第6章 邪竜人の群れ

「ありがとうございました、ダークレギオンどの」村長のカディムは、戻ってきた闇魔道士主従を迎えて深々と頭を下げた。「先ほど、たぬきの皆さんがリザを連れて帰ってきてくれました。ひどい目に遭ったようですが、生命いのちに別状はなさそうです。本当にありがとうございました」

「礼を言われる筋合いのものではない」ダークレギオンは無愛想に応えた。「それより、いま帰りしなにシャドウファングから聞いたのだが、そうそう落ち着いてもいられんようだぞ」

「……と、おっしゃると?」

 カディムが不審げな視線をシャドウファングに向ける。

 ダークレギオンが若者に合図した。

「あ、はい」

 シャドウファングはうなずくと、カディムのほうに向きなおった。

 マリグナントとの闘いの一部始終を手短に説明してから、肝腎なことを口にする。

「これは、たぬきの長老に聞いた話なんですが、邪竜人ってのは強い種族を見つけては喧嘩を売ってるような一族だそうなんです」

「強い種族を見つけては喧嘩を売る……?」

 繰りかえしたカディムが首を傾げる。

「ええ」シャドウファングはうなずいた。「今回、あの岩山に邪竜人が一人で来たのも、その斥候のためじゃないかって」

「な、何ですって?」

 さすがにカディムは飲みこみが早かった。さっと顔色を変え、睨むようにシャドウファングを見る。

「そういうことだな」ダークレギオンが言葉を引きとった。「つまり、マリグナント──あの岩山にいた奴の名前だが──を捕らえたことで、異界の邪竜人どもは俺たちを『喧嘩を売るに足る相手』と判断した可能性が高い」

「そ、そんな……」

 カディムが、ちらりとダークレギオンを見た。あなたが、あの魔物を捕らえたりしなければ……という少しばかり恨みがましい視線だ。

「言っておくが」闇魔道士は、ぴしゃりと村長の文句を封じた。「俺が奴を捕らえなければ、連中は俺たちを抵抗する力もない『餌』とみなして狩りに来ただろうよ──そうだな? シャドウファング」

「はい、長老はそうおっしゃってました」

 シャドウファングはうなずいた。

「では、いずれにしても、あの緋色の魔物が岩山にやって来た時点で、このあたりの村は邪竜人たちの標的になっていた、と……」

「まぁ、そういうことだ」

 カディムの問いかけに、ダークレギオンはきっぱりとうなずいた。

 そのはっきりした態度に、カディムもかえって腹が据わったらしい。ふうっと大きな息をついてから、あらためて闇魔道士を見た。

「これから私たちはどうするべきなのでしょうか?」

「とりあえず、少し休ませてくれ」ダークレギオンは重い息をついて言った。「マリグナントがこちらの手に落ちたこと、いずれ『異界』に伝わるだろうが、今すぐ情勢に変化があるとも思えん」

「ああ、これは失礼しました」

 カディムは慌てて家人に命じ、昨夜来ダークレギオンが休んでいた部屋を準備させる。

 ダークレギオンはろくな礼も言わず、さっさと寝台にもぐり込んでしまった。やはり疲れていたらしい。

 シャドウファングは眠りこんだダークレギオンに布団をかけてやり、そっと部屋を出た。居間に入っていくと、ちょうど起き出してきたらしいまじない師のベリスと村長のカディムが、湯気の立つ椀を手に何事か相談していた。

「おや、シャドウファングさんはお休みにならなくてもよろしいので?」カディムは若者のために新しいクッションを出してやって言った。「ダークレギオンどのと一緒に休まれたものとばかり思っていました」

「ぼくは、ご主人さまほど疲れてませんから」

 シャドウファングは礼を言ってクッションに腰を下ろし、村長の妻が運んできてくれた椀を受け取った。ほこほこと湯気の立つ椀には、南瓜と玉葱、それに人参を煮込んだスープが盛られている。

「しかし、無理をなさっては……」

 ベリスが心配げに言った。

「ありがとうございます」シャドウファングは、にこにこと応える。「それより、ベリス師こそ、お身体は大丈夫ですか? 普段つかわない魔力を使ったりなさったんですから、無理せずに休んでらっしゃらないと」

「そうですね、まだ頭はくらくらします」ベリスは苦笑した。「いや、あんなにつらいものだとは思いませんでした。私は魔道士を目指さなくて正解だったようですよ」

「お嬢さんは……?」

 シャドウファングの問いにカディムは微笑を返した。

「多少、血が足りないようですが、しばらく休めば元気になるでしょう。もう傷は塞がったようですしね。それにしても、ありがとうございました」カディムは居ずまいを正すと、丁寧に頭を下げた。「シャドウファングさんの御親戚のおかげで、うちのリザは助かったんですから。何とお礼を言ったら良いか」

「とんでもないです、そんな」シャドウファングは慌てて首をぷるぷると振った。「ぼく、ご主人さまの役に立ちたかっただけですし、ご主人さまはリザお嬢さんを巻きこむ形になってしまったことを、本当に悔やんでいらっしゃいましたから」

「いや、ダークレギオンどのは精いっぱいのことをしてくださいましたよ」

 村長は心底そう信じている、という表情で言った。シャドウファングは恐縮した様子で椀へ視線を落とす。

「そう云えば、あの呪物はどうなりました?」

 ベリスが、ふと気づいて尋ねた。

「“枯渇水晶”のことですね」シャドウファングはうなずいた。「あの邪竜人──マリグナントの呪力を吸い取った後は、ご主人さまが持ってらっしゃいます。あのまま抱えて寝てらっしゃるんじゃないのかな」

「それなら安心ですな」

 呪い師がほっとした表情を見せ、しばし一座に沈黙が下りた。シャドウファングの使う匙と椀が触れあう、かちゃかちゃという微かな音だけが響く。

 やがて、シャドウファングの食事が終わりかけたのを見計らって、カディムが自らハーブティーを注ぎ、彼の前に置いてくれた。

「すみません」

 頭を下げてカップを取るシャドウファングを優しい目で眺めていたカディムは、やがて表情を引き締めて問いを発した。

「で、ダークレギオンどのは、これからどうなさるおつもりなのでしょう?」

「マリグナントから邪竜人一族の弱点のようなものを聞き出せれば、と考えてらっしゃるんでしょうけど……正直、そんな簡単にいくかどうか──」

おのが主人を信用できんと言うのなら、さっさと荷物をまとめて故郷くにに帰れ」シャドウファングの言葉を氷のように鋭く冷たい言葉が遮った。「そんな奴はクビだ」

「ご主人さま!」シャドウファングは慌てて立ちあがった。「もっと休まれなくていいんですか?」

「そうそう眠ってられる場合じゃなかろうが」

 ダークレギオンは、それまでシャドウファングが座っていたクッションをひっくりかえし、どかりと腰を下ろした。胡座あぐらをかき、長い黒髪を無造作にかき上げる。髪の間から覗く視線には傲慢なまでの自信と短刀のような切れ味が戻ってきていた。

「何か召し上がりますかな」

 問いかけながら、カディムは軽く手を打っていた。合図を聞きつけた彼の妻が、急いで椀や籠を運んでくる。

「すまん」

 ダークレギオンは軽く頭を下げ、すぐに匙を取った。

 ──睡眠が満たされたら今度は食欲か……ご主人さま、元気みたいで良かった。

 シャドウファングは村長の妻を手伝って主人の給仕にかかる。ダークレギオンは遠慮なく口を動かし、貪欲に食事を飲み込んでいた。

 その間にも、じろりと呪い師を見る。

「ちゃんと食ったか? ベリス」

「は?」

 突然の問いに、壮年の呪い師はきょとんとなった。

「俺を助けるために使いなれない魔力を使ったんだろうが」ダークレギオンは、いかにも不機嫌そうな口調で言った。「普段から魔力を使ってる奴なら、周囲の大気から魔力の源を吸収することも可能だが、おまえのように馴れてない者は口から補充するしかないんだ。せいぜい、いつもの倍ぐらいは食べるんだな。身体が疲れてるから食欲が出んかもしれんが、食べないと身体が回復せんぞ。眠ったくらいじゃ駄目だ」

「ありがとうございます、ダークレギオンどの」

 ベリスは頭を下げた。いつも他人に対して冷たい闇魔道士の性癖を知っているだけに、彼の助言が数倍ありがたいものに聞こえたのだろう。

 ダークレギオンのほうは、感謝に満ちた視線を受けても不機嫌な表情のままでパンをかじっている。

「ダークレギオンどの」カディムが口を開いた。「食事をしながらで結構ですので、話を聞いていただけますかな」

 闇魔道士は無言でうなずいた。ちょうど口に南瓜を放りこんだところで、声に出しての返事ができなかったのである。

「先ほどもシャドウファングさんと話していたのですが……これから、どうなさるおつもりですか? もし、我々にお手伝いできることがあれば、何なりと言いつけていただきたいのですが」

「手伝いは要らん」ごくりと南瓜を飲みくだしたダークレギオンは、簡単にそう答えると、シャドウファングに向かって顎をしゃくった。「こいつと、こいつの仲間だけでやる。そのほうが何かと都合がいい」

 ──勝手に決めないでほしいなぁ。

 シャドウファングは、ひそかに溜息をついた。

 あの長老のことだから、魔物退治に手を貸してくれと言えば、たぬきの一個大隊ぐらいは簡単に貸してくれるだろうけれど、頭から決めつけられるとヘソを曲げる恐れがある。

「村の者にはなるべく家から出ないように言っておけ。闘いの最中に、のこのこと出てこられたのでは、かなわん」

「わかりました」

 カディムが素直にうなずく。

 ──ご主人さま、気になさってるんだ……

 シャドウファングは、ひたすら食事を続けているダークレギオンの前に新しいハーブティーのカップをさし出しながら、ちょっと感動していた。

 助け出すことができたとは云え、一度はリザがマリグナントの手に落ちてしまったことに、ダークレギオンは深く傷つき、後悔を覚えているようだ。その思いが、ぶっきらぼうながらも村人たちへの気遣いとなって表われたのだろう。

「……行くぞ」

 ハーブティーを呑み干したダークレギオンは、さっと席を立った。シャドウファングがうなずいてそれに従う。

「ダークレギオンどの……」

「何も言うな」闇魔道士は心配げな村長のほうへ視線を向けないままで言った。「リザのことは……すまなかったと思っている。早く元気になってほしい」

「そんな……」

 カディムは目を丸くして首を振った。彼にしてみれば、娘を救ってもらったことをダークレギオンに感謝しこそすれ、詫びられる筋合いはないのだ。

「すまないついでに、カディム、頼みがある」

「なんでしょう?」

 村長は、何でも言ってくださいという表情でダークレギオンを見つめた。

「この“枯渇水晶”だが……」闇魔道士は懐を押さえて行った。「今しばらく、俺に預けてくれんか。おそらく、邪竜人どもと闘うときに役に立つと思うのだ」

「もちろん構いませんとも」カディムが大きくうなずく。「できることなら、リザにお手伝いさせたいところですが、なにしろ、あれは魔力の『ま』の字もないようで……」

「魔力があったところで、床についている者を引きずっていくような真似が、この俺にできると思うか?」

 ダークレギオンは、ふんと鼻を鳴らしてそう言うと、すたすたと部屋を出ていった。

「そうですよ」シャドウファングが微笑する。「リザお嬢さんには、ゆっくり休んでもらわなきゃ。それじゃ、ぼくも行きますから」

「シャドウファングさん」ベリスが声をかけた。「何かお手伝いできることがあれば、いつでも言ってきてくださいよ。ダークレギオンどのはああいう性格だから、なかなか助けを求めるなどということはなさらんと思います。そのあたりは、従者のあなたが」

「はい、ありがとうございます、ベリス師」

 シャドウファングが嬉しそうにうなずいたとき、玄関のあたりで「何をしている、早く来い!」というダークレギオンの声が響いた。

「はい、いま行きます!」

 シャドウファングは明るく返事をして、村長と呪い師に会釈を残すと、風を巻いて部屋から飛びだしていった。


 そろそろ陽が傾きはじめる時刻──。

 森の奥、先日の儀式に使った空き地に、ダークレギオンは佇んでいた。樹々に埋もれた空き地は徐々に闇に閉ざされようとしている。

「ご主人さま……」

 シャドウファングが声をかけた。彼の後ろには、長老をはじめラクスやパメラと云った、この森のたぬきのなかでも主だった者たちが控えている。

「揃ったか」闇魔道士は振り向かずに応えた。「はじめるぞ」

 ダークレギオンは首にかけていた銀鎖に付けている光球を引きちぎった。銀色と金色の中間のような、不思議な色合いの光を放つ球体は、その内部に邪竜人マリグナントを囲いこんでいるはずだった。

 闇魔道士が空き地の中央に、ぽいと光球を投げる。放り出された光球は、地面に落ちることなく、ふわふわと宙に浮いている。ちょうど、ダークレギオンの臍あたりの高さだ。

 しばらく光球を見つめていたダークレギオンは、やがて呪文を唱えはじめた。


 魔力を秘めし印よ、開きてその姿を見せよ。

 我が言葉に導かれ、汝が内の存在を見せよ。


 光球が、ぱあっと明るく輝いた。たぬきたちがまぶしさに目を細め、毛を逆立てて後退あとずさりする。

「大丈夫だよ」

 そう声をかけたシャドウファングだったが、彼自身、あまりの輝きに目を覆いたくなっていた。

 光球は、ゆっくりと膨張していた。光り輝く球面と見えたものが次第に上下左右に引き延ばされ、複雑に編み合わされた紋様となっていく。

 やがて、少しづつ光が薄れはじめた。

 光球は、すでに輝く丸い檻と化していた。護符の紋様そのままに編まれた檻のなかには、邪竜人マリグナントが膝を抱えこんだ姿勢でうずくまっているのが判る。

 緋色の肌をした魔物は、自分を取りまく状況に変化があったことに気づいたのか、ゆっくりと顔を上げた。闇魔道士とその従者、そして、背後に居並んだたぬきたち、という組み合わせに訝しげな視線を投げる。

「マリグナント」ダークレギオンが尊大に呼びかけた。「尋きたいことがある」

『聞くだけ聞いてやる』囚われている立場であるにもかかわらず、マリグナントの返答も闇魔道士に負けず劣らず居丈高だ。『言ってみろ』

「おまえの一族のことだ」ダークレギオンは言った。「連中が、この『世界』に来る可能性はあるのか? そして、もし来るのならば、それを追い祓う方法はあるか?」

『それを聞いてどうする?』

 マリグナントが、くくっと喉の奥で笑った。

「来るのなら迎え撃つ」

 闇魔道士が簡潔に答える。邪竜人の表情が「ほぉ」というものに変わった。

『この「世界」の矮小な存在が、俺たち邪竜人と闘おうというのか……無謀と大胆とは意味が違うぞ。解っているのか?』

「俺たちが無謀だと言うのか?」ダークレギオンは、むっとなってマリグナントを睨みつけた。「そんなことは、やってみなければ判るまい。現に、貴様は俺が作った檻のなかだ」

 ぴしゃりと言われたマリグナントは、しばらくの間、鼻白んだ様子で闇魔道士を見つめていたが、やがて愉快そうな笑い声を爆発させた。

『ふふん、面白いことを言ってくれる』笑いの残滓を引きずった声音が言った。『貴様らのような奴と闘うのは案外、面白いのかもしれんな。……よかろう、我らが一族のこと、教えてやるのも一興だ』

 だが、その前にここから出してもらおうか、という邪竜人の言葉にシャドウファングが顔色を変えた。

「いけません、ご主人さま」シャドウファングは叫んだ。「“枯渇水晶”がそいつの呪力を吸い取ってしまってても、そいつが危険な存在であることに変わりはないんですから」

『そんな説得を聞くような人間ではないと思うがのぉ』たぬきの長老が長く伸びた髭を振り振り言った。『それに、あの魔物も自分の要求が聞き入れられんかぎりは、何も話そうとはせんだろうよ』

「いや、ぼくもそうは思いますけど……」

 二人の会話には構わず、ダークレギオンは右手を掲げると呪文を唱えた。


 魔力を秘めし印よ、本来の姿へと戻れ。

 汝がうちの存在を、速やかに解放せよ。


 呪文が終わると同時に、マリグナントを囲んでいた檻が光り輝く。銀製の護符が、からん……と音を立てて地面に落ちる。

 そして、次の瞬間、緋色の魔物はばさりと翼を拡げて地上に降り立っていた。

『感じるぞ』マリグナントは、ぎろりとダークレギオンを睨みつけた。『貴様の懐に、例の呪物があるだろう!』

 邪竜人はいきなり身をひるがえすと、ダークレギオン目がけて体当たりした。不意を喰らった闇魔道士は避ける隙もなく、邪竜人ともつれ合うようにして地面に倒れこむ。

「ご主人さまっ!」

 慌てて駆けよろうとしたシャドウファングは、場違いなほどに呑気な、

『まぁ待て、ポムス』

 という長老の声に、ぴたりと動きを止めた。

「長老……?」

 シャドウファング=ポムスが、老いたたぬきのほうを振りかえる。

『なかなかやりよるのぉ、若いの』

 ほっほっほ、と笑い出しそうな長老の言葉に、シャドウファングは主人と邪竜人の様子に目を凝らした。

『……貴様……』

 マリグナントが呻くような声を漏らす。その口元から真っ黒な血が、ぼたぼたと滴った。

「何の用意もせずに、おまえのように危険な魔物を解放すると思うか」ダークレギオンが嘲りの混じった笑い声を上げる。「俺たち人間を、あまり甘く見ないことだ」

 闇魔道士の手には鋭く研ぎ澄まされた銀製の短剣が握られていた。

 マリグナントがダークレギオンに襲いかかった瞬間、その短剣が魔物の喉を貫いたのだ。強力な魔物である邪竜人が、そんな短剣一本では生命を落とすはずなどないことを見越しての行動だった。

『考えたもんぢゃのぉ』

 長老が、ふむふむとうなずく。

『何のこと? おじいさま』

 パメラが瞬きして尋ねた。長老は可愛い孫娘に向かって『解らんかの?』と上機嫌な様子で話しはじめた。

『邪竜人なぞと云うのは、声を出してしゃべっているわけではない。儂らの頭のなかに直接言葉を送りこんで会話をしているのぢゃ。でなければ「異界」の言葉を話しているはずの奴の言わんとするところが、儂らに解るわけがないからの。喉を潰したところで奴から話を聞き出すのには何の支障もない、ということぢゃな』

『へぇ~』ラクスが感心して、つんつんとシャドウファングをつついた。『結構やるな、おまえのご主人さまも』

「あ……うん、そうだね」

 シャドウファングは慌ててそう応えたが、内心ではまったく別のことを考えていた。

 ──ご主人さまが、そんなことまで見越してたはずないよ。とにかく相手に一番ダメージを与える方法を採っただけで。なんか刺した後で「こいつが話せなくなったら、どうしよう」とか悩んでそうだもの。

 シャドウファングの推測は、あながち間違ってもいなかったようだ。

 マリグナントの喉から短剣を引き抜いて立ちあがったダークレギオンは、しばらくの間、すこし心配げに魔物の様子を観察していた。

 やがて、マリグナントが身を起こす。喉元からだらだらと血を流しながら、邪竜人はどすんとその場に胡座をかいた。

『ふん、油断したわ、俺様としたことが』緋色の魔物は面白くなさそうに表情を歪めた。『貴様の度胸は認めてやる』

「解ればいい」ダークレギオンは、ほっと息をついて応えた。「さぁ、今度はおまえが俺の言うことを聞く番だ。邪竜人一族のこと、教えてもらおう」

『何が尋きたい?』

「まず、おまえの仲間が、この『世界』へ来るかどうかを」

 マリグナントは天を仰いだ。そして言う。

『来るだろう、今夜にも』

「数は?」

『さぁな……』マリグナントは真剣な表情になって考えこんだ。『三人か四人か……俺様の仲間はこの「世界」にさして興味を抱いてはいない。だから、俺様がこっちへ来ると言った時でも「一人で楽しんでこい」と言われたぐらいでな』

「それでも来る奴は来る、か」

『闘いを至上の快楽とする俺様たち一族のうちでも、ことに喧嘩好きの奴らがな』

 マリグナントは切られた喉を震わせて楽しそうに笑った。黒い血が滴り落ち、パメラなどはつらそうな表情になって顔を背ける。

「三人か四人……」

 ダークレギオンは難しい表情になって考えこんだ。“枯渇水晶”が使えるのならばともかく、この状況で何人もの邪竜人を相手にするのは楽な仕事ではない。

『だが、逆に云えば、そいつらさえ追い祓えば、この先に問題が起きることはないぞ』

 マリグナントの言葉に、ダークレギオンの眉が動く。

『なるほどのぉ』長老が呟く。『闘いを好む者たちのなかでも、ことに闘うことを悦ぶ者たちを退ければ、邪竜人一族は二度と「世界」に手を出そうとは思うまいて。闘いを好むということは、それすなわち相手の力量を認め、お互いを不可侵の存在と認めるということでもある。そういうところは義理堅い一族と見たが、どうぢゃな?』

 言葉の最後はマリグナントに向けられたものだった。

 緋色の魔物は、ちんまりと腰を据えている老狸をもの珍しげに眺めていたが、首をすくめてうなずいた。

「シャドウファング!」

 ダークレギオンが苛々と叫び、忠実な従者は慌てて長老の言葉を通訳した。

『なんだ、貴様には、このけものの言葉が解らんのか』マリグナントが呆れたように言った。『同じ「世界」にいながら言葉が通じないとは……不便なものだな』

「俺は、たぬきと仲良くする気はない」

 闇魔道士は不機嫌に応えた。

『そうか? 立派な戦力だと思うがな』邪竜人は苦笑いを浮かべた。『こいつらに一斉に飛びかかられたときは、どうしようかと思ったぞ。一挙に戦意が喪失した。油断していた自分にも嫌気がさしたしな』

「……そういうものなのか?」

 ダークレギオンが尋ね、マリグナントはあっさりとうなずいた。

 闇魔道士が、ちらりとたぬきたちを見た。

 長老は落ち着きはらって髭を撫でており、ラクスはかしかしと後ろ足で首筋を掻いている。ほかのたぬきたちも、足下の地面を掘りちらかしたり、尻尾の毛並みを撫でつけたり、とやる気のないこと、このうえない。パメラだけが、つぶらな瞳で闇魔道士を見つめかえした。

 ダークレギオンは、はあ……と大きな溜息をついた。

『で?』マリグナントは、ダークレギオンの様子にニヤニヤと笑いながら言った。『どうするつもりだ? 迎え撃つつもりなら急がねばならんぞ。俺様の仲間には短気なのが多い。毎日夜中近くには何らかの連絡をしていたからな。それが途絶えれば、様子を見に来るだろう──すぐにでも、な』

「連中は何処に現われる?」

 闇魔道士が唸るように尋ねた。

『あの岩山だ』マリグナントは、あっさりと答えた。『あそこは、いろいろな呪力や魔力の吹きだまりのようになっている。だからこそ、俺様はあの岩山に、この「世界」への門を開くことができたのだし、“枯渇水晶”の呪力を引き出す儀式の場としても、あそこを選んだのだ』

「よかろう」

 うなずくと、ダークレギオンは落ちていた護符を拾いあげた。

『俺様をもう一度、閉じこめるつもりか?』

「知れたことだ」闇魔道士は緋色の魔物の問いに、そっけなく答えた。「邪竜人が三匹も四匹も来るというときに、おまえの相手までしていられるか」

『俺様も戦力に加える気はないか?』

 いきなりの申し出に、ダークレギオンの目が大きく見開かれた。よほど驚いたらしい。

 ダークレギオンだけではない。長老の髭を撫でる足が止まり、ラクスはばたっとその場にひっくりかえった。

「ご主人さま、やめてくださいよ」シャドウファングはダークレギオンのローブの裾を引いて注意を促した。「相手は呪力を失ってても『異界』では最強とも云える魔物ですよ? 背中を任せたりしたら、何をされるか」

 だが、闇魔道士は従者の忠告なぞ聞いてはいなかった。口のなかで、

「こやつが一匹、たぬきどもが一匹、俺自身で二匹……それなら何とかなるかもしれん」

 などと皮算用をしている。

「ご主人さま!」

 シャドウファングは思わず大声を出していた。彼の気まぐれでマリグナントを味方に数えられたりされては、何かあったとき、たぬきたちに害が及んでしまう。彼はそれを危惧したのだ。

 だが、もちろん、そんなことに斟酌するようなダークレギオンではなかった。

 闇魔道士は、じっとマリグナントを見つめている。緋色の魔物も臆せず視線を返した。

「なるほど……」やがて、ダークレギオンが人の悪い笑みを浮かべた。「貴様、仲間うちで闘いたい奴がいるんだな?」

 マリグナントの頬にも笑みが刻まれた。

『まぁ、そんなところだ。どうする?』

「わかった」ダークレギオンがうなずく。「好きにしろ」

「ご、ご主人さま!」

 噛みつかんばかりのシャドウファングの勢いに、闇魔道士はひらひらと手を振った。

「利用できるものは何でも利用するべきだと思うんだがな、俺は」

「でも……でも、危険すぎますよ!」

「シャドウファング、おまえ、奴の言ったことを聞いてなかったのか?」ダークレギオンは従者を見た。「奴は『仲間うちで闘いたい奴がいる』んだぞ。俺たちに手を出してる暇なんぞ、あるわけがなかろう」

『妥当な判断ぢゃろうな』長老が口を挟む。『奴が儂らにくみする理由が仲間の誰かと闘いたいからだ、というのなら納得がいくわい。こんな場合ででもなければ、仲間と闘うことなど夢のまた夢ぢゃろうからのぉ』

「どうしてですか?」

 シャドウファングが尋ねる。

『解らんかのぉ』長老が「存外、にぶいな」という表情を見せた。『邪竜人は好戦的な種族なのぢゃ。そんな連中が、お互いの欲望のまま、強い相手を倒すために仲間うちで闘いつづけてみよ。どうなることか』

「あ……」遅ればせながら、シャドウファングも事情を呑みこんだ。「そうか……同士討ちになって仲間がいなくなっちゃうんだ」

『そういうことぢゃな』

 長老がうなずき、マリグナントがくすくすと笑い声を漏らした。

『平和な頭の持ち主なんだな、そっちのたぬきは』

「たぬき?」ダークレギオンが聞きとがめた。「何を言ってる。シャドウファングはワーおおかみの血を引く者だぞ。目が腐ってるのか、おまえ」

 マリグナントが、むっとなって闇魔道士を睨みつけた。

『俺様の目が腐ってるだと? ふざけたことを抜かすもんじゃない。そこにいるのは──』

「あっ、あのっ、あのっ、ご主人さまっ!」シャドウファングは慌てて大声を出した。「そっ、そろそろ行かないといけないんじゃないですかっ?」

「ん……? ああ、そうだな」

 天空を仰ぎ、月と星の位置を確かめたダークレギオンは、それきりマリグナントの言ったことなど忘れてしまったかのように準備を始めた。護符を首から提げ、傍らに置いてあった革袋の中身を点検する。

『おい』

 その作業に没頭しているダークレギオンを横目で見ながら、マリグナントがシャドウファングにささやいた。

「な、何だよ?」

『おまえ、あいつに仕えてるんだろう?』

「それがどうしたのさ?」

『なのに、あいつはおまえの正体を知らないのか?』

 シャドウファングは口唇を咬んだ。マリグナントが『ふぅん』という表情になる。

「……別に、ぼくが、たぬきだっておおかみだって、ご主人さまに対する忠誠心が変わるわけじゃない」シャドウファングはしばらく考えてから言った。「だけど、ご主人さまにしたら、たぬきがお仕えしてるより、おおかみがお仕えしてたほうがいいかなって……」

『変なこと気にするんだな』マリグナントが肩をすくめた。『けものの姿が何であろうと、あいつの役に立ってれば、それでいいだろうが』

「そりゃまぁ、そうなんだけどさ……」

 シャドウファングは、うつむいてしまった。結局のところ、自分はダークレギオンを騙しているのではないかと思うと、どうしても良心が咎める。

『気にすることないわ、ポムス』パメラは恋人の足に身をすり寄せて言った。『いろいろと事情があるんだもの、仕方ないことよ』

『事情、ねぇ……』

 馬鹿にしたようなマリグナントの口調に、パメラはキッと魔物を睨みつけた。

『誰にだって事情はあるのよ。何も知らないくせに、そんなにポムスをいじめないでよ』

 マリグナントは思いもかけぬ反論を受けて驚きの表情を浮かべたが、それ以上は何も言おうとしなかった。彼なりにパメラの態度に感じるところが在ったのかもしれない。

「おい、何をごちゃごちゃやってるんだ」革袋を背負ったダークレギオンが呼びかけた。「岩山へ急ぐぞ」

『やれやれ』マリグナントが、どっこいしょ、と腰を上げる。『俺様ともあろうものが、歩いて移動か……おい、少しばかり呪力を戻してもらうわけにはいかねぇのか?』

「“枯渇水晶”はクリスタル家の血を引く者にしか扱えない」ダークレギオンが冷たく応えた。「だから、おまえはリザをさらって水晶を発動させたのだろう?」

『それはそのとおりなんだが……』

 歩きだした闇魔道士の後ろを、頭四つ分近く高い緋色の魔物が、ぶつぶつ言いながらついていく。その後からシャドウファング、その足下には二匹のたぬき──長老とパメラがまとわりついていた。ラクスたち、ほかのたぬきは先回りして岩山あたりに罠を仕掛けるつもりらしく、相談しながら獣道へと走っていった。

「おい、何をごそごそ言ってるんだ?」

 ダークレギオンは背後についてくるマリグナントの顔を振り仰いだ。

『いや、思ったのだが……』邪竜人は考え考え言った。『“枯渇水晶”は最後、貴様の呪文に従って貴様の掌の内に入ったのだろう? ならば、この先は貴様があの呪物を使えるのではないかと……そう思ったのだ』

「俺が?」

 ダークレギオンは何度か瞬きして立ち止まった。懐から正八面体の水晶を取りだす。

「ご主人さま?」

 シャドウファングは不審げに主人を見た。

『ポムス!』パメラが驚きの声を上げた。『ポムス、“枯渇水晶”が!』

「え……? あぁっ!」

 シャドウファングはダークレギオンの手元を見て、思わず叫んでいた。

 正八面体の水晶が明るい虹色の輝きを放っている。

「これは……」ダークレギオン本人も、ごくりと唾を呑んだ。「俺はクリスタル家とは何の関係もないのに……やはり、あの呪文のせいか?」

『おそらく、そうだろうよ』マリグナントはうなずいた。『貴様はおそらく、その呪物の力を最大限に利用できるはずだ。もちろん、俺様の呪力を戻すことも……な』

「……それは、そのときに考える」

 闇魔道士は掌中で水晶を転がしながら言った。そして、再び歩きはじめる。

『ふむ……あの間抜けな闇魔道士に、邪竜人の呪力を戻してやる度量があるかのぉ』

 ちょこまかとシャドウファングの足下を歩みながら、長老が面白そうに呟いた。

「でも、呪力を戻してやったりしたら、どんなことになるか判らないですよ」

 シャドウファングは口唇を尖らせる。

『ほっほっほ』長老はいかにも楽しげに笑った。『まだまだ青いのぉ、ポムス』

「何がですか? 長老」

 シャドウファング=ポムスは、ちょっとむっとなって老狸を見た。

『あの邪竜人、おぬしが思っておるほど悪人ではないぞ。奴らは「強い者こそ正義」という理念に基づいて動いておるだけぢゃ』

「そりゃまぁ、そうかもしれませんけど……」シャドウファングは納得いかない表情だ。「奴のせいで、ダルフ村の人たちは酷い目に遭ったんですよ」

『それを言われると、つらいがのぉ……』

 それきり、たぬきの長老は口を閉ざした。

 そして、一行は黙々とクライス村の南の岩山を目指したのだった。


 リザが寝かされていた「石舞台」に一行が着いたとき、周囲には生臭い風が吹きはじめていた。

 パメラが嫌そうに顔をしかめて周囲を見まわす。

『何なの、この風? 気味が悪いわ』

『岩山の上のほうに変な雲が集まってるんだ』一足早く到着していたラクスが、一行に駆けよりながら言った。『文字どおり、不穏な空気、というやつだな』

『仲間が来ようとしているのだ』マリグナントは言った。『どうする、闇魔道士。俺様に呪力を返して、より強力な助っ人とする決意はついたか?』

 ダークレギオンは黙って黒い雲が流れる空を見あげていたが、やがて、くるりと振り向いてマリグナントを見た。

「俺に“枯渇水晶”が使えるはずだ、と本気で思っているのか?」

『ああ』邪竜人は簡単にうなずいた。『あれだけ強力な呪物が自分から貴様の掌に入ったのだ。使えなくては宝の持ち腐れだぞ』

 ダークレギオンは大きく一つ息をつくと、懐から“枯渇水晶”を取りだして天に掲げた。


 古来より伝わる ちから秘めし貴石よ。

 汝を手に入れし 黒き闇魔道士の力を、

 その身に受けて 我が呪文にこたえよ。

 かの者に与えよ うばいとりし呪力ちからを。


“枯渇水晶”が一段とその輝きを増す。

 虹色の輝きのなかに時おり緋色の輝きが、きらきらと混じる。そして、その間隔が短くなっていったかと思うと、一つの大きな輝きとなってマリグナントの胸元へと吸いこまれた。

『ふん、言ったとおりだっただろうが』

 マリグナントは二対の翼をばさりとはためかせ、宙高く舞い上がった。

「確かにな」ダークレギオンはうなずいた。「ということは、逆に、おまえの呪力をもう一度吸い取ることもできる、ということだからな。それを忘れるなよ」

『判っている』邪竜人は言った。『これでグライドの奴と闘うことができるわけだからな。貴様に感謝しこそすれ、貴様を攻撃するようなことはせん』

『グライドというのが、おまえさんが闘いたい相手かの?』

 たぬきの長老が上空を仰ぎ、場違いなほど呑気な声で尋ねた。

『ああ』マリグナントはうなずいた。『強い奴だ』

 そのとき、ダークレギオンが低く言った。

「来るぞ」

 岩山の上空──暗い夜空に、なお昏く雲が渦巻きつつあった。渦巻きの中央には、混沌とした色、としか形容しようのない色が生まれ、正体の知れない不気味さを醸し出している。

『この「石舞台」のあたりまで連中をおびき寄せてやろう』マリグナントが言った。『たぬきどもの罠も、そのあたりに仕掛けてあるんだろう? まずは、このへんまで連れこまんとな、連中を』

「まかせた」ダークレギオンは短く言った。「俺には俺の準備がある」

『さっさとしろよ』

 マリグナントは混沌の色をした渦巻く雲のほうへと一直線に上昇していく。緋色の翼が雲の中央へ突っ込んだかと思うと、たちまち飛びだしてきた。

 数が増えている。

 五体の魔物が宙を飛び交い、軌跡を交錯させながら徐々に地上に近づいてくる。

「パメラ、長老と一緒に石舞台の陰に隠れて」シャドウファングが空を見あげたままで言った。「ここは危ないよ」

『えぇ、解ったわ』

 パメラは素直にうなずくと、祖父である長老を促して、そこから退いていった。

 やがて、ばさばさっと大きく翼が宙を打つ音が響き、五体の魔物が地上に降り立った。一体はダークレギオンの脇に仁王立ちになり、残る四体はそれと向かい合う形で場を占める。

『なんだ、マリグナント』四体のうち、ことに体格がよい邪竜人が一歩すすみ出て、ダークレギオンたちを見渡した。『そんな惰弱な生き物の支配下に置かれたとは情けないな』

『何とでも言え』マリグナントがにやりと笑った。『こんな状況ででもないと、貴様と闘うことはできんからな──グライド』

『なるほど、それが目当てか』グライドと呼ばれた邪竜人は、ぼきぼきと指を鳴らした。『そういうことなら俺様も遠慮はせん。おい』

 グライドはともに降りてきた三体の魔物に向かって、くいっと手を動かした。心得た様子で、三体が後ろに退がる。

 マリグナントのほうもダークレギオンたちに顎をしゃくり、石舞台の陰まで退がらせる。

『行くぞ!』

 マリグナントがいきなりダッシュした。グライドの正面から右の正拳を叩きこむ。

 もちろん、やすやすとそれを喰らうようなグライドではない。思いきり翼を動かしてマリグナントの顔に石塊いしくれや砂埃を巻きあげておき、上空へ舞いあがるや、瞬殺の踵落としを相手の脳天めがけて振り下ろす。

 マリグナントは、さっと右にたいを開き、落ちてきたグライドの右足首をぐっと捉えた。そのまま、ぶん……っと振りまわしにかかる。

 グライドは遠心力に逆らって上半身を起こし、足首をつかんでいるマリグナントの手首を逆につかみ返した。

『紅蓮っ!』

 唱えると同時にグライドの手から、ごおっと炎が湧き起こった。

「火焔使いか」ダークレギオンが呟いた。「邪竜人だというだけで始末が悪いのに、あんな小手先の業まで使えるとはな……大丈夫なのか、マリグナントのやつ」

 マリグナントの手がグライドの足首を放した。だが、グライドはマリグナントの手首をつかんだままだ。

『氷樹っ!』

 グライドの口から、また別の呪文が叩きつけられる。びきびきっと音を立ててマリグナントの手首から上腕部までが一気に白く凍りついた。

『ぐあっ!』

 マリグナントが苦痛の呻きを上げて膝をついた。ふわりと飛び離れたグライドは勝ち誇った笑みを頬に貼りつけてマリグナントを見下ろしている。

『相変わらず、そういう単純な魔法攻撃に弱いな、貴様は』グライドは足を上げ、マリグナントの肩を蹴り飛ばした。『だから、筋肉馬鹿だと云われるんだ』

『ぬかせ!』

 肩を蹴られ、どさりと尻餅をついたマリグナントは次の瞬間、腹筋を使ってふわりと立ちあがっていた。流れるような動作で、そのままグライドの喉元をがしっとつかむ。

『き、貴様っ!』

 グライドはマリグナントの手首をとらえ、また呪文を唱えようとした。だが、マリグナントの鋭い爪が、ぎりぎりと首筋に食いこんでいき、呪文を唱えるために精神を集中することができない。

『魔法など何の意味があるというのだ』マリグナントはうそぶいた。『俺様が貴様を気に入らない理由はそれだよ。自己おのれ肉体からだ技倆うでだけを使って闘うことこそ我ら一族の誇りだったはず。それを貴様は口先で相手を片づけることに意味を見出しはじめた。恥を知れぇ!』

 マリグナントの爪が、ずぶぶっとグライドの首筋に突き刺さった。真っ黒な血が宙に噴きあがる。

『マ、マリグ、ナント……き、さま、は──』

 切れ切れの言葉には耳も貸さず、マリグナントは膂力を使って、ぶん、とグライドの肉体を放り投げていた。ざざざっと地面を削って倒れこんだグライドは、喉元からだらだらと血を流し、もうぴくりとも動かない。

『マリグナント……貴様、仲間を……』

 残った三体の邪竜人たちが、じりじりとマリグナントに詰め寄りはじめた。

 二体はまだ若いのだろう、爪もさして長くはなく、肌の色もどちらかと云うと朱色に近い。もう一体は多少年齢を重ねているのか、肌の緋色もくすみがちだが、眼光に宿る落ち着きと冷徹さは他の二体の及ぶところではなかった。

『おっと待った』マリグナントが軽く手を挙げる。『俺様はいま、この闇魔道士に使役されている身でな。文句があるなら、こいつらを倒してみろ。話はそれからだ』

『つまり、貴様は』年かさの一体が口を開いた。『この「世界」の奴等の力量を認め、お互いに不可侵であるべきだ、と言いたいのか』

 マリグナントは大きくうなずいた。

『よかろう。ならば、俺様たちの目で、こいつらにその価値があるかどうか、確かめてくれるわ!』

 三体の邪竜人が、ぱっと散る。

 ダークレギオンとシャドウファングの主従は「石舞台」の陰から歩み出た。

 マリグナントは翼を拡げて、ばさりと宙に飛び上がり、文字どおり高みの見物を決めこんでいる。

 若い二体がダークレギオンを左右から挟み込むように、じりじりと迫っていく。

 ダークレギオンが懐に手を入れ、“枯渇水晶”を取りだした。

 いっぽう、年かさの一体は一気にシャドウファングに向かって襲いかかってきた。

『ポムス、走れ!』一足早く動いていたラクスが呼ぶ。『こっちだ!』

 シャドウファング=ポムスは声のするほう──というよりは、ラクスのにおいのするほうへと走った。邪竜人は、たん、と地を蹴り、地面すれすれのところを滑空するような形でシャドウファングの背後に迫る。

『ポムス、後ろ!』

 パメラの悲鳴がシャドウファングの背中を押した。ばたっと地面に伏せたシャドウファングの背中を切り裂かんとする勢いで、邪竜人の爪が行き過ぎていく。

「くそっ!」

 顔を上げたシャドウファングは今しも眼前を飛びすぎていこうとする邪竜人の足に、いきなり飛びついた。

『な、何をするか!』

 驚いた邪竜人は一気に急上昇してシャドウファングを振り落とそうとした。だが、シャドウファングも負けてはいない。じりじりと邪竜人の足をたどるようにして身体を動かし、翼に手をかけようとする。

「もう、少し……」

 シャドウファングは横目でちらりと地面を見た。かなり上昇してしまってはいるが、ぐるぐると円を描いて走り回っているラクスを目の端で捉えることができた。

『くそっ、落ちろっ!』

 邪竜人は、いきなり上から下へ、下から上へと高速で回転をはじめた。シャドウファングは振り落とされないように必死でその背中にしがみついている。

『ポムスっ!』パメラの心配そうな声が響く。『大丈夫?』

「ぼく……っ、ぼくは、いい、から……っ!」シャドウファング=ポムスは声を限りに叫んだ。「ご主人さま……ご主人さまを……っ!」

 パメラはダークレギオンのほうを見た。

 ダークレギオンは左右から迫ってくる邪竜人二体を苛烈な視線で射すくめている。

『たいしたものぢゃ』たぬきの長老が呟いた。『あの好戦的な魔物たちを睨むだけで抑えこむとはの』

『でも、あのままじゃ……“枯渇水晶”を使うには精神を集中させなきゃいけないんでしょう?』パメラが祖父を見た。『魔物たちの気を逸らさなきゃ!』

『あ、これ!』

 長老が留める隙もなく、パメラは飛びだしていた。ダークレギオンの右側から迫っている邪竜人の顔に、いきなり飛びつく。

『うわぁっ!』

 視界を塞がれ、顔全体を引っかかれた邪竜人は、思わず声を上げてパメラをひっつかんだ。そのまま、べしっと地面に叩きつける。

 だが、ただ叩きつけられるようなパメラではなかった。くるっと一回転して地面を蹴り、再び邪竜人の顔面に飛びかかっていく。

『こいつ……っ!』

 もう一体の邪竜人が仲間の顔に貼りついているパメラを引きはがそうと手を伸ばす。

 二体の邪竜人の意識がパメラに向いた瞬間、ダークレギオンは“枯渇水晶”を高々と天に掲げていた。虹色の輝きが、闇魔道士の顔を照らす。


 古来より伝わる ちから秘めし貴石よ!

 汝を手に入れし 黒き闇魔道士の力を、

 その身に受けて 我が呪文にこたえよ!

 悪しき者どもの呪力ちからを全て 奪い去れ!


 澄んだ光が二体の邪竜人を照らし出した。

 パメラは邪竜人の顔から素早く離れ、さっさと岩陰に逃げこんでしまう。

『な、なんだ、この光は?』

 一体の邪竜人が目を覆ってよろめく。もう一体は、光に照らし出された瞬間に全身を硬直させ、茫然と立ちつくしていた。

 ダークレギオンの視線が、立ちつくしている邪竜人のほうに向けられた。


 古来より伝わる ちから秘めし貴石よ!

 我が望みに応じ 我が望みをかなえよ!

 かの者より奪え 悪しき呪力をすべて!

 かの者の呪力を 汝が内側へと納めよ!


 闇魔道士の呪文に引きずられるように、澄んだ光の帯が一直線に邪竜人を目指す。

『う、うわぁっ!』

 邪竜人の全身が光の帯に包まれたかと思うと、その輝きがすうっと“枯渇水晶”に吸いこまれていった。邪竜人は、がっくりと膝をついて、その場にうずくまる。

『たいしたものだ』上空から眺めていたマリグナントが、ひゅうっと口笛を吹いた。『もう使いこなしてるんだからな、あの呪物を。この俺様でさえ、あそこまでの呪力を引き出すことはできなかったというのに』

 シャドウファングを振り落とそうと旋回していた年かさの邪竜人も、その光景を視界に入れていた。あっという間に仲間の呪力が奪われたのを見て、一瞬、動きが鈍くなる。

「今だ!」

 シャドウファングは、ぐいっと手を伸ばして邪竜人の翼をつかみ、相手の背中に思いきり蹴りを入れた。突然の衝撃に邪竜人は翼を使う余裕もなく、地面の一点めがけて落ちていく。

「わ、わわわわ……」

 邪竜人を蹴り飛ばした勢いで頼りなく空中に浮いてしまったシャドウファングは、そのまま落下しはじめた。咄嗟のことで、たぬきに姿を変えて落下速度を緩めることすら思いつけない。

『何をしてるんだ、貴様は』

 ばさり、と緋色の羽根がシャドウファングを覆ったかと思うと、彼の体はふわりと宙に浮かぶ形になった。落ちていく感覚が消え、シャドウファングはほっと息をついた。

「あの……」

 自分を支えてくれている魔物を見あげ、シャドウファングは言葉に詰まった。

『何だ?』マリグナントはシャドウファングを見下ろした。『どうしたんだ?』

「いえ、助けてくれるとは思わなかったから……その……ありがとうございます」

『面白い奴だな』マリグナントはゆっくりと降下を始めていた。『貴様の主人と云い、貴様と云い、この「世界」の連中はなかなかやる。見ていると面白い』

 シャドウファングはマリグナントの視線を追った。

 彼が蹴り落とした邪竜人は、見事に狙った一点に落下しようとしている。

「やった!」

 思わずシャドウファングが快哉を叫ぶ。

 邪竜人が地面に落ちた──と思った瞬間、そこの地盤がぼこっと落下した。巨大な落とし穴だ。

『あんな物を掘ってたとはな』マリグナントは、くっくっと楽しそうに笑う。『俺様たちには思いつかん策だ』

 穴に落ちた邪竜人に向かって、何処からともなく、わらわらと現われたたぬきたちが一斉に飛びかかった。邪竜人のほうは慌てて体勢を立てなおそうとするが、なにしろ狭い穴のなかのことなので、いいようにたぬきたちにたかられてしまう。

 その間に、ダークレギオンはもう一体の邪竜人へと“枯渇水晶”の矛先を向けていた。虹色から生まれた澄んだ光の帯が活き活きと波うち、邪竜人に向かって伸びていく。


 古来より伝わる ちから秘めし貴石よ!

 我が望みに応じ 我が望みをかなえよ!

 かの者より奪え 悪しき呪力をすべて!

 かの者の呪力を 汝が内側へと納めよ!


“枯渇水晶”は邪竜人の呪力をどんどん吸い取っていった。やがて、光が弱まったかと思うと、後には地面にうずくまる二体の邪竜人の姿だけがあった。

「ふん……口ほどにも、ない……」

 ダークレギオンは、はあっと息をついた。

 さすがの彼も、一度にこれだけの魔力を発動させると疲労が激しいようだ。

「ご主人さま!」

 心配げに呼びかけるシャドウファングを、マリグナントは落とし穴の脇にぽいと降ろした。

 ちょうどそこへ、たぬきたちに集られていた年かさの邪竜人が、よたよたと這い上がってくる。強引に全身を震わせ、たぬきたちを振り落としたのだ。頭といい、肩のあたりといい、噛み傷やら引っ掻き傷やらで、ぼろぼろになった邪竜人は、ぎろりとシャドウファングを見た。

「みんな、逃げて!」

 シャドウファングが叫び、たぬきたちは蜘蛛の子を散らすように駆け散った。

『貴様ら……こんな、こんな馬鹿馬鹿しい罠で、この俺様を……』

 邪竜人が悔しげに唸る。

『どんなに馬鹿馬鹿しくとも、それに引っかかったのは貴様だ、エリュド』シャドウファングの脇に降り立ったマリグナントが言った。『自己おのれの不覚を認めるのだな』

『認められるかぁっ!』

 エリュドと呼ばれた邪竜人はいきなり地を蹴った。シャドウファング目がけて瞬速の蹴りを叩きこもうとする。

 シャドウファングは横っ飛びにそれを避けた。避けながらも手を伸ばし、叩きこまれた足首を捕まえにかかる。

 だが、そう簡単にはいかなかった。エリュドは蹴りが外されたと見るや、すぐに足を戻し、もう一度蹴りだした。先の蹴りをフェイント代わりに利用したのだ。

「しまった!」

 シャドウファングが事態を理解したときには、剃刀のような切れ味の蹴りが彼の脇腹を直撃していた。シャドウファングの身体は、ひとたまりもなく吹っ飛ばされる。

「シャドウファング!」

 思わずダークレギオンが振り向く。

『貴様の相手は俺たちだろうが!』

 呪力を奪われ、膝をついていた二体の邪竜人が立ちあがり、怒りの咆哮とともにダークレギオンに殴りかかってきた。闇魔道士は咄嗟に身を沈め、一人に足払いをかけて転ばせる。

 エリュドはゆっくりとシャドウファングに歩み寄っていた。

 強烈な蹴りのために肺がおかしくなったのだろう、ろくに息もできず、呻いている若者の襟首をつかみ、強引に立ちあがらせる。

『まったく……ナメた真似をしてくれたものよ』

 エリュドはそう云うと、シャドウファングの鳩尾に強烈なボディーブローを叩きこんだ。げほり……とシャドウファングが息を吐く。半開きになった口の端から、だらだらと涎が垂れた。

『いかん』たぬきの長老が呟いた。『あのままでは、内蔵がずたずたにされるぞ』

『おじいさま!』

 パメラが涙だらけの目で祖父のほうを見て、息を呑んだ。

 長老の全身は茶色いもやに囲まれている。そして次の瞬間、長い白髯をのばした翁がそこに立っていた。滅多に見せることのない、長老のワーとしての姿である。

『爺ぃっ! 貴様なんぞに何ができる!』

 エリュドは紙くずのようにシャドウファングを放りだし、スピードを乗せたストレートの正拳突きを長老の顔に入れようとした。

 長老の右手が動く。

 叩きつけられてきた正拳をつかみ、ぐいっとエリュドを引っ張る。そして、突きの勢いを活かし、ぶんっと宙に投げ飛ばした。

『くうぅ……っ!』

 エリュドが翼を拡げて体勢を変えようとした。だが、疾風の速さで動いた長老の身体が鞠のように弾み、両足を揃えての跳び蹴りとなってエリュドの腰あたりに炸裂した。

「決まった……!」

 倒れていたシャドウファングが、わずかに顔を上げて呻く。

 エリュドは、顔を下にしてびたんと地面に落ちた。そのまま動かなくなる。

『な、何があったんだ……』マリグナントが唖然として呟いた。『見えなかった……? 俺様としたことが……あの爺ぃの動きが、まったく……』

「あのひとは、特別、なんだよ……」シャドウファングがゆっくりと身を起こす。「人間の拳法家に仕込まれたんだ……」

『じゃ、あっちは?』

 マリグナントがダークレギオンのほうに目をやる。

 一体の邪竜人を足払いで転ばせたダークレギオンは、身を沈めた姿勢から鋭い肘打ちをもう一体の邪竜人の下腹部へと叩きこんでいた。そいつが上半身を折って倒れこんでくるのをかわして立ちあがり、転ばせた邪竜人の無防備な腹部を、容赦なく、どかりと踏みつける。

「あれは……ぼくの父さんに」シャドウファングは肩をすくめた。「ブレードファングって云うワーおおかみで、そこそこ強いんだ」

『ブレードファング、だとぉ?』マリグナントが顔をしかめた。『なるほど、そりゃ強かろう』

「父さんを知ってるの?」

 シャドウファングは尋ねた。

『俺様が直接知ってるわけじゃない』マリグナントは言った。『片がついたようだぞ』

 腹部を踏まれて気絶した邪竜人に重なるように、もう一体が崩れ落ちた。前かがみになったせいでガラ空きになった首筋から後頭部あたりに、ダークレギオンの掌底を叩きつけられたのだ。

「これまでだ、邪竜人ども」闇魔道士は吐き捨てるように言った。「憶えておけ。強き存在を求めて『世界』へきた挙句が、この有様だということを。二度目の挑戦はない」

 ダークレギオンが大見得を切ったとき、マリグナントに倒されていたグライドが、ようやく起きあがっていた。

 やれやれと腰を下ろし、ちっと唾を吐く。

『なるほど、これは俺様たちの負け、だな』

『解ったら、とっとと「異界」へ戻れ』

 マリグナントが言った。そんな仲間をグライドがちらりと見る。

『貴様はどうするんだ? マリグナント』

『俺様か?』マリグナントは、自分で自分の顔を指した。『俺様はこの「世界」が気に入った。しばらく、ここで修行していく』

「な……っ」シャドウファングは思わず、ぽかんと口を開いた。「何のつもりだよ、いったい」

『聞いてのとおりだ』マリグナントは鋭い爪のある指で、つんとシャドウファングの額を突いた。『貴様の父親がブレードファングだったとはな……』

「何なんだよ、だから!」

『そいつの兄貴がな、以前この「世界」に来たことがあるのさ』地面に貼りついていたエリュドが、ようやく起きあがって言った。『そして、負けたんだ。ブレードファングと名乗ったワーおおかみに』

『つまり、俺様がそのブレードファングに勝てば、俺様は兄貴を越えることになる』

「ひえぇ……」

 シャドウファングは、へなへなと座りこんだ。誰の挑戦でも受ける、というのがブレードファングの信条だと知ってはいるが、こんな挑戦者を連れていっては何を言われるか判ったものではない。

「好きにしろ」ダークレギオンは服のあちこちについた埃を払い落としながら言った。「それよりも爺ぃだ。ちらっと見えたぞ」

『何かの?』

 とうの昔にたぬきの姿に戻っていた長老が、白々しく闇魔道士を見つめた。

 ダークレギオンは文字どおり「この狸爺ぃ」という目で長老を睨みつけていたが、やがて視線を逸らした。

『さて……そうと決まれば、ここに長居しても始まるまい』エリュドは、ばさりと翼を動かして言った。『我らは帰る。片がついたら戻ってこいよ、マリグナント』

『ああ、そうするよ』マリグナントは軽く手を振って応えると、ダークレギオンを見た。『おい、あの連中から奪った呪力を戻してやれ。でないと「異界」へ戻ることもできんぞ、あいつら』

「手間のかかる話だな」

 ダークレギオンは文句を言いながらも、二体の邪竜人から奪った呪力をそのまま彼らに返してやった。

 四体の邪竜人はまた混沌の色をした雲を呼び、その中央を通って『異界』へと戻っていく。

「俺たちも帰るぞ、シャドウファング」

 そう言うと、ダークレギオンはさっさと村への道を歩みはじめた。

『疲れてるようだな、ご主人さまは』マリグナントが言った。『まぁ、無理もないが』

「なんでさ?」

 シャドウファングは、どうやら、ともにダークレギオンに仕えることになったらしい魔物の顔を見て首を傾げた。

 マリグナントが口唇を歪めて笑う。

『気づかないのか? “枯渇水晶”の魔力の根本は、ご主人さまが奉ずるそれとは別のところにあるぞ』

「え……?」

 シャドウファングは目をぱちくりさせる。

『あれは、光魔道に属する呪物ぢゃ、ということぢゃよ』ぽてぽてと歩きだしながら、たぬきの長老が言った。『儂らも帰る。また何かあったら森へ来い』

「あ、はい!」シャドウファングは、ぺこりと頭を下げた。「ありがとうございました、長老。助かりました」

 ほっほっほ、と笑い声を残して去ってゆく長老の後ろに、ぱたぱたと尻尾を振りながらパメラが続く。

『じゃ、またな、ポムス』

 ラクスたちも簡単な挨拶を残して走っていく。

『さてと、じゃ、俺様たちも行くか。よろしくな、御同輩』

 マリグナントに馴れ馴れしくそう言われ、シャドウファングは眩暈めまいを起こしそうになった。

 ──ああ、どうするんだ、こんなの連れて帰っちゃって……カディムさんとかに何て言えばいいんだ。第一、こいつのごはんとか、どうすればいいんだろう? 菜食主義じゃないよねぇ。

 彼の苦悩には構わず、マリグナントは呑気な表情で村への道を歩きはじめた──。

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