5-6

「よかったわね、みんな無事で」

「うん。本当に」


 櫻木駅にほど近い路上。玲と桃子は事件の収束を純から電話で知らされ、駅へと向けて歩いていた。


「今回も彼の活躍みたいね。さっき少し見たけど、SNSで大騒ぎよ」

「ハハ…山口くん、悔しがるかもね」


 玲は言いながら、先程自分もちらと見たSNSの様子を思い出す。影のように黒く変わった友人の姿が絶え間なく投稿され、映画の撮影だ宇宙人だ、果ては政府の秘密兵器だと、好き勝手に騒がれていた。

 彼は無事に逃げられただろうか。これを見たら、また体調を崩すのではないか。そんな風に考えていると、やがて道の先に張本人の姿が見えた。隣には冬彦と英二が並んでいる。玲が手を振ると、三人も手を上げて応えた。


「大変だったんだぜ、こいつ引っ張ってくるの」

「恨むぞ英二。お前は史上最大のスクープを闇に葬ったんだからな」

「野次馬で何も見えなかっただろ。何が撮れたんだよ」

「ぬぬぬ……」

「ああ、本当に大丈夫って感じね。安心したけど不安だわ」


 冬彦と英二の口論に、桃子が呆れ顔で呟く。そのまま小競り合いを始めた三人を横目で見ながら、純と玲はひそひそと話し始めた。


「お疲れ様」

「うん、ありがとう。これ、またお願い」


 純が差し出したルルイのコンパクトを、玲は両手でしっかりと受け取った。


「ルルイもお疲れ様」

「いえ、私は何も。純さんのお力のおかげです」

「そんなこと、ないよ」


 純の控えめな、しかし確かな否定を受けて、玲とルルイは揃って純の顔を見た。視線が集中した純は少し狼狽えながら口を開いた。


「あの、その……ルルイは、一緒にいてくれて心強いって思ってるし……鈴森さんは、いつも応援してくれてるし……おかげで、頑張れるから」

「え、あたしも?」


 自分にも言及されるとは思っていなかった玲が、目をぱちくりとさせた。純は驚く玲に頷き、言葉を続ける。


「さっきも、鈴森さんが応援してくれてるから、頑張らなきゃって。だから、負けなかった。うん……あ、別に重荷に感じてるとか、そういうんじゃないから!」


 呆然と聞いている玲の様子に焦り、純は慌ててフォローを入れる。玲はしばし無反応だったが、一拍置いて身体を振るわせ始めた。


「す、鈴森さん? 大丈夫……?」

「く……くく……あーっはっはっはは!!」


 急に大声で笑い始めた玲に、純とルルイは驚きで固まる。軽く言い争っていた三人も、何事かと歩み寄ってきた。


「ちょっと玲、どうしたの?」

「おい純、お前なんか変なことでも言ったのか?」

「お前じゃないんだからそりゃないだろ……で、実際なんなんだ?」


 口々に騒ぐ三人を、落ち着き始めた玲が手で制する。バシバシと頬を叩いて笑いを完全に引っ込めると、四人に向けてにっこりと笑顔を向けた。


「なんでもないよ! さ、みんな行こう。駅も混雑してるだろうし、早くしないと桃ちゃん帰れなくなっちゃうかもよ」


 そう言って、駅に向かって歩きはじめる。

 四人は少しばかり立ちすくんでいたが、それぞれに玲の後に続いていった。


「……ねえ、ルルイ」


 先頭を一人歩く玲が、手にしたままのコンパクトに向けて呟く。


「今のままでいいんじゃないかな」

「その、何がでしょうか?」

「ほら、水沢くんに言うか言わないかって話」

「ああ…今のまま、とは?」

「水沢くんが、なんていうかな…そう、自然な感じの今」


 玲は髪をくしゃくしゃにしながら考えをまとめ、言葉を続けた。


「あたしね、水沢くんが大勢の人の前に出て、なんていうか…潰れちゃうんじゃないかって心配だったの。前の学校でのこともあったから。でも今の水沢くん、全然そんなことなかったでしょ?」

「それは……はい。いつも通りの純さんした」

「だから、あたし心配しすぎてたのかなーって思って。凄いプレッシャーがかかっても、自然に自分らしく頑張れる……えっと……そう! 心が強いんだよ、水沢くん」

「心、ですか」


 いささかあっけにとられ、ゆっくりと返されたルルイの答えに、玲は頷いた。


「うん。凄い力があるとか、なんでもできるとか…そういうのがなくても、頑張れる。そんな水沢くんだから、ミタマも力を貸してくれてるんじゃないかな、なんて思ったりして。だから本当のことを言ったら、逆に邪魔になっちゃわないかなって」

「ミタマが……」


 玲の言葉を受けて、ルルイは自分にミタマを託した者のことを思い出す。アニマの本体、核たるシシミタマはもう存在しない。それ故に玲の言っていることはありえないものである。


「……そうですね。そうかもしれません」


 しかし、ルルイは思った。

 そういうことも、あるのかもしれない。彼の心はミタマが消えても、あの少年の中に生きているのかもしれないと。そうして心が繋がったからこそ、異なる生命体がミタマの力を引き出せたのではないか、と。


「だから、今のままでいいんじゃないかなーって、桃ちゃんが言うみたいに前向きにというか気楽にというか………ど、どうかな?」


 ルルイの沈黙に不安を覚え、玲が髪を整えながら声をかける。


「いえ、私も……今のままで、いいと思います。時が来るまで、様子を見ることにしましょう」

「そ、そう? じゃあ水沢くんのことを信じて、今はまだ秘密ってことで」

「秘密って、何が?」

「ひゃっ!?」


 背後から急に声をかけられた玲が飛び上がる。振り返れば、不安げな表情の純がすぐ後ろにまで近づいてきていた。


「ご、ごめん…でもあの、心配だったから。急に笑いだしたりして」

「あー……いや、大丈夫。なんでもないから、うん」


 両手を大げさに振って心配ないとアピールする玲。しかし純からは訝しむ視線を向けられた。


「本当に?」

「ほんとにホント! ほら、行くよ!」

「あ、ちょっと!?」


 純から逃げるように駆け出す玲。純も追って走り出し、後ろを歩いていた三人もやがてそれに続いた。


* * *


「申し訳ありません!!」


 アニマの神殿の中枢部、始祖の間の床に両手足をつけ、頭を下げたイレイが叫ぶ。その前に立つララナは、イレイに背を向けて宙に浮く鏡を見つめている。


「目的を一つも果たせず、おめおめと逃げ帰る始末……このイレイ、もはやララナ様に合わせる顔がないことは重々承知しております! しかし、彼の者……裏切り者ルルイと共にいるあやつの脅威を直にお伝えするべく、こうして生き恥を」

「ご苦労様でした、イレイ。あなたは見事に。」

「はっ! ………は?」


 イレイはララナの言葉に思わず頭を上げた。振り返ったララナは、いつもと変わらぬ様子でイレイを見下ろしていた。死をも覚悟していただけに、穏やかな言葉をかけられ、イレイは完全に虚を突かれていた。


「あの、それはどういう意味でしょうか?」

「そのままの意味です。あなたは、私が期待した通りの働きをしてくれました。始祖様も大いに喜ばれていることでしょう。」

「いえ、ですが私は…」

「さぞ疲れたことでしょう。別命あるまで、ゆっくりと休んでください」

「ララナ様、私は」

「いいですね」


 納得がいかず反論しようとしたイレイを、ララナの視線が射抜く。有無を言わさぬその眼差しに、イレイの胸の内で燃えていた怒りや屈辱などのあらゆるものは熱を奪われた。

 イレイはやがて口を噤んだまま立ち上がり、ゆっくりと始祖の間を後にした。


「……仕込みは上々。このままいけば、間違いなく……フフ」


 一人になったララナは、始祖を見上げて妖艶に微笑んだ。


「ああ……今少しお待ちください。間もなく、間もなくです。待ちに待った、その時が……」


 始祖の巨体を見つめ、恍惚とした表情を浮かべる。

 真円の鏡はララナの昂りに呼応して像を歪め始め、やがてひびが入ると、一瞬の後に大きな音を立てて割れた。

 鏡の破片がばらばらと床に落ちる中、ララナは気にも留めず始祖の姿に見入っていた。

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正義の斜道 銀ノ風 @silver-w

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