5-5
「イレイは、燃やす力を持っています」
駅前に急ぐ最中、ルルイは手短に敵の情報を伝えた。
「燃やす……炎を操る、ってこと?」
「そういった側面もありますが、正確に言えば、何かを発火させる能力です」
それはもう、同じことではないだろうか。上手く理解ができずに黙り込むシャドウの様子を見て、ルルイが説明を付け加える。
「自由に炎を発生させ、それを操れるならば、純さんにとっても危険です。でも、彼の力はあくまでも発火させることが主な部分です。ですから……」
「……同じアニマの身体なら、燃えづらい?」
シャドウの推測にルルイが首肯を返す。
「付け加えて、イレイは我々の中でも力の制御が不安定なところがあります。油断は禁物ですが、ネネコよりは戦いやすいはずです」
「わかった。安心はできないけど、なんとかやれそうな気はしてきたよ」
先に勝てた相手より格下といえど、相手が超常の別世界の住人であることに変わりはない。シャドウは緩みかけた気持ちを張り直し、現場へと急いだ。
* * *
少し焦げ付いた己の腕を見つめながら、シャドウはここに来る道中での出来事を思い出していた。
ルルイの言とは裏腹に、燃えづらいと言われた身体は確かに燃え上がった。火は消し止めたものの、残った熱と焼かれた感覚が、じわじわとシャドウの精神を削る。
肌で済んだからよかったものの、内側から燃えていればどうなっていたことか――恐ろしい想像を、シャドウは頭を振って追い出した。
「まさか、イレイの力がここまでなんて……」
イレイの力を目の当たりにしたルルイの声は、驚愕に震えていた。
その声を耳にし、イレイは炎の瞳を歪め、不気味な笑い声を上げた。
「実に……実にいい気分だ。どうせ貴様も、役に立たない出来損ないだと、私を見下していたのだろう?」
ルルイに語りかけながら、イレイはゆっくりとシャドウに歩み寄る。
シャドウは間に机を挟みながら、一定の距離を保つよう、相手に合わせて移動する。
「だが、私はララナ様より大任を任された! もう無様な姿は見せられぬ!」
イレイの両腕から激しく火花が放たれる。
シャドウが身を隠した机は、火花を受けて燃え上がると、一瞬で燃え尽きた。
「見ろ、この力を! もはや貴様等など敵ではない!」
叫びながら、イレイが左腕から火花を放つ。
シャドウは傍にあった椅子を投げつけて盾とした。椅子は燃え上がりながらイレイに向かって飛び、右腕ではじかれ床に転がり、その場で燃え続ける。
「私の力は未だかつて無いほど高ぶり、そしてそれは私の思うがまま! 負ける筈なし!」
イレイがシャドウへと飛びかかる。両者は取っ組み合いながら床を転がり、机にぶつかって止まった。
シャドウに馬乗りになったイレイは、両腕を交互に打ち下ろし始めた。
「ぐ……う……ッ!」
一撃一撃の重みに、シャドウの思考が痛みに塗り潰されていく。
搦手を使うネネコとは全く異なる、正面から向かってくる強い力に、戦う前にあった僅かな心のゆとりは跡形もなく消え去っていた。
「こ………のッ!」
攻撃の合間の隙を見つけ、巴投げの要領でイレイを投げ飛ばす。イレイは壁に叩きつけられたが、応えた様子もなく立ち上がった。
「無駄だ。貴様がいくら抗おうと、私を倒すことはできない!」
「く……ならッ!」
シャドウが左腕からワイヤーを射出する。首を狙ったそれは、イレイの右腕によってはじかれ、壁に突き刺さった。
「二度も小細工に!」
イレイがワイヤーを狙い、左腕からの火花を飛ばす。シャドウはすぐさまワイヤーを巻き戻したが、鏃状の先端に火花が掠り、燃え上がり始めた。シャドウは巻き戻しながら無茶苦茶に振り回し、ワイヤーに燃え移ろうとした炎を振り払った。
「くぅ……」
「何をしてこようと同じこと! 力を偶然手に入れただけの貴様が、私に勝てる道理など無い!」
声高々に断言され、シャドウは返す言葉を失う。その様子を見て、イレイの全身が打ち震えた。自分が完全に優位に立ったことを確信したからである。
「貴様にはわかるまい。ララナ様のため戦う私の想い! あの御方の期待に応えるため、私は強くあらねばならんのだ! 貴様ごときに遅れは取れぬ!」
自らの言葉に感極まり、イレイは両腕を広げ雄叫びを上げた。期待を持って自分をこの地に送り出してくれた、ララナに届かせんと。
「残念ですが、彼の言うことは事実です。もはや彼は、私の知る彼ではありません」
シャドウの腰のコンパクトから、ルルイの声が響く。
先程シャドウに告げた言葉を思い返し、彼女は自分の浅はかさを悔やんでいた。シャドウの力には、純の精神状態が反映されるという彼女の推測。それが真実ならば、敵の強さが予想を超えていたこの事態は大いに問題がある。戦意が喪失されれば、戦うことはおろか、撤退も難しいかもしれない。
「………最悪の場合、私を置いてでも」
「いや、大丈夫」
「え………?」
もしもの時は、自分一人でも逃げてほしい。そう提案しようとしたルルイの言葉は、シャドウの落ち着いた声に遮られた。
ルルイが鏡の向こうのシャドウの姿を見る。肩で息をしてはいるが、相手を真っ直ぐに見て、しっかりと立っている。この場から逃げようなどという気は、微塵も感じられなかった。
「大丈夫。同じだって、わかったから」
「同じ………だと?」
シャドウの言葉を聞き、イレイが思わず口を開く。苛立ちが滲み出たその声に臆することなく、シャドウがイレイを見据える。
「貴様と私の、何が同じだと? 力も、覚悟も、私の方が優れているではないか」
イレイの言葉に、シャドウが首を横に振る。
「いるんだ。僕にも、応援してくれる人。だから……」
両脚に力が込められる。先程までとの変わりように、イレイが僅かにたじろいだ。
「負けられない」
一直線にシャドウが飛び出す。イレイの反応はやや遅れたが、迷うことなく左腕を向けた。眩い火花がシャドウに向けて放たれる。
「私と貴様は……なにッ!?」
イレイは驚愕し目を見開いた。万物を燃え上がらせる火花を、シャドウが片手で受け止めている。火花を直接受ける右掌は少しずつ燃え始めているが、それに構うことなく真っ直ぐに突っ込んでいく。
「チィッ!」
片方で足りぬなら両方でと構えた右腕に、イレイは衝撃を感じた。目をやると、ホイールの隙間にワイヤーの先端が挟まっている。ホイールは回転することができず、ギシギシと嫌な音を響かせた。
「な…ッ」
気を取られているところに、続いて左腕に衝撃。右腕と同様にホイールの隙間にワイヤーの先端が挿し込まれ、回転を阻害している。火花が止まり、邪魔するもののなくなったシャドウが、目前に迫る。
「うおおおおお!」
シャドウの両手が、イレイの両腕のホイールを鷲掴む。十本の指がゆっくりと、しかし確実にホイールにめり込んでいき、ひびが走り始めた。
「ぐ……ぬおおおお!」
振り払わんと、イレイが両腕を振るう。しかしシャドウの指から力が抜けることはなく、ホイールを決して放さない。回転させようにも、ワイヤーが挟まった上、直接掴まれている。最大の武器は、完全に封じられていた。
「く……ッ、あァッ!!」
ホイール全体にひびが入った瞬間、シャドウが思い切り手首をひねる。耳障りな音を立てながら、ホイールがイレイの両腕からもぎ取られた。
「ギ……ガアアアァ!?」
「よく、もォッ!?」
最後の手段と頭部を向けようとした直後、シャドウの左手がホイールを回転軸に沿って貫いた。左手が引かれると、休む間も与えず右手が伸ばされ、イレイの頭部を掴む。
「ゴ、オオオォォ……」
「やあああああ!!」
シャドウはイレイの頭部を掴んだまま押し進み、力いっぱい壁に叩きつけた。壁は衝撃に耐えきれずに突き破れ、両者は廊下に転がり出て倒れ込んだ。
「グ、グゥ……ァァァアアア!!」
憤怒の叫びと共にイレイが立ち上がる。その頭部は掴まれた部分が大きく凹み、全体的に歪んでいた。炎の瞳だけが、怒りによって変わらずに燃え続けている。
「許さん! 許さんぞ貴様!! こうなれば、我が命に代えても貴様の首を」
イレイの言葉は、そこで途切れた。振り返ったところに、眼前に迫る銀に輝く拳が見えたからである。拳はそのまま顔面の中心を捉え、怒りの炎を叩き消した。
「でやあああああああああ!!」
シャドウはそのまま右ストレートを打ち抜く。イレイの身体は衝撃で吹き飛び、エレベーターの扉を突き破って階下へと落ちていった。少しの間を置いて爆発音が響き、爆風がエレベーターシャフトを吹き抜けた。
「やった……かな」
「はい、そのようです。見てください、炎が」
ルルイに言われ、振り返ってオフィスの中に目を向ける。燃え盛っていた炎は僅かな時間で勢いを弱め、既に消え去ろうとしていた。
「外の様子も確認しました。もう大丈夫です」
「よし。じゃあ、残るは」
シャドウは警戒しながらエレベーターシャフトを覗き込んだ。下方――一階に降りていた籠の天辺が焼け焦げており、そこに輝く
「あいつは?」
「……どうやら、向こうへ戻ったようですね」
「そうか……と、とりあえずは」
シャドウは脱出口を開き、掌でミタマを誘導しながら籠の中に入った。
「……ああ、ちょうどよかった」
扉と反対の面に鏡が取り付けられているのを見つけ、シャドウが呟いた。コンパクトを手に取って開き、ミタマを挟んで合わせ鏡を作る。鏡から光が放たれ、ミタマは鏡面世界へと封じ込められた。
「……お疲れ様でした」
「うん。じゃあ、見つからないように行こうか」
コンパクトを腰に戻し、ゆっくりと深呼吸をすると、シャドウは顔を上げた。
「鈴森さんに、お礼を言わないと」
バイザーが上がり、青い瞳があらわになる。自分を支えてくれた人に向けられたそれは、穏やかに輝いていた。
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