四章 舞踏会は終わっても_1



四章 舞踏会は終わっても



 窓辺から差し込むうららかな日差しの中、イザベラは机に向かい羽根ペンを動かしていた。日記を書き終え紙面にしゆうを打つと、たんそくを吐き出す。

「もう……っ。なんであそこで逃げるのよ、リーテ」

 ペンをにぎり込んでいきどおっても、すでに舞踏会が終わって二日がっている。

「いいのよ、王子さまとのけつこんが嫌ならそれで。けど、理由言わないって何よ? それに、どう見てもリーテ、まだ王子さまのこと好きじゃない……」

 けんしわを寄せるイザベラは、日記を読み返して羽根ペンを置いた。

 舞踏会最後の日の翌日、リーテは何ごともなかったように使用人の服を着てちゆうぼうにいた。けれど、その様子は普段通りにはほど遠く、そう用のブラシを握ったまま宙を見ていたり、せんたくのために水を張ったたらいを覗き込んで動かなかったり。

 イザベラもヴィヴィも逃げ出した理由を問いただしたが、リーテはだまり込むだけだった。

「何も言ってくれないんじゃ、わからないじゃない……。お言いつけても、文句も言わずにお風呂場行ってほうけてるし。今日は豆き言いつけたけど、やっぱり何も手についてないし」

 調子のおかしくなったリーテを元気づけようと、イザベラなりに手をくしたが、好きなことにもきらいなことにも反応を示さなくなっている。

「何かリーテのやる気を出させること、ないかしら? ……逆に考えれば、とう会のために頑張ってはいたのよ。やる気さえ出れば、できる子なんだわ。──でも、もう王子さまと会う機会なんてないし。げた理由わからないんじゃ、王子さまに会わせるだけよね……」

 庭園を逃げるリーテのついせき経路は合っていたのだ。じやさえ入らなければ、引き止め話を聞き、もう一度王子の前にリーテを押し出せたかもしれない。

「……やっぱり、ドーンさえいなければ! 邪魔なのはどっちよ、全く!」

 一人こぶしを握り、やり場のないいかりにイザベラは身をふるわせる。

「そりゃ舞踏会なんだから、ドーンがいてもおかしくないけど。でも、まさか自分から寄ってくるなんて思わないし。ヘングスターだんしやくも、ちゃんと見張っててくれれば……」

 こんやくの際、息子むすこきようたいしようすいしていた義父の旧友を思い出し、イザベラは息を飲んだ。

「しまった……。お義父とうさまにドーンがまだリーテを諦めてないって、伝えてないわ」

 イザベラはあわてて日記をほんだなうと部屋を出る。

 リーテの不調で心痛めているだろう義父に、さらなる問題をしらせるのは気が引ける。イザベラは義父の私室を前にして、一度深呼吸をした。

 声をかけると、中から聞こえる返事は何処どこつかれているようにも聞こえる。

「失礼します、お義父さま。お話があるの。お時間よろしいかしら?」

 私室に入ると、義父は手紙の整理をしていたらしく、しよさい机で三つ折りの紙を広げていた。

「どうしたんだい、イザベラ? リーテのことで、何かわかったのかな?」

「ごめんなさい。やっぱりリーテは王子さまから逃げ出した理由を言いたくないみたい。──お話ししたいのは、リーテのことだけど、舞踏会の夜のことなの」

 広げていた手紙を仕舞った義父は、うなずきながらイザベラに先をうながした。逃げたリーテを追い、ドーンに再会したことを告げれば、義父はじゆうの表情を浮かべる。

「あぁ、イザベラ。可哀かわいそうに。ドミニクのことは、何も君に責任はないんだ。そんな悲しい顔をしないでおくれ。リーテも、そんなことがあったのか……」

 書斎机にひじき、指を組んだ義父はなやましげにうなる。

「お義父さま、ヘングスター男爵にドーンをたしなめるようお手紙できないかしら?」

 イザベラの進言に、義父は困ったような顔をして考え込むと、諦めるように嘆息した。

「イザベラ、実は私も言っていなかったことがあるんだ。こちらへ来てくれるかい」

 立ち上がり手招く義父に応じて、イザベラは造りつけのかざり戸の前へ移動する。

 低い身長を補うためみ台に乗った義父は、だん使わないだろう飾り戸の上部を開けた。

 中には、かいふうらしいリボンのかかった大小さまざまな箱が積まれており、義父がび上がって引き出す紙の束は、ふうとうに入った手紙の数々だった。

「手紙に、おくり物? お義父さま、これはいったい……」

 義父は無言で封筒に書かれたあてを見せる。リーテの名が書かれた封筒の裏には、送り主の名ともんかたどったふうろうが押されていた。

「リーテに……、ドーンから…………? え、まさかこれ全部っ?」

 棚いっぱいに詰め込まれた贈り物と、手に余るほど重ねられた手紙にイザベラは目を剝いた。

「そうなんだ。実は、べつそうに来てからずっと、ドミニクからリーテに手紙と贈り物が届けられていてね。これはほんの一部だよ。ほとんどは送り返しているんだが、毎日きもせず。私あてにリーテとの面会や結婚をようせいする手紙もあった」

 手紙をもどして飾り戸を閉めた義父は、疲れたように息をいて踏み台を降りる。

「舞踏会で彼に、ヘングスター男爵にお会いする機会があったから、それとなく聞いたんだが、どうもあちらはドミニクのこの行動に気づいていないようだった。向こうの奥方は婚約破棄のことをまだ腹にえかねているようでね。彼と長く話すことはできなかったのだけれど……」

 うなれる義父を追い詰めているようで、イザベラは負担をかけさせまいと胸を張った。

「わかりました。ドーンも、招いてもいないのに別荘に入り込むなんて無礼ないはしないでしょうし、ヘングスター男爵の目をぬすんでこんなことをしているのなら、リーテと直接会わない限り、舞踏会の時のような強行には出ないと、思います」

 様子見をしようとイザベラが言えば、義父は何処かあんしたように息を吐いた。

「でも、このことはリーテに知らせておいたほうがいいと思うんです。昨日も今日も、ぼうっとしてることが多いから、ちゃんと言って気をつけさせなきゃ」

「あぁ、そうだね。……イザベラ、リーテに気を配っていてくれるかい?」

「えぇ、もちろん。大切な妹ですもの。ドーンへの注意かんも、あたしがしておきます。……できれば、王子さまから逃げ出した理由も、少しずつ聞いてみようと思いますから」

「ありがとう、イザベラ。……すまないね。私がドミニクとの婚約話を持って来なければ──」

「いいんです。お義父さまは悪くないですよ。ドーンが不実なのがいけなかったんですから」

 こうかいを口にする義父をさえぎり、イザベラは自身に言い聞かせるように言い切った。

「ドーンからの手紙や贈り物も、ヘングスター男爵の目を盗める別荘だからできるんでしょうし。社交期が終わるまでリーテに近づけないようにすればいいんです」

 希望的観測を口にしてするイザベラに、義父は頷いてかすかなみをかべてくれた。

「それじゃ、あたしはリーテにこのこと話してきますね。お義父さま、失礼します」

 努めて明るく声を出し、イザベラは義父の私室を後にした。ろうに出ると、口角は下がり目も据わる。リーテのいる厨房の外へ向かう足音も、いらちが表れあらくなった。

「本当、ドーンさえいなければ……っ。人間、中身が大事よね」

 リーテの心をつかんだ第二王子は、その点どうだったのだろう。思案しながら歩くイザベラは、リーテに豆剝きを言いつけた厨房の裏手へ進み、思わぬ人物の声が聞こえた。

「あら? この声は、ヴィヴィ。リーテの様子見に来てくれたのかしら?」

 足をゆるめて耳をませたイザベラは、ヴィヴィのこわとがっていることに気づいた。

「ほんと、いつまで甘えてんの? いい加減うざったいんだけど。リーテがしつれんしようが行きおくれようがあたしはどうでもいいんだけどさ、家の空気悪くしないでくれない?」

 りこそしないが、苛立ちを内包したヴィヴィの声に、イザベラは思わず足を止める。返されるリーテの声音も、げんさをかくそうともしていなかった。

「別に、わたしがたのんだわけじゃない。向こうが勝手にやって、勝手に気にしてるだけでしょ。わたしに言わないで。ほうっておいてって、言ってるんだし」

 普段よりも小さい声量ながら、確かに言い返すリーテにヴィヴィは舌打ちを吐いた。

「それが甘えてるっての。やってもらって当たり前だとか、だれかがどうにかしてくれるから自分じゃ動く気ないっていう腹の内が見え見え。ねたふりして構ってほしいだけのくせに」

「わたしがそうしてほしいなんて、言ったことないよ。周りが勝手にするだけで、わたしがしてほしいこととはちがうもの。いやならヴィクトリアは、わたしに近づかなければいいじゃない」

 険悪になっていく言い合いに、イザベラは慌ててちゆうさいしようと目の前の角を曲がった。

 胸の前でうでを組み、座ったリーテをにらみ下ろすヴィヴィの背中は、怒りに満ちている。

 ヴィヴィを見上げるリーテも、泣きそうに顔をしかめていながら青いひとみかわいていた。

「誰のためにあれだけおおさわぎしたと思ってんの。舞踏会の準備だってただじゃないっての。ほんとリーテ、自分勝手すぎ。そんなリーテの世話焼いてさわいでるベラも鹿だけどね」

「イザベラが好きでやってるだけで、わたしは関係ない。舞踏会に行かせるって言い始めたのもイザベラだし、王子さまと結婚しろって言ったのもイザベラ。どうしてわたしがおこられるの?」

 ヴィヴィとリーテは姿をみせたイザベラに気づかず言い合いを続けた。

「はぁ? そういうこと言うわけ? 確かに世話焼きすぎてうるさいし、めんどうくさいし。ベラの理想リーテに押しつけてる感じはあったけど──」

「そうでしょ。あれはイザベラの勝手な押しつけで、わたしのせいじゃない。いつも口うるさく命令してばかりで、結局イザベラ自身が何もしてないじゃない」

「だから……っ、そういうことじゃないって言ってんじゃん。あんたがまず──っ」

 言いかけたヴィヴィは、リーテが背後を指差していることに気づき、イザベラを振り返った。

「……ベラ、いつからいたの?」

 しまったと言わんばかりに目をすがめて問うヴィヴィに、イザベラは胃が縮むような痛みと不快感を味わう。口の中は乾き、舌はりついたように動かない。

「あぁ、もう。面倒くさいなぁ……。ベラ、今のは──」

 赤毛を引っ張って言い訳を口にしようとしたヴィヴィに、イザベラは思わず足を一歩引いた。一度こしが引けると、勢いのまま背を向ける。

「あ……、ベラ! 待っ──」

 何も聞きたくないという心のままに、イザベラは別荘の裏手から逃げ出した。

 裏門から別荘の外へと飛び出したイザベラは、れんへい沿いに馬車道へと走り出る。

 角を曲がり、別荘の塀を背につけ乱れる息を整えようとするが、胸をさいなむ苦しさは晴れない。

「…………あたしの、独りよがりだったってこと……?」

 吐き出す言葉が舌に苦く広がる。

 妹のためと言い訳をしても、当人にとってめいわくだったのなら、イザベラのがんりなど意味をなさない。現にリーテは不満を口にし、ヴィヴィもその不満を否定することはなかった。

 石がつかえたように重く苦しい胸を押さえたイザベラは、くじけた気持ちのままに座り込みそうだった。うつむき、痛む鼻の奥に力を入れてえた時、不意に他人の足音が聞こえ顔を上げる。

「おたずねしますが、イザベラさまでしょうか? わたくし、フリートヘルムさまの使いの者でございます。こちらに、あるじよりの書簡をお持ちいたしました」

「フリッツからの……手紙?」

 初めてのことに目を見開くイザベラへ、使いだと名乗った者はごくていねいに手紙をわたすと、去りぎわあいさつも腰低く去っていった。

 封蠟に印は押されていないが、差出人にはフリッツとあいしようが書かれている。

 イザベラは会いたい気持ちをえるように目を閉じた。フリッツのやさしさが、ひどくこいしい。

「……よね。こんなことじゃ…………」

 自身に言い聞かせると、封蠟を割って手紙を取り出した。別荘の中に戻ってヴィヴィやリーテと顔を合わせるのはまりで、そのままフリッツの手紙に目を通す。

 時候の挨拶、イザベラの様子を案じる文面、リーテをづかい、最後に謝罪があった。

「しばらく、来られない……」

 家の事情でいそがしくなると書かれた文章に、イザベラは体の底から力がける感覚を味わう。

「うん……? どうしてあたし、こんなにがっかりしてるのかしら…………?」

 胸にく感情を持て余し、イザベラは手紙をにぎったまま立ちくしていた。

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