希代の詐欺師
「まったく馬鹿げた事件だった」
暗い市道を歩きながらアインズは言った。
敵の首領からは必要な情報を全て引き出し、本来ならナザリックの拷問部屋送りにするところだが、モモンとナーベが暗殺団の首謀者を逮捕したと人間たちに示すため、エ・ランテルの衛兵に彼を引き渡した。今はその帰りだった。
「さて、お前は事件の背景がわかったか?」
アインズは首領の尋問に立ち会わなかったナーベラルに尋ねる。
彼女は魔法の照明を持ち、主君の影を踏まぬよう気をつけながら歩いている。アインズもナーベラルも闇を見通すスキルを持つが、周囲に怪しまれないための偽装だった。
「申し訳ありません。未だにわからないこの愚か者をお許しください」
彼女は覇気のない声で言った。
意気消沈しているのはハエに等しい弱小の敵に最後の毒攻撃を許したからだった。
死に際に放たれた毒の息は装備の力で無効化され、何の意味もなかった。たとえその装備がなくともナーベラルのレベルなら毒に抵抗できただろう。それでも彼女は油断した自分が許せなかった。
「いくら考えてもわからないだろう。あいつらの目的はお前の暗殺ではなかったのだから」
「ど、どういうことでしょうか?」
彼女は世界一の難問に出合った顔になった。
「いや、これは正確ではないな。暗殺できるに越したことはないが、敵の首領はほとんどあきらめていた。その上で別の目的があってお前を狙い続けていたのだ」
「お許しください。私にはそれが何なのかまったくわかりません」
「名声だ」
アインズは言った。
「名声、ですか?」
「敵はお前の最高位冒険者としての名声を落としたかったのだ。まず襲撃事件そのもので変な噂が立ってしまうだろう?そして娼館で行われていた変な商売も奴らの工作活動だ」
「あれも関係していたのですか?」
ナーベラルは目を大きく開く。
「そうだ。ところで、地下下水道の崩落で真上にあった建物があの娼館だったのは知ってるな?今、救助活動が行われているがかなり死んだだろう。それを命じた首領を私たちが捕まえたからよいが、そうでなかったら市民は誰を疑っていたと思う?」
「それは……私ですか?」
人間の機微がわからないナーベラルにもそれくらいはわかった。昨日の今日だというのにあの娼館の秘密の商売は街中の噂になり、彼女がどれだけ腹を立てているかも(尾ひれがついたうえで)広まっているのだから。
「そうだ。お前は自力で娼館の秘密を暴いたが、そうでなかったら匿名の密告がされる予定だった。娼館潰しの噂が出ればさらに名声が落ちただろう。大隊長の屋敷での襲撃もお前を子供殺しの犯人に仕立て上げようという試みだったのだ。さすがにこれは上手くいかなかったし、奴らも大隊長がお前を糾弾すれば儲けものくらいに思ってたらしい」
「そんな目的が……」
ナーベラルは想像さえしなかった目的に驚くばかりだった。
「では、そこまで私の名声を落とそうとする理由は何だったのですか?」
「わからなくても仕方ない。暗殺の依頼主はシュトランド伯爵という聞いたこともない貴族だ。昨日、組合でブルムラシュー侯の息子がお前に惚れ込んでいるという話があったのを覚えているか?」
「はい」
人間の名前をなかなか覚えられないナーベラルだがそれくらいは覚えている。
「その息子と婚約手前まで話を進めていた女がいたんだ。名前はシャンテだったか?彼女の父親がシュトランド伯爵というのだ」
「娘の父親……まさか……」
ナーベラルは頭が痛くなりそうな真相が見えてきた。
「そうだ。もうすぐ大貴族の親戚になれるという段階で急に話がなかったことになり、その原因を探ったらお前に辿り着いたそうだ。あの暗殺者たちはシュトランドが保有している諜報暗殺部隊だった」
「婚約の邪魔だった。それだけの理由ですか?」
ナーベラルにはまったく理解しがたい話だった。
そこまで馬鹿な虫がいるとは思わなかった。
「アインズ様、もしよろしければ……」
ナーベラルはそこで言葉を止めた。
「どうした?」
「……いいえ、お忘れください」
「その貴族は自分に始末させてほしいのだろう?」
ナーベラルは少し躊躇したが「はい」と答えた。
「すでにシャルティアとソリュシャンを伯爵の屋敷に向かわせている。今回のお礼は二人がしっかりやってくれるから我慢しろ」
「あの二人ですか。それならば……」
ナーベラルはそこで溜飲を下げる。
あの二人ならば自分よりはるかに残忍な方法で復讐を遂げてくれるだろう。
「ブルムラシュー侯の息子を放置したせいでこうなった。組合から強く抗議させておくが、それでもしつこいようならソリュシャンにもう一働きしてもらうか」
「アインズ様……」
「ん?」
アインズはいつもにも増した畏敬の視線を感じた。
「アインズ様は組合で話を聞いたときからこの真相を見抜いておられたのですか?」
「………………ふふ」
アインズは少し沈黙して笑った。
「さてな」
「おお……」
その言葉を当然だと意訳したナーベラルは畏敬の念をさらに強くした。
(違うって言わなくていいのか!?)
アインズは心の中で自分に言う。
(俺って自分をどんどんまずい状況へ追い込んでないか?いい加減、俺には支配者の資質なんて何もないって言うべきじゃないのか?)
存在するはずのない胃が痛んだ。
罪悪感と不安を感じつつもそれはできないとアインズはわかっている。
彼女ら部下たちが必死に崇め奉る神の像を破壊してそこに何を建てるのか。社畜サラリーマンの像を立てていいわけがない。
もちろんこれは言い訳だとわかってる。みんなのためといいながら自分のためなのだ。
(俺は希代の詐欺師だな……あの首領よりもずっと臆病な詐欺師だ)
アインズはそう自嘲する。
「さて、ナーベラル。お前がさっき復讐しに行きたいと言いかけてやめた理由はなんだ?さっきから申し訳なさそうな顔をしているが」
ナーベラルは数秒、本来なら無礼とさえいえる時間を要して答えた。
「……私は昨日今日と醜態ばかり晒しました」
彼女は羞恥と無念が詰まった声を出し、アインズの前に立った。
「アインズ様、どうかこの愚か者に相応しい罰を!」
「反省すべき点はなんだ?」
アインズは尋ねる。
「はっ……。最初にあの虫けらを容疑から外したのが失敗でした。娼館では怒りを自制し、敵に情報提供された時も念のために魅了を使うべきでした。最後に羽虫を殺すときも一撃で首を刎ねるべきだったかと……」
「たしかにいろいろとミスはあった。油断もあった。反省しているのだな?」
「はい」
「ならばよい」
アインズは明るい声で言った。
「し、しかし、私は……」
「よいと言ったが気にするなとは言っていない。失敗したのだからしっかり反省し、学習しろ。コキュートスにも同じことを言った気がするが、完璧な者などいない。誰にでも失敗はあるさ。私でさえもな」
「畏れながらそれだけはございません」
ナーベラルは最後の部分だけを否定した。
「……いや、私でも失敗することはあるんじゃないか?」
「それだけはございません」
彼女はまた否定した。
「いや、でも……まあ……そこは置いておくとして」
アインズの声に投げやりなものが混ざった。
「人間ごときといって甘く見ると危険なこともあるということだ。いい勉強になっただろう?お前が学習したなら今回の襲撃には万金を払う価値がある。それともお前はまた同じ失敗をしてしまうのか?」
「いいえ!このような失態は二度とお見せしないことを誓います!」
ナーベラルはまさに命をかけてそう宣言した。
「よい返事だ」
アインズは破顔した。
「ところで、ここは街中だ。モモンさんと呼べ」
「も、申し訳ありません!」
彼女は深く頭を下げる。
なんでこれだけは直らないんだろう、とアインズは不思議に思った。
月に見守られながら主君と従者は歩く。
ナーベラルはいくつもの失態をしてなお仕えることを許す至高の御方に心から感謝し、そして何もかも見抜く智謀に今まで以上の畏れを抱いた。
心の中で祈りを唱える。
偉大にして至高の御方、これからも私たちをお導きください。
安息と安寧などお与えにならないでください。
この地で最後までお仕えし、息絶えることをお許しください。
「シュトランド伯爵ですが、王国軍が屋敷に捕縛しに行ったときには誰一人いなかったそうです」
男の前で部下は報告した。
すでに伝言の魔法は送っていたが、直接の報告を省略したことは一度もない。
「奥方と娘、使用人の全てが行方不明です」
「国外逃亡したか?リーダーが捕まって全て自白したとはいえ馬鹿なやつだ」
椅子に座る男は楽しそうに言った。
「同感でございます」
本当に恐ろしい御方だと部下は思った。
一度はブルムラシュー侯の息子を唆してシュトランド伯爵の娘と交際させ、今度はどうやったのか魔法で描かれた魔術師ナーベの肖像画を手にいれて彼女に好意を抱かせ、間接的に縁談を中断させた仕掛け人は目の前の男だった。
シュトランド伯爵が大貴族と繋がりを持つために大金を投じたことも私設の暗殺団を持つことも彼らは知っていた。縁談が滞って彼がその理由を知れば何かの嫌がらせを魔術師ナーベにする可能性は高かった。それこそが彼らの期待したことだ。
ブルムラシュー父子もシュトランドも自分たちが唆されたとは死ぬまで思わないだろう。
「ナーベ嬢はこの一件でなんと?」
「エフェンドラ様のおかげで大変な迷惑を被ったと手紙を送ったそうです」
「ははは!だろうな!」
豪勢な椅子の上で男は愉快そうに笑った。
「腐っても王国随一の財力を持つ奴ならナーベ嬢も興味を持つかと思ったが、期待のし過ぎだったか」
「残念ながらそのようです」
これもまた恐ろしいと部下は思う。
もしも魔術師ナーベがブルムラシュー侯爵家に興味を持てば彼らと繋がりを持つ自分たちの利益になる。逆に、あの親子が嫌われようと自分たちに何の損害もない。話がどう転ぼうとよかったのだ。
「次の一手を打ちますか?」
部下は聞いた。
「いや、この件は一度寝かせる。今回は馬鹿な貴族たちのおかげでモモンとナーベが王国貴族全体へ嫌悪感を抱いてくれたなら良しとしよう。ご苦労だったな。下がってよい」
男は部下を下がらせるとシュトランド伯爵に関する一切の情報が書き込まれた書類をくずかごに放り込んだ。
机の上にある別の書類を手に取る。
モモンとナーベ二人について書かれた書類だった。
「このチームの規格外の実力と実績。まさに人類の守護者にふさわしいな。いつかこちらに招聘したいものだが……にしてもなんと美しい」
彼は魔法で書かれた美姫の肖像画に恍惚となる。
「おっと、見惚れている場合ではないな」
彼は中断していたドワーフ王国との貿易について思考を戻し、書類を探す。希少鉱石の価格高騰に頭を悩ませているのだ。これに比べれば王国とあちらに誕生した最高位冒険者への工作活動など小さな案件だった。
バハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの脳内に使い捨てた王国貴族の名前はすでになかった。
偽りの美姫 M.M.M @MHK
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