四章 舞踏会は終わっても_2


 翌日、イザベラは行く先も決めず外へ出た。別荘にいるリーテからげるように。

「あぁ、もう……。情けないなぁ」

 イザベラの顔には、くまが浮いていた。昨日のことが頭からはなれずつけなかったのだ。

「あたし、それだけ自分勝手だったって、ことよね……」

 自分の言葉に、胸の辺りが苦いような、いきまるような不安が広がる。

 良かれと思っていた行動が迷惑だととらえられるなら、自分は何をしていいのだろう。

「結局、リーテにドーンのこと言えなかったし。ヴィヴィとけんしてたみたいだけど、だいじようかしら? 王子さまから逃げた理由もわからないし、今日も一日何もしないの?」

 口からこぼれる不安は、どうしても妹関連になってしまう。

 たんそくを吐いたイザベラがべつそうを囲う煉瓦の塀から外に出ると、左手で誰かの服のすそひるがえる。仕立ての良い布の質感と、男物のくつらしきかかとが、しきの裏門に至る小道へと消えた。

「もしかして、フリッツ……? でも忙しいって手紙もらったし。まさかドーンが来たんじゃ!」

 元婚約者の可能性に気づき、イザベラは総毛立って煉瓦塀の角に消えたひとかげを追った。

 塀に沿って真っぐな道だが、右手からせまる手入れの行き届いていない雑木林の枝葉が風にれ、視界を遮る。それでも一目見てわかる広い背中に、イザベラは危機感をつのらせた。

 追うイザベラの足音に気づいたのか、先を歩いていた人物は仕立ての良いがいとうの裾を翻してり返る。揺れるかみの色は茶色ではなく、金だった。

「なんだ……。そんな所にいたのか、イザベラ」

「クラウス! なんでうちにいるのよ?」

 おどろいて立ち止まるイザベラに、クラウスは口のはしを上げた。

何故なぜとはのないやつだな。──以前は忙しいとかたくなにきよしただろう。だから、わざわざ俺が届けに来てやったんだ」

 言って、クラウスはハンカチを取り出すとかたぐちで振ってみせる。フリッツでもドーンでもなかったことにあんらくたんを味わい、イザベラは肩を落とした。

「あ……、そう。えぇと、わざわざありがとう」

 気の抜けたイザベラの返答に、クラウスは不服気にかたまゆを上げながらハンカチをわたす。指先にれるなめらかなかんしよくと、ふちかざせいかしみにイザベラはまたたいた。

「あら、これあたしのハンカチじゃないわよ?」

「血のみが落ちなくてな。新しい物を用意した。ちゃんとイニシャルも入れてある」

 意地の悪いみをかべられ、イザベラはいぶかりつつハンカチを広げた。みぎはしに絹糸だろうこうたくのあるしゆうがあり、クラウスからイザベラへと、おくり主を表すイニシャルがされている。

「何よこれ。まるでクラウスからの贈り物みたいじゃない。ハンカチ返すんじゃなかったの?」

 ふざけているのかと眉を顰めれば、クラウスはのどを鳴らして笑い始めた。

「お前は俺の予想をことごとく外すな。見ていてきないぞ。……いっそ、思うとおりに動かしてみたくなる」

 流し目でささやかれる台詞せりふに、イザベラは嘆息をいて受け流す。格段に品質の上がったハンカチにも、悪戯いたずらほどこされた刺繡にも反応する気になれず、イザベラはお座成りな礼を口にする。

「いいものくれて、ありがと。けど、他人を思うとおりになんて動かせるわけないじゃない」

 口にした言葉が自身の胸に刺さった。リーテを思い通りにしようとやつになっていたのは、イザベラだ。まいにとって玉の輿こしを目指すことなど迷惑でしかなかったのに。

 胸を押さえてだまり込んだイザベラに、クラウスは思案する様子でへきがんを細めた。

「……ところで、なぞはどうしている? 無事に城から帰っているんだろうな?」

 心中を読んだかのようなクラウスの言葉に、イザベラは顔を上げられずにハンカチを握りめた。俯く視線の先に、クラウスのみがき上げられた靴が入り込む。きよを縮めたクラウスは、イザベラのあごに指先をかけ上向かせた。

「何があった? さわぎもせず、みつきもしないことと、この目の下のくまは関係があるのか?」

「何よ、その言い方……。別に、何もないわ。ちょっと、その、行きちがいがあっただけで」

「その行き違いとやらを話せと言っているんだ。第二王子から逃げ出した謎の美姫が、この屋敷にいるぞとふいちようされたくなければな」

 口を引き結んだイザベラに、クラウスはようしやなくおどしをかける。

「なんでそうえらそうなのよ? だいたい、吹聴することがどうして脅しになると思うの?」

 ていこうの言葉を向けると、クラウスはあきれたと言わんばかりに鼻で笑う。

「こんなべつそうはしの屋敷に、おうこう貴族が集まって、振るいに使う食器が足りるのか?」

 上流貴族に出せるだけの物があるのかと、しつけな言いようだが、イザベラは否定できずにみした。リーテの存在を吹聴されれば、屋敷は大混乱におちいるだろう。

 イザベラは言葉短く、とう会の準備からリーテの不調と昨日聞いた不満を口にした。王子とのけつこんをリーテが望んでいないなら、これ以上世話を焼くわけにはいかない、と。

 黙ったままのクラウスを上目にうかがえば、呆れた視線を注がれていた。

「様子がおかしいと思えば、そんなことで……」

「そんなこと? そんなことってないでしょ。妹に、うるさがられてたなんて……、良かれと思ってしたことが、なんのためにもなってなかったなんて…………」

「最初から、お前の思いつきで義妹を舞踏会に送り込んだのだろう? 第二王子にれたのは、ただの誤算だ。だいたい、義妹はちがったことを言ったか? お前は義妹を強制的に舞踏会に送り込むという、おのれの目的以外に何をした。不満が出るのは予想しておくべきだったんだ」

 イザベラは勝手な押しつけ以外何もしていない。リーテが口にした不満に間違いはないだろうと、クラウスは否定を受けつけない強さで言い切った。

「自分の目的のために努力するのは、自由と意志のある人間として当たり前のことだ。お前は当たり前のことしかしていない。舞踏会をいやがる義妹に無理をいただけだ」

 頭の中で言い訳しても、結局はリーテにまんを強いただけの独りよがりだとなつとくしてしまう。

 押し黙るイザベラに、クラウスはたんたんと続けた。

「相手も感情のある人間だ。それを忘れて文句を言われたからと不満を持つのは、お前が相手の優しさにぞんして大手を振っていたからにすぎない。こんな所をうろついて俺を見つけたのは、その義妹をけたからじゃないのか? 向き合いもせず、己の非を認めることもしないなら、いまだに義妹の大人しさに依存して甘えているだけだ」

 るでも、あつするでもないクラウスの言葉に、イザベラは大切なことを思い出した。

「あたし……、あの子に謝ってない…………」

 否定の言葉に逃げ出したままで、向き合うことも避けている。ヴィヴィも折々で忠告してくれていた。リーテの不満は、降って湧いたわけではないのだ。

「自分じゃ、色々言っておいて……。文句言われるかくも、できてなかったんだわ。……勝手に、いいことしてるなんて思い込んで」

 イザベラがそろりと視線を上げれば、クラウスは目をらさず返答を待っている。

 不躾で偉そうなクラウスとの出会いを思い出してみれば、髪がからまって困っているところを助けられたのがえんだった。たのまずとも木に登ってリボンを取ってくれ、舞踏会でも悪いうわさがある中声をかけてくれたのだ。

 クラウスは困っている者に手を差しべながら、見返りを求めないやさしさがあった。

「フリッツくらい優しく笑ってればまだ……」

 想像しようとして、イザベラは似合わなさに笑いをこぼした。クラウスは、意地の悪い笑みを浮かべながら手を貸すくらいが似合っているのかもしれない。

 ふくみ笑うイザベラに、クラウスは器用に片眉を上げる。

「何を笑っているんだ?」

「ふふ……。わかりにくい人ね、クラウスって」

「なんだそれは……? ふん、さっきまで死にそうな顔をしておいて」

 どんな顔をしていただろう。聞こうとイザベラが顔を上げれば、クラウスは大きく距離をめる。避けるように半身を返したイザベラを、背後の煉瓦塀に囲い込むようにかたうでいた。

「クラウス? どうしたのよ?」

 問いには答えず、イザベラの顎を指先でつかまえたクラウスは、顔を動かせないよう固定した。

 真顔のクラウスに、イザベラはまたしかられるのだろうかと、しんみようおもちで言葉を待つ。

「…………ふっ、くく。お前は本当に──」

 鼻が触れそうな距離で見つめ合っていたイザベラに、クラウスはえ切れない様子でき出し何かを言いかけた。

 言葉が続く前に、馬車道のほうからあらい足音と、イザベラを呼ぶするどい声がひびく。

「……っ、ベラ…………!」

「え……、フリッツ? どうしてここに?」

 クラウスの手を解いて首をめぐらせれば、厳しい顔をしたフリッツがもうぜんと近づいていた。

 イザベラが目をみはる間に、囲い込んでいたクラウスの腕は煉瓦塀からはなれる。

「ベラ、こんな所で何をしているんだ……っ?」

 しぼり出すようなフリッツのこわに、イザベラはこんわくしてかたわらのクラウスを見上げる。イザベラの視線が逸らされると、フリッツは茶色のひとみに険を浮かべてクラウスをえた。

 かたい動作で礼を取られたクラウスは目を瞠ったが、口の端に意地の悪い笑みを浮かべる。

「……人目を避ける以外の理由がいるか? こんな裏門しかないような小道で」

「ちょっと、クラウス……?」

 イザベラとしてはたまたま行き合っただけで、人目を避ける意図などない。否定しようとすると、クラウスは意味ありげにいちべつを向けイザベラを制した。

 目顔だけでやり取りするイザベラとクラウスの様子に、フリッツは体の横でこぶしにぎり締めると、大きく一歩クラウスへ距離を詰める。

「失礼ですが、あなたのような方がどうしてここにいらっしゃるのですか?」

 おさえつけた低い声音で問うフリッツの横顔は、イザベラが見たことのないきんちようはらんでいた。

「くく、イザベラに会いに来たからに決まっているだろう。何処どこかのだれかが、舞踏会の夜にほうり出していた時に約束をしたのだったか?」

 横目にイザベラを見て、からかう調子のクラウスに、フリッツはひるんだ様子で眉をひそめる。

 クラウスを知るらしいフリッツの言葉に、イザベラは言葉をはさんでいいものかを迷った。何より、いそがしいと手紙をくれたはずのフリッツのげんそうな様子が気にかかる。

「……人目をしのぶと言うのなら、私が現れた時点でお帰りになるのがけんめいなご判断かと」

「ずいぶんな言いようだな。──だが、確かに用は済んだ。今回はとつぜんの客に場をゆずろう」

 自らもちんきやくであるにもかかわらず、クラウスは偉そうにフリッツの言にうなずいた。一度イザベラに首を巡らせると、クラウスは意地の悪いみを浮かべて身をかがめる。

「イザベラ、また会いにこよう。その時には、くだんまいにも会いたいものだな」

 イザベラが答える前に、クラウスはフリッツの横をすりけ馬車道へと歩き出した。

「ちょっと、クラウス──」

 いきなり帰るのかと追おうとしたイザベラの前へ、フリッツは立ちふさがるように動く。

 フリッツしに見たクラウスは、一度り返ると片手を挙げて馬車道へと消えて行った。

「行っちゃった……。お礼も言ってないのに」

 新品のハンカチにも、を聞いてくれたことにも。イザベラはたんそくを吐いて気を取り直すと、様子のおかしいフリッツを見上げた。

 いつもはおだやかな茶色い瞳が、今は厳しくすがめられたまま、かたしに去ったクラウスをにらむよう。家の用事と言っていたことを思えば、折り合いの悪い親と何かあったのだろうか。

 イザベラが心配を口にする前に、フリッツは問いを投げた。

「今の方が、どういう人か……知っているのか? 何か、言われたりは?」

「どういう人かって……? あ、また家聞くの忘れてたわ」

 フリッツは短く息を吐く。あんいきと言うには、厳しい面持ちをくずさないままで。

「フリッツ、やっぱりクラウスと知り合いなの? だったら、教えてくれない?」

 だんとは違うフリッツの様子に、イザベラはひかえめに問うが、返されるのは否定のり。

「前にも言ったけど、ベラがつき合うべき人じゃない。絶対に、近づかないほうがいい」

 低く言い聞かせるようなフリッツの言葉に、イザベラはまゆを顰める。

「フリッツ、いきなりどうしたの? 忙しくて来られないんじゃなかったの?」

 イザベラの言葉に、フリッツは言葉に詰まる。一度口を閉じると、かみき回した。

「……ごめん、ベラ。時間ができたから来たんだけど、さきれを出すべきだったね」

 かべられたれいな笑みに、イザベラはかんを覚えた。

「今さら先触れなんて……。フリッツ、なんだか様子が変よ? 家で、何かあったの?」

 家の事情が絡むのではとかんったイザベラは、昔のくせで頭をでようと手を伸ばした。しゆんかん、フリッツは身を引いてイザベラの手を避ける。

 目を瞠って動きを止めたイザベラと同じように、フリッツも己の行動に身を硬くしていた。

「フリッツ……? えっと、ごめん。子供あつかいみたいで、嫌、だったよね?」

 やってしまったとこうかいするイザベラに、フリッツは見慣れない笑みで不意にきびすを返す。

「ベラ……、ちょっと用事を思い出してしまった。すぐにもどらないと」

「え、もう? お茶くらい飲んで行ったら?」

 あわてて引き留めの言葉を向けるが、フリッツは綺麗なだけの笑顔のまま首を横に振った。

「ごめん、そんな時間もないんだ。──あのクラウスという人がまた来ることがあったとしても、家に上げちゃいけない。ベラ、どうしてもあの人に会うことがあれば、俺を呼んでくれ」

 早口に言いつのるフリッツは、イザベラの制止にも振り向かず馬車道へと歩き出す。

「フリッツ……。ねぇ、フリッツ。どうしたの…………?」

「本当にごめん、ベラ。急ぐんだ」

 言葉つきだけはほがらかに、フリッツは去ってしまう。イザベラは独り、ぼうぜんと立ちくした。

「あたし、何かフリッツをおこらせるようなこと、したかしら……?」

 頭を撫でようとしたよりも前から、フリッツの様子はおかしかった。顔は笑っていたけれど、いつもの笑顔とは全くちがう顔だということはわかる。

「……もしかして、ヴィヴィやリーテみたいに、口うるさいと思われた?」

 頭をよぎった考えを口にして、イザベラはいやあせを搔く。世話を焼くというていさいで考えを押しつけていたのだ。無意識に、フリッツにも同じことをしていたのかもしれない。

「どうしよう……。フリッツにまできらわれた…………?」

 思わずれた自身の声音に、イザベラはまた胸の内が重くしずむのを感じた。

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