第5話 航空支配戦闘機
蒼天を切り裂き、島風が駆ける。コテツはコックピットで三六○度全天周に警戒の目を走らせていた。
相手の正確な戦力までは分からないが……彼我戦力差に絶望的な開きがあることぐらいなら分かる。
何せ、こっちは単座戦闘機がたった一機。敵の戦力は絨毯爆撃を仕掛けてくることから考えるにサイレンスをはじめとする戦略級重攻撃機が複数、機動性の低い重攻撃機が単独で前線を飛ぶことはまず無いことも考えると、一機につき護衛の戦闘機を最低二機は連れているのが妥当と考えるべきだ。
それだけの戦力差がある相手に真っ正面から殴り合っても勝ち目はない。やるなら……奇襲。先にこちらが敵を発見し、有利な位置に回り込んで一撃で仕留める。
と、コテツのうなじをピリピリとした感覚が襲う。久しく忘れていた戦場独特の感覚。即ち、殺気。
条件反射でコテツは殺気のする方へ視線を走らせた。陽光を照り返す光点が二つ、真っ直ぐこちらに向かってくる。
「見つかったっ!?」
先にこちらが敵を見つけ、有利な位置に回り込んで奇襲を仕掛ける作戦がいきなり頓挫した。もともと作戦と呼べるほど高度な戦術であったかどうかはさておき、奇襲を仕掛けられないとなると残された手段は真っ正面からの殴り合いしかない。最終的な作戦目的が島の防衛であるコテツには、逃げるどころか一旦退いて体勢を立て直すことすら許されない。
穏やかな天候であるが故、陸上機である島風が洋上からの離水、などと言う離れ業をやってのけることができたわけだが……こうも晴れていては身を隠す雲もない。振り切るにしても二機の敵機を相手に振り切ることができるとは、到底思えない。
ネイヴ軍は洋上作戦が多いため、ほぼ全ての航空機がアウム側より航続距離が長い。さらに島風はその機体構成上、機首周りのスペースが大きいため―エンジンを胴体後部に搭載しているため、通常の単座戦闘機であればエンジンを搭載するスペースがまるまる空いているのだ―三〇ミリと言う大口径弾を使いながらも破格の弾薬搭載量を誇る。このため、既存のどの戦闘機よりも継戦能力は高い。
が、それでも無限に戦えるわけではない。補給が望めない状況では、燃料も弾薬も極力節約する必要がある。できれば、護衛戦闘機など相手にせず、一気にサイレンスに肉薄したかったのだが……、
「やるしかねぇかっ!」
迷いは隙となり、隙は命取りとなる。即断即決は空戦における鉄則。
コテツは操縦桿を翻し、機体をロールさせる。
と、
「おわっ!?」
思ったより機体が過敏に反応。機体のバランスが大きく崩れた。何とか立て直し、失速を免れるが、大きな隙ができる。その隙を逃さず、敵機が背後に付く。
「くそっ!」
コテツは咄嗟に操縦桿を切り返す。島風はその動きに俊敏に反応、機体をロールさせ側方回避。火線の束がその脇を通り過ぎ、洋上へ消えていく。
が、再び島風がバランスを崩した。
「言うことを聞けよっ! この野郎っ!」
俊敏であるが、その反動のようにあまりにも反応が過激すぎる。風の翼の丘で見せたような、単独でのアクロバット機動ならともかく、相手の弾丸を回避し、背後を奪い合う空中格闘戦においては、あまりに過激すぎる機体特性はデメリットになってしまう。
コテツは強引に機体を捻り、背面逆落としで敵機を振り切ろうと試みる。
が、敵機は想像以上に俊敏な動きで島風同様、背面逆落としの体勢で追いかけてきた。
妙だ。
エセックスにあんな俊敏な機動ができるわけがない。機動性と引換に高い火力と分厚い防御力を手に入れた機体なのだから。
コテツは首を捻って背後から追いすがる機影を見やる。見慣れたアウムの機体に比べ、幾分ほっそりしたシルエットに、コテツは眉をひそめた。
その機影から再度火線が伸びる。
コテツは絶妙のタイミングでフットペダルを踏み込み、島風が降下しながら横滑りを始める。火線の束がその傍らを通過し、敵の機体も続く。
コテツは追い越していった敵の機体を見やり、
「……まさか、タイコンデロガかっ!?」
思わず悲鳴を上げた。
タイコンデロガ。
エセックスの後継機種であるが、その特徴を端的に言い表せば、エセックスの重装甲、上昇力、最高速度を維持したまま、飛鷹と互角以上の運動性を手にした戦闘機だ。そのあまりの高性能っぷりは現代航空技術の集大成とも言われ、
だが、今の動きを見る限り、少なくとも機動性に関しては評判通りと見て間違いない。装甲の方もエセックスと同等以上と見るのが妥当だろう―そもそも、アウムは航空戦において、重装甲と高いエンジン出力を持つエセックスで成功を収めているのだ。成功しているのに、わざわざ戦闘機開発の方向性を変える理由がない。
コテツは操縦桿を翻し、傍らを抜けた敵機を追おうとする。が、その鼻先を狙ったようなタイミングで火線がかすめて行く。もう一機からの追撃だ。
アウムの基本航空戦術の一つ、
「くっ!?」
コテツの鋭敏な感覚、卓越した操縦技術はこの一撃をも回避してみせるが、咄嗟に無理な機動を強いたため、島風は再びバランスを崩した。
間髪入れず、下に回った機体が機首を引き上げ急上昇。よろける島風を照準に捉えた。
一二.七ミリ弾が眼前に迫る。コテツは強引に機体をロールさせ、これも回避。が、度重なる無茶な機動に島風は耐えきれず、失速。錐揉み状態で真っ逆さまに墜ちていく。
アウムの二機は、着弾したと勘違いしたか、それとも追わずとも決着がついたと判断したか、追撃することもなく上空をゆっくり旋回し始めた。
だが、今のコテツに敵機の動きを気にする余裕など微塵もない。
視界が凄まじい勢いで回転する。海面がみるみるうちに近づいてくる。上下左右から襲いかかるGに翻弄され、もはや天地の区別もつかない。いわゆる
この状態に陥ってしまうと、ベテランパイロットであっても体勢を立て直すことは至難。足場と言う拠り所のない空では、天地の感覚と言うのは唯一絶対の基準だ。その基準を失ってしまえば、パイロットはどちらに向かって飛べば良いのか分からなくなってしまう。空間失調症に陥ったパイロットが天地を逆に認識し、上昇しているつもりで動力降下を掛け、墜落死することはけっして珍しくはないのだ。
空間失調症に陥ったら自身の感覚を一切信用せず、ただ計器だけを信じろ。これは古今東西を問わず、パイロットにとっての鉄則だ。
だが、今、コテツの目に映るコックピットの計器は狂ったように激しく回転していた。夜間飛行や雲中飛行など、視界を失うことにより空間失調症に陥るケースとは違い、
とにかく錐揉み状態から脱しないと、コテツの感覚も計器の作動も正常には戻り得ない。何とか機体を立て直そうと操縦桿を倒し、フットペダルを踏み込む。が、あるべき手応えが無い。翼から空気が剥離してしまっているためだ。航空機は機体の周囲の気流を制御することで揚力を得、姿勢を制御する。気流とは即ち空気の流れだ。つまり、翼から空気が剥離してしまった失速状態に陥ると、機体に掛かる力はたった一つ―重力のみとなり……そのまま墜落するしかない。
激しく回転する視界の中、海の碧だけは壁のように視界一杯に広がっている。高度計は狂ったように滅茶苦茶に周り、相変わらず役に立たない。が、仮に正常に作動していたら、猛烈な勢いでその指し示す高度を減じていたことだろう。そんな計器を目の当たりにすれば、ヘタしたら墜落の恐怖でパニックに陥っていたかもしれない。その意味では、計器が正常に作動し得ない現状は、コテツにとっては不幸中の幸い、と言えなくもない。もっとも、敵機の動きに意識を向ける余裕すらないのに、そんな幸せを噛みしめる余裕などコテツにあるわけもないのだが。
どうあっても機体を立て直せない。もはや万策尽きた。操縦桿を握る手から、フットペダルを踏み締める足から力が抜ける。
「何だ、ありゃ?」
愛機であるタイコンデロガのコックピットから墜ちていく島風を見やりつつ、アンドリューは思わず呟いた。
上からの命令で、相棒のジョーンズと共に偵察に出て半時。会敵できたのはよいが、現れたのはまるで前後を逆さまにしたかのような、珍妙な単発航空機。主翼にはネイヴ軍を表す大きな真紅の円が描かれているため、ネイヴの軍用機であることは間違いない。が、まともに飛ぶこともできないのか、少しゆさぶりを掛けただけで簡単にバランスを崩してしまうような有様だ。その様はまるで、
「酔っ払いの千鳥足だな」
思わずそう口走ってしまうほど、その航空機の機動性はひどいモノだった。機種に砲口らしきモノが確認できたことから、恐らくは戦闘機ではあるのだろうが……見た目のインパクトはともかく、まともに機動飛行もできない戦闘機を造ってどうしようと言うのか。
そのような航空機しか宛がわれないネイヴのパイロットに、多少の哀れみを感じないでもない。だが、
「哀しいが、これも戦争だ」
そう割り切り、アンドリューは錐もみ回転しながら墜ちていくネイヴの新型機を見送った。
風がうなじをなでる。
と、唐突に視界が開けた。ハルナはずっと目を閉じて祈りを捧げているにも関わらず。
開けた視界の先は雲一つ無い蒼天。その蒼い世界の中を銀のきらめきが駆け抜けて行く。遠く小さく、光の点に過ぎないそれが、コテツの乗った島風だとハルナは直感的に悟る。
上から別の光点が降りてきた。やはり遠くて分かりにくいが、その光は島風と比較してやや大きい。何より、島風に対して強烈な敵意を発していることが、傍観者に過ぎないハルナにもはっきりと分かる。
胸の前で合わせられていたハルナの両手にぎゅっと力がこもる。と、込められた力に比例するかのように、視界がどんどん拡大される。
程なく、はっきりと輪郭が分かるほどに視界が近付いた。
やはり小さな銀光は島風。あの特徴的な、前後を逆さまにしたかのようなフォルムは見間違えようが無い。もう一機は形を見ても、ハルナにはよく分からない。島風と違って比較的オーソドックスな形状の単発航空機。サイズは島風より一回り大きく、全体的にスマートな印象を与える機体だ。兵器と言う単語から連想される武骨なイメージはあまり無い。この禍々しい敵意さえなければ、ハルナはこの機体を戦闘機だとは思わなかったかもしれない。
島風が後から現れた大型戦闘機から逃れようと、翼を傾ける。が、その姿がぐらりと揺れた。何とか踏ん張って体勢を立て直すが、何ともその動きはぎこちない。その隙を突き、大型戦闘機が背後を取る。
撃たれるっ!
ハルナが思った、まさにそのタイミングで大型戦闘機が翼に装備した機関銃を一斉に撃ち放つ。
島風は絶妙のタイミングで翼を翻し、何とかこの一撃をやり過ごす。が、やはりその動きは俊敏とは程遠い。
島風は機体を上下反転させ、背面逆落としで敵の鋭い爪から逃れようと試みる。大型戦闘機もまた、模倣したかのように全く同じ動きで島風を追う。その動きには、微塵も乱れは無い。
追いかけつつ、後方上位から大型戦闘機が火線を浴びせかける。島風は後ろに目が着いているかのような見事な機動で機体を横滑りさせ、この追撃を回避。大型戦闘機は構わず島風の傍らを加速しつつ通過する。
島風はチャンスとばかりに機体を捻って反撃に入ろうとするが、その出鼻を挫くように、火線が鼻先を掠める。
ハルナはハッとして上を見た。いつの間にか、大型戦闘機がもう一機、島風に肉薄している。
その様は、飛ぶことを覚えたばかりの幼い雛鳥を、二羽の猛禽が嬲っているようにも見えた。
トドメとばかりに下に抜けた機体が反転上昇、追い討ちを掛ける。死に体となりながらも、島風は機体を横転させ、何とかこれもかわしてみせる。
が、さすがにこれは限界を超えたのか、島風の横転は止まらず、それどころか加速して、錐揉み状態で墜ちて行く。
瞼の裏に描かれた蒼天の中、紺碧の海に目掛け、島風が一直線に墜ちて行く。
ハルナは閉じていた瞳を開いて思わず叫ぶ。
「コテツっ!!」
「ハルナっ!?」
天地の感覚を失い、四方八方から凄まじいGが押し寄せ、海面が刻一刻と迫る四面楚歌の中、ハルナの声が聞こえた気がした。コテツは思わず、少女の名を口にする。
刹那、
ゴウっ!
旋風が島風の機体を揺らす。
クンっ!
操縦桿に手応えが戻る。フットペダルもだ。反射的にコテツは機体を制御、島風の錐揉み回転が収まる。だが、海面はもはや目と鼻の先。コテツに残され時間は恐らくあと数秒。
「十分だ」
コテツの口元に不敵な笑みが浮かぶ。
翼が風を取り戻したのなら、いくらでも機体を立て直せる。立て直してみせる。
機体が海面に叩きつけられるまさにその直前、島風の機首が持ち上がり、落下姿勢から水平飛行へと移行。島風は風圧で
コテツは高度を維持したまま、視線を後方上位―二機の敵機へ飛ばす。島風が何とか体勢を立て直したことに気づいたのか、大きく旋回するとこちらに向かって急降下をしかけてきた。
が、今まで完璧を誇っていたその連携にわずかな乱れが見て取れる。あの死に体から復活した島風に驚愕し、動揺しているのだろう。
それもムリはない。何せ、機体を立て直した本人であるコテツ自身が信じられないのだから。
あの旋風が吹いた瞬間、失速していたはずの島風が風を取り戻した。
そうとしか思えない。
が、それだけで錐揉み状態に陥っていた機体が体勢を立て直せるとは思えないし、コテツが空間失調症から回復できたことの説明もつかない。
言うなれば、これは奇跡。風の翼が実在するなら、その加護と言うしか無い。
あるいは……、
(ハルナのおかげかもな)
物理的にはあり得ない。論理的に考えるなら全く以って論外。
だが、それが一番正解に近いのではないか。素直にコテツはそう思う。そう思える。
コテツは己に追い縋る二機を睨みつける。あの二機が襲来してきた方向に敵の本隊―サイレンスによる空爆部隊がいるのは間違いない。
弾薬に限りがあることを考えると、極力消耗戦は避けたい―コテツの作戦目的はサイレンス編隊の殲滅。一機墜とすのも至難の空中戦艦を相手にするからには、一発たりとも弾はムダにはできない。
不知火を使えば機速で一気に振り切り、迂回することも可能だろうが……あれはエンジンに負担が掛かる上に、極端に燃料を食う。そうそう乱発するわけにも行かない。限りがあるのは弾だけではないのだ。
何より迂回して余計な時間を掛けてしまえば、島への爆撃を阻止できなくなる可能性もある。
未だ、コテツは敵の本隊の姿を捉えておらず、その位置を知らせてくれる味方の存在もない。逆に言えば、恐らくは敵の斥候であろうこの二機が、本隊のいる方向を教えてくれている今が唯一無二、千載一遇のチャンスでもあるのだ。
慣れない、しかも過激な運動特性を持つこの機体で二機のタイコンデロガとやりあえるとは、到底思えない。
が、できないから撤退、と言う選択肢はコテツには無い。もともとが作戦と言うのもおこがましい、ムチャな話なのだ。今更、無理無謀の一つや二つ、増えたところで大した話でもない。
コテツは覚悟を決めると、操縦桿を握り直す。さっきまで、あまりに鋭い機体特性に違和感すら感じていた手のひらの感触が、不思議なほどしっくり来た。不自然さなど微塵も感じさせないほどに。
「立て直した、だとっ!?」
錐もみ状態から脱した島風を目の当たりにし、アンドリューは思わず目を剥いた。そもそも、島風はアンドリュー自身が撃った弾丸を食らって墜落した、と思っていたのだ。必殺必中のタイミングで引き金を引いた自信もあった。それが回避されていただけでも驚きなのに、あんな千鳥足の機体が、あの錐もみ状態から回復するなど、信じられない。奇跡そのモノだ。自分は何か悪い夢でも見ているのではないか、そんな気すらしてくる。
『落ち着け、アンドリューっ!』
無線から相棒のジョーンズの声が飛び込んできた。その声はセリフとは裏腹に多分の動揺を含んでいたが。
『奴は海面スレスレだ。機位はこちらの方が有利なんだっ!
上から叩けば余裕で墜とせるっ!』
そうだ。ジョーンズの言う通りだ。奴には奇跡が起きたかもしれない。だが、状況は何一つ変わらない。奴はふらふらの千鳥足の単機、おまけに海面スレスレ、高度ゼロに近い状態。こちらは二機でどちらも優位な高度を維持している。この状態で逆転など起こりようもない。仮に起こるとしたら、それこそ奇跡。だが、奇跡と言うのは万に一つに起きるから奇跡、と言うのだ。奴には既に奇跡は訪れた。二度目はない。
「よし、オレが先行するっ!
無線に向けて怒鳴り返し、アンドリューは機体を翻した。
波を風圧で掻き分け、島風が疾る。一つ操縦を誤れば海面に機首から突っ込む、あるいは波に翼を取られて縦回転しかねないほどの低空飛行。
ネイヴのパイロット、特に雷撃を担当する攻撃機のパイロットは水面ギリギリの低空飛行を敢行するが―雷撃に用いる魚雷の命中率を引き上げるには低空からの投下が必須であること、さらには短い間であるとは言え、母機は目標に対して直進軌道を取る必要があり、敵艦からの対空砲火を避けるために高度を下げる必要があるためだ―ここまで低空ギリギリを飛ぶパイロットはまずいない。攻撃機に比べ、単座戦闘機が機動性に優れていることを差し引いても、よく言えば神業、端的に言ってしまえば狂気の沙汰だ。
タタタタタタっ!
軽快な銃撃音と共に、火線が背後から迫り来る。コテツは咄嗟にフットペダルを蹴り飛ばす。島風はコテツの操縦に応え、水面ギリギリで俊敏に横滑りしてみせた。コテツはその島風の動きに思わず笑みを浮かべる。
何度か回避運動を繰り返している内に、島風の特性をだいぶ掴めてきた。
安定感とは無縁、あっという間にバランスを崩す危険性も孕んでいる翼だが、そのアンバランスな不安定さは鋭い機動性と表裏一体。
不安定さを厭うのではなく受け入れ、活かすことができれば飛鷹とは比べモノにならないほどの運動性を発揮する。ひょっとしたら、ネイヴ軍においてもっとも巴戦に強いとされる最新機の電、翔鶴、瑞鶴辺りと比較しても上かもしれない。
タタタタタタっ!
再び火線が放たれる。コテツもまた、再びフットペダルを蹴り込んだ。ただし、先ほどよりわずかに浅く、だ。
島風はその踏み込みに反応し、わずかに機体を横滑りさせる。かすめるような至近距離を弾丸が通過。
俊敏な応答性、ミリ単位の正確無比な操縦性が織り成す紙一重の回避運動。
まさに狙い通り。イメージと寸分も違わない。
(これなら行ける)
確信を胸に秘め、コテツは首を捻って背後を見やる。
巴戦を重視するネイヴの機体は、例外なく涙滴型の風防を採用している。視界、特に後方の視界を確保しやすいからだ。
早期発見、先制攻撃、一撃必殺を実践するなら、視界の確保は欠かせない。特に巴戦では相手の後方上位に陣取ることは絶対的優位を意味する。故に、後方視界を確保し、相手に優位なポジションを占位されないことをネイヴでは何より重要視している。そのための涙滴型風防だ。
一機のタイコンデロガがぴったりとついて来る。さっきから断続的に銃撃を放っているのはこの機体だ。さすがに島風と同じ高度までは降りてきてはいないモノの、その低空飛行は十分賞賛に値するレベル。さらに後方にはもう一機のタイコンデロガが、二機の空中格闘戦を上から俯瞰していた。文字通り、高みの見物と言う奴だ。
だが、別にそのタイコンデロガが遊んでいる、と言うわけではない。背後からの追撃に音を上げて、島風が上昇に転じるのを待ち構えているのだ。
上昇する瞬間は重力に逆らって機体を持ち上げることに推力が使われ、その分速力は落ちる。また、機体の中でも、もっとも大きな投影面積を誇り、何も反撃手段を持たない上面を相手に晒すことになる。敵機からしてみたら絶好の的、必殺の機会だ。
だが、このまま海面にへばりついていても、いずれは背後からの銃撃に捉えられる。もともと航空機が優れた運動性を発揮するのは、大空と言う三次元空間を縦横無尽に飛び交うことができるからだ。だが、上昇すればその瞬間を狙い撃たれ、下降すれば海面に叩きつけられるこの状況では、二次元的な動きしかできない。これでは、航空機本来の機動性は半減だ。
以心伝心、一糸乱れぬ見事な連携。先に見せた動揺など微塵も感じられない。この二機は間違いなく手練れだ。さすが、アウムでも最新機であるタイコンデロガを与えられているだけのことはある。
「って、感心してる場合じゃねぇか」
追われるコテツは思わず苦笑した。それは手練れの二機―しかも機体は当代最強と名高い航空支配戦闘機、タイコンデロガだ―に追い回されてなお、冷静に状況を分析し、笑みさえ浮かべる余裕がある、と言うことだ。
コテツは背後のタイコンデロガの気配に意識を集中、その動きに呼吸を合わせる。
敵機はジリジリと間合いを詰め、その首尾線の延長上に、照準の中に島風を捉えようとする。
敵のパイロットの呼吸と、コテツの意識が重なる。
三、二、一……っ!
タイコンデロガのパイロット―アンドリューが引き金を引くのと、コテツが操縦桿を押し込むのがほぼ同時。
島風は一度機首を下げ、限界ギリギリの高度をさらに下げる。ぐっと海面が近づく。直上を弾丸がかすめた。曳光弾の輝きがコックッピットの中を照らし出すほどの至近距離。
海面が迫る。機首が波しぶきをかぶる。瞬間、島風が機首を引き上げ、高度を上げる。島風の優れた運動性、そしてコテツの正確無比な操縦技術があって、初めて可能なギリギリの空戦機動。
だが、そのタイミングを見計らったかのように、もう一機のタイコンデロガ―ジョーンズ機が急襲。無防備になった島風の上面へ、
「もらったっ!」
一二.七ミリ弾を叩き込むっ!
頭上に迫り来るタイコンデロガの姿が見える。その主翼に搭載された八門の機関銃から一斉に弾丸が放たれる。コテツは操縦桿を捻り込むように倒す。
上昇軌道を描いていた機体は左へロール。ひらひらと舞うように回り、間一髪で迫り来る火線をかわす。
間髪入れず、コテツはスロットレバーを最大出力まで一気に押し込んだ。
キィィィィィィィィィィンっ!
エンジンが唸りを上げ、機体を押し上げる。コテツは首を捻って背後を見やる。ジョーンズ機が負けじと島風に追いすがってきていた。不安定な機体姿勢から無理矢理上昇に転じた島風と違い、急降下で得た機速を上昇力に転換したジョーンズ機は、ぐんぐん追いすがってくる。
「ついてこいよ、この野郎っ!」
コテツはそのまま、機首を引き上げ、宙返りの機動に入った。ジョーンズ機もまた、遅れずついて来る。
「もらったっ!」
ジョーンズは思わず喝采を上げる。
先ほどの一撃を回避されたのは心底驚いたが、完全に後ろに付いた。苦し紛れに宙返りの姿勢に入ったモノの、あんな不利な体勢から上昇機動に入れば、大きく速力は食われる。そうでなくとも、ネイヴ機は相対的にアウム機に比べ、エンジン出力、つまり上昇力で劣る。今もまた、ジョーンズの機体は前を行く島風にぐんぐん追いつき、もうすぐ必中の間合いに入りそうだ。
「今度は外さねぇぜ……」
乾いた唇を舌で湿らせ、ジョーンズは慎重に操縦桿を操作。前を行く島風に照準を合わせようとする。
と、宙返りの頂点で島風が半横転を打った。恐らく機速が上がりきってない状態で無理矢理宙返りに入ったため、勢いが足りずにバランスを崩したのだろう。その隙を逃さず、ジョーンズは島風を照星に捉えた。
さっきはかわされたが、今度はそうはいかない。慎重にジョーンズの指先が引き金に触れる。まさに、その引き金を引こうとした刹那、照準の中から島風が掻き消えた。
宙返りの頂点で島風が半横転を打つ。敵機は好機とばかりに一気に間合いを詰め、必殺の間合いから弾丸を浴びせようと迫る。
思惑通りの敵の動きに、コテツは己の勝利を確信する。強引に機首を引き上げ、フットペダルを蹴りつけた。島風がふわりと浮き上がり、その機体がぐるりと捻り込まれる。
左捻り込み。
飛鷹でも見せたコテツの切り札。だが、飛鷹の時よりも、はるかにその動きは鋭く、そして優美。
流れるように島風がタイコンデロガの後方に回り込む。その後姿を照準に捉える。コテツが引き金を引いた。
ブォォォォォォォォォォォっ!
重々しい唸りを上げ、機首の三〇ミリ四連機関砲が火を噴いた。弾丸は狙い違わずタイコンデロガの右主翼の根本を捉える。
バキバキバキィっ!
凄まじい音と共に、タイコンデロガの翼が切り裂かれた。そのまま揚力を失い、タイコンデロガが錐揉み状態で墜ちていく。
あまりの威力に、思わずコテツは呆然とする。ひょっとしたら、タイコンデロガは機動性を上げるために、装甲を薄くしているのではないか、そんな疑いすら抱いた。
実際のところ、タイコンデロガの装甲はエセックスとほぼ同等。
エセックスのような重戦闘機による一撃離脱戦法、二機一組を基本とした組織戦を戦闘教義とするアウムが、わざわざ自分達で創りあげた戦闘教義を無視するような機体を造るはずがない。いかに優れた性能を誇る戦闘機でも、それが戦闘教義に合わないのであれば意味が無い。
タイコンデロガがコテツの予想を超えてあっさりと破壊されたのは、単に島風の砲火の威力が凄まじいからだ。三〇ミリ機関砲を四門、と言う既存の戦闘機からは考えられないほどの重装備。そんなモノに直撃されたら、いかに防弾性能に優れたアウム機でも、ひとたまりも無い。
コテツは我に返ると、もう一機のタイコンデロガを探す。
相手の装甲が薄いとか、島風の火力が高いとか、今はそんなことどうだっていい。島風の攻撃力は、タイコンデロガを一撃で粉砕できる、その事実が分かっていれば十分だ。
そのもう一機のタイコンデロガ―アンドリュー機は、低空から上昇旋回しつつ、島風の方へと向かってきていた。
「ジョーンズっ!?」
散って逝った相棒の名を叫ぶ。
わけがわからない。
確かにジョーンズは、敵の新型の背後を取っていた。あの新型、やはり機動性に難があるのか、パイロットがヘボなのか、宙返りですらまともにできずに、途中で半横転を打ちやがった。その瞬間にジョーンズは完全に新型を捉えていたはずだ。だが、新型はその瞬間、ふわり、と舞い上がり機体がぐるり、と捻り込まれた。あんな動きをする航空機、見たことがない。
実際のところ、左捻り込みを繰り出せるパイロットはコテツ以外にもいるにはいる。が、その絶対数は少なく、ネイヴの古参パイロットに限られる。しかも、繰り出されたパイロットは大抵の場合は確実に仕留められるため、その存在が公にされることはなかった。せいぜい戦場にありがちな噂話の一つ、として片づけられていたのだ。アンドリューも聞いたことぐらいはあったが、あまりにも珍妙な話だったので、信憑性を全く感じなかった。だから、実際に目の当たりにしても、にわかには聞いた噂話と現実の機動が結びつかなかったのだ。
「くそっ!」
相棒の死を悼んでいる暇はない。千鳥足だと思っていた敵機はまるで魔法のような不可思議な機動でジョーンズを墜とした。油断したら今度はこっちが殺られる。
「ジョーンズ、仇は取ってやるからなっ!」
静かに闘志を燃やしつつ、だが、冷静さだけは失わずにアンドリューは島風に立ち向かう。
僚機をアクロバティックな空戦機動で墜とされて―しかも、重装甲であるはずのタイコンデロガがあっさりと、だ―なお動揺も見せずに島風に食らいついてくるのだから、やはりこのタイコンデロガに搭乗しているパイロット達のレベルは高い。技術面だけでなく、精神面においても、だ。
(骨の折れる相手だぜ、ったく)
コテツは操縦桿を捻り、機体をロールさせる。島風は半横転し、やや斜め気味の降下機動で相手の背後に回り込もうとする。
一対一の巴戦はネイヴの独壇場。開戦以来、悪化の一途を辿っているアウムとの
巴戦を制するには、旋回性の高い機体、そしてパイロットの高い技能が欠かせない。そしてネイヴ航空隊はこの二つの要素を兼ね備えていた。巴戦に特化した戦闘集団、と言っても過言ではない。
もともとアウム側が組織戦や高いエンジン出力を活かした一撃離脱戦法を選択したのは、巴戦ではネイヴにかなわないことによる苦肉の策と言う側面もある。ネイヴ機と巴戦に陥った場合と積乱雲に遭遇した場合に限り、任務の放棄を許可されているぐらいだ。
しかし、それはあくまでエセックスのような重装甲と引き換えに機動性を犠牲にした機体の話。少なくとも飛鷹と互角、いや、それ以上の機動性を持つタイコンデロガには当てはまらない。故に僚機を失い、ネイヴが得意とするはずの巴戦に持ち込まれてなお、戦場にとどまっているのだろう。
降下の勢いで機速を増しつつ、島風がタイコンデロガの背後へ迫る。後ろを取られることを嫌ったタイコンデロガが反転ロールで機体を切り返した。すかさずコテツも切り返し、後を追う。
タイコンデロガは左右に激しく機体を振って、何とか島風を振り切ろうと足掻く。が、島風はさらに鋭い切り返しでタイコンデロガを追い詰める。
二機の描く航跡が捻り合い、大空に
もっとも、アウム軍は己より高い機動性を誇る敵との空戦には慣れているはずだ。この状況は開戦以来、ほとんど変化が無い。機動性を重視し、巴戦に特化したネイヴ。重装甲、高出力エンジンを搭載し、一撃離脱戦法による組織戦を得意とするアウム。機体の性能は飛躍的に向上しているが、その特性は頑ななまでに変わらない。
そして、アウムの戦闘教義に従うならば、同高度における旋回戦などあり得ない。旋回戦となると、どうしても機動性に優れるネイヴ機が有利になるし、旋回を続ければ続けるほど、機速は落ちていく。同じ高度に留まったまま機速が落ちると言うことは、空戦エネルギーが純減している、と言うことだ。アウムでは空中格闘戦における空戦エネルギーの保持、有効活用を重要視している。そのための重戦闘機であり、急降下急上昇、一撃離脱戦法なのだ。
相手の土俵で徹底的に叩きのめし完勝する、と言った子供じみた発想など、己の命が掛かった戦場に持ち出す酔狂もあるまい。事実、アンドリューは本来、得手としている縦の機動を使わないのではなく
何より、相手には僚機を墜としたあの空戦機動―左捻り込みがある。一瞬のことだったので詳しい事は分からないが……それでも縦の機動から繰り出す技だと言うことぐらいは分かる。そして、ひとたびあの技が繰り出されれば、防ぐこともかわすことも恐らく不可能であることも。傍から見ても分析不可能な空戦機動なのだ。それを自身が仕掛けられ、どうにかできる道理など無い。
もっとも、先とは違い、今は多少なりとも高度がある。つまり、逃げ道は上だけではなく下にもある、と言うことだ。
「ちぃっ!」
アンドリューは切り返しの際、強引に機体を翻し、背面逆落としの体勢で急降下を掛ける。
急降下中の機速はゆうに時速七○○キロを超える。その速度域に入ると空気の抵抗密度は飛躍的に上がり……ほとんど壁のようになる。そして、ネイヴの機体は高い運動性、長い航続距離、そして優れた短距離離着陸性能を実現するために、比較的機体が軽い。裏を返せば機体が脆い、と言うことだ。アウムの頑丈な機体であればその速度にも難なく耐えられるが、ネイヴの機体では耐えることが出来ずに空中分解を起こしてしまう。事実、開戦当初、それを把握していなかったネイヴのパイロットが急降下を敢行し、機体が空中分解した実例もある。
巴戦に持ち込まれ、背後につかれたら急降下で振り切れ―これもまた、アウムの空戦セオリーとして採用されている戦法の一つだ。急降下急上昇を繰り返す一撃離脱戦法は、攻撃のためだけではない。防御にも有効な戦法なのだ。
頑強なはずのタイコンデロガの機体が強烈な空気抵抗でビリビリと震え、操縦桿に重い手ごたえが返ってくる。ガタガタと震える視界の中、アンドリューはちらりと速度計に視線を移す。その針はついに八〇〇キロを超えた。
(これなら……ついてこれまい)
仮に無理についてきたのなら……脆弱なネイヴの機体では、バラバラになっているはずだ。いずれにせよ、これで一息つける。そう思って背後に視線を向けた瞬間、アンドリューは思わず絶句した。
件のネイヴの機体はぴったりついてくる。それどころか、相対距離は目に見えて縮みつつあった。
「バカなっ!」
思わず叫ぶアンドリュー。舌をかまなかったのは彼にとって幸運としか言いようがない。それほど、タイコンデロガの機体は空気抵抗で激しく揺さぶられていた。
ちらりと愛機の主翼を見やるアンドリュー。その主翼の表面には、限界を示すようにはっきりと皺が寄っているのが見えた。これ以上速度を上げたら……空中分解を起こすのはアンドリュー機の方だ。
再び背後を見やる。もう相対距離はぶつかりそうなほどに縮まっていた。タイコンデロガの主翼と違い、島風のそれは一切の皺が寄っていない。
(一体、どうなってやがるっ!?)
頭が混乱する。ネイヴの戦闘機はついにアウムの機体を凌駕するほどの頑強さを手に入れたとでも言うのか。
「逃がすかっ!」
敵機に続き、背面逆落としの体勢に入るコテツ。そのまま急降下で敵機を追う。
高度計の数値はぐんぐん下がっていき、速度計の数値は反比例して上がっていく。時速六〇〇……六五〇……七〇〇……。だが、島風の翼はびくともしない。飛鷹であれば、時速六五〇キロを超えたところで、主翼には皺が寄り、機体がバラバラになりそうなほどの振動に襲われたであろうが。
実際のところ、頑強さと言う意味では島風は飛鷹とほとんど変わらない。では、なぜ島風は時速七〇〇キロを超えても空中分解しないのか。
その秘密は根元から先端に掛け、前方に向けて角度の付いた主翼形状―前進翼にある。この特殊な翼形状が高速域における主翼に掛かる空気抵抗を分散しているのだ。
もっとも、コテツは原理を完全に理解しているわけではない。己の感覚を頼りに、特性、限界を直感的に悟っているに過ぎない。一応、機体マニュアルにはその辺りの原理的なことも記述されてはいるのだが、そこまで読み込む時間はなかったのだ。読んだところで、恐らくコテツの頭では理解できなかっただろうが。
前を行くタイコンデロガがぐんぐん迫る。空気抵抗が小さい分、加速度は島風の方が上だ。速度計の針が八五〇キロを超えた。
(捉えたっ!)
敵影が照準にすっぽり収まる。驚きあわてふめく敵パイロットが背後を振り返った姿まで、はっきりと視認できる。その驚き顔に向けて、冷静にコテツは引き金を引いた。
ブォォっ!
短く太い咆哮が空気を震わせ、撃ち放たれた弾丸がタイコンデロガの尾部を引き裂く。機体を制御する術を失ったタイコンデロガは、錐揉み状態に陥り墜ちていく。
コテツは墜ちる敵機を一瞥すると、機体を翻して二機のタイコンデロガが来た方向―サイレンスの本隊がいるであろう方向へと島風を向かわせた。
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