5-4

 様々なものが燃え上がり、大混乱に陥った櫻木駅前。炎の熱を感じながら、人々は徐々にこの状況が普通の火事ではないことに気づき始めていた。

 高熱を放ち、煙を上げながら燃え上がる炎。それが、まるで。車や建物が炎に包まれても、中にいた人間は衣服などを含めて全くの無傷であった。最初に所持品を燃やされた若者も、火傷一つなく野次馬の中で事の成り行きを傍観している。

 しかし傷を負わずとも、人々の心には恐怖が確かに生じ始めていた。炎であって炎でない、目の前で燃え上がるものに対して。

 特に恐怖を感じているのは、最前線で消火に当たる消防士たちである。水や消火剤をまるで受け付けず燃え続ける炎に、幾多の出場を乗り越えた彼らも困惑を隠しきれなかった。


 恐怖に包まれる人々を尻目に、イレイは目につくものを燃やしながらゆっくりと歩を進めていた。

 人々はそのあまりに異質な存在感に近づくことすらせず、ぼんやりとした希望を抱いて警察の到着を待つのみである。

 イレイは人々の視線をなんら気にすることなく、忙しなくあちらこちらに目を向けて作戦最大の障害を捜し求める。

「まだか……出てくるといい、早く……」

 抑えきれない闘志に、両手のホイールがぎりぎりとゆっくり回転する。

 出てこないのなら徹底的にやるまでと、イレイは正面に向き直り、両腕を構えた。

 ふいに、イレイと重なるようにが差す。

 頭上を見上げたイレイは、自分めがけて落ちてきた影を片腕で受け止め、そのまま押し返した。

 イレイの前方数メートルの位置に着地した影に、群衆の一部が視線を向け、ざわめきだす。

「おい、アレ……」

「あ、知ってる。弟の高校で噂になってたって」

「えっ、ウソ!ほんとにいたんだ!?」

「アレが──?」

 シャドウ──水沢みずさわじゅんは首を振って周囲の喧騒を振り払うと、イレイを見据えて両腕を構えた。

「ようやく来たか……待ちくたびれたぞ!」

「……この騒ぎは、俺をおびき出すためか?」

「それもある…が、正しくはない。元より我らは心ある者の感情を揺さぶり、それを糧とするもの。貴様の存在があろうとなかろうと、私がすることに変わりはない……そうだろう、ルルイ?」

 イレイは自身の腕に映る、かつての同胞──ルルイに言葉をかける。

 ルルイは鏡面世界の中で純とイレイのちょうど中間の位置に立ち、憂いを帯びた眼差しをイレイに向ける。

「もしかして、と思っていましたが……どうやら、私の言葉が聞き入れられることはないようですね」

「フン。こちらに来るのがどれほど大変か、お前が一番よくわかっているだろう」

 イレイの言葉に、ルルイは押し黙った。自分の行いを正しいと信じていても、裏切ったことに変わりはない。板挟みの状態に陥り、ルルイは返す言葉を失った。

「……さて、裏切り者とこれ以上話すこともあるまい。貴様……そうだ、貴様だ」

 イレイは純へと向き直り、その黒い姿へ指──人間のような五指はないが──を向けた。

「名前ぐらいは記憶しておいてやろう。名乗れ」

「俺……俺、は──」

 名前を聞かれれば名乗る。平穏な日常からかけ離れた状況の中でも、純の頭はそれを当然のこととして受け止めた。しかし決して本名を告げることはできない。一体どうすれば──そこまで考えて、ふと気づいた。

 の名前なら、さっきから周りの人々が呟いていることに。

「──シャドウ。シャドウ、でいい」

 ゆっくりとその名を口にする。自分が自分でなくなっていくような感覚を覚えたが、純はそれを振り払った。姿を変えようと、別の名を名乗ろうと、今ここにいるのは自分で決めたこと。ならば、自分は自分なのだと。

 イレイは敵の名を胸の内で幾度も反芻すると、自らも両腕を構えた。停止していた両手のホイールが回転を始め、瞳が強い輝きを放つ。

「シャドウ……その名前、私の栄光の歴史に刻んでやろう!」

 イレイが純──シャドウ目掛けて突貫する。シャドウは自分からは動かず、その場で敵の攻撃を迎え撃った。

「はあッ!!」

 イレイはシャドウに肉薄し、右腕を振り下ろす。シャドウは両腕をクロスさせてそれを受け止めるが、がら空きの胴体に真横から左腕を叩き込まれて宙を舞った。

「………ッ!!」

 道路を派手に転がりながら、シャドウは口から飛び出しかけた悲鳴をすんでのところで

飲み込んだ。痛みをこらえて立ち上がり、こちらの様子を窺うイレイ、そして周囲の状況を確かめる。

 今やこの場にいる者の大多数が、ぶつかり合う二つの異形──シャドウとイレイに向けられていた。

 シャドウはこのまま戦って人々を巻き込むことを、それと同じぐらいに衆目に晒されながら戦うのをよしとしなかった。

 どこかに、戦いの場を移さなければ。周囲を見渡したシャドウは、イレイの背後で燃え上がるビルに目を着ける。そのビルは二階から上が空いている状態で、火事にならずとも無人のはずだった。

 シャドウは自分の考えに頷くと、向かってくるイレイに向けて両腕を真っ直ぐに伸ばす。落ち着いて狙いを定め、同時に両腕のワイヤーを発射した。

「ぬうッ!?」

 左右から胴体にワイヤーを巻き付けられ、イレイはシャドウに向かう足を止める。急ぎ手に取り振りほどこうとしたが、今の身体でそれは困難であると悟り、腹立たし気に地面を踏み込んだ。

「こんなもの、燃やして」

「せえいッ!!」

 イレイがワイヤーに両手のホイールを向けた直後、シャドウはワイヤーを両手でつかみ、思いっきり振り回し始めた。身体の軸を中心とし、ハンマー投げの要領で徐々に回転の速度を上げていく。

「き──さ──ま──」

(………今だッ!)

 シャドウがワイヤーの拘束を解き放つ。繋ぐものを失ったイレイの身体は回転していた円の外側へと飛び出し、シャドウが狙いを定めたビルの窓ガラスを突き破って中に飛び込んだ。

 シャドウは多少苦労しながら回転するのを止めると、ワイヤーを回収しながらビルを目指して駆け出した。困惑する消防隊員の間を通り抜け、軽くジャンプする。消防車の屋根を踏み台にさらに高く跳び、イレイによって割られた窓ガラスからビルの中へと突入した。

「純さん、また無茶なことを……」

「シッ」

 腰に備えたコンパクトに手を当て、シャドウはルルイを黙らせると、視線を室内に巡らせる。

 外から移った炎で壁や天井はゆっくりと燃えているが、如何なる理由か残されているデスクや調度品には焦げ跡すらない。

 シャドウの視線は天井と奥の壁にできた衝突痕を追い、部屋の最奥で倒れている戸棚とデスクに行き着いた。その直後、それらは勢いよく燃え上がり、炎の中からイレイが立ち上がった。

「貴様……無茶苦茶なことをしてくれる」

「これだけ派手にやった、お前には言われたく、ない」

「チッ!」

 イレイが両腕を構える。ホイールが回転を始め、耳障りな音が室内に響き渡る。

 シャドウは構うことなく、真正面から突っ込んだ。アニマの力の特性──アニマの力はアニマに通じづらい──と、来る途中にルルイから聞いたイレイの情報とを合わせての強攻策である。

「燃えてしまえ!!」

 イレイの腕で発した火花が、正面から向かっていくシャドウに降り注ぐ。

 シャドウは両腕を交差させて火花を受け止め、そのまま突き進んだ。 

「それは効かな………ッ!?」

 シャドウは自分の目を疑った。火花を受けた両腕が熱い。黒い硬質の肌が、少しずつ

「な……あ……ッ!!」

 シャドウは足を止め、横に飛び退き火花から逃れた。そのまま床に倒れ込んで転がり、腕の炎をかき消す。

「それは…どうしたって?」

 シャドウは転がったままイレイに視線を向ける。

 シャドウを見下すイレイの瞳は、嘲笑うかのように歪んでいた。

(こいつ……強い!)

 イレイの全身に満ち満ちる自信をビリビリと感じ、シャドウの心を冷や汗が伝った。

(僕は………勝てるのか?)

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