月とカリン

オカワダアキナ

月とカリン

 「金は貸すが借りない」、だから庭にカリンの木を植え母屋の裏には樫の木を植えたのだそうだ。米屋を営んでいた祖父らしい縁起担ぎだ。黄色い実は秋になると甘いにおいを放つ。祖父は還暦を待たずに亡くなったため写真でしか知らない。

 祖母の家の掃除に行くという母に、たまには着いていくことにした。大学の夏休みは長すぎてすることがない。独り身の長い祖母は旅行や相撲の観戦が好きで活動的だ。でもここ一、二年、耳のきこえが悪くなってからはおとなしい。急に小さくなったように思える。じっさい腰がまがって背が低い。庭のカリンの枝のほうがよほど頑丈だ。腰が痛くて二階の部屋に上がるのがおっくうだそうで、祖母の世界はどんどん狭くなっているらしかった。二階に掃除機をかけてくるよう、母に言われた。

 二階はほとんど使っていないから物置状態だ。長く生きると物がふえる。古そうなストーブや折りたたみのマッサージチェアや。むかしは屋根裏部屋が物置だった。今や屋根裏には収まりきらず物があふれたし、祖母が屋根裏にのぼるのは難しい。はしごでしか上がれないのだ。子どものころ泊まりに来ると、よく屋根裏で遊んだ。秘密基地のようで面白かった。天窓があるのも気に入っていた。

「物置なのにどうして窓?」

「もともとは物置じゃなかったんだよ。建増しするときにじいさんが面白がって作った部屋なんだ。じっさいやってみたら暑くて仕方ないから、物置にしかならなかった」

 むかしむかし僕の疑問に答えてくれたのは叔父だった。屋根裏で一緒に寝転がり、窓越しの夜空を眺めた。窓はほこりにすすけていたし、郊外とはいえ空気の澄んだ町というわけでもないから星のようなものはほとんど見えなかったと思う。月が横切ったことはあったろうか。覚えていない。叔父は働いておらずいつも家にいて、顔を会わせるとすぐ逃げたがるのが面白かった。逃げるくせに時おり缶のコーラをくれた。そういうときはだいたいしょんぼりしていた。

「一万円のコーラだぞ」

 みっつのボタンをタイミングよく押すしごとはうまくいくときもあればそうでないときもある。すねたように寝転がる叔父を引っ張って屋根裏にのぼった。ねだるとおんぶしてはしごをのぼってくれた。背が高いからしばしば天井に頭をぶつけた。

 久しぶりにのぼってみた屋根裏は、やはり蒸し暑い。記憶の中よりずいぶん狭かった。たしかに頭をぶつける低さだ。衣装ケースだとか使っていないコタツだとか、おそらくは千年前からガムテープで封印されたようなダンボール箱だとかが詰め込まれている。いろいろのものが日に焼けないよう、天窓は布でふさがれていた。

 ダンボールには叔父の名前が書かれているものもあった。スケッチブックだろう。脇にはカンバスが無造作にいくつも束ねられていた。石膏像も口をむすんでねむっている。叔父は油絵を描いた。どろっとした色合いや燃え立つような筆の跡がなんだかこわい絵だ。母はしつこい画風と笑った。叔父の描く絵は叔父に似ていない。むかし、庭で実ったカリンの実を描いたものをみせてもらった。表面のでこぼこを生きものみたいに描いた絵で、あんなにおそろしいものがスロットの金にもならないことが不思議だった。

 六年前の明日、叔父は死んでしまう。今年は従兄弟たちも来るらしい。カリンの実は部屋に置いておくと甘いにおいを放つがすぐにしぼんでしまうから、あの絵はささっと描かれたものだったろう。僕にはカリンは月の色にみえた。むかしは祖母がよく砂糖漬けにしたが、今は枝から落ちるばかりだ。庭の土は黒い。男はみんな早く死ぬと祖母が言う。八月のカリンはまだ青く、枝にしがみついて風に揺れない。



〈了〉

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