最終話 蒼天の島風

 摘んできたばかりの花を少女は墓標の前に供える。墓標と言っても、そこらに転がっている石を適当に積み上げただけの簡素なシロモノだが。

 もっとも、彼女の住む南洋諸島では、しっかりした墓標を造る習慣はない。この墓が特別粗末、と言うわけではなく、これが普通なのだ。

 「……あんたが飛び立ってから、もう二年になるわね」

 少女は静かに墓標に話しかける。

 風が彼女の黒髪を梳る。顔に掛かった艶やかな黒髪を軽く掻き分け、

 「この二年の間に、あたしの髪、随分伸びたんだよ?」

 少女は淡く微笑んだ。

 かつては肩までだったその黒髪は、腰を全て覆い隠すほどまで伸びており、顔立ちからも幼さが少しだけ消え去っていた。代わりにどこか大人びた笑みが浮かんでいる。身体つきも少し女性らしさが増していた。

 その少女の変わりようが、わずかながらの大人への変化が、二年と言う月日を物語っていた。

 「やっと戦争は終わったんだって。結果は痛み分けって言っていいのかな?」

 実際のところ、彼女にも勝敗の行方はよく分かってはいない。国としてはネイヴに属する南洋諸島ではあるが、実質は資源を確保するために併合、あるいは植民地化された地域であり、南洋諸島の住民にネイヴ皇民である自覚は薄い。ネイヴの中心に存在するフソウ人とは、民族どころか人種からして違うこと、そして地理的にも皇都フソウから大きく離れていることが、戦争は単なる自然災害と同レベルの災厄と言う認識を生んでいた。彼女らにとってみれば、戦争とは巻き込まれた時点で敗北であり、生き延びることが勝利だ。

 結論から言うと、ネイヴとアウムは講話と言う形で戦争を終結させた。ややアウム側に有利な形で講話は結ばれたモノの、痛み分け、と言う表現はあながち間違っているわけでもない。

 何より、この戦争における経済、人的損害は両国とも多大なモノとなり、双方とも甚大な痛手を被った。その意味でも『勝者なき戦争』と言うのが正しいだろう。

 「勝敗はよく分かってないんだけど……あたし達の南洋の島はネイヴからもアウムからも独立して、一つの国になるんだって」

 どこか他人事のような口調で、少女。

 ネイヴ皇民である自覚の薄い南洋諸島の人々からしてみたら、今更国家として独立、と言われてもピンと来ないのだろう。ネイヴやアウムが制定した国際法上は、南洋諸島はネイヴ領、と言うことになっていたが、そこに住む人々からしてみたら、そんなことは知ったことではない。それでなくとも、海洋に浮かぶ島々に別れて住み、風の翼や海の神々を信仰する人々は、国家主義ナショナリズムと言う言葉からもっとも遠い人々でもある。終戦における南洋諸島のネイヴからの独立、と言うのも単にネイヴとアウムの国家間の外交材料の一つに過ぎない。

 敗戦濃厚だった戦況を何とか講話に持ち込めるまで立て直したネイヴであるが、アウムとの国力の差は歴然としており、南洋諸島の分離、独立と言うアウム側の条件を呑まざるを得なかったのである。また、アウムからしてみても、今回の大戦におけるダメージは大きく―特に戦費の増大による国家財政の負担はネイヴに負けず劣らず大きかった―再び戦火が開かぬよう緩衝地帯を設けたい、と言う思惑もあった。その両者の都合のすり合わせが、地理的にネイヴとアウムの中間にある南洋諸島の独立、と言うわけだ。

 また、南洋諸島には相応の資源が眠っており、これを独立させることでネイヴの国力を削ぐ、と言う目的もあったのだが……これも簡単にネイヴが戦端を開かぬよう、あえて国力を削いでおく、と言う思惑からだ。

 「あんたのお墓に向かって話しかけておいて何だけどさ……あたし、あんたが死んだって未だに思えないんだ」

 少女は墓標に向かって苦笑を浮かべた。

 彼が飛び立ってから……あの光の華が空に咲き乱れてから、ちょうど一週間後、島に大量の瓦礫が漂着した。戦闘機、攻撃機、戦艦、巡洋艦、空母、駆逐艦……ありとあらゆる兵器の残骸が、海を埋め尽くさんばかりに流れ着いたのだ。

 だが、その残骸の中にネイヴの紋章も、あの機体が持つ特徴的な前進翼も見当たらなかった。

 島の者は、たまたま島に漂着しなかったとしか考えず、彼は戦死したと思っていた。

 当然だろう。あれだけの残骸が漂着する、と言うことはそれだけの大戦力が投入された、と言うことだ。何より、あの空を覆い尽くした光の狂乱を見れば、そこで激しい戦闘が繰り広げられたことは、文字通り火を見るより明らか。

 そして、戦闘が始まる直前に、あの機体が光の発した方角に向かって飛んでいったことは、少女だけでなく島の複数の人間が目撃している。彼が島を護るために飛び立ったことを、直接彼から聞いた老人もいる。

 故に、島の人間は彼の墓を建てた。島にとって、彼はならず者達から島を守った恩人であり……爆撃と言う地獄の業火を身を挺して食い止めた英雄だ。二年の月日の間に、彼の存在は半ば神格化されていた、と言っても過言ではない。

 「実は……戦争が終わったのだって、あんたが頑張ったからじゃないかってそう思うんだ」

 島から一歩も出たことがない少女が戦況など知りようもないが……彼女の言葉は見事なまでに真実を言い当てていた。

 長らく続く戦争にネイヴ、アウム双方ともに疲弊しており、特にアウムでは厭戦派が急激に台頭しつつあった。

 もともと複数の国家が寄り集まって形成された連邦国家、多民族国家であり、議会制政治を敷いているアウムでは、皇室による独裁政権を築いているネイヴに比べ、意思統一が難しい。ネイヴをはるかに上回る国力がありながら戦局が膠着したのは、国家が一枚岩なれず、内部で様々な勢力が紛糾していた、と言う部分が大きい。

 その膠着した戦局を打開し、厭戦派を黙らせるために、戦争推進派は持てる戦力を集結させ、一気にネイヴを焼き払う一大作戦を画策したわけであるが……この作戦は重要拠点を集中的に防衛するネイヴ軍の奮戦、及び超常的な戦闘力で艦隊侵攻を食い止めた一機の単座戦闘機・・・・・・・・により、失敗に終わった。

 この結果、一気に勢力を伸ばそうと企んだ戦争推進派は皮肉なことに失脚、議会において厭戦派が勢力を伸ばすこととなった。

 また、超常的な戦闘力を発揮した単座戦闘機はその戦果のみならず、存在そのモノが厭戦派を後押しした。戦艦、空母を含む打撃艦隊を単機で退けることができる単座戦闘機など一種の戦略機動兵器だ。いかに物量で上回ろうと、まともに相手できるわけがない。

 当初、単座戦闘機一機に艦隊侵攻が阻止された、と中央に報告した提督は、虚偽報告をしたと判断され更迭された、と言う逸話すらある―ウソの報告するなら、もっとマシなウソを付くだろう、と誰もが思ったらしいが。まさに事実は小説より奇なり、を地で行く出来事だ。

 その点から見れば、少女の言葉通り、彼の奮戦は見事に戦争を終結に近づけた、と言うことになる。

 もっとも、件の単座戦闘機はかなり過激な飛行特性を持ち、彼のような特定のパイロットが乗れば無敵の戦闘機となり得るが、それ以外の人間にはまともに離着陸することも難しい、はっきり言ってしまえば欠陥兵器だったりする。その欠陥兵器を必要以上に恐れ、アウムが脅威として認識してくれたことは、ネイヴにとっては、これ以上無い幸運だったと言えよう。

 とは言え、特にそのエンジン性能は素晴らしく、飛鷹の飛行特性に同等のエンジン性能を掛けあわせた隼鷹、そして翔鶴、瑞鶴を発展させた機体に件の戦闘機と同じエンジンを搭載した飛影など、エセックスやタイコンデロガと互角以上に戦える戦闘機の開発に貢献したのも、また事実であり……これらの新鋭機もまた、アウムに対する脅威となり、講和を引き出す要因となったのも事実である。

 と、

 

 キィィィィィィィィィィンっ!

 

 唐突に聞き覚えのある甲高いエンジン音が響き渡る。

 思わず、少女は上を見上げた。

 影が落ちる。

 独特の前進翼を陽光に煌めかせ、一機の戦闘機が島の上をゆっくりと旋回する。その翼が、小刻みに左右に振られた。まるで、上を見上げる少女に手を振るかのように。

 呆然と頭上を見上げていた少女の背中を、島を吹き抜ける風が押す。

 少女の足が地を蹴り駆け出す。

 見上げる顔に満面の笑みが浮かぶ。

 その口から歓喜の叫びが放たれる。

 叫びは風に乗って、翼が放つ咆哮と混じり合い……一つとなって島を疾り、蒼天に響き渡った。

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蒼天の島風 矢真野真矢 @F-15_Eagle_305sq

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