三章 灰の中で眠る乙女_3
イザベラが月明かりを
「ベラ、こんな所にいたのか。
「そんな所に座り込んで、どうしたんだ? まさか体調でも──」
「しぃ……っ。ちょっと、こっち来て座って」
口に指を立てたイザベラは、
「あぁ、大広間にいないと思ったら。こんな庭園の端にいたのか……」
「……フリッツ、いいの?
舞踏会を
「俺の相手はベラだけだよ。
包囲という表現に、イザベラは笑いを
そうしてドレスを見下ろし、隣に立つには
「しょうがないわ。こんな格好じゃ、フリッツに
イザベラは
「ベラ、そんなに
言って、フリッツはいつの間にかスカートを
「……ベラにしては元気がないな。もしかして継子虐めの噂、聞いたのか?」
思わぬフリッツの問いに、イザベラは視線を
「ベラが落ち込んでるのは、それが理由か……」
「え、あたし落ち込んでるように見える? そんなに顔に出てるの?」
「別に悪いことじゃない。
フリッツならわかってくれる。別の言い方をすれば、フリッツしかわかってくれない。他人は無責任な噂を広めていく。素直さも自分らしさも、イザベラの助けにはなっていなかった。
「でも、継子虐めをしてるって、言われるのよ。お
思わず漏れた弱音に、イザベラは
「ごめんね。あたしと踊ったせいで、フリッツも何か言われたんでしょ?」
肯定も否定もせず、フリッツはイザベラを見つめて目を細めた。
「やっぱり、君は昔から優しい。直接話せば、誰でもわかることなのにな」
「そんなことないったら。それに、優しいのはフリッツじゃない。いきなり囲まれても笑ってたし。あたしなんて誰かと気安く話すこともできなかったのよ」
会話もなかったのだから、わかってもらうこともできていない。フリッツの言う通り、直接話して誤解を解くべきだったかもしれない。けれどイザベラにはそこまでの社交性はなかった。
「ベラは、そのままでいいよ。今夜はアシュトリーテを心配して来たんだろ。だったら、目的に注力するのは当たり前だ。自分を後回しにして一生懸命になれるのがベラの長所じゃないか」
思わぬ肯定の言葉にイザベラは目を
「それに、実を言うと俺も舞踏会は得意じゃないんだ」
フリッツは自嘲気味に
「派手に着飾った女性は、得意じゃない。──覚えている? 父の後妻は、とても派手好きだと言ったのを。どうしても身を
昔受けた仕打ちが
見つめ合うフリッツは笑みを深める。
落ちる沈黙に
フリッツはイザベラの指先だけを優しく摑むと、
「これは、同伴を引き受けた時に言っておくべきだったかな……」
イザベラの手の
「俺が、ベラといたかったんだ。今も昔も変わらず、飾らないベラの
「ベラ……、今夜君の隣を
舞踏会への同伴を求める言葉に、イザベラは
見た目も所作も、フリッツは文句なしに
「こんな
栄誉にもならないと笑うイザベラは、切り
「どうしたの、フリッツ?」
「いや……。ベラ、俺以外にいないって言うのは──」
フリッツが
「ちょっと、待ってフリッツ……」
フリッツを制し握られていた手を取り
「あ……! やっぱり
イザベラが声を上げるよりも早く、王子はリーテを追い始めた。それでも
「何やってるんだ。ちゃんと
前栽の陰から立ち上がったフリッツは、引き
「追いましょ、フリッツ。見失わない内に!」
イザベラとフリッツは、湖を右手に夜の庭園を
「フリッツ、お城の庭はどんな造りか知ってる?」
「城が高台の一番上にあって、庭園は三層の階段状に連なってる。城内を通る以外で庭園から外に出るには、庭園を
イザベラの
階段に向かい走る王子を確かめ、イザベラは右手の木々に仕切られた庭園へと方向を変えた。
「ベラ、
「リーテは真っ直ぐ逃げないのよ。
高い植木が
「フリッツ、こっちに下へ降りる階段はある?」
「この迷路はそんなに大きなものじゃない。
先導するように前を行くフリッツは、勝手知ったる様子で迷路を進んだ。
「もし本当にアシュトリーテが王子を
「あのお
「当たりみたいだな。ん……? ベラ、
先を走っていたフリッツは、
葉の間から月明かりに目を
「え……、王子さま? まさか向こうの階段から降りて、上って来たの?」
「いや、ベラ。王子にしては体つきが太い気がする。それに、
すらりとした高身長のエリックに比べて、リーテを抱く
イザベラは
ただ、抱き合う二人の姿をよく見れば、逃げようともがくリーテを、何者かが
不意に、湖からの強い風が庭園を
「…………いや……っ!」
風下にいたイザベラは、風に乗って届く
迷わず
「こら、うちの妹に何してるの!
イザベラの
かっちりとまとめた茶色の髪に、男らしく骨の張った美男顔。月光の
「あなた……、何やってるのよ、ドーン…………!」
顔も見たくなかった元
「また君か、イザベラ。僕たちの
「しっ、嫉妬? またそんな
「確かに僕は君の婚約者だった。だが、僕は真実の愛を知ってしまったんだ。君がどれだけ僕に愛を注ごうと、それは僕にとって本物ではない。残念だが、
相変わらず話の通じないドーンに、イザベラは
「ベラ、ドーンってまさか……?」
「そうよ、元婚約者のドーン。一年前に婚約して、すぐにリーテに心変わりしたの。ヘングスター
姉と婚約していたのに、妹に心変わりしたなど、どちらの男爵家にとっても
「待たせてすまない。王子なんかに
ドーンの言葉に、聞いているイザベラは
「いや……っ、放して! やめて…………!」
逃げ出そうと腕を振るリーテだが、男であるドーンの力に
「リーテ放さないなら、またヘングスター男爵に言いつけるわよ、ドーン!」
親の名前に、リーテのドレス姿でにやけていたドーンもようやく
「親は関係ないだろう。こうして僕が待つ庭園までアシュトリーテも会いに来てくれたじゃないか。僕たちの思いは通じ合ってる。誰も僕たちの真実の愛を引き
興奮して声を大きくするドーンに、負けじとリーテも
「嫌……、わたし好きでこんな格好してるわけじゃないの! 放して、痛いの!」
リーテの声には心中の
「ほら、リーテも嫌がってるでしょ! 全部あんたの
「これは言わされているんだ……っ。何を
ドーンを
「これ以上興奮させると、君に危害を加える可能性がある。ちょっと俺に任せてくれないか?」
「さて、ヘングスター男爵家のドミニク。よく事情はわからないが、そんな俺から見た
フリッツは気さくな様子ながら、背筋を
「どう見てもこれは、婦女暴行の現場なんだが。異論は?」
「何を……っ。僕たちの愛の
「ふむ、それは失礼。だとすれば、アシュトリーテを引き留める必要なんてないだろう。まして、婦女子にそんな強い力をかけては、愛とやらを汚す行いになるんじゃないのか?」
ドーンの
「知ったようなことを言って……っ。お前も僕たちの仲を引き裂くつもりか。僕とアシュトリーテは思い合っているんだ。
鼻先に指を
「はしたない……。婦女子を力尽くで押さえつけて泣かせる奴はなんと言うんだ?
不意に、フリッツが背中に
緩んだドーンの手を引き剝がし、リーテの腕を引く。リーテも
「あ……っ、アシュトリーテ! イザベラ、なんて乱暴なことを!」
腕を伸ばすドーンの前に、フリッツは足を
「ドーン、二度と近寄らないでって言ったでしょ!」
「あぁ、そうか。僕としたことが
イザベラの
ドーンの姿が完全に消えるのを待って、イザベラはリーテを振り返った。
「リーテ! このお
ドーンと顔を合わせてしまった苛立ちから、イザベラの
「王子さまはリーテを選んだのよ。だったら自分でちゃんと名乗って、好意に
階段
「リーテ、
「あんたは基本的に素直で家事も良くこなすんだから、
ドーンに
「……わたし、家にいちゃいけないの…………?」
目を
向かう先には庭園の
「……っ、リーテ! リーテ…………!」
全身の血が引いていく。叫びながらイザベラは足を踏み出した。泳ぐように
手摺りの向こうは、下の庭園へと向けて
飛び
「し……心臓に悪いわ。…………良かったぁ」
耳元で鳴り
「歩けるか、ベラ? アシュトリーテを追うんだろ?」
「あ、はは、膝が震えてるの……。ヴィヴィがいたら指差して笑われるわね。……帰ったら、リーテに危ないことしないように言わなくちゃ」
荒ぶる心臓を押さえ、イザベラはフリッツから
「ベラ、待ってくれ。階段は俺が先に──」
フリッツが差し出す手も見ず、イザベラは
「
イザベラが長い裾を
「え……、何よこれ?
「ベラ、どうしたんだ? ……なんだ、何か階段に
イザベラの肩越しに
「く……っ、動かないぃ! どうなってるのよ?」
靴が
「……この臭い、もしかしてタール? なんで
イザベラの
「
言って、フリッツはイザベラの足に手をかけ、直視しないよう顔を
あられもない格好であることを自覚したイザベラは、心持ち
フリッツは
「これは、
「そんな……。
気に入っているのにとイザベラが
「大変……っ。見つかっちゃう。こんな格好、
何より、リーテがイザベラの名前で入城しているのだ。衛兵に
靴底は体重を受けてぴったりとタールに
髪を搔き回したフリッツは、イザベラに身を寄せた。
「……しょうがない。こうなったら、一度俺たちも逃げよう」
「え……? フリッツ、どうやって──」
言うや、フリッツはイザベラの膝の裏に腕を通し、ひと息に
「ベラ、しっかり摑まってくれ」
「ちょ……っ、ちょっとフリッツ。危な…………っ」
不安定な体勢に、イザベラは
イザベラは置き去る靴を
イザベラとフリッツが去った階段に、第二王子のエリックが衛兵に呼ばれ着いた時には、靴が一つ残されているだけだった。
「
決意するエリックの目の前には、
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