第2章 ワーたぬきシャドウファング
シャドウファングは足早に森の奥へと入っていった。
昨夜、ダークレギオンが魔法陣を描いた空き地を横切り、下生えをかき分けて歩いていくと小さな泉のほとりに出る。村の人間たちには、その存在すら知られていない泉だ。
ここまで一息に歩いてきたシャドウファングは、泉のそばにバスケットを置き、帽子を取ると、ほっと息をついた。冷たい水で顔を洗い、喉をうるおす。
そのとき、泉の脇の茂みのなかで、かさかさ……と何かが動いた。シャドウファングの様子をじっと見つめているようだ。
ぶるぶると頭を振って顔についた水滴を落としたシャドウファングは、その気配に、にっこり
「パメラ。パメラだろ? 出といでよ。美味しい葡萄パンがあるんだ。一緒に食べよう」
がさりと茂みが大きく動き、中型の獣が姿を見せた。全身が柔らかそうな焦茶色の体毛で覆われた四足獣である。つんと尖った鼻先と口の隙間から覗く牙は俊敏な肉食獣のものだが、つぶらな黒い瞳は優しい光をたたえていた。
たぬき、だ。
『くぅ~ん?』
獣は首を傾げた。
「うん、パメラの分もあるよ」シャドウファングは応えた。「パメラも知ってるだろ。村長の娘さんのリザお嬢さん。あの人が、ご主人さまのところへ持ってきてくださったんだ。美味しいよ」
たぬきは前脚を踏ん張り、ぐぐーっと背筋を伸ばした。焦茶色のもやが獣の全身を取り巻いたかと思うと、かすかな風に吹かれて、さあっと晴れていく。
もやが晴れた後には小柄な美少女が立っていた。すんなりと伸びた手足、均整の取れた身体つきの持ち主だ。胸と腰のまわりを申しわけ程度の焦茶色の布で覆っているほかは、なめらかな肌を惜しげもなく、さらしていた。
「ひさしぶりね、ポムス」
美少女は短い髪を手で調えて微笑んだ。
「うん、ひさしぶり」シャドウファング=ポムスが応えた。「昨夜はごめんね。パメラ、待っててくれたのに帰っちゃって」
「うぅん、いいの」美少女は彼の隣に、すとんと腰を下ろした。「ご主人さまと一緒だったんだもの、仕方がないわ」
「ありがとう。長老は元気?」
ポムスの問いに、パメラは「相変わらずよ」と肩をすくめた。
「あなたとのことを話そうとすると、いきなり耳が遠くなるの。大人げないったら!」
「そうか……」ポムスは残念そうに溜息をついた。「やっぱり、ぼくがワーの姿をしているのが気に入らないんだね。たぬきの姿をして山で暮らさないと、きみとのことも──」
「あたしはいいのよ、ポムス」パメラは恋人の言葉を遮った。「あなたは、お父さまの代からご主人さまの一家にお仕えしてて、ワーとしての生活が成り立ってるんだもの。おじいさまの言ってるのは、ただの我儘なんだから気にしないで。あたしは、ワーの姿になって、あなたのところへ嫁いでもいいと思ってるんだから」
「ありがとう、パメラ」ポムスは嬉しそうに微笑った。「でも、そのときは、ちゃんと服を着なきゃならないから、けっこう大変かもしれないよ」
「あ、それはそうね」
パメラは、ちょこんと舌を出す。
ワーの姿を取ることができる獣たちは、ワーの姿になったとき、獣のときの毛皮の量に見合った衣服を身にまとうことになる。普段、獣の姿でいることを選んだ者たちにはそれで充分だし、それ以上の衣服など邪魔になるだけだからだ。けれど、シャドウファング=ポムスのようにワーの姿でいることを選んだ者たちは、それだけでは足りないので人間の衣服をも身に着けることになる。
「すぐに慣れるとは思うけどね」
そう言うと、ポムスはバスケットから葡萄パンを取りだしてパメラに渡してやった。美少女は礼を言って、それを受けとる。
その様子を見つつ、ポムスは言葉を継いだ。
「でも、長老の望みどおりにしたほうがいいのかな、と思うときもあるんだよ」
「どうして?」
パメラは目をぱちくりさせた。
「ぼくはグレイヴワード家に仕えているけど、それは自分の本当の姿を偽ってのことだろう? そういう嘘が長続きするとは思えないんだよ」
ポムスはバスケットから手紙を取りだした。
「それ、奥さまから?」
封筒から仄かに漂う香りに鼻をうごめかし、パメラが尋ねた。
「うん」ポムスはうなずいて手紙の封を切る。「ぼくの母さんは奥さまの侍女ってことになってるけど、実際には親友みたいなものなんだよね。ぼくを取りあげてくださったのも奥さまだから、まるで自分の子どもみたいに、ぼくのことも心配してくださって、いつもこうして、お手紙をくださるんだ」
「そうよね。奥さまはポムスのことをよく知ってらっしゃるけど……」パメラは申しわけなさそうに一旦、言葉を切った。「ご主人さまは……ポムスのこと、ワーおおかみだと思ってらっしゃるんでしょう?」
「うん」ポムスが手紙を開く。「ぼくの父さんはブレードファングって名前がぴったりの、強くて立派なワーおおかみだけど、ぼくは母さんの血を引いたワーたぬきに過ぎないんだよね。昨夜も夜魔を相手に、ろくすっぽ闘うこともできなかった。……情けないよ」
違う種類の獣であるワー同士が結婚した場合、生まれてくる子どもは、父母どちらかの獣の姿を取ることになる。どちらの姿となるのかは生まれてきてみないことには判らない。人間の子どもが母親似か父親似か、顔を見るまで判らないのと同じことだ。
ポムスの場合、生まれおちたときには体毛の色も薄く、目元も今より吊り上がり気味だったので、父親の血を濃く受け継いだワーおおかみとして生まれたものと誰もが思ってしまったのだ。
真実に気づいたのは産みの母であるレイラと、産婆を務めたグレイヴワード家の女主人・アンナだけだったが、そのときにはもう、男性陣は「立派な跡取り」の誕生にすっかり舞い上がってしまっており、今さら「母親似でした」とは言うに言えない状況になっていたのである。
以来、彼は、父が付けたシャドウファングというワーおおかみの名と、母が付けたポムスというワーたぬきの名とを持ち、グレイヴワード家の末っ子ダークレギオンに仕える者として育てられたのだった。
「でも、昨夜のポムスは頑張ったと思うわ」パメラはうなだれてしまったポムスを慰めにかかる。「ご主人さまの血の滴から作られた紅玉を夜魔の手から取りもどしたじゃないの。そりゃあ、本物のワーおおかみと闘うことになったら、どうなるか判らないけど、それでも昨夜のポムスは立派にご主人さまのお役に立ったって、あたしは思うわ」
「パメラ……ありがとう」ポムスは顔を上げた。「そうだよね。ぼく、自分にできることを精いっぱい、やるよ。そうして、ご主人さまのお役に立つことができて、長老にも認めてもらえれば、ぼくも嬉しいんだし」
「ポムスが嬉しければ、私も嬉しいわ」
パメラの飾り気ない言葉に、ポムスは照れたように頭を掻いた。照れ隠しにバスケットの中をさぐり、カップを取りだしてハーブティーを注ぐ。
「いい香りね」
そう言って鼻を動かすパメラにカップを渡し、ポムスはあらためてダークレギオンの母・アンナからの手紙に目を落とした。野の花の漉きこまれた上品な便箋からは、アンナが使っている涼やかな香水の匂いが立ちのぼってくる。
『シャドウファング──いえ、ポムス。元気でやっていますか? こちらは皆、元気でやっています。ブレードファングだけは先日ちょっと風邪をひいてしまい、くしゃみばかりしています』
「くしゃみばかりしてるワーおおかみって、あんまり冴えない感じだね」
ポムスが笑った。
「駄目よ、笑ったりしちゃ。お父さまに悪いわ」
パメラにたしなめられたポムスは、きまり悪そうに咳払いをしてから、手紙の続きを読んだ。
『カオスマインドは先日、新しい下僕を喚び出しました。今は儀式の手伝いなどをさせています。雪魔の子どもらしいのですが、なかなか素直で可愛い子です。いずれ機会をみて異界に返してやりたいと思っているのですが、カオスマインドが聞き入れてくれるかどうかは難しいところです』
「カオスマインドって?」
パメラが尋ねる。
「ご主人さまのお兄さまの名前だよ。旦那さま──ダークスカルさまのご長男さ」
「そうなの」パメラはうなずいた。「ダークレギオンさまはご次男だったのね」
「いいや」ポムスは、残念でしたという表情で首を左右に振った。「ご主人さまには、お兄さまが三人とお姉さまが二人いらっしゃるんだ。六人兄弟の末っ子なんだよ。だから、こんなところで一人暮らしをするっていう我儘も通ってるんだ。普通、闇魔道士って云うのは、一族郎党そろって同じ場所に住むものなんだけど、旦那さまも奥さまも末っ子のご主人さまには弱くてね。ご主人さまが『一人でやっていく』って言い出されたとき、ぼくを連れてくって条件付きでだけど、すぐにお許しが出たんだ。ご主人さまのことが可愛くて仕方ないんだろうな、きっと」
「まぁ、そうなの」パメラは目を丸くしている。「可愛い子には旅をさせろってことなのかしら」
「うーん……それもあるんだろうけど……」
ポムスは口ごもった。
パメラは、きょとんとなってポムスを見る。
「どうしたの? 旦那さまも奥さまも、ご主人さまの闇魔道士としての力を発揮させるために、一人暮らしを許していらっしゃるんでしょう?」
「旦那さまはね、そのおつもりだと思うよ、ぼくも」
ポムスは言った。
「じゃ、奥さまは違う……?」
「……んじゃないかなって、ぼくは思ってるけどね」
そう応えたポムスは、また手紙の続きを読みあげた。
『ダークレギオンの様子はどうですか?
そろそろ自分の持つ「力」の性質に気づいてくれたでしょうか。彼自身が自分のことを理解しないかぎり、魔道士として一人前になることはできません。彼が自分を理解し、そのうえで闇の道へ進むというのならば、私にも止めることはできないでしょう。しかし、理解しないまま、いくら修行を積んでも魔道士としての成長は望めないのです。
ポムス。ダークレギオンが自分の「力」の性質に気づいてくれるよう、見守ってやってください。我儘な子ではありますが、一所懸命にがんばっているには違いありません。
仲良くやっていってくださいね』
パメラが、ぱちぱちと瞬きをした。
「……なんだか難しいお手紙ね」
「難しくはないよ」
ポムスが苦笑する。
「でも私、『力の性質』なんて言われてもピンと来ないわ。魔力は魔力っていう『力』で、人間だけが持つものだと思ってたから。人間が持つ『力』には、いろんな種類があるの?」
「種類って云うよりは、向き不向き、だよ」
「向き不向き……?」
パメラはいよいよ話が解らなくなったようだ。丸い目を、いっそう真ん丸くしてポムスを見つめている。
「ご主人さまは奥さま似なんだよ。そして、奥さまは光魔道士の家の出身なんだ」
「えっ?」
パメラが、ぴょんと飛び上がった。あまりに驚くと、つい獣のときの動作が出てしまうのだ。
「びっくりするよね、やっぱり」ポムスはハーブティーの瓶を取りあげた。「今のでこぼれちゃっただろ? おかわり、注いであげるよ」
「あ、ありがと……」カップを持ちなおしたパメラは、ふぅ、と息をついた。「そりゃ驚くわよ。闇魔道と光魔道とは相容れないものじゃないの?」
「もちろん、そうだよ」ポムスがうなずく。「この二つは相反するものだからね。昼に夜は来ないし、夜に昼は来ない。でも、何事にも例外はあるんだ」
「例外……」
「そう」ポムスは説明を始めた。「そもそも奥さまの魔力がちょっと変わっていてね。光魔道士の家に生まれたんだから、魔道士として必要な魔力の素質は充分におありなんだけど、その魔力が光にも闇にも染まらない魔力なんだって」
「……ごめんなさい」パメラはしばらく考えてから言った。「よく解んないわ」
「ぼくも、ちゃんと解ってるわけじゃないんだ」ポムスは肩をすくめた。「普通、光魔道士の家に生まれた者は、親代々の素質を受け継いでるから光魔道しか修められない。闇魔道を修めようとしても無理なんだ」
「どうして?」
パメラが尋ねる。
「光魔道の素質を持った人間が闇魔道の呪文を唱えても効果は出ないんだよ。持ってる魔力が光魔道に対してしか働かないんだって」
「ふぅん」パメラは感心したようにうなずいた。「そういうものなのね」
「そうなんだ。普通には、あまり知られてないことだよね」ポムスが応える。「で、奥さまなんだけど……奥さまは小さいころ、どちらの呪文も使うことができたんだってさ」
パメラの目が、また真ん丸くなった。何度も瞬きをしてポムスを見る。
言葉もなく悩んでいる様子のパメラに、ポムスはまず「ごめんね」と謝った。
「難しいこと言っちゃったね。でも、それが奥さまの『魔力』なんだ。とても純粋な、どんな性質の魔法でも使うことができる魔力なんだって。だからこそ、光魔道士の家に生まれた奥さまが、生粋の闇魔道士である旦那さまのところへ嫁ぐことができたんだよ」
「それは、奥さまが闇魔道士になった、という意味なの?」
「そうじゃないと思う」パメラの問いに、ポムスは首を左右に振った。「奥さまは魔道士じゃないからね。ごくごく普通の、何処にでもいる家庭の主婦だよ。純粋な魔力を持っていた奥さまは、その魔力を光と闇、どちらに染めることも望まなかったんだ。奥さまは『魔力の持ち主』ではあるけれど、魔道士ではない。……解る?」
「う……ん、何となく」パメラはうなずいた。「それで、ご主人さまは、その奥さまの『魔力』を受け継いじゃったわけね?」
「そういうこと」ポムスもうなずいた。「お兄さまがたは皆、旦那さまの闇魔道士としての魔力を受け継いでるから問題ないんだけどね。ご主人さまが闇魔道士として今ひとつ伸び悩んでいるのは、奥さまから受け継いだ魔力のせいなんだ。光にも闇にも染まる魔力だ、ということを、ご主人さま自身が解っていないから実力を発揮しきれてないんだよ」
「ご主人さまに、ご自分の魔力について教えてさしあげるわけにはいかないの?」
パメラの素朴な問いに、ポムスは溜息で答えた。
「あのご主人さまが、そんな話を聞いて簡単に信じると思う? それに──」
「それに?」
「奥さまに言わせると、ご主人さまが自分で気づいて自分で理解しなければ、魔道士としての将来はないって……それはそうだよね。魔力は魔道士の基盤となる力なんだから、魔力の持ち主自身が、ちゃんとその意味に気づいてないと」ポムスは、ぶちぶちと呟きだした。「もちろん、ぼくの話を聞いて、ご主人さまが自分の魔力について考えてみてくれれば、それに越したことはないんだけどさ。でも、ご主人さまって、そういうところが全然素直じゃないんだ。そのくせ、他人を疑うとか他人が悪いとかって考えは浮かばなくてさ。人に迷惑をかけるのが嫌いで、自分の信念や考えを否定されると、すぐムキになっちゃって……変なところで頑固なんだよね。そういうところが奥さまにすごくよく似てるって、これは母さんが言ってたんだけど」
パメラは黙ってポムスの愚痴を聞いていた。彼女は、彼がダークレギオンについての愚痴を気がねなくこぼせる相手が自分しかいないということを、よくわきまえていたのである。
ポムスのほうも、愚痴をこぼすなんてみっともないと思ってはいるものの、誰かに聞いてほしいという気持ちは抑えがたいようで、ついついパメラに向かって、くどくどと話しつづけてしまう。
「毒薬の調合より傷薬の調合が好きで、手紙を貰えば律儀に長い返事を書いちゃって──自分の時間を犠牲にしてまで長い返事を書かなくったっていいのにさ──、昨夜だって夜魔を下僕にするチャンスだったのに、相手が気に食わないからって結局は追いかえしちゃうし……魔力の性質はともかく、自分の性格の『向き』をいいかげんに自覚してくださっても良いころだと思うんだよね。
だって、ご主人さまって、それなりの魔力はお持ちなんだから、性格にあった魔道を選べば、すごい魔道士になれるはずなんだ。ぼく、このままだと、ご主人さまが『ちょっと変人の薬屋さん』で終わっちゃいそうで、むちゃくちゃもったいないと思うんだよね」
ダークレギオンの調合する薬は、ポムスが鼻を利かせて集めてくる薬草が原料になっているせいか、そのへんの呪い師の薬よりも効き目があらたかなのだ。だが、
愚痴をこぼすだけこぼしたポムスは、一息ついて再びアンナからの手紙に目を落とした。
手紙の最後は、
『二人とも身体を大切にね。疲れたときには、ラベンダーのお茶をお飲みなさい』
と締めくくられている。
「奥さま、ご心配なんでしょうね」
パメラが言った。
「うん。だから、ぼく、しっかりしなくちゃって思うんだけど……なかなか」ポムスは苦笑して、ぽりぽりと頭を掻いた。「ご主人さまの健康面については奥さまの前で胸を張れると思う。だけど、魔道のことは、ちょっと……ね。せめて、闇魔道のほうにばかり傾かないように、儀式の邪魔をしてみたりもしたけど、なかなかうまくいかなくて」
「桜桃の
「あれで儀式そのものが嫌になるだろう、と思ったんだけどさ」
ポムスは気落ちした表情になった。彼なりに頭をひねって考えたつもりの「儀式の邪魔をする作戦」が、ものの見事に不発に終わったことが残念でたまらない。
「元気だして、ポムス」パメラは、ぽんと彼の背中を叩いた。「ご主人さまも、そのうち気づかれると思うわ。だって、強い魔力を持った賢いかたじゃない」
──ときどき抜けてるけどね。
ポムスは心の中で、そう呟いた。
いつの間にか陽が傾きはじめている。
「もう、こんな時刻なのか」ポムスは空を仰いで驚いた。「まだ父さんからの手紙、読んでないのに」
ポムスは急いで、もう一通の手紙を開いた。こちらは、ただひたすら「ダークレギオンさま一途にお仕えするように」ということが書き述べてあるだけだ。
──父さん、ぼくが書いた手紙、わざと無視してるな。
ポムスは不服げな面持ちになった。先日送った手紙に、それとなくパメラのことを書いておいたのだが、それについて父は一言も触れていない。
「お父さま……なんて?」
パメラが、おずおずと尋ねた。ポムスが自分とのことを実家に書き送ったと聞いているだけに、気になるのだろう。
「ごめん」ポムスは、父・ブレードファングからの手紙をパメラに渡した。「まだ今は、そんなことを考えるときじゃないって言いたいみたい」
「読ませてもらっていいの?」
パメラはポムスがうなずくのを確かめてから、手紙を読みだした。
その間にポムスはカップを泉の水で洗い、帰り仕度を調えた。闇魔道士の下僕たるシャドウファングに戻る時刻が近づいている。
「お父さま、あたしのことは何も書いてらっしゃらないけど」やがて顔を上げたパメラは、小首を傾げて言った。「頭ごなしに『駄目』って言われるよりは良いわ。要するに、今はダークレギオンさまのことだけを考えろってことでしょう?」
「うん、そうだと思う」ポムスはうなずいた。「ごめんね、頑固な父で」
「そんなこと」パメラは微笑で応えた。「あたしだって、おじいさまのこと、これから説得しなきゃならないんだもの。いきなり『嫁に来い』って言われても困るわ」
パメラの言葉にポムスも微笑を返す。
「また来るよ」
「待ってるわ」
そう言うと、パメラは思いきり背伸びをした。焦茶色のもやが彼女の全身を包みこんだかと思うと、美少女の姿は、たちまち可愛らしいたぬきに変わっていた。
「またね」
ポムスは手紙をバスケットに入れて立ちあがった。急いで帰ってダークレギオンの夕食を準備しなければならない。
『ポムス』たぬきが小さく唸った。『ひとつ教えておいてあげる。村の南の岩山に、変な奴が住みついたみたいよ』
「変な奴?」ポムスは眉をひそめた。「南の岩山って云ったら、文字どおり岩ばっかりで、村の人もほとんど足を踏み入れないような場所だけど……そんなところに人が?」
『人、じゃないわ』パメラは鼻先に皺を寄せる。『異界の存在らしいって、おじいさまが言ってた』
「異界の? 長老がそう言ったの?」
ポムスの表情が険しくなった。
もし、強い呪力の持ち主だとしたら、村に害が及ばないように何らかの手を打つ必要がある。異界からの来訪者は、そのほとんどが昨夜の夜魔のように、こちらの世界の存在に対して敵意を抱いているものだし、村の呪い師ベリスの呪力は、さして強いものではない。
──いざとなったら、ご主人さまを説得して、村を護っていただかなくちゃ。
ポムスは、ぐっと拳を握って決意した。
『気をつけて、ポムス』パメラは尻尾を一振りして森の奥へ入っていきながら言った。『何かあったら森へ来て。ここに住む獣たちは、あなたの味方よ』
「うん、ありがとう」ポムスはパメラの後ろ姿に手を振った。「また来るからね」
『待ってるわ』
パメラの声は、くぉ……んと優しく響いて、そのまま森の向こうに消えていった。
「さ、ぼくも帰らなきゃ」
ポムス=シャドウファングは歩きだした。彼の頭はすでに、今夜の夕食の準備のことで一杯だった──。
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