歌う魔法使いの矜持

えぬ

プロローグ

「なあ、おさむ。お前、今日のライブ出てくれねーかな」


 いつものようにロビーの掃き掃除をしていると、頭に白いタオルを巻いた大男に声を掛けられた。男はバツが悪そうに、人差し指でこめかみの辺りをポリポリと掻いている。


「梅さんか、突然誰かと思いましたよ。今日って、俺の日じゃないですよね?」


 大男の名前は梅田といって、この店の数少ない従業員の一人だった。


「ああ、統次朗とうじろうが家の用事で来られなくなってな。人がちょっと足りないんだよ」


 統次朗が予定をキャンセルするなんて、珍しい事もあるものだ。あれだけ立派な家になると、庶民には想像出来ない大変な事情でもあるのかもしれない。


「いいですよ、仕事もそんなに残ってないですし」


「そうか! 助かるぜ!」


 パンッと一度だけ手を叩いて嬉しそうに笑うと、今日のライブのタイムスケジュールが書かれた紙を渡された。そこには何人かの出演者の名前が書かれていて、一番目の出演者の欄にはしっかりと"日向寺ひゅうがじ おさむ"という名前が印刷されていた。


「……これ、思いっきり俺が出る前提で予定組まれてません?」


「ああ、そうだよ。だって、修が出演を断る理由がないからな」


 梅田は、本当に断られる事など微塵も考えていなかったのだろう。修の出演する意思を確認すると、すぐに会場の準備に取り掛かった。


「別にいいんですけどね、あんまり信用されても困りますよ」


「ははは! 大丈夫だよ、お前は良い奴だからな」


 梅田はロビーにある椅子を数脚まとめて持ち上げて、振り向きざまにそう言った。あまり褒められている気がしないのは、何故だろう。


「おはよーございまっす!」


 入り口のドアが開いて、子供のような無邪気な声が響いた。


「おはよ。今日も来るの早いね」


「そっすか? いつも通りっすよー? 先輩こそ、毎日お仕事お疲れ様っす! いつも綺麗なスタジオで練習できるのも、先輩のおかげっす! あざまっす!」


 一目見ると高校の制服のようなジャケットに身を包んだ春野小雨はるのこさめは、来るなりすぐに荷物を置いて、梅田の手伝いをし始めた。

 小雨は、今日はレッスンだけのはずだ。ライブの準備まで手伝わなくてもいいのに、梅田と一緒にせかせかと椅子を運んでいた。


「おう、小雨ちゃんありがとな!」


「うっす! 梅さんもいつもお疲れ様っす!」


 大きく口を開けて豪快な笑顔を見せる梅田に対して、負けじと袖を捲りながら、小雨もニカッと笑う。

 厳つい大男の梅田と比較的小柄な小雨は、見た目のギャップこそあるものの案外気が合うようで、二人で話している姿をよく見かけた。人懐っこい小雨を、面倒見の良い梅田が気に入って相手をしているような感じだ。


「そういや、今日のライブは修が出るぜ」


「えっ! ほんとっすか? 今日は統次朗くんの日じゃ……」


「その統次朗が家の用事で来られないんだってさ。それでさっき梅さんに頼まれた」


「おー!」


 小雨は両手を上げて大袈裟なリアクションをとると、梅田と修を交互に見て頷いた。


「先輩なら断らないっすもんね!」


「それ、もしかしてバカにしてる?」


「いやいやいや、褒めてるっすよ! 良い人って意味っす!」


 軽く睨むと、小雨は慌ててそう補足した。小雨は嘘のつけない素直な性格をしているから、おそらく本当にバカにしているわけではないのだろう。

 ただ、その後ろでニヤついている大男は別だ。


「やっぱり出るのやめようかな」


 仮に本当に人柄の良さが理由で頼られていたのだとしても、あいつなら断らないだろうと軽く見られて、思惑通りに使われるのはどうも癪だ。なんだか面倒事を押し付けられた気がして、やる気がなくなってきた。


「おいおい、そりゃあねーぜ! ヘソ曲げんなよー。気に障ったんなら謝るからよー!」


「わー! もー、なんでそうなるんすか! 先輩、怒ってるっすかー? せっかく先輩の歌が聴けるチャンスだったのに……」


 小雨は残念そうにため息をついた。それまでずっとにやけ顔をしていた梅田も、小雨に八つ当たりでポコポコと叩かれて少し困っている様子だった。

 そのやりとりをしばらく見ていると、だんだんと梅田を叩くチカラが強くなっていった。初めは小突く程度だったが、気が付くとリズミカルに華麗なワンツーを放ち、あろうことか蹴りまで織り交ぜ始めた。


「俺の歌ならレッスンでいくらでも聴いてるだろ」


 さすがに梅田が可哀想になってきたため、声を掛け、静止に入る。


「レッスンとライブは違うっす! 全くの別物っす! レッスンの歌声には、魔法が掛かってないんすよ~!」


 魔法、と小雨は言った。異世界ファンタジーでも何でもないただの現代の日本にいながら、何を突拍子も無い事を……とは、思わなかった。


「先輩なら、わかるっすよね?」


「ああ、わかるよ」


 歌を歌う者にとって、ステージは特別だ。人前で歌う事の捉え方自体はそれぞれ異なるが、あの空間に特別な力がある事は誰にも否定できないだろう。

 冴えない少年が狼に変わり、物静かな少女は魔女になる。そんな事が起こり得る魔力が、ステージの上にはある。

 それは、一度ステージに立った者であれば、知っている事だ。ステージに立っている間だけは、自分だけがその空間を支配できる。誰にも邪魔されない、自分だけの空間。

 そこで歌う事が、練習と同じであるはずがなかった。


「そんなこたぁ、俺だって知ってるぜ。だからこそ、だ。修は断らねえだろ」


 やれやれといった顔で、梅田は修を見た。

 悔しいが、梅田の言う通りだった。修はステージで歌う事の特別さを知っているし、もっと歌いたいと思ったから、ここにいる。


「うん」


 短く、一言でそう応えた。修が特別というわけではなく、ここの住人であれば、歌わないなんて選択肢は最初から存在していないようなものだ。


「それでこそ、ガジ先輩っす! レッスン終わったら絶対聴きに行くっすよ~!」


「ん、ありがと」


 小雨は梅田の手を取ると、目をキラキラ光らせて踊り出した。


「うおおお~~っし、私もレッスン頑張るっすよ~~! 今日こそ愛苛あいかちゃんにまいったって言わせてみせるっす!」


 そう言って、小雨は気合を入れてシャドーボクシングを始めた。歌のレッスンで、何がどうなればあの動きが必要になるのだろう。付き合わされる愛苛も、さぞかし大変な事だろう。


「おし、んじゃ掃除が終わったら早速修のリハだけでも終わらせちまおう! 先行ってるぜ」


「うぃっす、お願いします」


 仕事モードの顔をして、梅田はライブスペースのあるバーの中に消えて行った。

 ライブと言っても、何百人も入るような大きなライブハウスがあるわけではない。食事をしながら生演奏を聴く事ができる、こぢんまりとしたライブバーのようなものだ。そのライブバーのすぐ隣に修がアルバイトをしている音楽スタジオが併設されていて、ライブがある日には出演者の練習や控え室として使われている。

 そして、ここのオーナーが、趣味で修達に歌を教えていた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 薄暗闇の真ん中にポツンと置かれた椅子に、浅く腰掛ける。ふう、と軽く息を吐いただけで、首と肩の力が抜けて、自然と歌うためのフォームができあがった。何度も何度も繰り返した訓練のおかげで、身に付いたフォームだ。

 ほんの数秒だけ静寂を堪能して、気負う事なく構えたギターの弦をはじいた。


"ごめんね その涙を拭えるのは僕じゃない"


 一筋の光が、真っ直ぐに修を射抜く。暗闇の中でたった一人、修だけを照らす光だ。


"それなら誰が 誰なら 君に優しくできるんだろう"


 少しずつ目が慣れてきて、最前列の客席に座る人の顔が見えるようになってきた。バーの常連のお客さんと、小雨がいた。本当に聴きに来てくれたらしい。


"日が暮れ夜が来ても 騒いでいた事覚えているかい"


 一人、二人……端から順番に目線を置いていく。曲に入り込んでいるわけでも、目の前の観客を気にし過ぎているわけでもない。修の意識は、ふわふわと暗闇の中に浮かんでいた。


"送って行くよと譲らなかった 不器用な僕の事を"


 照明が変わる。色の無い光だけだった世界が、青く染まる。


"なんでかな 偶然出会ったのに"


 ゆっくりと波のように揺れ動く青が、歌う修の心を撫でた。


"当たり前のように"


"さよなら"


 修は、声を張る。この瞬間に、すべてを爆発させるつもりで、修は歌った。誰もの心に届くように、突き刺すように叫んだ。

 以前、誰かが「歌はスポーツだ」と言っていた。ただ声を出すだけではなく、全身を使って"歌声"を出さなければならないのだ、と。

 走る、蹴る、投げる。ありとあらゆる運動の起点となるのは、腰だ。全ての動作は腰から始まる。歌がスポーツだと言うのなら、歌声の始まりもまた、腰からだろう。スッと一瞬の呼吸で、肺の最深部まで息を取り込む。その息を腰から押し出して、それぞれの個性を持った声帯が歌声に変換して行く。

 それが、歌うという事。

 技術的な側面でいえば、そういう事になる。ただ、それだけではこの歌声は完成しない。目に見えない、言葉では語れない何かが最後に加わって、"歌声"は作られる。


"無機質に見せかけた わかりやすい嘘も"


 言いたいことだけ言っていればよかった子供の頃とは違う。修は、今年で二十二歳になる。ただ歳を重ねても、日常に劇的な変化は無かった。劇的な変化こそ無かったが、少しずつ、少しずつ、飲み込む言葉が増えていった。


"あなたを泣かせてしまう 十分過ぎる罪だ"


 だから修は、飲み込んだ言葉を歌に変えた。言えないことは、歌にすればいい。それを教えてくれたのも、ここのオーナーだった。

 少し力の入った肩の筋肉を弛緩させ、優しくギターの弦を撫でる。最後に弾いたコードが、暗闇に溶けるように薄く響いて消えた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



「先輩! お疲れ様っす!」


 自分の出番を終えてスタジオで楽器を片付けていると、小雨が話しかけてきた。


「お疲れさん。ホントに聴きに来てたね、すげー見えたよ」


「ちゃんと見えるように、あえて最前の席に座ったっすから!」


 そう話す小雨は、満足そうに笑っていた。自分の演奏でここまで嬉しそうな顔をされると、少し照れる。


「いやー! やっぱり先輩の歌はいいっすね! なんか、こう、お饅頭まんじゅうみたいな……優しい感じがするっす!」


「お饅頭って……」


 小雨は褒めているつもりなのだろうが、その独特な例え方のせいで反応に困ってしまった。興奮し切った様子の小雨は、今にも飛びついてきそうでひやひやした。


「修」


 小雨の後ろから、別の女性の声が聞こえた。無邪気な子供のような小雨の声とは違い、落ち着きのある大人の声だ。芯のある聞き取りやすいその声は、一言だけ、修の名前を呼んだ。


響子きょうこさん、お疲れ様です」


「うん、お疲れ様。今日のライブ、ついさっき梅に頼まれたんだって? あんたも大変ねえ」


 響子は、片手をひらひらと振りながらそう言った。少し高いヒールに黒いシンプルなパンツ姿、女性らしい薄い生地の服からは両肩が顔を出している。

 特別な事は何もしていないのに、立っているだけでサマになるくらいに姿勢が綺麗だった。そこにいるだけで、人を惹きつける存在感がある。それがここのオーナー、時森響子ときもりきょうこだ。


「いえ、気にしてませんよ。今日は結構調子も良かったし」


「あらそう。言われてみれば、たしかにそんな感じはしたわね」


 響子は何か思うところがあったようで、人差し指で顎を触って少し考えると、小雨を見た。


「小雨ちゃんは、どう思った?」


「どうって、技術的な話っすか?」


「そ、技術的な話」


 話を振られた小雨は、少しだけ考えてから口を開いた。


「全体的にブレスが甘かったっすね。サビ頭で息を使い過ぎて、ロングトーンに余裕が無かったのはちょっと気になったっす。細かいところは言ってったらキリないっすけど、フォームが明らかに立ちと時の違ってて、座りで歌い慣れてないんだろうなーってのがバレバレっす」


 小雨は、無表情にそう言った。


「そうだねー、まだちょっとギターに覆い被さる癖が抜けてない。そのせいでフォームが崩れてる」


「あとなんか睡眠足りてなさそうな感じっすね。所々、声が上擦ってたっす」


「あ、それも正解。昨日深夜練の予約入ってて修に残ってもらってたのよ。よくわかったわねー」


 響子と小雨は、矢継ぎ早に修の歌の反省点を指摘した。何の感情もなく、たんたんと列挙するだけ列挙する耳の痛い話は、その後もしばらく続いた。


「一番のサビは良かったっすけど、二番でちょっと鳴りを意識しちゃったのか、力みが入ってたっす。歌ってる本人は気持ちよかったかもしれないっすけど、あの発声だとあと数曲歌ったら声枯れ始めるやつだと思うっす」


「修も、もうちょい余裕持てたらいいんだけどねー。まだまだ歌の筋肉が足りてないかなー」


「はい……その……もうわかりましたので……」


 たまらず、止まらない会話に割って入る。これ以上容赦無く指摘され続けると、心が折れてしまいそうだ。


「そう? でも、よかったわね。愛苛がいたら、たぶんこんなものじゃ済まなかったわよ?」


 ふふっと軽く息を吐いて笑うと、響子は修に向き直って言った。

 愛苛あいかは響子の娘で、兄のつかさと二人して響子から音楽の英才教育を受けている。要領の良さもあってか、何をやらせても一定の水準以上のクオリティでこなした。側から見ている限りでは、二人とも今すぐにでも音楽で飯が食えるレベルだった。


「あの子は本当に手厳しいですからね……」


「昔は人見知りして大変だったのよー? いっつも司の後ろに隠れて、なーんにも自己主張しない子だったんだから」


 話をしていると突然入口の扉が開いて、風が吹いた。一瞬だけ、時間の流れがゆるやかになったような錯覚に襲われる。視線の動きが現実の時間に追いつくと、涼やかな風と共に凛とした声が室内に響いた。


「あら、一体誰の話をしているのかしら」


 噂をすれば何とやらだ。入口を見ると、幼い頃は人見知りだったらしい愛苛は、不機嫌そうに軽く顎を上げて修を見下ろしていた。見下ろすといっても愛苛と修にさほど身長差はなかったが、その威圧的な態度から修は見下ろされているように感じた。


「おかえり、あなたの話よ。昔は可愛かったなーって懐かしんでたところ」


「ちょっと、やめてよ。恥ずかしいから」


「あんなにちっちゃくて女の子らしい女の子だったのにねー。今じゃいろいろと成長しちゃって」


 愛苛はその場で腕を組んで立ち止まり、不満そうに頰を膨らめた。腕に押し付けられて、胸の膨らみが強調される。響子が含んだ言い方をしたせいもあり、その場にいる全員の視線がその一点に集まった。

 修はその一点から自然と全身に視界を広げていた。響子に似て美しい立ち姿だと思った。それは、いつでも歌う準備が整っているような、理想的な姿勢だった。


「修、あんまりジロジロ見ないで」


「ああ、わるい……」


 うっかり手を止めて見惚れてしまっていた。慌てて視線を手元に戻し、修は片付けを再開する。


「んふふ、なんだかんだ言ってガジ先輩も男の子っすねえ……」


「うるせえよ」


 小雨は愛苛と修を交互に見ると、片手で口を押さえながら目を細めて言った。

 愛苛は、街を歩けば誰もが振り返るような美人だった。目鼻の通った整った顔立ちに、女性らしい豊満な膨らみ、服の上からでもわかるウエストのくびれと、風になびいて肩をかすめる艶やかな黒髪……その魅力は数を挙げればキリがない。話題に上げられて意識するなと言われても無理な話だ。


「ういーす。お、修またいじめられてんのか?」


「おはようございます! すみません、遅くなりました!」


 ぞろぞろと愛苛の後ろから二人が室内に入ってきた。司と統次朗だ。


「そうなんだよ、歌が微妙だとかジロジロ見るなとか、もう散々だよ」


「微妙とは言ってないっすよ! すごく良かったっす! わたし、ちょっとうるっときちゃいました! 感動したっす!」


「でも、ブレスは甘かったんだろ?」


「そっすね」


「こんにゃろう」


 両手で小雨の顔を挟み、ほっぺをぺったんこに押し潰す。そのまま軽く揺すると、小雨は眉間にしわを寄せて「うーうー」と唸った。


「修さん! 今日はありがとうございました! 俺の代わりにライブ出てもらったみたいで……本当、助かります。今度、飯でも奢らせてください!」


「ああ、いいって。困った時はお互い様」


 礼儀正しく挨拶をしてきた統二朗は、そのまま響子の方に歩いて行った。様子を見る限り、何か話があるのだろう。今日のライブに出られなかった事と関係があるのだろうか。


「修、今日も足元何もねえの?」


 ふらふらと軽い感じで歩み寄って来て、司は呆れたようにため息をついた。


「アコギだからって全部PAに任せるのはよくないぜ。せめてボリュームペダルくらいは置いとけって」


「わかってるって。この前楽器屋に見に行ったんだけど、どれがいいのかわかんなくて、結局買えずに帰って来ちゃったんだよ」


「ボリュームペダルくらいなら何買っても変わんねえって。今度楽器屋行く時は声掛けてくれ。俺も行く」


 ズバズバと容赦無く指摘して来る厳しさとは裏腹に、司は聞けば知っていることなら何でも教えてくれた。成人してから本格的に音楽を始めた修にとって、同い年でありながら経験が豊富な司の存在はありがたかった。


「歌は聴けるようになってきたけど、この調子じゃまだまだ音楽家とは言えねえな」


「俺だって、今の実力で音楽家ですなんて名乗る気は無いよ」


そう、今はまだ。心の中で呟いた。


「修さん、たった今ライブの音源聴かせてもらいました! やっぱり良い声ですね!」


「ありがと……って録音してたのか。響子さん、録音するならするって言ってくださいよ」


 響子の手には、レッスンで使うICレコーダーが握られていた。統次朗はイヤホンをポケットにしまって、こちらに向き直った。話はすぐに終わったらしい。


「私が来た頃にはあんたもうステージの上にいたのよ。細かい事は気にしなさんなって。あんたも後から自分で聴けて便利でしょ? で、統次郎はどう思った? 歌の技術的に」


「技術的な話ですか? 筋力不足です、ランニングが足りてませんね」


「もうそれはわかったから!」


 わかっていたことだが、誰にライブの感想を聞いても必ず何かしらの指摘が返ってきた。これは、彼らの音楽に対する姿勢の表れだった。歌に関しては、決して妥協しない。自分の求める歌声に辿り着くために、ストイックに課題をこなしていく覚悟の表れでもあった。その事を、ここの住人はお互いにわかっている。だから、聞かれたことに対しては絶対に嘘はつかない。素直に思ったまま、課題点をぶつけ合う。

 そうやって、もう何年も切磋琢磨し続けていた。


「というわけで、まだまだ未熟な修には、明日から他の子達のレッスンに全部参加してアシスタントしてもらう事にしたから」


「うえっ?」


 突然の提案に、変な声が出てしまう。


「うえ、じゃないわよ。あんた最近仕事も卒なく何でもこなすようになったし、正直暇でしょ? ライブ無い日は梅がいるから、カウンターは任せて中入りなさい」


「いや、でもそんな急にアシスタントとか言われても……」


「いいのよ、いるだけで。他の人の歌聴くだけでも勉強になるでしょ。それにあんたはどうも感覚より理論派みたいだからね、上手な歌のサンプルは多い方がコツ掴みやすいでしょ。たぶん」


 響子の言葉には、何故だかいつも説得力があった。有無を言わさぬ話し方のせいか、見た目の威圧感からかはわからないが、とにかく提案されればそうしてみようと思わせる力があった。


「わかりました」


「よし、決まりっ!」


 パン、と一度だけ手を叩くと、室内にいる全員を見渡して響子は宣言した。


「もうずいぶんと長い間、レッスン漬けの毎日を送ってきたね。それぞれ理想とするものがあるからこそ、こうして時間がかかったわけだけれど、もういいでしょ」


 一人一人の顔を、目を見て、響子はこれまでの時間を噛みしめるように語った。


「外に出るわよ。ライブをするの。何かのオーディションに出るのもいいかもね。今のあんた達なら、必ず誰かの目にとまる。わかってるとは思うけど、既にその辺の自称ボーカリストとはレベルが違い過ぎて話にならないわ」


 自信たっぷりに、言い聞かせるように続けた。


「それでも、不安になったら私のところに来なさい。いつもみたいに綺麗に磨いて、ピッカピカの宝石にしてあげる。それが、私の仕事……私のやるべき事」


 目を瞑って、響子はゆっくりと息を吐いた。最後に何を言われるかは、全員がわかっていた。響子は何かある度に、口癖のように言っていた。


「私が、あんた達に魔法をかけてあげる」


 少しだけ格好をつけたその言葉は、不思議と心にスッと染み込んだ。

 ピンと伸びた背筋に、自然体で美しい立ち姿。無駄なものが一切ない機能美を感じさせる肉体に、自信に満ちた表情。

 この世に魔法使いがいるとしたら、たぶん、こんな姿をしているのだろう。

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