8

 分身したスティーブンを瞬時に打ち倒し、ユウキは地下室を飛び出した。

『レッドバロンです! レッドバロンがあらわれました!』

 電源の入ったままだったテレビが、緊急のニュース番組を流している。

『どういうことでしょうか! レッドバロンが、武装した超人たちにまぎれています! あの噂は本当なのでしょうか! かつてのヒーローが我々人間を裏切り、悪の組織と共にいるのです!』


 ユウキは店の外へ出た。

 スカイタワーが見える方角へ向かって、狭い路地を走る。数十メートルの助走から、跳躍。ユウキの肉体が砲弾のように空へ飛び上がった。

 高層ビル群を軽々と飛び越えて、ヘリコプターの横をすり抜けて、真っ直ぐにスカイタワーの展望室へ。


 展望室の分厚いガラスを突き破った。床を転がり、着地する。戦闘員たちが咄嗟に向けたアサルトライフルを、ユウキは手刀の一撃で真っ二つに切り裂いた。振り向きもせず、背後へボールペンを放る。弾丸のように放たれたペンが戦闘員の右手を貫通し、拳銃を落とさせた。

 ユウキは暴風と化してフロアを駆け巡った。身構える暇さえ与えず、武装した戦闘員、超人たちを、わずか数秒で昏倒させる。


「大丈夫ですか、皆さん」

「お前、いったい……」

 グンマがうめくように言った。

 ユウキは答えなかった。人質を拘束するダクトテープを引き千切り、全員を解放する。

 それから、レッドバロンに向き直った。


「まさかとは思いましたけど、本当にマキノさんがレッドバロンだったんですね」

 変身したレッドバロンに向かって、言った。

「……いつから気付いていた?」

「今日ですよ。あなたが強盗を止めた時。ぼくの目で捉えられないスピードなんて、レッドバロンくらいしかいませんから。それに、生身とはいえ必殺の亜光速アッパーだ。いくら威力を抑えようと、レッドバロンの構えは見ればわかります」

 レッドバロンは何も答えない。赤い仮面の奥の、表情はわからなかった。

「一つだけ教えてください。この計画に、アナタは関わっていないんですね?」

 レッドバロンがうなずく。


「信じて貰えないかも知れないが、わたしは……」

「わかりました」

 ユウキはレッドバロンの言葉をさえぎった。

「グンマさんは人質をお願いします。外の見張りはぼくが蹴散らしますから、隙を見て脱出を」

「タワーのてっぺんに爆弾があるはずだ。それを何とかしねえと、東京が滅びるぞ」

「爆弾はぼくがなんとかします」

 どうするつもりなのか、グンマは尋ね返したりしなかった。手早く拳銃を拾い上げると、倒れた戦闘員たちの武装を解除して人質に渡していく。


「キミは、どうしてわたしを信じてくれるのだ」

 レッドバロンが言った。

「この状況では、首謀者がわたしと思われてもおかしくはない」

「信じますよ。信じるに決まってるじゃないですか。アナタは正義のヒーロー、レッドバロンだ。世間に正体を隠して、十年も戦って来た。それをぼくは、誰より近くで見ていましたから」

 何度も、レッドバロンの戦いを見て来た。

 何度傷付き倒れようと、レッドバロンの心は決して折れなかった。

 必ず立ち上がり、必ず勝利した。世の為、人の為、そして正義の為に戦った。

 それがレッドバロンだから、ユウキは心からの尊敬を示したのだ。

「ぼくの秘密を、アナタにだけ教えます」


 ラジオがけたたましく、騒ぎ立てている。

『いったい何が起きているのでしょうか! 砲弾のようなものが展望室に撃ち込まれ、戦闘員たちが倒れています! 仲間割れでしょうか』

 変身だ。

 ユウキが身構えた。

 もう一度だけこの力を使おう。改造人間としての力を。

今度はアナタを倒すためではなく、守るために。

 これが、最後の変身だ。


 全人類を完全に管理し、コントロールする。選ばれた者による人類支配の時代。ブラックカンパニーの大首領、ルシファーの目的はそれだった。

 征服された世界では、富が公平に分配され、飢えや貧富に苦しむ人もいなくなる。犯罪が見落とされることはなく、すべての悪に裁きの鉄槌が下される。

 地球に真の平和を築くには超人による支配を実現するしかない。支配こそが自由、公平、平等、そして真の世界平和を実現する唯一の手段。

 ルシファー社長の理想に、虐げられてきた多くの人間が賛同した。

 ユウキも、その一人だった。


 それが『正義』だと信じた。

 それが『地球の未来のため』だと疑わなかった。

 そのために十年、戦った。


 レッドバロンの前で、ユウキの両腕が膨張する。全身の筋肉が盛り上がり、小柄な肉体が3メートル近い巨体へと変貌していく。皮膚は硬化し、暗褐色の甲冑になった。目がギラギラと光を放ち、頬まで裂けた口には鋭い牙が並ぶ。額から一本、螺旋状にねじれたツノが生える。

 ユウキは変身した。かつてレッドバロンと死闘を繰り広げた、不死身の怪人サイドリルへと。


「サイドリル! お前は、死んだはずじゃ……」

 レッドバロンの驚愕に、サイドリルは唸るような笑い声で答えた

「我らの復活計画に気付き、戦闘員にまぎれるとは考えたなレッドバロン!」

 わざと、外の報道ヘリに聞こえるように大声を出した。

『ブラックカンパニーの怪人です! 怪人が現れました! サイドリルです!』

 ニュースキャスターの騒ぎ立てる声が、ラジオから聞こえる。


「冥土の土産に教えてやろう!」

 サイドリルはニヤリと笑った。牙をむき出しにして、悪魔のようにギラつく目で。

「このおれには他者を操る超能力がある! ここにいる超人たちはみな、おれに従うことを拒んだのだ! だから意志を奪って操っている! このスカイタワーに集う超人すべてが、おれの支配下にあるのだ!」

「何を……」

 困惑するレッドバロンを無視して、サイドリルは叫び続けた。

「もはや人質も、他の者の力もいらぬ! 決着をつけるぞレッドバロン! 東京を壊滅させる前に、まずはキサマを血祭りにあげてやろう!」

 レッドバロンへと肉薄すると、サイドリルと化したユウキは剛腕を振り抜いた。戦車の装甲を紙のように引き裂く爪を、レッドバロンは片手で防ぐ。反撃をしないレッドバロンに、サイドリルは本気で攻撃を繰り返した。


「やめろ! 何のために、こんなことを!」

「黙れ! キサマを葬るために、地獄から舞い戻ったのだ!」

 レッドバロンは困惑している。困惑して、防戦一方に陥る姿を報道ヘリのカメラが捉えている。


 これでいい。

 彼女の勇姿を人々の目に、再び焼き付けるのだ。レッドバロンは正義の戦士で、命懸けでブラックカンパニーの怪人と戦った。それを世間に思い出させてやる。

 復活した悪の怪人サイドリルは、洗脳した超人をあつめて東京の壊滅を図った。

 しかし、再び現れたレッドバロンによりその計画は阻止される。操られていた超人は目を覚まし、諸悪の根源であるサイドリルは戦いの中で死ぬ。

(ミスはできないぞ。これを見てる全員に、そう思わせないといけないんだ!)

 悪はサイドリル。そして正義はレッドバロンだ。

 人々にそう思わせなければ、彼女が日常へ帰れない。


「どうした! 人質が気になって力が出せぬか? ならば、まず人質から消してやる!」

 サイドリルが人質に向かって突撃する。

 レッドバロンが盾となった。人質の代わりに体当たりを受けたレッドバロンが、展望室から外へと吹き飛んでいく。


 スカイタワーから落下するレッドバロンを、サイドリルも追った。数百メートルを落下し、軍隊と戦闘員、両者の間に着地する。

「レ、レッドバロン!」

「サイドリルだ! 不死身の怪人サイドリルが蘇ったぞ!」

 悲鳴と歓声が聞こえる。サイドリルはアスファルトを踏み砕き、レッドバロンを狙うフリをして戦闘員を蹴散らした。敵味方の区別なく暴れる怪人として、スカイタワーを防衛するブラックカンパニーの軍団を打ち倒していく。

 これでスカイタワーを守る者はいない。人質が巻き添えを食うこともなくなった。


 グンマが人質を連れてタワーを脱出している。

 それを確かめてから、サイドリルは跳躍した。今度は上空へ飛び上がり、展望室の天井へ飛び乗る。

 夕焼けが溶けて、空にはうっすらと月が浮かんでいた。冷たい風を全身に浴びながら、サイドリルは追って来たレッドバロンへ猛然と攻撃を繰り出した。レッドバロンはそのことごとくを防ぐ。


 子供の頃に両親を殺され、ユウキは怒りに支配された。両親を殺した犯人を、必ず殺してやろうと誓った。憎しみが人の世すべてに向くまでに、それほどの時間は掛からなかった。世間を憎み、世界を変えてやろうと思った。だから大首領ルシファーの掲げる人類管理計画は、正義だと思った。元々あった超能力を強化するため、改造手術を受け入れた。

 こうしてわずか十三歳で、ユウキは不死身の怪人サイドリルとなった。


 復讐のための暴力を、間違っていると気付かせてくれたのはレッドバロンだ。

 ブラックカンパニー数万の戦闘員に、ただ一人立ち向かった赤い仮面の戦士。

 レッドバロンとの戦いは、歪んでしまったユウキを真っ直ぐに叩き直した。

 初めての敗北を喫したあとは、ただレッドバロンを超えるためだけに己を鍛えた。二度、三度と戦いを重ねるうちに、敵対心は戦士への尊敬に代わった。


 人の悪に絶望して戦うユウキと違い、レッドバロンは人間の善を信じて戦った。

 立場は敵同士だったが、どれだけ傷付こうとも決してあきらめずに立ち上がるレッドバロンに、ユウキは心を動かされた。

 その頃には世界征服が正しいとは思えなくなったが、レッドバロンと競うためだけにブラックカンパニーに残った。

 そしてサイドリルは、七度目の戦いで完全なる敗北を決した。


 必殺の亜光速アッパーで成層圏まで吹き飛ばされ、瀕死で宇宙を彷徨った。

 やがて地球の重力に引かれて落ちた時、ユウキは地球の美しさを知った。

 もしも生まれ変わったら、今度は普通の人間として生きよう。

 どんなに苦しくても、ただ一人の人間として。


 そう願いながら大気圏を突破したが、頑丈なユウキは死ななかった。筋肉断裂、全身骨折、内臓破裂に全身火傷、死ぬ理由には困らないほどだったが、一週間後には立ち上がれるまでに回復していた。そして、サイドリルとの戦いで重傷を負ったレッドバロンが、それでもルシファーを倒したことを知る。


 ユウキはレッドバロンの勝利を心の底から喜んだ。

 同時に、今まで多くの命を奪ったことを後悔した。

 罪を償う時が来た。

 これが最後の戦いだ。


 わざと報道カメラに映るように戦った。大暴れする不死身の怪人サイドリルと、人々を守りながら止めるレッドバロン。傍目にはそうとしか見えないはずだ。

 頃合いを見計らって、サイドリルは更に跳躍した。展望室の天井から、スカイタワーの頂上へ。

 タワーの頂点は、直径十メートルほどの足場しかない。そこに殺人ウィルスを満載した爆弾が置かれていた。すでに自動装置は作動している。このまま放っておいても、爆弾は爆発するだろう。


「おれ一人では死なんぞ! キサマも東京の人間も、すべて巻き添えにしてやる!」

 この爆弾を処理しなければならない。ウィルスをまき散らすから破壊はできない。どこかに隔離しても無駄だ。

 サイドリルが巨大な爆弾を抱え上げる。


「サイドリル……お前は」

 この爆弾を永遠に消し去るための方法は一つしかないと、彼女にもわかっているはずだ。

(あなたに出会えて、良かった)

 サイドリルの呟いた声は、風に紛れて消えた。

 すう、と息を大きく吸い込む。

「死ねい、レッドバロン!」

 叫び、爆弾を抱え上げたままレッドバロンへと走った。


 突撃するサイドリル。レッドバロンが構えた。

 彼女の右手が、炎のように赤く輝いている。見えたのはそれだけだった。腹部にすさまじい衝撃を受けて、一瞬。

 サイドリルは遥か上空へと吹き飛んでいた。


 必殺の亜光速アッパーが、1トンを超えるサイドリルの肉体をロケットのように吹き飛ばす。

 視界の隅で地平線が湾曲している。地球の丸さが見えるようになった。夜の暗さの中で、街の輝きがぽつぽつと見えた。

 ほんの数秒で、サイドリルの身体は大気圏を越えていた。


 抱え上げたままだった爆弾を、宇宙に向かって放り出した。

 地球の重力を離脱して、爆弾はどこまでも飛んでいく。宇宙を漂い、どこか誰も知らない場所で、ひっそりと爆発するだろう。


 腹部に手をやると、装甲が完全に砕かれている。

 真っ赤な血が玉のように浮かび、無重力の中に広がって行く。

 青い地球を眺めながら、サイドリルは肉体が地球に引かれていくのを感じた。

 身体が自由に動かせない。このまま重力に引かれて、また地球へ落ちるのだろう。

(今度こそ死ぬかも知れないなぁ)

 悪の怪人サイドリルは、牙の並んだ口をゆがめて笑った。


 血に染まったこの手が、悪として生きたこの命が、誰かを守るために消えるなら本望だ。

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