ある日、ロッカーを開けたなら
星名柚花@書籍発売中
ある日、ロッカーを開けたなら
掃除用具入れであるロッカーを開くと、一人の男子生徒がうずくまっていた。
「っっぎゃ――――――――!!?」
(なななななんで!!? ロッカーの中に!? 人が!?)
ここは北館二階の生物室。
五月下旬の放課後、歌乃は教師に頼まれて掃除をしに来た。
ロッカーの扉が開いていることには気づいたが、単純に閉め忘れだと考えていた。
まさか中に人がいるなどと誰が考えるだろう。
不意打ちに大騒ぎする心臓を制服の上から押さえつけ、おっかなびっくり立ち上がり、ロッカーに目を向ける。
彼は変わらず、立てかけられた数本の箒や足元のバケツの狭間に器用にもぴったりとはまり込み、俯いている。
その全身からは暗く陰湿な空気が立ち上っていた。
うっかりキノコでも生えてしまいそうな、じめっとした空気。
(西園寺くん……だよね。なんか、雰囲気が違いすぎて、別人みたいだけど)
彼は同じクラスの
老若男女を虜にする美少年だ。
彼がひとたび道を歩けば通行人が振り返り、散歩中の犬や野良猫すら群がると聞く。
陽を浴びれば金色に輝く栗毛色の髪に、きめ細やかな肌。
つんと澄ませば凛とした美しい顔立ちも、笑うと愛嬌たっぷりで、そのギャップがまた良いと大好評。
優れた容姿と頭脳――この高校は県で一、二を争う進学校なのだが、彼はこの前の中間テストで見事にトップを取った――を持ちながらそれを鼻にかけず、人当たりの良い和臣は行く先々でハーレムを作り上げずにはいられない。
困惑した歌乃の脳裏に蘇るのは、今朝の登校風景。
「きゃー、和臣くーん!」
「こっち向いてー!」
「私にもウィンクしてくださーい!!」
朝の八時半近く、校門前。
和臣は女子の輪の真ん中でキラキラ輝く笑顔を振りまき、愛想よく応対していた。
「和臣くん、これ、妹と作ったクッキーなの! 良かったらどうぞ、食べてください!」
一人の女子が輪から外れ、可愛らしくラッピングされた袋を和臣に差し出した。
顔を真っ赤にし、緊張に震える女子に、和臣は顔を綻ばせた。
「喜んで受け取らせてもらうね」
「はうっ」
至近距離から繰り出された微笑攻撃にやられて、その女子は大きくよろめいた。
「和臣くん、私も! お弁当作ってきたんで食べてください!」
「ありがとう。あれ、目に隈が……もしかして徹夜したの?」
「あ、ううん、お弁当作りのためじゃないの。夜更かしが原因だから、気にしないで」
「気にするよ。ほら、顔色が悪い」
和臣はためらいも見せずに女子の顎を持ち上げた。
大いに盛り上げる一同を前に、和臣は動揺しきりの女子に向かって言った。
「君が元気じゃないと俺の調子も狂うんだ。だから、無理しちゃダメだよ?」
アイドルよろしく、ぱちんと綺麗にウィンクしてみせる和臣。
「は、はいっ! 今度から気をつけますっ!」
胸の前で両手を組み、瞳を潤ませた女子に和臣は微笑み、続いて他の女子の相手を始めた。
これが日常茶飯事だと知る歌乃は「またやってるなあ」程度の感慨で、校門の中へと入って行った。
以上、回想終了。
「……さ、西園寺……くん、だよね? なんでこんなとこに……」
問いかけに、和臣は無反応。
反応するのも億劫、そんな態度だった。
常に笑顔を保っているはずの表情筋が完全に死んでいる。
女子から「王子様」と讃えられる和臣はどこへ行ってしまったのだろう。
「ど、どうしたの? 何があったの?」
心配になって屈むと、和臣は俯いたまま、蚊の鳴くような声で答えてきた。
「……エネルギー切れ……」
「え?」
目をぱちくりさせる。
「……充填中なんで……」
「………………?」
わからない。歌乃は首を捻った。
「と、とにかく、出ておいでよ。そこ、狭いでしょう?」
手招きする。
和臣は迷ったようだが、出てきた。
立ち話もなんなので、と適当に椅子を引いて勧める。
和臣がおとなしく座るのを見て、歌乃も隣の席に座った。
「で、どうしたの? エネルギー切れって、どういうこと?」
「……そのままの意味だよ。愛想笑いしすぎて疲れたから、隠れて休んでた。まさか人が来るとは……」
覇気のない、ぼそぼそとした声で、和臣。
(本当に別人なんじゃないかな、この人……)
社交的で明るい普段の彼を知る歌乃からは、そんな疑惑が離れなかった。
「いや、私は先生に頼まれて掃除しに来たんだけど……隠れるにしても、なんでわざわざロッカー?」
「……昔から、狭くて暗いとこが好きなんだ。落ち着く」
王子様にはあるまじき嗜好だが、歌乃は親近感を覚えた。
(西園寺くんもごく普通の人間だったんだなぁ……)
「……俺ってさ、王子様とか言われてるじゃん」
「? そうだね」
和臣がそんなことを言いだした意図はわからないものの、全くの事実なので頷く。
「でもさ」
「うん」
「あれ全部嘘」
「…………。…………嘘?」
「そう。大嘘なんですゴメンナサイ」
和臣は亀のように首を縮ませ、さらに深く頭を下げた。
意味がわからず戸惑っていると、和臣は低い声で話し始めた。
「俺はあんな明るい人間じゃないんだ。映画とかカラオケとか、誘われるから仕方なく付き合ってるけど、本当は大人数で大騒ぎするより家でゲームしてるほうが好きなんだよね。アニメも漫画も読むし、コーヒーだってブラックで飲めない。あんな苦い物どこがおいしいのかさっぱりわからない」
(教室では平気な顔でブラック飲んでたのに……)
にわかには信じられずに目を瞬いていると、和臣は目線を上げて言った。
「豊浦さんが鞄につけてるキーホルダー、『まほテン』の嵐でしょう。コンビニ限定のやつ」
「!!??」
指摘通り、歌乃は『魔法少女テンペスト』というアニメの主人公のフィギュアにキーホルダーをつけ、鞄に下げていた。
(まさかあのマイナーなアニメを知っているなんて……!)
驚愕する歌乃に、和臣はほんの少しだけ満足そうに笑って、言葉を重ねた。
「昨日は長本さんたちと『エレドラ』の話で盛り上がってたでしょう」
『エレドラ』は青少年向けの週刊雑誌に掲載されている、ファンタジー漫画のタイトルの略称だ。
「実は物凄く混ざりたかった。今週号は特に熱かったよね」
「うん!」
歌乃は食いついて身を乗り出した。
「フラグは立ってたけどさ、まさか本当にハーピィが死んじゃうとは思わなかった! アヤトに想いを伝えるところで思わずガチ泣きしちゃったよ。アヤトがハーピィの死を乗り越えてこの先も戦えるか心配だよね……あっ『エレドラ』を知ってるなら『ハピネス』も知ってる?」
「うん」
「あれも良いよね、私あれほど伏線回収が見事な漫画読んだことないよ! どんでん返しの連続でさ、息つく暇もないって感じ! 最初はあの独特な絵が好きじゃなくて敬遠してたんだけどさー、読み始めたらなんのなんの、その絵すらも癖になって来て、ページをめくる手が止まらない! 特に103話の――」
それからしばらく、歌乃は漫画について熱く語った。
ようやくネタが尽きた頃にはゆうに十五分が過ぎていた。
話題も漫画から劇場版アニメの話にまで移行している。
「こんなに趣味が合う人は初めてかもしれない」
普段は王子様として振る舞っているせいで趣味の話はできないのだろう。
心なしか、和臣は嬉しそうに見えた。
「私もまさか西園寺くんと二次元の話ができると思わなかったよ!」
上機嫌で笑う歌乃に、和臣は微かに笑ったものの、すぐにその笑みは消えた。
再び顔を伏せて言う。
「でもアニメが好きだなんて、家じゃ絶対言えないんだよね。うちの親、滅茶苦茶厳しくてさ。兄が出来が良いから、なおさら」
(お兄さんがいるんだ。そういえば、そんなことも聞いたような……)
入学式の直後に噂好きの女子から聞いた情報なのだが、関心がなく聞き流していた。
「確か、五歳上だっけ?」
私とおんなじ、と胸の内で呟く。歌乃にも五歳上の姉がいた。
「そう」
何故か急激に、和臣の表情が曇った。
「俺の兄貴、万事をそつなくこなす天才なんだよね。スポーツ万能、成績優秀、もう非の打ち所がないんだ。しかも人当たりがいいから皆から愛されまくり。いわば完璧超人ってやつ?」
落雷を受けたような衝撃が全身を強く打った。
何故ならば、歌乃の姉も似たようなものだからだ。
極めて優れた頭脳を持ち、多才にして艶やかに美しく、ありとあらゆる者をただ一瞥だけで篭絡してのける魔女のような姉。
歌乃は幼少の頃から出来の良すぎる姉と比較されて育ってきた。
親戚の集まりでは、姉は当たり前のように中心にいて、皆からちやほやされていた。
褒め言葉に可愛らしく微笑み、お小遣いやお菓子をもらうのがお約束。
頑固で気難しい叔父だって姉にはメロメロ。高価な玩具も与えていた。
ちなみに歌乃がそのとき叔父にもらえたのは、景品付きの駄菓子一つだけ。
駄菓子を握り締めながら、世の中の厳しさを学んだものだ。
「小さい頃から俺は兄貴と比較されて、超コンプレックスなんだよね。この学校にだって、無理にランク上げて入ったんだ」
「でもこの前の中間テスト一位だったよね? 余裕、とか言ってなかったっけ」
テスト結果が掲示された掲示板前で、和臣は凄い凄いとはしゃぐ女子たちに向かって「こんなの余裕だよ」と爽やかに微笑んでいたはずだ。
「ああ、あれね。大嘘」
和臣は顔を歪めて自嘲した。
「一位取るために、俺がどれだけ勉強したと思ってるの。ずっと前から徹夜してたんだから。もー血反吐吐きそうだった。英単語や数式が冗談抜きで夢に出たし」
うんざりしたような調子で、和臣。
「そ、そうなんだ……」
「仕方ないんだよ。俺は馬鹿だから、それくらいしなきゃ一位なんて取れない。うちの家じゃ二位なんてありえないんだよ。兄貴を見てきた親にとっては、一位で当然。俺は意地でも兄貴に負けたくないんだ。もう『兄貴はこんなに良い子なのにお前ときたら……』っていう台詞、聞きたくねーんだよ」
最後は聞いたことのない、吐き捨てるような、荒っぽい言葉遣いだった。
彼の素が垣間見えた――その瞬間、歌乃は声を上げた。
「わかる……わかるよお、その気持ち!!」
ばあんと両手で机を叩いて立ち上がり、強く拳を握る。
ぎょっとしたように和臣が身を引いたが、構わずにまくしてる。
「私もそんなに頭良くないのに、お姉ちゃんに負けたくない一心でこの学校に入って苦労してるもん! この前の中間テスト、数学は赤点ギリギリだった!」
歌乃の目から大量の涙があふれ出した。
「私も五つ年上のお姉ちゃんがいるんだけどさ、もうほんっと……ほんっと……なんで私はあの人と姉妹なんだって思わずにいられないくらいの美女でさぁ! 親戚の集まりのときだって、みんなが囲んでお姉ちゃんを褒め称えるんだよ! で、私には『歌乃ちゃんは……えーと……。……元気でいいね!』なんて言うの! かける言葉に困るくらいならはなっから言うなよ! 無理やり褒められたって惨めになるだけなんだよ馬鹿ぁぁぁ!!」
机に突っ伏し、拳で叩いて泣き咽ぶ。
「近所でも評判の美人のお姉ちゃんの噂を聞きつけて、それなら妹も可愛いだろうって勝手に期待してきた人たちが私を見て『え、マジで?』って顔するのも止めろ!! 地味に傷つくんだよこっちは!! ピアノだって後から始めたお姉ちゃんがあらゆるコンクールを総なめにするし! 水泳だってお姉ちゃんが出場した全部の種目で一位取るし! なんであんな完璧超人が私の姉なんだよおおお!! みんな羨ましいとかいうけど、その台詞、身内に持ったら絶対言えないからな!?」
「ああ、うんうん、人格崩壊するほど苦労してるんだね……わかる。すっごくわかるわ。身内に完璧超人がいると本当に困るよな」
ぽんぽん、と優しく頭を叩かれた感触で顔を上げれば、和臣が苦笑していた。
「俺が王子様みたいなキャラを演じるようになったのも、兄貴の真似から始まったんだよね。そしたら女子に格好良いとか言われて、調子に乗って。皆が望む人間を演じてたら、坂道を転がり落ちる雪玉みたいに嘘が膨れ上がっていって。気づいたら自分とはかけ離れた理想像が出来上がって、後に引けなくなった。馬鹿みたいだよなぁ」
自嘲する和臣を見るのが忍びなく、歌乃は尋ねた。
「……いまからでも正直に話すっていう選択肢はないの?」
「それは嫌だ。幻滅されるのが目に見えてるし。それに、ちょっと過剰だなと思うときもあるけど、人に好かれるのはやっぱり嬉しいし。格好良いと思ってくれてる人の前で、格好悪いとこ見せたくないじゃん」
和臣の口の端が持ち上がる。
この笑顔は本物だ。歌乃の胸に響いたのだから。
「……じゃあ、これからも嘘をつき続けるつもりなの?」
「うん。豊浦さんが言わないでいてくれるなら」
「言わないよ。その代わり、またこうやって二次元トークに付き合ってくれると嬉しいな。あと、もしまたエネルギーが切れそうなときは私を頼ってくれていいよ。そしたら私、かくまうか、適当な隠れ場所を探すから」
「……なんでそんなことを?」
和臣は不思議そうだ。
「だって、西園寺くんが電池切れを起こすこと、他の誰も知らないんじゃないの?」
「うん、まあそうだけど」
「でしょう? 偶然とはいえ知った以上、協力したいなって思って。出来の良い兄弟を持つ苦労を抱えた同士。アンド、二次元を愛する同士としてさ」
いたずらっぽく笑うと、和臣は虚を突かれたような顔をして。
「ありがとう」
笑った。
それは彼が普段浮かべているような、多くの女子を虜にする華やかなものではなかった。
過剰にキラキラ輝いてもいない。
ただ素朴で優しい笑顔。
でも、何故かその笑顔はこれまで見たどんな笑顔よりも魅力的に映り、歌乃の心臓を跳ねさせた。
「回復したし、俺は皆のところに戻るよ。お世話になりました」
どぎまぎしているうちに、和臣は軽く頭を下げた。
「いえいえどういたしまして」
応じて頭を下げる。
「今度エネルギー切れそうになったら頼らせてもらうかも」
「もちろん。ご遠慮なく」
「あはは。じゃあまた教室で」
笑顔で手を振って、和臣は生物室を出て行った。
掃除を終えて教室に戻る途中、渡り廊下の一角で数人の女子に囲まれている和臣を発見した。
和臣はいつも通りの華やかな笑顔で女子たちの相手をしていたが、会話の隙に目くばせしてきた。
歌乃は噴き出しそうになりながらも平静を貫き、見なかったふりをしてその脇を通り抜けた。
すれ違った後で、堪えきれなくなり、くすくす笑う。
そこで偶然、友達と会った。
笑っていることを不思議に思ったらしく、何かいいことあったの、と彼女が尋ねてくる。
なんでもないよ、と歌乃は答えた。
実はアニメや漫画が好きで、ブラックのコーヒーが苦手で、完璧すぎる兄がコンプレックスで、それでも日々努力している頑張り屋。
そんな王子様の素顔は――歌乃のとっておきの秘密だから。
《END.》
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