パスタ、ついでにマカロン

 異世界で経営の傾いたパスタ屋を立て直すというWEB小説に触発され、パスタの蘊蓄でも語ろうかという気になった。


 日本語でパスタと言ってまず思いうかべるのはスパゲッティだろうか。あとは短かい管のような形状のマカロニか。これらはデュラムセモリナ粉を練った固い生地をダイス(イタリア語は trafilaトラフィラ)と呼ばれる型に圧力をかけて通すことで成形、乾燥させたものだ。17世紀ごろに製法が確立したと言われている。もっぱらイタリア南部で発達した。


 イタリアのパスタが多種多様、さまざまな種類があるにもかかわらず、日本でパスタの代表選手としてスパゲッティが君臨し続けているのは、第二次大戦後に進駐軍経由でアメリカの食文化から大きく影響を受けたことによる。イタリアからアメリカに伝わった食文化は圧倒的にイタリア南部のものが多い。というかほとんどだ。乾燥パスタ、ピザ、ちょっと意外なところだとブロッコリもそうだ。いまブロッコリと呼ばれている濃緑の花芽の野菜はカラブレーゼというイタリア南部の地方品種だった。これがアメリカで大人気となり、さらに日本やヨーロッパに伝わったのだ20世紀後半のこと。それまでイタリアの多くの地域で broccoloブロッコロ(複数形は broccoliブロッコリ)という語はカリフラワーを指していた。21世紀の現在ではイタリアでもブロッコリはブロッコリだそうだから、逆輸入といったところか。


 アメリカでイタリア南部の食文化が広まったのは、20世紀前半までイタリアからアメリカへの移民したひとたちの多くが南部出身者だったからだ。豊かな北部と貧しい南部。イタリア南北の経済格差とそれにもとづく偏見や嫉妬のたぐいは20世紀後半になってもなかなか解消されなかったという。


 そんなわけで、現代日本人の多くがイメージするパスタというのは、イタリア南部起源アメリカ経由、さらに日本で魔改造を経た、ある意味でまことに偏っているものだ。


 日本での魔改造のはミートソース、ナポリタン、カルボナーラ、タラコあたりか。カルボナーラはイタリアにもあってローマ名物とも言われるが、日本式のが生クリームを使い、パスタもスパゲッティが中心であるのに対して、ローマのは生クリームは使わず、パスタもスパゲッティだけじゃなくペンネも用いられる。だから、カルボナーラをクリームソースの一種みたいに書いてあると、カルボナーラ原理主義者(そういうこだわりを持つひとは日本にもいる)が卒倒するんじゃないかと感じたりもする。


 魔改造といえばいまどきは多少聞こえがいいかも知れぬが、食べものの場合、異国の食文化を浅薄で中途半端な理解のままに、時として手近な食材で代用しながらなんとなく日本で好まれる料理にでっちあげたもの、と言えなくもない。食べものはなのだから、それはそれで構わないのだが、オリジナルと似て非なるものだというのもまた一面の真理だろう。


 そういう意味で、日本で流行し、定着した外国起源の料理の味にはないと言える。あくまでも、なのだ。


 ラノベの場合、物語の舞台が異世界であろうとなかろうと、作者、読者のリアルである現代日本の食文化がそっくりそのまま、あるいは都合よく改変されて描かれる。読者の知らないこと、理解できないものを書いても娯楽エンタメとして成立しないという本質的な問題があるから、何度も言うように、そこにツッコミを入れるのは野暮でしかない。何をどう書くかは作者の自由だ。


 さて、イタリアでのパスタの歴史は古い。ローマ帝国以前のエトルリア時代までさかのぼれると言われている。最古のパスタとされる testaroliテスタローリ は、練るとか捏ねるというよりは生地をフライパンのような器具で焼き、(場合によってはさらに茹でてから)バジルソースなどで食す。エトルリア時代ほぼそのままの特徴が残っているらしいのだが、文献ベースできっちり論証したものを僕は知らない。


 ローマ時代の料理書『アピキウス』にはラザーニェとラヴィオリの原型ともいうべきレシピが収められている。


 ラヴィオリはマカロニとともに、14世紀に書かれたボカッチョの百物語『デカメロン』にも出てくる。


maccheroniマッケローニraviuoliラヴィウオーリ を作り、去勢鶏のブロードで煮る」


 はじめに述べたように、現代のマカロニは生地をダイスに通して成形、乾燥させて作られるが、『デカメロン』のマッケローニは現代でいうニョッキのようなものだったと考えられている。いずれにしても、イタリア語の文献でマッケローニという語が出てくるものとしてはもっとも古い。


 そして、15世紀初頭に作られた『デカメロン』のフランス語訳ではこのマッケローニは macaronマカロン となっている。フランス語風に綴りを変えたものだと思われるが、「マカロン」である。これもまた、おそらくフランス語としてはもっとも古い記録だ。細かいことだが、この訳語は15世紀に印刷出版されたフランス語版『デカメロン』には見られず、手稿本のほうで確認されている。ただ、それがどんなものなのかということはまったく説明がない。


 印刷出版された本に限定するなら、マカロンという語の初出は、16世紀フランソワ・ラブレーの小説だ。そこでは


「アーモンドパウダーを使った小さな円形のパティスリ」


 と説明されている。こんにちのマカロンに近いものをイメージしてよさそうだ。もっとも、上下に切って間にクリームをはさんだ色とりどりのマカロンは20世紀になってからのものだから、それ以前はもっと素朴なものだった筈だ。


 ボカッチョのニョッキのようなマッケローニのフランス語訳だったマカロンがどうしてアーモンドパウダーを使った円い焼き菓子になったのかはよくわからない。ただ、マカロン・クラックレなどは13世紀まで遡ることができるというから、モノ自体はフランス語訳『デカメロン』よりもずっと前から存在していたことになる。


 パスタに話を戻そう。


 既に述べたように、こんにちのスパゲッティの製法は17世紀以降のものだから、中世にはなかったわけだが、中世風異世界にスパゲッティが登場するとなると、キャラ達がどうやって食べるかも気になるところだ。いや、普通は何の疑問もなくフォークで食べることにするだろう。ところが、スパゲッティをフォークで食べる習慣は18世紀以降のものだ。そのうえ、20世紀初頭になっても庶民は麺を手でつかんで食べていた。即興仮面劇コメディア・デラルテの代表的なキャラであるプルチネッラが手づかみてスパゲッティを食べる姿は有名で、pulcinella spaghetti で画像検索するとぞろぞろ見つかる。


 そんなわけで、スパゲッティをフォークでくるくる器用に巻いて食べるというのは、存外新しいことなのだ。もっとも、ラノベの場合、読者がそんなことを知るわけないのだから、フォークでも箸でもなんでもいいのかも知れない。


 そもそもパスタは種類が非常に多く、その名前だけ列挙してもかなりのリストになる。大別すると乾燥、生、卵を使ったもの、の三種。形状はさまざまで、地域性もある。ごく大雑把に言うと、南部は乾燥パスタが多く、北部は生、卵を使うものが中心。あたりまえのことだが、スパゲッティだけがパスタではない。


 そのパスタのソースだが、トマトベース、オイルベース、クリームベースといろいろあるが、なによりトマトを使ったソースが圧倒的に好まれているだろう。食文化の地域性がはっきりしていて郷土料理のヴァリエーションが非常に多いイタリアにあって、シンプルなトマトソースのパスタは全国どこでも食べられている。


 料理に地域ごとの差異がはっきりしている。それは一歩間違えば国全体として見たときにバラバラでまとまりのないものになりかねないということ。だが、実際にはどの土地のものであってもイタリア料理はやっぱりイタリア料理だ。統一感がある。いわば雑多な郷土料理の集合体を全体としてイタリア料理たらしめているもののひとつがパスタのトマトソースとも言える。


 もっとも、トマトソースがイタリア全土を掌握したのは長い歴史のなかではそんなに古いことではない。19世紀にアルトゥージが書いた『料理の知識シェンツァ イン クチーナ』という本がある。この本はイタリア全土で読まれ、しまいには「どんな家庭にもこの本はある」とまで言われるくらい普及し、イタリア料理の基準のひとつになった。政治的にもちょうどイタリア統一運動が盛んな時代のことだ。政治的統一を目指す過程で、食においても「ひとつのイタリア」を意識するのは自然なことだったのだろう。言語において方言が非常に多様なこの国で、マンゾーニの小説作品が文学言語としてのイタリア語の規範となったように、『料理の知識』は食におけるイタリア統一を成しとげた。そして、この本によって、パスタのトマトソースがイタリア全土に広まったわけだ。

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異世界でマヨネーズ無双するために まつきち @mazkichi

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