9

「わたし、十五歳の時からずっと日本で戦ってたでしょ? だから旅行ってしたことなくて。一度で良いから海外行ってみたかったんだよね」

 観光ガイドを眺めながら、マキノが言う。

 春の太平洋は、波もなく穏やかだ。しかし泳ぐにはまだ寒すぎる。海岸には誰の姿はなかった。


「あの、ホントについてくるつもりですか? 見送りじゃなくて?」

 困り果てて、もう何度目かになる確認をした。

「うん。そう言ってるじゃん。アメリカでやり直すんだよね? ユウキくんって常識ないから、一人じゃ苦労すると思うんだ。それにあの時、けっこう本気でパンチしたからまだ痛むでしょ?」

「まあ痛むって言うか、身体中ぐちゃぐちゃで宇宙に放り出されたので、生きてるのが不思議なくらいですけど……」


 改造人間であるユウキは再び大気圏に突入し、それでもやっぱり死ななかった。

「海外逃亡するんですよ? 日本じゃもう正体知られちゃいましたから、生活できないですし。アメリカに潜伏するんです」

「だって、わたしもバレてるし」

 マキノは平然と答えた。


「だから、大手を振って世間に出ればいいんですよ。マキノさんは正義の味方レッドバロンなんですから。感謝状とかもらえますって。だいたい、ぼくがあれだけ必死に悪役を演じたのに、意味ないじゃないですか」

 あの戦いの後、再びレッドバロンは姿を消した。彼女が日常へ戻れるように立ち回ったのに、これでは骨折り損だ。

 マキノは首を横に振った。


「平和な世界にはね、力で戦うだけのヒーローは必要ないの。わたしが次にやるのは、行き場をなくしたみんなを社会復帰させることだよ。もちろん、ユウキくんも含めてね。誰もが幸せに暮らせる世界が、やっぱり理想じゃない?」

 そんなこと、不可能に決まっている。

 世界は簡単には変わらない。誰もが幸せに暮らせる世界なんて、ただの夢物語だ。

 それでもマキノは夢物語を信じた。信じて戦った。ブラックカンパニーが壊滅したのも、平和を求める彼女の信念が決して折れなかったからだ。

 世界は平和にならないと、絶望していたユウキとは違う。

 マキノは人の醜さを目の当たりにしながら、それでも自分にできる方法で世界を平和にするために戦い続けていた。


 圧倒的な力を持つレッドバロンではなく、無力な女性のマキノとして人々を救おうとしていた。

 彼女はずっと戦い続けている。

 ヒーローはどこにも消えていなかった。


「これから忙しくなるよ。今度はアメリカで活動しながら、日本に潜伏してるみんなを助け出さなきゃ。がんばろうね」

「ぼくもですか?」

「力を貸してくれるんじゃないの?」

「まあ……いいですけど」


 先の苦労を考えていないのか、マキノは笑っている。

 釣られて、ユウキも笑った。

 ひとりではないというのは、秘密を分かち合える相手がいるのは、悪くない。


【了】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

最後の変身 鋼野タケシ @haganenotakeshi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ