ep 大恥の日々

ep 一生の大恥 ――神明学園男子寮寮母室

「生きてると、お茶もうまいなあ……」


 思わず口に出た。


 神明学園男子寮寮母室。危機が去り、ようやく平和な日々が戻った伊羅将いらはたは、ネコちゃんズこと、いつもの女子組と緑茶を楽しんでいた。ちょっと違うのは、ひとりの男子、つまり関屋瀧せきやたきが加わっていることだ。


 治療に使った王家のハーブは凄かった。痛みこそまだわずかに残るが、腹の傷はあっさり塞がっている。ただ傷跡はまあ……仕方ない。自分とリンの命を護り切った名誉の負傷だと思うことにした。人には手術跡とか適当にごまかすつもりだ。父親にだけは本当のことを話したが。


 花音に陽芽、リンにレイリィと女子が揃っているので、寮母室はそこはかとなくいい香りに満たされている。もちろんお茶の香りもだが。


「ごめんな、伊羅将」


 湯呑みを置くと、申し訳なさそうに、リンが眉を寄せた。


「あたしのせいで……」

「リンちゃんは悪くないでしょ」


 テーブルのおかきを摘むと、レイリィが口に放り込んだ。


「悪いのはなんだっけ、あの伊和とかいうデブだし。あと例のチンピラ」

「チンピラって……。名前くらい覚えといてやれよ、レイリィ」

「覚えてるもん。たしかイヤハヤとかいう奴でしょ、はあ」

諫早いさはやだろ」

「そうそう。そのイマカマ」

「オカマかよ……」

「とにかく、リンちゃんのせいじゃないでしょ」

「そりゃそうだな。リン……」


 伊羅将は、リンに向き直った。


「な、なんだよ。改まって」

「ありがとうな。いろいろ助けてくれて」

「あ、あのっ……」


 リンの頬は急速に赤くなった。


「あたし、べべ別にお前を助けたわけじゃあ。おおお大海崎家おおみさきけの危機だったから、ししし仕方なく」

「リンちゃんったら」


 花音が微笑んだ。


「それ、ツンデレって言うんでしょう。この間。マンガ読んで覚えたよ」

「かか花音様。その――」

「そういや果たし合いのとき、リン。なんでお前、花音を見つめてたんだ。そんで剣を放り投げたりして。俺、あれで決闘放棄かと期待したんだぞ」

「……特に意味はない」


 ぷいと横を向いてしまった。


「まあ、お兄様ったら」


 温めるように手に湯呑みを持ったまま、陽芽がほっと息を吐いた。


「そんなに鈍くては、やはり三年後の政務が不安です」

「三年後ってなんだよ」

「どうでもいいでしょ、そんな未来のこと。伊羅将くんはホント、女の子のこと、わからないのねえ……。これが愛の妖怪、仙狸せんりの契約者とは。情けないやら……」


 かさにきて、レイリィも大げさに溜息を漏らしてみせた。それから続ける。


「あの真珠の花嫁衣装。清らかで美しくて、霊力に満ちてる。……さすが王家秘蔵の品。自分もあんなの着たかったなあって。あれを着て、伊羅将くんの隣で微笑みたかったなあって。……リンちゃんは、伊羅将くんにわざと負けて死ぬ気だった。自分の願いは叶わないけど、花音ちゃんにはせめて、自分の分まで幸せに――」

「ああもうヤメヤメっ!」


 リンがレイリィをどついた。


「あ、あたしお茶淹れてくる。伊羅将、急須よこせっ」


 乱暴に奪い取ると、流しに立った。


「いったーっ……」


 腰掛けていたベッドに倒れ込んだレイリィは、頭を撫でながら体を起こした。なにせ椅子はそんなに数がないので、みんなほぼベッドに雀のように並んでいるわけだ。


「やっぱ力衰えてるわ、私。ちょっと倒されただけで、こんな痛いなんて」


 なんだかわからんが、やたら色っぽい流し目で見つめてきた。


「伊羅将くん。今晩、夢でセックスね」


 瀧がお茶を噴き出した。耐性ないな、こいつも。


「いいい伊羅将くん、それは……」


 流しから戻ったリンにも睨まれた。


「レイリィお前」


 照れ隠しで、伊羅将は乱暴な口調になった。


「露骨な表現は――」

「お上品に言おうがどう言おうが、やるこた、いっしょでしょ」


 レイリィは涼しい顔だ。さすが物部家のアダルティーな行為を百五十年間観察してきたエロ妖怪。身も蓋もないな。


「だってそろそろ精をもらわないと、マジ死にそうだし。もうエッチが怖いとか言ってる場合じゃないもん。それに伊羅将くんだって、前、『レイリィ、してみるか』って言ってくれ――」

「あんときゃお前。つい流れで」

「とにかく拒否はさせないよ。私、伊羅将くんの飼い主だもん。命令ね」

「……くそっ」


 とは言ったものの、ちょっとほっとした。命令の形を取ってくれれば、自分に拒否権はない。花音やみんなに対して、それを言い訳にできる。夢でキスするだけであんなに気持ち良かったんだから、エッチなことをしたらどれほどの快感か。興味津々丸というか、正直、期待度五万パーセントだ。


「わあ、イラくん。モテモテだね」


 どういう意図かわからんが、花音がなぜか喜んでいる。


「あら、お姉様。余裕しゃくしゃくでいらっしゃる。それに……」


 陽芽が首を傾げてみせた。


「それに最近、妙におきれいになられたし」


 こっちの瞳を覗き込んできた。


「あらまあ……」

「な、なんだよ」

「やっぱり」


 訳知り顔で頷いている。


「それではそろそろお姉様も、あーんなことやこーんなことをお知りになるべき頃合いですわね」


 微笑んでみせた。嫌な笑顔だ。


「……マゾッホの真実も」

「マ、マゾッホ……」


 瀧が赤くなる。


「ひ、陽芽様まさか。例の噂は……ええとその……真というか……」

「ええ関屋の瀧さん。わたくし、人様に隠し立てする気はなくってよ。だって誰はばかることのない、優雅な趣味ですもの」


 例のSM道具バッグを、ベッドの下から取り出して、ドンと置いた。


「もういいよそれ。しまえしまえ。瀧にまで見られるじゃんか。その……鞭だとかロウソクだとか」

「む、鞭……」


 瀧が絶句する。


「あら、お兄様ったら。崇高な愛のお道具だというのに……」


 陽芽は不満げだ。


「伊羅将がそうなら、よし決めた」


 リンが急に口を挟んだ。


「あたしさ、こないだお前としなかったじゃんか。寸前まで行って」


 爆弾発言だ。


「あらまあ、こちらもですか」


 陽芽が目を見開いている。伊羅将は頭を抱えた。


「寸前とか嘘だからな。も、もっと前だから」

「だからよ、レイリィに頼んで、今晩お前の夢に出るわ」


 しどろもどろのこっちを無視して、リンが続けた。


「夢探偵のとき、レイリィとそんな約束したしよ」

「そういやそうだったね、はあ」


 天井を見つめて、レイリィはなにか思い出しているようだ。


「夢の中なら、いくらでも触らせてやるよ、伊羅将。途中でくすぐったくもならないだろうし。それからレイリィとすればいいじゃないか。……なんならあたしともしていいぞ。どうせ夢だし」


 露骨な話を、悪びれずもせずに開陳する。


「いやそれは……」


 言葉に詰まって、伊羅将はネコちゃんズを見回した。


 瀧はまっかになってうつむいている。マジ耐性のない奴だ。花音はなにも考えていないかのごとく、にこにこしている。少なくとも嫉妬はなさそうだ。陽芽は……あら、なんかメモ書いてるな。聞くのが怖い。


「それでパワーをもらったら、いよいよニライカナイ探索だよ」

「おっレイリィ。情報手に入ったのか」


 ようやく話が変わったので、伊羅将は飛びついた。


「うん。瀧くんと資料探したし。今回の件で、ハリマの裏情報も手に入ったし」

「ニライカナイ……。仙狸せんりの聖地ですわね。レイリィさんの一族が隠棲したとかいう」


 陽芽は感心している。


「まあそれは、ネコネコマタの歴史ではだけどねー。その真実は、琉球王国にありっ」

「やっぱ沖縄なのか」

「そうだよ。……だから伊羅将くん、夏休みまでバイトしといていよね」

「バ、バイト……」

「そうそう」


 レイリィは、さも当然といった顔つきだ。


「前話したじゃん、旅行費用がいるからさ」

「そ、そうだったな」


 契約の飼い主、レイリィの命令には逆らえない。


「駅前の猫カフェがいいよ。イラくんに向いてる」

「花音、無茶ぶりすんなって。俺、猫アレルギーだろ」

「平気だよ。またヒトマタタビあげるから、アレルギー出ないよ」


 花音はケロッとしている。


「また……?」


 リンが敏感に反応した。


「伊羅将お前、花音様からヒトマタタビもらって、ふたりでなにしたんだよ。えっ。ふたりっきりで、あのエッチなヒトマタタビ使ってよ」


 鈍感なリンも、ようやく気づいたようだ。てか他のみんなは、もうとっくに察してたみたいだけどな。さっきの陽芽の一言で。


「べべ別に……」

「お前、あたしという彼女がありながら、先に『キープ』の姫様にぃ――」


 興奮して、毎度おなじみの不敬発言だ。


「んんがああああっ!」


 太腿に噛み付いてきた。


「いていていいてててて。ギブだギブ」


 腰を軽く叩いたが、リンは牙を外さない。制服のスカートがまくれているので、黒レースの色っぽいパンツが丸見えだ。


「いたっ!」


 突然、下半身のとある部分に、尋常でない痛みを感じた。


「そ、そこは!」


 尻を何度も叩くと、リンはようやく牙を抜いた。


「噛みにくいな、制服通してだと。覚悟しろよな、伊羅将。……もう浮気できないようにしてやる。直接噛みついてよっ」


 制服のチャックに手がかかった。

「バ、バカ。よせって」


 暴れようとしたが、柔道の逆四方固め的な謎技で固められ、身動きが取れない。目の前の黒いパンツが揺れるくらいだ。どうせまたぞろ、ネコネコマタの格闘技だな、これは。


「きゃー伊羅将くん、ご開帳」


 うれしそうなレイリィの声が聞こえる。下半身に、さらなる手の動きを感じた。ひとりか、もしかしたらふたりくらい。


「よせっお前までチャックを。あっ!」


 誰かの指で掴みだされ、急に温かくなって痛みを感じた――ところあたりまでは覚えている。


 あとは思い出したくない。一生の大恥だから……。







(運命の死闘編 完結)



■読了ありがとうございました。

 ご意見・ご感想、星やレビュー・応援いただいた方にも感謝です。超励みになります。


 第三部「夢幻探索編」構想中。

 伊羅将と花音やレイリィたちの活躍は、ついに仙狸の隠れ里「ニライカナイ」に。

「奴隷ニンゲン」伊羅将とネコちゃんズが真夏のリゾートでヤバい活躍をする、痛快続編です。


伊羅将、ちゃんとバイトしとけよな!



■スピンオフ作「夢探偵レイリィ」も公開中。

 こちらは来週から、新章公開! そこではこの本編エピローグ「その後」の話が……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界ネコと和解せよ ――えっ。王女が嫁なのに俺、奴隷すか? 猫目少将 @nekodetty

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ