蒼天の島風
矢真野真矢
第1話 撃墜
火線が
クオォォォォォンっ!
機首のプロペラを唸らせつつ、一機の単座戦闘機が蒼天を斬り裂く。
「っそたれがっ!」
そのコックピットでコテツは思わず毒づいた。
後ろに食らいつかれた。それは戦闘機同士の
戦闘機を含む航空機は全て、前進することで翼が空気を切り裂き、揚力を得る。つまり、飛び続けるには前に進むしか無い。後退できないのだから、背後が死角になるのは道理だ。
コテツは愛機である
敵国アウムの主力単座戦闘機であるエセックスは速力、上昇力、防御力には優れるが、運動性能、とりわけ旋回性では飛鷹に劣る。逆に言えば、旋回性以外では飛鷹が敵う部分は一つもない、とも言えるが……旋回中心の巴戦に持ち込めれば、まだ勝機はある。
が、その旋回機動を止めるかのように、斜め上から銃撃が襲い来る。別の敵機が先回りしていたのだ。
「くおっ!」
コテツは咄嗟に操縦桿を切り返し、降り注ぐ弾丸の雨を回避。敵が使うのは一二.七ミリ弾。防弾性に難のある飛鷹では、かすっただけでも致命傷になりかねない。
一拍遅れ、至近距離を一機のエセックス―さっきの一撃を放ってきた奴だ―が
コテツはチラリと背後に視線を向けた。後ろについていた敵機の姿はない。どうやら、うまく振り切ったようだ。いや、この場合はコテツが相手の罠に誘い込まれた、と言った方が正しいか。
アウム軍はムリな深追いは絶対にしない。複数の戦闘機でチームを組み、
基本、空中では速力を犠牲に高度を得、高度を犠牲に速力を得る。速力と高度は反比例の関係にあるため、急降下急上昇を繰り返している限り、空戦エネルギーはほとんど消耗することがない。が、同高度で旋回を続けていれば、どんどん減速してしまい、やがては
そうやって、ネコがネズミをいたぶるように、集団で囲んで嬲るのが奴らの手口なのだ。
「くそっ! たまには正々堂々
吐き捨てるコテツ。が、戦争に正々堂々も卑怯卑劣もない。最低限の交戦規定と言うモノはあるが、それさえ守れば何をやろうと最終的に生き残った者が勝者なのだ。単純が故に残酷なルール。それに支配された冷たい世界。それがコテツが身を置く戦場だ。
コテツは強引に機体を捻り、先に急降下したエセックスを追う。が、敵の僚機がコテツに向けて、再度銃撃を浴びせる。コテツは機体をロールさせ、間一髪でこの一撃も避けた。
考えての行動ではない。条件反射の回避運動。無意識の内に手足が機体を動かすのだ。
コテツは齢十八。初飛行、そして初陣が十六の時だから、約二年、飛行機を駆っていることになる。年は若いが、ベテランと言い切っていいだろう。なぜなら、今次大戦において、二年間もの間生き延びたパイロットは―少なくとも彼が所属するネイヴ軍では―ごく少数だからだ。
飛んできた時間そのモノが、彼が優秀なパイロットであることを何より雄弁に物語っている。そして、彼は飛ぶたびに、無数の銃弾、数多の殺気に晒されてきた。戦場の空気に触れるたび、彼の感覚は鋭敏化されていき……自らに向けられる殺意に身体が無条件で反応するまでに至った。時として第六感とも言われるそれは、生まれた時に天から授かった才能ではなく、戦うことで、そして生き延びることで勝ち取った
「……吠え面かかせてやっからな」
後ろに回った敵機を睨みつけ、コテツが唸る。背後からの銃撃を
旋回力では小型軽量の飛鷹に分があるが、縦方向の機動で言えば、エンジン出力に余裕があるエセックスの方が上だ。言ってみれば、宙返りはエセックスの独壇場。コテツは自分から死地に足を踏み入れたことになる。
だが、コテツの口元が笑みの形に歪んだ。自らの勝利を確信した会心の笑みだ。
やや左に傾いた軌道を描く飛鷹。吸い込まれるようにエセックスが続く。宙返りの頂点に達したところで、飛鷹は半横転を打った。コテツは首を捻り、背後の敵機の様子を伺う。
エセックスが飛鷹の真後ろに回り込む。必中の間合い、必殺の距離。どう転んでも外しようのない、絶好の射撃位置だ。
敵の機関銃が火を噴く寸前、コテツは踏み込んでいた左のフットペダルを緩め、右のフットペダルを蹴り込む。続けて、流れるような淀みない動きで操縦桿を右に入れる。
パイロットの意思を正確に汲んだ機体がふわりと舞い上がり、背面飛行のまま横滑りを始めた。浮遊感が全身を包み込む。
左捻り込み。
宙返りの頂点で、文字通り機体を強引に捻り込むことで背後から来た敵を追い越させる逆転技。だが、わずかでも操作、タイミングを誤れば、たちまち失速を起こして墜落、あるいはムリな機動の代償として空中分解を引き起こしてしまう最高難度の空戦機動だ。
飛鷹のような機動性の高い機体、流れる風をも読む繊細な感覚、翼を手足のように操る正確無比な操縦技術。その三位一体が成し得る、コテツの切り札にして空戦起動の最高峰。
狙い通り、背後のエセックスが飛鷹を追い越していく。
宙返りと言う高Gに晒される状況では、パイロットの視界は狭まり、判断力は鈍る。その
コテツは
タタタタタっ!
小気味良い音がして、機首の機関銃が火を噴く。
カカカカカカンっ!
弾丸は狙い違わずエセックスに命中。主翼の付け根に着弾の火花が飛び散る。
エセックスの機体が驚いたように左右にブレる。だが、それだけだ。翼がもげることもなければ、エンジンが火を噴くこともない。
逆にコテツは上方後位から狙い撃たれた。これも咄嗟に垂直旋回で回避するが、引き換えに目の前の敵機を見逃さざるを得ない。
「くっそっ! やっぱ七.七ミリじゃ通用しねぇかっ!」
呻きつつ、コテツは恨めしげに愛機の翼、そこに備え付けられた砲身を睨みつけた。
二〇ミリ機関砲。飛鷹に装備された最大威力を誇る武器である。
が、既に弾がない。それも無理はない。
コテツはこの空で、既に五機以上のエセックスを叩き落としていた。この二〇ミリ機関砲を使って。
戦闘機乗りは敵の戦闘機を五機撃墜すれば、エースの称号を授かることができる。その五機をたった一回の戦闘で墜としたとなれば、どれほどの激戦であったことか。弾切れが起きたところで不思議はない。そうでなくとも、小型である飛鷹は装弾数が少ない。それが大型弾である二〇ミリ弾ともなれば尚更だ。
そもそも、二〇ミリ弾は本来、対戦闘機用に搭載された装備ではない。もっと大型の重攻撃機や対地対艦用の装備なのだ。だが、アウム軍の戦闘機が重装甲化していった結果、七.七ミリ弾では通用しなくなり、対空戦闘でも二○ミリ弾が主力となっていた。
「だからさっさと七.七ミリなんて下ろして二〇ミリ余分に積めばよかったんだよっ!」
思わず毒づくが、もともと七.七ミリ機関銃を搭載する前提で設計された機首のスペースに、さらに大型の二〇ミリ機関砲を積める道理などない。
もちろん、ネイヴ軍上層部もバカではない。飛鷹がアウム軍にいい加減通用しなくなってきていることは分かっている。
故に後発の
だが、海洋国家であり、良質な鉱脈が少ないネイヴ皇国は、大陸国家であるアウム連邦に比べ、相対的に工業力で劣る。その工業力の差は新鋭機量産の遅れと言う形で表れていた。むしろ、量産が遅れているからこそ、高性能機で数の差をカバーしようと、次々と新鋭機の開発に着手している側面もあるのだが……本当に新鋭機を必要とする前線に機体が回ってこないのでは意味が無い。
コテツは小回りの利く機体特性を活かし、弾幕を掻い潜る。が、追い立てる敵機の数は時間の経過と共に増えていくばかり。苦し紛れに左右に視線を走らすが、僚機の姿は見当たらない。
機体性能、物量、組織連携力、全てにおいてネイヴ軍はアウム軍を下回る。さらに度重なる消耗戦によって、コテツのような優秀なパイロットは力尽き、次々と墜とされているのが現状だ。
もともと、ネイヴ軍は物量では不利と言うこともあり、個々のパイロットの技量、機体性能に頼るきらいがあり、結果として、パイロット個人に最低限の練度さえあれば組織力でカバーできるアウム軍とは総合的な戦力差が大きく開いてしまっている。
ここ最近では連戦連敗、ジリジリと戦線はネイヴ側の領空を侵食しつつある。
(……このままじゃジリ貧だな……)
刹那、火線が飛鷹の胴体をかすめた。直撃ではない。ほんの少し、胴体をかすった程度。だが、それだけで飛鷹のエンジンは火を噴き始め、たちまち機体は制御不能に陥る。
「ヤベっ!」
コテツは咄嗟に機体を上下反転させ、風防を開いて宙空にその身を投げた。
次の瞬間、無数の銃弾が飛鷹の機体を貫く。
「くっそ、覚えてろよ……」
コテツは重力に囚われながらも、大空を我がモノであるかのように悠々と舞い、愛機を蹂躙し続ける敵の姿を目に焼き付ける。
悔しさと憤怒を振り切るように、弄ばれる愛機から視線を切ると、コテツは背負った落下傘を開く。
バスンっ!
身体が上に引っ張られるような感覚。続いて、ふわふわと漂う頼りない浮遊感に包まれる。コテツは身体を左右に揺すって落下軌道を微調整。
陸上戦では撃墜されても落下傘降下で助かるケースはそれなりにあるが……下は海。洋上戦ともなると、生存率はぐっと減る。
仮に着地―この場合は着水と言うのが正しいが―に成功しても、そこで溺れ死ぬパイロットは相当数に上る。言ってみれば、船が沈没し、身一つで漂流するのと変わらないのだ。これで生存率が高いはずがない。
コテツは上空から洋上の様子を観察する。幸い、戦場が群島の上だったので、うまく落下軌道を制御すれば、どこかの島に着陸できるだろう。海に落ちたとしても、島が近ければ泳いで上陸することもできるはずだ。
コテツは全神経を研ぎ澄まし、思考回路をフル回転させる。
生き延びる、ただそのために。
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