”「死」という文字が47回出てくる短編”――何事かと思いますが。死体役を演じる青年と主人公「私」の恋愛模様を描いた、ラブコメディです。
青年・信二(シンジ)君は、いかに死体らしく役を演じるかに情熱をかけ、死について悩み、いろいろと試みるわけですが、そこはコメディ。軽快に、さっくり甘く纏めて下さっています。
――毎日のように死と相対している いち医療従事者としましては。「死に至る心理」はともかく、「死を追求する姿勢」は理解を超えるわけですが……。そうか、大多数の人々にとって、「死」は人生にそう多く遭遇する経験ではないのだと、改めて納得させて頂きました。
「死」という文字が47回出てくるラブコメ……と、まえがきから、既に「何が起こるのだろう!?」と引き込まれます。
私はこの短編にすっかりハマりこみ、短いものなので、スクロールして、3回ほど読み返してしまいました。
それは、このお話の主人公が演劇をする人で、「死体になりきること」というのに一生懸命になっているからです。
演劇を観るのが大好きな私は、「死体らしさ」を巡る、主人公と先輩の話は「なるほど!」「そうやって死体を演じるの!?」とのめり込み、今すぐ劇場に行って、誰かの死に様を演じる人の姿を観たくなりました。
でも、まだすごいのです。
こんなに熱い演劇論なのに、とても短くて、その「現実世界」として主人公たちの甘いラブコメがあるのです。
何でこんな構成の短編が書けるのだろう……と率直に感服しました。
演劇が好きな人は勿論、「短編小説ってこんなことできるんだよ!」という意味で、いろいろな読み手さん・書き手さんにお薦めしたいお話です。
memento mori――死を、想え。
死、という蠱惑的な響きは、芸術においては無視出来ない。
そんな死という演技に向き合う青年と彼女の生活を、コミカルに描いている。舞台の1コマ、その演者、さらに稽古にまで切り取られたト書きを読んでいるかのようでもある。
2人の、目線を、言葉を、唇を、そして身体を重ねる描写に、死の演出を飾り付けるのも素敵だ。
惹き付けられるのだ、生も性も、行き着く先は死という行為なのだから。舌先に残るのは、決してジャムやケチャップの味だけではあるまい。
下町風情の小劇場が目に浮かぶ作品、楽しく読ませて頂きました。