七つの尾っぽの空色レシピ

真野絡繰

🐢 。。。。。

「ほえー。やっぱ、本人は迫力あるにょ」


 水族館の爬虫類ブース。ガラスケースにしがみつくようにして、一(いち)穂(ほ)が言った。普通なら「本人」ではなく「本物」と表現すべきところだが、たいていのものを擬人化する特性のある一穂にとってはこれが平常運転だ。


「めっちゃイケメンくんだし、背中のギザギザお荷物がかわいいっぴー」


 ガラスケースの中には、カミツキガメの子どもがいる。オスかメスかが判断できない状況で「くん」と呼んでいることにも、ツッコミはいらない。


「ギザギザお荷物って、もしかして……甲羅のことか?」

「それそれ、甲羅だー。拓(たく)馬(ま)っぴったら何でも知ってるよね。賢いー」


 待てコラ。カメの背中にある楕円形の硬いものは先祖代々の古来から甲羅と決まっててだな、幼稚園児だって知ってるぐらいの常識だぞバカにしてんのか――という言葉が脳裏によぎってそのまま居座って喉まで出かけたけど黙っておく。何かに興味をもって集中したときの一穂に日常的な言語は通用せず、特にこうして語尾が「にょ」とか「ぴー」などの活用変化に及んだ場合には、こちらが発した言葉のすべては空気と同じ扱いになる、と。

 俺は学んでいた。


 なぜなら、愛しているからだ。その小柄で華奢な姿も性格も価値観も色白の肌も染めてないのに栗色のサラサラ髪もアニメ声でゆっくりと喋ることも、いささか課題や問題がありそうな言語体系を駆使することも含めて全部、

 俺は一穂を愛していた。


「甲羅くんはあたしの手とおんなじぐらいだねえ……。生まれたばっかり系の子どもちゃんなのかな? かわいいにょー」

 小さな手を精一杯広げて、ガラス越しに甲羅に合わせる。一見かよわいけれど、それは魔法使いに等しい手だった。


         *


「能登半島くんってね、カミツキガメが首を伸ばした横顔みたいな形してるの。これに牙がギューンってついてたらガメラになって映画に出られたんだけど、惜しかったねー」


 口の脇に二本の人差し指を立てて言い終えると、一穂は水色のサインペンをサラサラとノートに走らせる。ものの数秒後に「できた」と渡されたノートには、能登半島の形がくっきりと描き出されていた。


「すっげー。完璧だ」


 俺はスマホで北陸の地図を開き、一穂が書いた水色のラインと見比べた。ふたつは、寸分の狂いもなく一致していた。


「だって、住んでたんだから。ここだよここ。ここが七(なな)尾(お)市。石川県の」


 能登半島をカミツキガメの横顔に見立てるなら、大きく開けた口の下唇あたり。一穂はそこに赤いサインペンで星印をつけて、「海沿いの、なーんにもない街。でも、花丸あげたいぐらい大好きな故郷だぜ」と、大好きなキヨシローみたいな口ぶりで胸を張った。


「行ってみたい」

「よろしい。ようこそ、わが街へ」


 一穂はうれしそうに微笑み、そして続ける。


「あのね、あたし本物のカミツキガメが見てみたい」

「見たことないの?」

「ない」

「……すっごく見たい?」

「見たい見たい! あたしをカミツキガメに連れてってー!」


 こうして俺は、一穂を引率して水族館に行くことになったのだった。


         *


 一穂と最初に会ったのがどこだったか、いくら考えても思い出せない。学部は違うけど同じ大学ではあるから、友達の友達というのがきっかけだったとか、どこかの飲み会で一緒になったとか、そんな感じだったと思う。いずれにせよ、海の街で育った女と山の街で育った男は東京の大学で出会い、そして魅(ひ)かれ合った。出会いを忘れてしまうほど自然な成り行きだった。


「拓馬っぴ、心肺機能強い?」


 これは長野県生まれの人間がよく聞かれる質問だが、実際にはほとんど都市伝説でしかない。現に、俺は長距離走が大の苦手だった。


「それって、海沿いで育ったら絵がうまくなるか、みたいな質問だと思うな」


 一穂は芸術学部で水彩を学び、イラストレーターを目指している。


「そっか……長野はやたら山が高いノッポくんってイメージしかないや」


 後ろは長く伸ばしているけれど、おでこは半分出して真っすぐ水平に切りそろえた前髪。その髪型にベレー帽をちょこんと乗せた姿が、たまらなくかわいかった。


「たしかに山は多いけど、人が住んでるところはだいたいスカイツリーのてっぺんぐらいの標高なんだよ。それでも、空気はずいぶん薄いらしいんだけどさ」


 一穂は再び水色のサインペンを動かし始める。好きな色は何色かと聞くと「ブルー系」と答え、なかでも水色が「たまんない」と言う。現実にある色では、よく晴れた日の空の色が一番好きなのだそうだ。


「あの子って、こんな形してた?」


 描きたいものがあると、いつでも取り出してペンを走らせるためのノート。そこには、本物そっくりのスカイツリーの姿が描き出されていた。写真も見ず、記憶力だけでつくられた本物の芸術だった。


         *


「日本海をこっちから流れてくる水とこっちから流れてくる水って、なんていう名前だったっけ?」


 右から左、左から右。人差し指を立てた両手を空中で交差させながら、一穂が聞いた。ちょっと寄り目みたいになっていた。


「海流」

「それで、右から来る子はなんていう名前?」


 右からじゃなくて北からというべきだから、そこは遠回しに訂正する。


「北から来る寒流がリマン海流、南から来る暖流が対馬海流」

「それだそれだ。それでね、その冷たい水とあったかい水が石川県の前の海で出会うんだよ」

「北の魚と南の魚も会えるね」

「石川県は、北からの子と南からの子がどっちも食べられてラッキー」


 それを言うなら石川県民だろうけど、とりあえずスルーする。


「じゃ、一穂のソウルフードも魚料理なんだ?」

「うん、魚」

「どんな料理?」

「んとね、ドジョウの唐揚げ」


 殺すぞ。

 と言いたくなったが、その前に吹き出してしまう。


「この話の流れで淡水魚かよ」

「だって、おいしいんだもん」


 一穂と一緒にいると飽きない理由がこれだった。


「じゃ、拓馬っぴのソウルフード長野バージョンは何?」

「おやき……かなあ?」


 ほんの一部ではあるけれど、長野と石川は県境を挟んで隣り合っている。それでもずいぶん文化が異なっていて、それは食べ物についても顕著だった。


「お饅頭みたいなやつ?」


 そうそう。外見は肉まんに似ていて、小麦粉やそば粉で作った皮の中にいろんな具を入れて楽しむ軽食ね。俺はおばあちゃん子だったから、彼女が作ってくれたおやきが大好きで――と、お国自慢のデフォルトにのっとって説明した。


「おやきって、野菜とか山菜が入ってるイメージでしょ? でも、うちのばあちゃんはいつも俺に甘いのを作ってくれたんだよ。ソラマメを甘く炊いた餡(あん)の中にクルミをつぶしたのが入ってて、これがもうたまんなくてさ……」


 言葉にするだけで、懐かしい味が口の中に広がる。祖母の優しい笑顔も甦る。しかし、俺はここで無意識に地雷を踏んでいた。


「それ、食べたい。作って」

「……え?」


 瞬間、背筋に冷たいものが走った。そんなことも知らず、一穂は無邪気そのものの視線を送り続けている。


「甘いの、食べたい」

「いや……」

「クルミのあんこのやつ、食べたい」

「ううう」


「作れ」

「それが……」

「……どしたの?」

「俺、料理……苦手で」


「うひーっ!」

「ごめん」

「ていうか、拓馬っぴは料理ダメ男(お)くん?」

「うん」

「バカ者。なぜそれを今まで黙ってた」


 目つきが変わっていた。それまで見たこともない真剣さに。


「だって……ほら、話す機会もなかったし」

「あたしは石川県の女だぞ。加賀前田百万石だぞ。海の幸に山の幸、料理はなんでもござれだ。任せておきたまえ」


 その日から、一穂はスパルタ料理教師に変身した。のほほんとしていたはずの眉がキリリと上がり、ベレー帽もバンダナに変更されていた。もちろん水色だった。


「まずは、料理の基本から叩き込む。反論は認めない」


 見事なイラストをサラッと描いてしまう魔法使いの手は魚を三枚に下ろし、さまざまな形に野菜を切り分けた。そして完成する料理はかぐわしい香りで包まれ、素材の味を壊さない控え目な下味さえ満遍なく舌に伝え、パンチのきいた出汁で食欲を刺激してきた。当然、盛りつけには芸術的才能がいかんなく発揮されていた。


「包丁を前進させない。リンゴを回す!」


 俺の料理人修業は、そんな初歩からスタートした。ある日には、一穂は段ボール箱いっぱいの野菜を抱えてきた。


「捨てちゃう野菜、八百屋さんにもらってきた。はい、これ切って練習!」

「ひえー」


 でも、そうやって大根やカブやニンジンを切り刻んでいるうち、包丁の扱いにも慣れていった。同時に、タマネギは冷やしてから切れば涙が出にくいとか、換気扇の油汚れは重曹で掃除するとかいう知識も次々と叩き込まれた。そのうち主婦になれそうだった。


「ひとり暮らしの料理は不経済だからね。ふたり分なら一石二鳥なのだ」

「そりゃそうだけど……」

「拓馬っぴ、いやなの?」

「いやいや、いやじゃない」

「どっちだよ」


 この特訓のおかげで、何ヵ月か経った頃にはそこそこの料理が作れるようになっていた。特に、カレー、肉じゃが、生姜焼き、ブリの照り焼きといった定番の家庭料理は、ひとり暮らしの男子大学生が作るレベルとしては上々だった。そして一穂はいつも、ニコニコとおいしそうに食べた。


「あひっ! このおひも、ほふほふひておいひい!」

 こら、口にものを入れたまま喋るな。

「うわっち! ブリの骨刺さった!」

 ちゃんとよけろ。子どもか。

「卵の殻が口でガリガリしたー」

 マジ? ごめん、それは俺がミスった――。


 下らないジョークを言いながら、アパートの狭いキッチンで料理を作り、いつも笑い合って食べた。できあがった料理もおいしいけれど、ふたりが一緒だとよりおいしくなった。奇跡みたいな時間だった。


「最初はヘラで押さえちゃダメだからね」

 お好み焼きも作った。


 ジューッという音とともに、フライパンの上でこんもりと盛り上がったタネが焼けていく。表面のところどころに小さな噴火口ができ、そこから卵やキャベツの甘い匂いが立ちのぼってくる。熱を帯びたラードの匂いも鼻をくすぐる。そこに焦げた匂いが漂ってきたところで、やっとひっくり返す。その瞬間の緊張と、

 二度目のジューッ! という音。


 この音にタイトルをつけるなら、「幸せの音」だ。凡庸な表現ではあるけれど、そもそも真理とは凡庸のなかに潜んでいるものだから。


 そうやって実践した一つひとつのレシピは、一穂の手によって一冊のノートにまとめられていった。美しいイラスト入りで詳細に解説されたノートは「空色レシピ」と命名され、当然のように宝物になった。文字どおり空色の表紙をしていて(一穂のなかでは「水色」と「空色」は厳密に区別されている)、七本の尻尾があるカミツキガメがVサインをしているイラストが添えられていた。


「一穂が七尾出身だから、このカメの尻尾も七本なんだ?」

「ブー」

「え? 七尾のことじゃないの?」

「七尾は合ってるけど、ブブー」


「じゃ、何が違うんだよ」

「尻尾(しっぽ)じゃなくて、尾(お)っぽ」

「尾っぽ? 尻尾でしょ」

「違う。尾っぽだよ」

「尻尾」

「尾っぽ!」


 ――素直に従うしかなかった。


         *


「おいしい! 拓馬って、ホント料理上手だよね。やっぱり、ひとり暮らしが長いと男の人もこうなるのかなあ?」


 ハンバーグを食べながら、恭子(きょうこ)が言った。デミグラスソースを使ってアルミホイルで包み焼きにする作り方も、空色レシピからのレパートリーだ。


「料理は場数だから」


 俺は三十一歳になり、恭子と一緒に暮らそうと思っていた。


「私も、もっと経験しなきゃ」


 一穂は大学三年のときにフランスに留学し、そのまま住み着いたような形で今もリヨンに住んでいる。いつの間にか結婚していて、いつの間にか出産もして、ときおり子どもの写真を送ってくる。ナナと名づけられた愛くるしい女の子で、彼女は母親と同じ前髪ぱっつんの髪型をしていた。


「女としては悔しいけど、降参。何を作っても、こんなにおいしいなんて」

「大したことないよ。普通の家庭料理だし、絶対に作れないものもあるし」

「作れないって、どんなもの?」


 近いうちに、この人を郷里に連れていこうと思う。そして食べてもらおうと思う。


「うちのばあちゃんが作った、クルミ餡のおやき。ほかの人がどう真似をして作っても、同じ味にならないんだ」

「わあ! それ、絶対食べたい」


 恭子の笑顔にうなずきながら、ハンバーグを口に入れる。

 そして、ゆっくりと噛む。

 肉汁があふれてくるのを舌で感じ取って、今日のはうまく焼けたと思った。

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