Too Late to Die
馬田ふらい
Too Late to Die
ホームセンターで練炭を買った。店員に使用方法と使用場所を尋ねられたので面食らい、咄嗟に
「バーベキュー、公園で」
と答えたが怪訝な顔をされた。丁度その季節だと思ったんだが、まさか不審に思われたのだろうか。
部屋に帰ると早速窓を閉めて、ガムテープで塞いだ。外の桜は満開で、なんとなく嫌味ったらしいのでカーテンを閉めた。換気扇も塞いだ。内鍵のところには特に念入りに。準備は万端である。
着火。苦しくなる前に手足を縛る。火花は散るが煙は立たない。一酸化炭素が無色透明のガスだからだ。しかし空気は重くなる。
そう、この調子。息が詰まる。目がしょぼしょぼする。肺が苦しくなる。痛い。痛い。汗が吹き出る。口呼吸になる。ゼェゼェ、というのがだんだんと「黒板を爪で強く引っ掻いた音」に似てきて不快だ。足がしびれてくる。ここが正念場だ、と千切れそうな理性で堪える。
ふと少女の顔が思い出される。そう、とうとう言えなかったが確かにぼくはその彼女に恋してた。底抜けに明るくて、高飛車で、時々口が悪くて、しかしそんな彼女といるとぼくは心の芯の方から温められた。しかし交通事故があった。ぼくが15歳のときに彼女の実体がなくなると、ぼくは自分の中でその真実を誤魔化し続けた。なぜなら、彼女が死んでいるのにぼくが生きているのはおかしいからだ。ぼくが生きる限り彼女が生きていると仮定をしないといけないからだ。ああ、しかしそれももう限界だ。容赦なく現実が追突してきた。いや、むしろ妄想が遠ざかってしまったというべきか。それも君が
ぼくは彼女がいないといけないんだ。だから、今そっちへ行くんだ。
すると頭の中の少女は
「何やってんの!バカ!」
と懐かしい声で言った。相変わらず口が悪いな。涙が止まらない。でもね、ぼくはやるんだ。君のいない一生に耐えられないんだ。
「見て、あたしはここにいるよ!」
右に向くと、涙に溺れた網膜がぼんやりとだけ彼女を映した。さらに涙の層が厚くなる。会いたかった、と言おうとしたが舌が回らない。突然、彼女はドアに寄ってガムテープをバリバリと剥がし始めた。冥界へ、彼女へ近づくぼくへのありったけの拒絶に見えた。やめろ、という声は出なかった。ぼくは君のもとへ行くんだ!彼女を止めようにも手足は縛られている。
「まだ解らないの?あんたはあんたであってあたしじゃないの!」
最後に彼女と会った時もこんな話をした、とふと思い出す。ぼくの卑屈が原因で喧嘩別れしたんだった。
「自分の幸福に唾を吐くのはもうやめてよ。10年も経って何も変わっちゃいない」
だんだんと彼女の語気が強まる。
違うんだ!ぼくは、ぼくの「生」を持て余している訳ではない。ぼくの生は「君」なんだ!今までも、これからも!
「違うのはあんたよ!あたしに遠慮して幸せになろうとしないのが間違いなのよ!あんたにはもうあたしなんて要らないのよ。だから今、あんたにはあたしが見えてるの。本当はいないと知っているから、密室に人が入り込むなんていう現実離れした状況を受け入れられているんじゃないの。これが嘘だと知っているから、これが白昼夢だと知っているから!そしてそれを信じたくないだけよ。あたしがいないでもどうにかなることを薄々わかっているはずよ」
言い返すことができなかった。そうだ。ぼくは、彼女が離れていくのが怖かっただけなんだ。
「いい、これからは、いや最初から、これは他でもないあんた自身の人生なの。あたしは関係ない。外から縛られちゃいけないし、自分の思い出を裏切ってもいけない。つまり、ここまで無事に生きてきた以上、あんたにはできる限り幸せに人生を
最後のテープを剥がし、銀色のサムターンロックが
「ずっと、大好きだったよ」
とぼくが言った。やっと、言えた。ぼくの涙の向こうで彼女は笑っている気がした。けれど声は潤んでいた。
「バイバイ……永遠に大キライだよ」
ビュゥゥウとドアが全開する。勢いよく吹き込む
暗かった四畳半には、どこかから運ばれてきた桜の花弁が数枚舞っていて、あたかも春を喜んでいるかのようだった。思わずぼくは微笑んだ。
幸い、着火から1時間も経っていなかったので後遺症みたいなものはなかった。久しぶりに美味しい空気を吸った気がする。
「トゥーレイト、トゥーダイ」
おもむろに口にした。Too Late to Die。彼女が好きなバンドの歌詞だった気がする。ぼくが15歳のときはまだ習いたての文法で「死ぬには遅すぎる」なんて訳した思い出がある。今なら別の訳し方ができる。また彼女もそれを伝えたかったのだと思った。
死ぬには遅すぎた、つまりは
「ここまで生きて、今更、死ねない!」
Too Late to Die 馬田ふらい @marghery
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