ファンタジックでありながら、決して読み手を置いてけぼりにはしない、自然な感情の流れが確かなリアリティ与えている作品です。
読み始めてすぐ、水槽の中に広がる幻想的な世界が美しく立ち上がってきます。
主人公の置かれている辛い状況が分かると、現実とは乖離したその幻想世界と「人魚」が、より魅力的に映りますが、それが現実と向き合うトリガーとなっている所がこの作品のミソです。
主人公と「人魚」との出会いはまさに幻想と言えるものかもしれませんが、その出会いがあったからこそ、現実に立ち向かっていく気持ちが芽生えていきます。
主人公が現実に直面している問題も、不幸を強調され過ぎることなく、けれどしっかりと彼の辛さは伝わってくる書き方で、そこにはきちんとリアリティが根付いています。
だからこそ、主人公の感情に寄り添うことができます。
彼を窮地に追いやっている相手も、その立場、気持ちが分かるように書かれているので、作品が一方的になりすぎることなく、多面的になっていて、それもリアリティに貢献しています。
構成もきれいです。
最後にこの出会いによって現実に向き合えたのが彼だけではなかったということが分かるところで、物語がすとんと収まるところに収まったという感じがして、大変お上手でした。
美しく描かれる夢と現の狭間の出会いが殻を破る勇気をくれた、というのが決して誇張されることのない主人公の辛い気持ちによって無理なく伝わってくる作品です。
現実の悲しみや辛さに、前を向けなくなる時。
自分の内側へ、逃げ込んでしまいたくなる時。
誰の人生にも、そんな場面が必ずあるはずです。
主人公の遙斗も、そんな高校生でした。
やむを得ない事態が重なり、暗く翳った毎日に希望を見失い……
現実から逃げ出したい——無意識にそんな思いに飲み込まれそうになっていたある日、彼が水族館で出会ったのは——。
俯いた視線を、再び前へ向ける。
今まで怖くてできなかったことへ、一歩踏み出す。
「生きたい」という火を、再び心に灯す。
それはとても勇気のいること。
それでも……そう思わせてくれる大切なものに出会えれば、人間は自分自身の人生を大きく変えることができる。明るい方向へ。
そんな思いを味わわせてくれる素晴らしいラストが、私たちを待っています。
「前を向こう」と思う気持ちを失わずに生きる。そのことの大切さを教えてくれる、爽やかで美しい物語です。