゴメン、ゴメン、と苦笑を浮かべながら軽く謝っていた。まるで、自分はそんなに悪くはないのだけど、ちょっとした行き違いがありまして。そんな態度で。

 だが、その目元は真っ赤に腫れていた。そして……コテツはそんな少女を直視することが出来なかった。

 彼女が悪いわけじゃない。もし、悪い人間がいたとしたら……それは自分だ。だが、彼女の父親を殺したのは自分ではない。ましてや、母親は軍人に直接手を下されたわけでもない。

 だとしたら、誰が悪い。何が正しい。

 誰を、何を悪とすれば、この話は解決するのだろうか。

 誰も悪くない。全てが正しい。仕方ないことだった。不慮の事故だ。

 そう思えば楽なのかもしれない。いや、そう考えることが現実的だ。全てを救ってみんなが幸せになれる。そんな都合のいい正しさ、どこにもない。

 だが……目元を真っ赤に晴らして、痛々しい笑み浮かべるハルナの姿は、絶対に間違っていると思った。彼女にあんな顔をさせる世界が正しいなんて思えない。いや、認められない。認めたくない。

 何が正しいのかは分からない。だが……何かが間違っているのではないか、そんな思いがトゲのように胸に突き刺さって抜けない。

 何となく、寝っ転がってみた。手を空にかざしてみせる。

 「……オレは……軍に戻りたいんだろうか?」

 不意に、自らの口から別の疑問が滑り出た。

 己が掲げる正義が、己が護るべき人たちを殺した。己の信じる正義が、己の護るべき者たちを裏切った。

 次にコテツが戦場の空を飛んだ時、躊躇なく引き金を引けるのか。自身の放った弾丸が、敵だけでなく、護るべき国や人を穿つかもしれないと言うのに。

 殺意なんて関係ない。悪意なんて必要ない。人を殺すのなんて、流れ弾だけでも十分なのだ。そして……音速を超える弾丸の軌道を完全に制御できるわけがない。ましてや、戦闘機同士の空中格闘戦は時速六〇〇キロを超える激しい三次元機動の中で行われる。縦横無尽に飛び交う敵機に弾丸を叩き込むことは容易ではなく……流れ弾が出ないほうがおかしい。

 自分は何を信じて戦えばいい? 何を信じれば戦える?

 そもそも、本気で軍に戻る気があれば、こんなところでのんびり波に揺られている道理はない。昨日、海鷹が島の上空を飛んでいったと言うことは……現状、この周辺空域はネイヴ軍の哨戒範囲に入っている、と言うことだ。海鷹が飛んでくるタイミングに合わせて狼煙を上げるなり、風の翼の丘の頂上で手旗信号を掲げるなり……何らかの交信手段はあるはずだ。島に残って、交信手段の準備をし、海鷹が再び島の上空に飛んでくるのを待っているべきなのだ。

 と、唐突に小舟の揺れが大きくなった。

 「なんだ?」

 怪訝に思い、コテツが身を起こす。

 ゆっくりと船が海の上を航行していた。コテツが乗っているようなボートに毛が生えたモノ―はっきり言って、軍の緊急脱出用の救命艇の方がよっぽど立派だ―とは違い、小さいながらも動力を積んだ、外洋を往来できる船だ。大きさ、そして艦上の構造物から察するに、軍用艦ではなく民間船、おそらく小型の貨物船か何かなのだろう。

 その貨物船に付いて行くように、一回り大きな船影がぴったりと背後に寄り添っている。

 いや、正確には引っ張られている、と言うべきか。

 後ろの船影は恐らく、動力を持たない被曳航船トレーラーだろう。甲板の上には構造物はなく……船体に比して幌の掛かった大型の貨物が搭載されている。あれだけの大物を運ぶには、相応の大きさの貨物船か、被曳航船でも使うしかない。大型貨物船となると、寄港できる港は限られるし、動かすにも相応の金が掛かる。この近隣にあるような小さな島に物資を運ぶのなら、小型貨物船を使うのが一般的だし、その貨物船に載り切らないような大型貨物は被曳航船を使って運ぶのも、割とよく使われる手段だ。

 貨物船は、まっすぐハルナ達の島を目指して進んでいる。

 コテツは眉をひそめた。確か、ムツは定期便など島には来ない、と言っていた。

 当然だ。それなりの旨みがなければ、誰もこんな離島にわざわざ定期便を通したりはしない。燃料代もバカにならないし、ここは前線からも近い。いつ、戦闘に巻き込まれるか分かったモノではない。

 あの島に貴重な資源があるならともかく―海洋国家であるネイヴは、往々にして鉱脈やその他の天然資源が離島に分散していることが多い―残念ながら、あの島にはその手の資源の類はない。主だった産業もなく、わざわざコストを掛け、リスクを背負ってまで定期便を通すメリットなんて、全くと言っていいほど無い。

 いや、一つだけあった。正確には、フソウ本国や他の島、アウム大陸では役に立たないが……大海原を行く商船だけが欲して止まないモノ。

 食料と真水だ。

 何もない大海原では、新鮮な食糧と真水は必要不可欠であると同時に、何よりも入手が難しい。貯蔵した水を使い切った商船が、全ての財産を投げ打ってまで、新鮮な真水を求めた話も、さほど珍しい話ではない。それほどまでに、海の上での真水は貴重なのだ。そして、あの島には枯れる心配はほぼない、と言っていい湧き水がある。それを知っている商船ならば、水の補給に立ち寄っても不思議はない。

 そして、それならば、ムツが島の外の事情に多少なりとも精通していることも納得がいく。それに、島にいくつか外来と思しき品が存在することも―そもそも、コテツが修理を依頼された品の大半が、島の外から持ち込まれた物品だ―納得がいく。

 だが……妙な胸騒ぎがする。あの船がただの商船とは、どうしても思えないのだ。殺気とも違う。だが、首の後ろが妙にざわつく。イヤな感じだ。

 コテツはオールを手に取ると、全力で島に向かって漕ぎ始める。もっとも、いかに小型とは言え、相手はエンジンを積んだ貨物船。人力で漕ぐ小型ボートが追いつけるはずもなく、その距離はみるみるうちに離れていった。

 

 ターン。

 島に戻ってきたコテツを出迎えたのは、乾いた銃声だった。どうやら、イヤな予感が当たったようだ。

 コテツはボートで砂浜へ乗りあげると、真っ直ぐ集落に向かわず、岩場を通過して密林の方へと向かう。

 島に銃器の類はない。いや、一丁だけある。コテツが持ち込んだ拳銃だ。だが、それを撃つ理由がない。島には銃でなければ対処できないような大型の猛獣はおらず、島の人間の中に銃を持ち出さなければならないほどの諍いの種も無かったはずだ。それに……ハルナが安全装置の存在を知らなかったことから察するに、島には銃の扱い方を知っている人間は恐らくいない。……だとすれば、

 「あの連中か」

 コテツはちらっと海上に停泊している貨物船の方を見やる。港や桟橋のない島には、小型とは言えそれなりに喫水の深さがある貨物船では接岸できない。故に座礁しない程度に島に近づいた後、錨を下ろし停泊、救命艇を兼ねた小型ボートを使って上陸するのが定石だ。

 現に、砂浜には連中が使ったと思しきボートが上げられている。大きさからして、上陸したのはせいぜい四、五人と言ったところか。連中が何かトラブルを起こして、発砲するような事態を招いた、と考えるのが妥当だろう。いや、あれが実は商船などではなく……商船に偽装した海賊船だと言う可能性もある。現にネイヴ海軍は、アウムとの戦闘だけでなく、海賊狩りに駆り出されることも少なくはない。

 「くそっ!」

 焦燥に駆られるが、衝動のままに動き出せば事態をさらに悪化させかねない。

 必要なのは正確な情報、冷静な判断力、そして武器だ。

 コテツは自らに言い聞かせ、密林の中を駆け抜ける。

 

 ターン。

 乾いた銃声。家屋の屋根が突然弾けた。驚きのあまり、集落の空気が固まる。その空気を轟かせ、

 「我々はネイヴ軍だっ! 過急の用により、この島から物資を調達するっ!」

 大男が声を張り上げた。

 黒髪黒目。黄色の肌は南洋民族のモノではない。フソウ人だ。

 言葉通りネイヴの水兵服を着込み、一六式小銃―ネイヴ軍が採用している小銃を手にしている。その銃口からは硝煙が一本、たなびいていた。先の銃声がこの銃から発せられたことは、文字通り火を見るよりも明らかだ。

 大男の後ろから、ゾロゾロと似たような出で立ちの男が現れる。全部で三人。先の男を含め、四人の異邦人が集落を睨め回す。

 大声を上げた男が周囲の仲間をアゴで促す。襟元の階級章は曹長。恐らく、連中の班長リーダーと言ったところだろう。

 軍服たちは、これ見よがしに手にした小銃を振り回し、

 「おら、さっさとしろっ!」

 「ありったけの食糧を出せやっ!」

 「シケた島だなぁ、何もありゃしねぇっ!」

 好き放題に言い放ち、集落を闊歩し始めた。

 

 「あいつら……」

 窓から外をそっと覗いたハルナが臍を噛む。

 今までも、食糧や水を求めて、船がこの島を訪れたことは何度もあった。だが、彼らは良識ある商人であり、食糧や水の代わりに珍しいモノ、便利なモノなどを置いていった。

 しかし、いきなり集落にやってきたこの連中は、自らをネイヴ軍と名乗ると、銃で脅し、家屋の扉を蹴り壊し、畑を荒らし、集落の中のなけなしの食糧を根こそぎ略奪しているのだ。

 「これだから軍の連中は……」

 ハルナは窓から離れると、コテツの私物を漁り始めた。確か、コテツの荷物の中に拳銃があったはず。そのコテツは今、漁に出てこの島にはいないはずだ。

 もし、コテツがここにいてくれたら……と思う。

 曲がりなりにも訓練を受けた軍人だし、何よりその強さは身をもって知っている。岩陰から不意打ちを仕掛けたのに、あっさり投げ飛ばされた挙句、たった一撃で気絶させられたのは他ならぬハルナ自身だ。

 (いや……あいつも軍人なんだ)

 さすがに連中に加担することはない……と思いたいが、それでもコテツは南洋の民とは違う。あくまでもフソウ人であり、軍人なのだ。同胞に銃を向けられるとは思えない。

 「あった」

 ハルナはコテツの荷物の中から拳銃を取り出し、両手で握りしめる。

 軍人なんて、フソウの人間なんて信じられない。だから……自分がやるしかない。

 決意と共に、ハルナは家を飛び出した。

 

 「やめなさいっ!」

 ネイヴの曹長に向かい、ハルナが怒鳴る。手にした拳銃の銃口をまっすぐ曹長に向けて。

 「動かないでっ!」

 瞳には明確な殺意の光。仮に動いたら、躊躇なく引き金を引く、とその目が訴えている。

 だが、その殺意に気づいているのかいないのか、銃口を向けられた曹長は小銃を構えることもなく、軽く肩をすくめてみせた。

 「おいおい。オレ達はネイヴの軍人なんだぜ?

 てめぇら土人を護ってやってる・・・・・・・・・・オレ達に対し、その態度はねぇだろ」

 「土人……ですってぇ」

 怒りに、引き金に触れていた指が震える。

 ターン。

 反動に、ハルナの腕が軽く跳ね上がった。対照的に曹長の身体は微動だにしない。その顔に浮かんでいるのは余裕綽々の笑み。

 その笑みが、ハルナの怒りに火を注ぐ。

 ターン。ターン。ターン。

 ハルナは拳銃を連射した。だが、一向に弾丸は当たらない。当たる気配すら無い。

 「素人が。拳銃なんてシロモノ、この距離で命中するわけねぇだろ」

 心底バカにしたように、曹長がハルナを見下す。

 (なら、近づけば……)

 怒りのあまり、後先考えず接近しようとして、ハルナは背後に回った影に全く気付かない。その影が手にした小銃を振り上げたことも。

 ガンっ!

 後頭部に強い衝撃を受け、ハルナは地に崩れ落ちた。

 ハルナの意識が闇に落ちようとする直前、

 「ぐあっ!?」

 右腕に凄まじい激痛が走り、意識が無理矢理引き戻される。あまりの傷みに涙が滲んできた。

 ハルナはなんとか首だけ動かして、滲む視界で背後を見やる。そこには軍服を来た男が二人。一人は小銃を抱え―恐らく、その小銃の銃床でハルナの後頭部を殴打したのだろう―もう一人はハルナの右腕を掴んで捻り上げていた。

 ハルナは何とか、拘束から逃れようともがくが、

 「ああっ!?」

 もがけばもがくほど、拘束された関節がねじ曲げられ、激痛が走る。

 「おいおい、あんまり暴れちまうと折れちまうぜ?」

 後ろから腕を拘束した男が、揶揄するような声を掛ける。

 と、腕を取られて動けないハルナに曹長がゆっくりと歩み寄ってきた。

 「さて……てめぇらを護ってくださる軍人様に銃口を向けるような、聞き分けのない土人には躾が必要だな」

 言うなり、

 ドゴンっ!

 つま先をハルナの鳩尾にめり込ませる。

 「ガ……ハっ!」

 喘ぐように息を吐き出し、ハルナの頭ががっくりと垂れる。曹長はその髪を強引に掴み、

 「おいおい、あっさり気絶してんじゃねーぞ? お仕置きにならねぇだろうが」

 嬲るような息を吹きかけた。ハルナは痛みに涙を滲ませながらも、

 ペっ!

 その顔に唾を吐きかける。曹長はゆっくりと吐きかけられた唾を拭うと、

 「てめぇ……」

 怒りに目を血走らせる。が、すぐに下卑た笑いを浮かべると、舐め回すような視線をハルナの胸に、続いて腰周りに走らせた。

 ゾクっ!

 身の危険を感じ、ハルナは身体をすくませた。が、右腕を掴まれた状態では、視線から逃れることもできない。

 「喜べ、お嬢ちゃん。ネイヴでもアウムでも、南洋の女は高値で買ってくれるからな。

 お嬢ちゃんみたいな美人なら、言い値で買い取ってもらえるぜ?」

 言って、小銃の先で無理やりハルナの上衣を剥ぎとった。形の良い胸が顕になり、羞恥にハルナの頬が紅潮する。

 「と、言うわけだ。この島にはロクなモンがないからな。代わりにお嬢ちゃんを徴用させてもらうぜ?」

 粘りつくような声と共に、曹長が銃口でハルナの胸をつつく。羞恥と怒りでハルナは声を出すこともできない。

 「だけどな……躾ってのは、重要だ。連れてくにしても、途中で暴れられたら面倒だしな。

 それに、この島の連中にも、オレら軍人様に逆らったら、どんな目にあうか、知ってもらう必要がある」

 曹長は傍らに落ちていた拳銃を手に取ると、発砲直後でまだ熱を持った銃口をハルナの左手の甲にぐっと押し付けた。

 ジュっ。

 「ああああっ!?」

 肉が焦げる音がし、ハルナが痛みに悲鳴をあげる。

 

 「あのバカ……」

 密林を経由し、誰にも気づかれること無く何とか集落への潜入に成功。だが、そのコテツの目に飛び込んできたのは、ネイヴの軍服を着た三人の男に取り囲まれ、組み伏せられたハルナの姿だった。細かい状況はよくわからないが、ハルナのことだ。無鉄砲に飛び出して返り討ちにあったのだろう。

 ネイヴの軍服を着ている、と言うことはコテツと同じネイヴ皇国軍人と考えるが妥当ではある。だが、ネイヴの軍人が原住民とトラブルを起こすとは考えにくい。それに、ネイヴ軍の正規軍であるのなら、軍艦ではなく、あんな小型の貨物船でこんな島に来ていることも不自然だ。ひょっとしたら……軍の装備を盗んだ海賊が、軍人に変装して略奪しに来たのかもしれない。

 とにかく、状況がわからないことには動きようがない。

 と、巨漢が持っていた小銃を使い、ハルナの服を剥ぎとった。

 ブツリ。

 こめかみの辺りから、何かがまとめてぶった斬れる音がした気がした。気がつけば、コテツは潜んでいた物陰から全力で飛び出していた。

 相手が何人いて、どんな装備をしていようが関係ない。

 ハルナに手を出す奴は全員ぶっ殺す。

 どす黒い殺意に支配され、コテツが腰の後ろからナイフを引き抜き、投げ放つ。

 

 ドスっ!

 重々しい音。涙で滲んだ視界の中、ハルナは目の前の曹長の右肩に大振りなナイフが突き刺さっているのを見た。

 見覚えがある。コテツが持っていた、軍用のナイフだ。

 「ぐああああああっ!」

 右肩を抑え、うずくまる曹長。部下二人は動揺し、周囲を見渡す。

 と、

 メキっ。

 小銃を構えている方の顔面に、靴底がめり込む。

 全体重とダッシュの勢いを載せた跳び蹴りをまとも受け、小銃を放り出しながら、男は空中で半回転、顔面から地に崩れ落ちた。

 「コテツっ!?」

 ハルナが叫ぶ。が、コテツは答えることなく、着地と同時に左足を軸に鋭く回転、

 ゴキっ!

 鈍い音がして、コテツの放った右回し蹴りが、ハルナを拘束していた男の延髄を抉る。

 男はあっさりと白目を剥いて崩れ去り、ハルナは開放された。

 「な、何者だっ!?」

 離れたところにいた最後の一人が小銃を構えるが、それより早く。

 ターン。

 奪った小銃をコテツが撃ち放つ。弾丸は正確に肩に命中、撃たれた部下は小銃を取り落とした。

 「……て、てめぇ……」

 痛みと怒りに声を震わせる曹長の眉間にぴたりと銃口を突きつけ、

 「動くんじゃねぇ」

 コテツが抑揚のない声を呟いた。

 「コテツ……どうして……」

 漁に出たはずが、どうしてここにいるのか。

 それとも相手は同胞なのに、どうして自分を助けてくれたのか。

 自分でも『どうして』の意味が分からず、呆然とハルナが呟く。

 コテツは目の前の曹長を睨みつけたまま、

 「ハルナ。適当な縄を持ってきて、こいつらを縛ってくれ。

 それと……さっさと服着ろ」

 その言葉にハルナはゆっくりと己の身体を見下ろし……、

 「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 絹を引き裂くような悲鳴を上げた。

 

 「……てめぇも軍人か?」

 後ろ手に拘束された曹長が呻く。

 額には脂汗が浮かび、肩の傷からは今もジクジクと出血が続いているが、その顔には薄ら笑いが浮かんでいた。あまりの激痛に脳内麻薬アドレナリンが大量に分泌しているのか、それとも痛みのあまり、逆に開き直ったか。いずれにせよ、この傷では当分、利き腕を使うことはできまい。

 傍らには気絶した部下が二人に、利き腕の肩を撃ちぬかれた部下が一人。全員、曹長と同じように後ろ手に拘束されており、武装解除されていた。もはや戦闘力はゼロと言っていい。

 集落の中央に転がされた軍服達を冷たく見下ろし、

 「てめぇも……ってことは、おまえもか?」

 コテツが手にした小銃を突きつける。安全装置は解除されており、引き金を引けば即座に弾が出る状態だ。

 「何だって……てめぇみたいなのが、土人とつるんでこんな島にいるんだよ?」

 蔑んだ眼差しを周囲に走らせる曹長。その視線の先には、こちらを遠巻きに見る島民たちがいた。危ないから、とコテツが遠ざけたのだ。最悪、連中が暴れ出した場合には発砲することになる。巻き込まないための用心だ。

 「撃墜され、この島に不時着した」

 「……戦闘機乗りかよ。で、脱出手段もなく、この島の土人達と仲のいいフリをしていたってわけだ」

 「その土人、と言うのをやめろ」

 抑揚のない声で呟くコテツ。が、曹長は皮肉げに頬を歪めると、

 「何でだよ? こんな南の島の原住民、土人で十分だろ?」

 「彼らはオレ達と同じ皇民だ」

 「おいおい、それを本気で言ってるのか?」

 心底呆れたように、曹長。

 「そんなモン、連中を飼い慣らすための方便、この辺りの島を占領するための建前だろ? 実際にオレ達フソウ人とこいつらは違う」

 「……おまえは、本当に皇国軍人なのか?」

 「人に聞く前に自分から名乗るのが礼儀ってモンだろ? 軍で教わらなかったのか?」

 「……南部方面第十一飛行隊所属、コテツ一等飛空士だ」

 「……んだよ、兵卒か」

 曹長は吐き捨て、

 「南部方面第十八輸送隊所属、レンヤ曹長。

 たかだか一兵卒が下士官にこんな振る舞いをして、タダで済むと思ってるのか?」

 レンヤが凄む。当然だ。軍隊は縦社会であり、階級は絶対だ。たとえ直属の上司でなくとも、レンヤが上にコテツの行為を報告すれば良くて営倉入り、最悪銃殺だ。

 「ま。オレ達も他人のことを言えた義理じゃねぇがな」

 「どういう意味だ?」

 こんな腐った男に上官に対する礼を尽くす義理はない。ぞんざいな態度を崩すこと無く、コテツが問う。

 「オレ達はネイヴの新鋭機を手土産にアウム側に投降するつもりだったからな」

 「投降? 敵前逃亡するつもりだったのか?」

 略奪行為に敵前逃亡。もはや海賊と何ら変わりがない。同じ皇国軍人とは思えないほどの腐りっぷりに、コテツは目眩さえ覚える。

 「そりゃ敵前逃亡もしたくなるぜ。何せ、ここら一帯は一週間後には火の海だ。

 きっと何も残らなくなるぜ?」

 「……どういう意味だ?」

 「そうか。末端の戦闘機乗りは聞いてないのか」

 怪訝な表情を浮かべるコテツに、レンヤは得意げな笑みを浮かべた。

 「敵の捕虜が吐いたんだよ。アウム側が膠着した戦局を一気に打開するために、ここら一帯をサイレンスで焼き払うってな」

 「……サイレンス、だと?」

 愕然とコテツが呻く。

 「あんなモンを引っ張りだすのか?」

 サイレンス。

 アウム軍が誇る重攻撃機で、その兵装搭載量ペイロードは一一トンにも及ぶ。その兵装搭載量に任せた絨毯爆撃を主な任務とし、サイレンスの爆撃に晒された地は全てが焼き払われ静寂の地と化す。それ故、静寂サイレンスの名が冠された、と言われている。

 「ああ。しかもそのサイレンスを数百機単位、稼働数の全てを投入するってんだから剛気な話だよな」

 まるで他人ごとのように話すレンヤ。それもわからないではない。数機で一都市をまるごと滅ぼせる、と言われているサイレンスを数百単位投入する作戦など……前代未聞、その被害を真面目に算出しようとしたら、大抵の者は正気を失うだろう。

 「アウムからしてみりゃ、ここら一帯の島に点在する基地の存在が鬱陶しいんだろうな。

 何せ、密林にうまく隠れて、上空からはどこにあるのか分かりゃしねぇらしいし」

 大規模な港湾基地や飛行場はさすがに隠しようがないが……小型の水雷艇や潜水艦の基地ぐらいなら、密林や海沿いの洞窟の中に隠すことは可能だ。それらの基地を拠点とし、海戦においてゲリラ的に襲撃する小型艦、潜水艦にアウムが頭を悩ませていることは、コテツも知っている。それが、ネイヴの防衛線の命綱になっていることも、だ。

 「てなわけで、それを知ったお偉方は、慌てて前線に新鋭機を持って行こうとしたわけだ。一大輸送作戦って奴だな。

 で、輸送艦隊の存在を敵から逸らすために、ここら一帯でも大規模な陽動作戦を展開したはずなんだが……そうか、てめぇはその陽動作戦に駆り出されて、墜とされたのか」

 くっくっく、と意地の悪い笑みを浮かべるレンヤ。

 コテツには先の空戦が陽動であったなど、知らされてはいない。が、納得はいく。上層部はコテツ達、古参のパイロットを軽視している。故に陽動作戦で消耗させても惜しくない、と考えているのだろう。しかも、彼ら古参のパイロットは、失っても惜しくはない割に戦力としては使える。しかし、それ自体は、いつものことだ。今更の話である。

 「ところが、せっかくの陽動も効果がなく、あっさりと輸送艦隊は沈められちまった。

 その輸送艦隊の旗艦は九十九つくも、他に天山も随伴していたんだぜ?」

 「九十九に天山が?」

 レンヤの言葉にコテツは絶句する。

 九十九、天山。共にネイヴが誇る航空戦艦だ。

 もともと戦艦として生を受けた二艦であるが、航空戦力の有用性が認められたことにより、従来の戦艦に航空機の運用能力を付与したモノが、航空戦艦九十九、そして天山だ。性能諸元上は戦艦並の艦砲に装甲、そして空母に準ずる航空機運用能力を誇る。

 資源の保有量、工業力の関係上、量についてはアウムより劣るが、数の差を質で補う方針は空でも海でも変わらない。そして、ネイヴはもともと海洋国家と言うこともあって、造船能力については非常に高い。航空機においては高出力のエンジンを開発することが出来ず、どうしても装甲、速度、上昇力でアウムの後塵を拝すしかないネイヴ軍であるが、軍艦における比較であれば、性能、兵の練度、全てがアウムを大きく上回る。単艦同士の戦闘では、恐らく圧勝できるだろう。その中でも航空戦艦である九十九、天山の戦闘力は飛び抜けて高い。この二艦を沈めるなど、容易では無いはずだ。

 「ま、艦の性能はともかく、連中とネイヴじゃ戦力が違いすぎる。

 陽動ごと全ての戦力を叩き潰す・・・・・・・・・・・・・・ことなぞ、奴らからしてみたら造作も無いことなのだろうよ。

 で、上層部は方針を変えたわけだ。

 正規の輸送部隊を使った輸送作戦では目立つ。虎の子の航空戦艦を投入しても、連中の襲撃を突破できない。

 で、民間の小型商船を装った偽装船を使って、小出しに輸送する方向に変えたのさ。

 そう、その輸送部隊ってのがオレらだ」

 なるほど。その輸送任務に選ばれたルートの一つが、この近海、と言うことか。であれば、海鷹が上空を哨戒しているのも納得がいく。せっかくの偽装輸送船が敵に見つかって沈められでもしたら目も当てられない。あの海鷹は輸送ルートの近辺に敵が存在しないか、事前に調べていたのだろう。

 「だが、そんな反攻作戦、まともに成功するわけがない。

 今更、多少の新鋭機を投入したところで、アウムとの戦力差がひっくり返るわけもないからな」

 今のネイヴとアウムの戦力差は、九十九と天山と言う切り札があっさりと沈められたことから見ても明らかだ。それだけの戦力差、新型戦闘機を投入した程度ではどうにかなるモノではない。基本、戦いは数で国力だ。

 「それどころか、こんなボロ船の何隻が作戦海域まで無事にたどり着けることやら」

 これもまた、納得せざるを得ない話だ。偽装商船なぞに搭載できる武装など、たかが知れている。そもそもそんな目立つような武装を搭載していたら、一目で偽装がばれてしまう。それこそ本末転倒だ。

 「だから、オレ達は新鋭機を手土産に投降するんだよ。わざわざ負けるって分かってる戦に出向くなんざ、ただの自殺行為だ。

 この島に寄ったのは、行き掛けの駄賃って奴だ。どのみち、この島は焼かれる運命だからな」

 「軍の反攻作戦があるんだろ?」

 「バカか、てめぇは」

 苦し紛れのコテツの言葉を、レンヤは一笑に付す。

 「戦力に勝る連中が仕掛ける飽和攻撃に対抗するにゃ、どうすりゃいい?

 簡単な話だ。戦略的に重要な拠点だけ集中的に護って、他は切り捨てるんだよ。

 ここら一帯にゃ、軍の基地はない。鉱山も油田もゴム林も海運輸送路シーレーンもだ。あるのは土人の島だけだ。

 どうせ灰になるなら、少しでもオレ達が有効に使ってやろうってんだよ」

 タタタタタタタタっ!

 レンヤの言葉をかき消し、連続する銃声が島の上空を駆けていく。

 「物陰に隠れて伏せろっ!」

 コテツが叫ぶのと、

 ドドドドドドドドっ!

 集落の地面が爆ぜるのがほぼ同時。

 機関銃による銃撃。たぶん、口径は一二.七ミリ。恐らく、偽装貨物船からの銃撃だ。はっきり言って、相手がアウム軍では、戦闘が専門ではない哨戒機や偵察機であっても逃げ切れるかどうかすら怪しい、と言ったところだろうが……非武装の民間人を相手にするには十分すぎる武装だ。

 偽装貨物船が停泊してる洋上とこの集落では、目算でおおよそ一キロ。一二.七ミリなら十分届く距離だが、精密な狙いをつけることは不可能に等しい。恐らく、船に残った連中が業を煮やして撃ってきたのだろう。集落がボロボロになろうと、味方を誤射しようと知ったことかと言わんばかりに。レンヤ達など切り捨てても痛くもかゆくもないと捨て駒だと思っているのか、単にヤケクソになっているのか。たぶん、その両方なのだろうが。

 着弾によって舞い上がった粉塵が視界を塞ぐ。

 背後から複数の悲鳴が上がる。島の住人達だ。戦場で常に砲火に晒されている兵士ならともかく、いきなり機関銃による掃射を浴びせられ、平常心でいられる民間人などいない。当然の反応と言える。もっとも、正規の訓練を受けたはずのレンヤ達も、しっかり悲鳴を上げてのたうち回っていたが。

 「くそっ!」

 毒づき、コテツは浜へ駆け出す。浜に行ったところで沖合に泊まっている船からの銃撃を防ぐ方法などありはしない。だが、ここで待っていても一二.七ミリ弾の雨に打たれるだけだ。

 その偽装貨物船が洋上でゆっくりと回頭しているのが見えた。やはり、レンヤ達はいざとなったら簡単に切り捨てられるトカゲのしっぽだった、と言うことか。

 連中の持っている弾薬を全て叩き込めば、島民を殲滅させることは容易いだろう。だが、もともとただの偽装貨物船、十分な弾薬が搭載されているとは思えないし、これから先、アウム軍に見つかって一戦交える可能性もある。こんなところで無駄弾を使っている余裕はないのだろう。

 そもそもこの連中の本来の理由は武力でこの島を屈服させることではない。楽して略奪する、ノーリスク・ハイリターンだ。武装した軍人を複数投入したにも関わらず、いつまで経っても帰ってこないことから、相応の戦力を保持した島だと勘違いしたのかもしれない。実際、島によってはいわゆる武闘民族が住み着いている島もあり、武装こそ原始的な槍や弓矢だけであるが、ゲリラ戦においては無類の力を発揮することも珍しくはない。無駄弾どころか、ヘタすると返り討ちにあう、と考えたのかもしれない。

 だが、被曳航船を引っ張っているためか、思ったより回頭に手間取っているらしい。特に島付近は海が遠浅であることが多い。ヘタに回頭すれば座礁する危険性もある。

 コテツは小銃を構える。当然、こんな豆鉄砲で船を沈めることは出来ない。そんなことはコテツにも分かっている。しかし、撃たずにはいられない。苛立ちと怒りのまま、コテツは引き金を引く。

 ターン。ターン。ターン。

 銃声が虚しく響く。船の舷側に火花が飛び散る。だが、ただの小銃弾では、やはり舷側を貫通するには至らない。連中もいちいち反撃するのもバカらしいと判断したのか、それともいち早くこの島から脱出すべきと判断したのか、機関銃で反撃もしてこない。

 と、

 バキャンっ!

 弾丸が被曳航船の連結部に命中。火花を散らして連結部が砕かれる。

 回頭中に切り離された被曳航船は、慣性でゆっくりと島の方へと流れ……座礁したのか、わずかに振動しながら動きを止めた。

 こうなると、それなりの質量のある被曳航船を小型貨物船で引っ張るのは不可能に近い。

 偽装貨物船は被曳航船とその積み荷を諦め、島を離れていく。

 コテツはその後姿を睨みつける。悔しさに歯噛みしながら。

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