最終話 終わりなき旅路
「どこに行くつもりでしょうか、ユキト。それに姉様」
大通りのど真ん中に、腕を組んで仁王立ちをしているジルナがいた。
にこやかな笑みを貼り付けてはいるが、彼女の全身から羅刹の如き殺気が放出されている。
同時にルゥナは気づいた。早朝だというのにジルナの服装や髪型はきちんと整えられている。慌てて出てきたのではなく、準備をするくらいには冷静かつ時間の余裕があったことが伺える。つまり、ユキトの動向は監視されていて、二人の行動は筒抜けだった。
まずい。培ってきた戦闘経験からルゥナの警戒度が跳ね上がる。今のジルナはアマツガルムより強敵だ。
「ねぇユキト? そんな旅用の格好をして、無断で外地に出ようとしていますが、どこに向かわれるのですか? 散歩に出て小一時間程度で戻ってくるつもりならいいのですが」
「いや、その……」
「まさか今から、セレスティア様の勅命を果たしにいくつもりではないでしょうね?」
ユキトの顔色が悪くなる。彼は思わず視線を逸らしていた。
しかしそれは、仰る通りですとジルナに答えているようなものだ。
「呆れた……いい度胸してますね」
声に凄みが足される。青筋を立てたジルナがずんずんと詰め寄ると、ユキトは怯えて後ずさった。情けないというか、ちょっと格好悪い。
「アマツガルムの存在、そして来たるべき神々との戦いは確かにあなたがこの世界に来た理由かもしれません。ですが我々にも関与することなのです。だから入念な準備をすべきと言っていたことを忘れたのですか」
ジルナは不機嫌さを隠そうともせず捲し立てる。
誤魔化すように愛想笑いをしていたユキトだが「でも」と反論を試みた。その目は真剣な色味を帯びた。
「まだ知ってるのは俺たち三人だけだからさ……平和な今は、皆を巻き込みたくないんだ」
真相を知るのはユキトとルゥナ、そしてジルナの三人のみとなっている。それ以外の者は知る由もない。
異世界からの転移者や、情報世界と神々の存在は人々の常識を根底から覆すものになる。加えて受肉した邪神が潜伏していることが明らかになれば、国内が大混乱に陥ることは想像に難くない。黒い獣の出現は、人々にとってまだ記憶に新しい恐怖だ。
唯一ジルナに知らせたのは異世界転移を把握していたこと、そして無神論者という立場から受け入れる土壌があると判断したためだった。しかしそれでも、当時のジルナは小一時間ほど思考停止に陥っていた。
ジルナですらこうなのだから、他の人間の反応は火を見るより明らかだろう。三人は協議して、情報を開示することは段階を経て慎重にすべきという意見で一致していた。
「気持ちはわかります。だからこそ私達三人で秘密裏に進めようとしているのではないですか。そこであなた達が勝手に行動したら意味がない」
「でもジルナは、そんな余裕あるのか?」
言い返したユキトの言葉に、ジルナはむっと唇を引き結ぶ。
「せっかく州長に格上げになったんだ。これからが重要な時期ってことは、俺でもわかるよ。そんなときに世界のことまで任せるのは、さすがに負担が大きすぎる」
ジルナはなにか言いたげな表情だが、沈黙を選んでいた。彼女としてもユキトの気遣いは理解できるし、状況を正確に把握しているので間違いだとも指摘できない。
ジルナはつい先日、州長代理から正式な州長へと上位した。
女性州長の誕生はダイアロン連合国始まって以来の大事で反対する諸侯も多かったが、ヴラド諸侯王がこれを押し切ったという。
その要因は幾つかあるが、まずガルディーン含む三州長の失墜が大きい。謀反を企てたとはいえ、ガルディーンの戦略家としての実力と貢献度は確かなものだった。兵を束ねていた統率力も無視できず、連合国軍事力の何割かはガルディーン派閥の力で持っていたと言っても過言ではない。
それがごっそりと消え去った今、国力の弱体化は避けて通れない喫緊の課題となった。新たな三州長の選定も控えているこの混乱期に、ジルナの婿探しをしている暇などまったくない。
加えてジルナは、ゼスペリア州を勝利に導いた救国の英雄として、またガルディーンの野望を防ぎ姉の仇を取った偉大な女傑として、民衆から絶大な支持を得るようになった。その影響力は凄まじく、ジルナを頼ってゼスペリア州への移住者が増えるほどだ。
ヴラドがこの状況を内政に利用しようとしたのは無理からぬ話だった。おかげでジルナは州長の座に担ぎ上げられたどころか、今後はゼスペリア州の復興と並行で三州長の選定会議参加や州連携円滑化の法整備まで任せられている。まさに寝ている暇もないほどの多忙が彼女に降り掛かったわけだ。
あまりの変化に目を回しているジルナを影から見ていたユキトとルゥナは、彼女が政治に専念できるようにと黙って旅立つことを決心した。
「アマツガルムのときと違って、ほかの邪神はまだ具体的な行動を起こしてないみたいだし。今のうちに、俺だけでも他の国に行って調べてみようと思う。ジルナはゼスペリアだけじゃなく、ダイアロン連合国全体のことまで考えなきゃいけなくなったし、こっちに気を回してたらそれこそ過労で倒れるよ」
「でも……」
「あと俺はヴラド諸侯王から出頭命令出てるだろ? まだ説明できる段階じゃないし、かといって出頭の先延ばしにも限度がある。俺を匿い続けたらジルナにも迷惑がかかる。せっかく州長になれたのに、ここで印象を悪くすべきじゃない」
「……だから、勝手に出て行ったことにしようというわけですか」
ユキトは頷く。そこにはルゥナの意思も含まれている。
何よりロド家の跡継ぎがジルナに決まったのであれば、もはやルゥナは口を出せる立場にはない。全ては妹に任せておける、そう考えての判断だ。
しばし黙っていたジルナは、「あなたって人はもう……」と諦めたように嘆息した。
「そうやって一人で何でもやろうとするところ、変わらないんだから」
「今は、もう一人いるよ」
その言葉に目をぱちくりさせたジルナだったが、ふっと頬が緩む。それから彼の隣へ目を向けた。
見えているはずはないのに、妹の視線はルゥナとばっちり合う。
「そうでした。あなたには姉様がついていましたね……ほんと羨ましい」
ユキトがきょとんとしたが、ジルナは構わずその目線に嫉妬と羨望を混ぜる。
「もしかしてユキトと早く二人きりになりたいから抜け出そうとかそういう魂胆じゃないでしょうね? 姉様」
『ちっちち違うよ! そんなつもりはないから!』
ルゥナは慌てて手を振る。だが言葉とは裏腹に顔は真っ赤だ。
「たぶん慌ててると思いますが」とジルナはユキトの顔色を伺う。彼が苦笑いしたものだから、やれやれとジルナは肩を竦めて笑った。
「姉様が正直になって、その結果こうして愛する人のそばにいることは妹として喜ばしい限りです。でも、私も本音を隠さないって決めましたからね? 機会は虎視眈々と狙いますので」
『……あなたってほんと、いい性格してるわ』
「だって私、姉様に負けないくらい強い女になるんです」
おそらく偶然だろうが、ルゥナの呟きに答えるようにジルナは胸を張って言った。思わず吹き出してしまったルゥナは、そこでユキトに通訳を頼む。内容を聞いたユキトは恥ずかしがっていたが、伝えるように念を押すと渋々ながら言った。
「ルゥナは……私も譲るつもりないから、だって」
「はは、やっぱり手強いなぁ。ユキトもこれから大変ですね、色々と」
なんと答えて良いのか困ったユキトが照れてうつむくと、姉妹は揃って笑い声を上げる。
それから一息ついたジルナは、優しい眼差しを二人に送った。
「……しょうがない、許してあげましょう。今は姉様にユキトを託します。むしろ姉様が見張っていてくれるなら、心配はいらなさそうだし」
『ジルナ……ありがとう』
「でも約束してください。必ず二人で、私の元に戻ってきてくれると」
信頼と少しの不安、そして別れの悲しみが声に込められていた。
ユキトは答えない。代わりに、彼女を安心させるように力強く笑って頷く。宝剣を預けられたとき同様に、必ず戻ってくるとその真摯な目が告げていた。
「では、お戻りの際のお世話は任せてくださいね」
三人は驚いて振り返る。その声は、この場の誰のものでもなかったからだ。
大通りに現れた一人の少女を見てユキトは目を丸くした。
「ア、アルル……? どうしてここに」
「間に合って良かったですユキト様」
近づいてくるのは、柔和な笑みを浮かべたアルルだ。しかし彼女の格好はいつもの行商用のものではなく、領主館で働く侍女の服を着用していた。
実はアルルはここ数日前からロド家に雇われた侍女として領主館で働き始めている。ライオットの手紙を届けた功績を含め、ドッペリーニ輜重隊はロド家から報酬を受け取ることになっていたのだが、ドッペリーニが提案したのはアルルを雇って欲しいという願いだった。
アルルの父親の墓がゼスペリア州内地にあることに加えて、身寄りがない彼女に定住の地を用意したいと考えたドッペリーニの粋な計らいだった。
これをジルナは了承し、アルルは晴れてジルナ専属の侍女として迎えられた。輜重隊とはつい先日涙の別れを済ませたばかりだ。
ぽかんとするユキトの前に立った彼女は、小包を手渡す。
「これは?」
「携帯用のお食事です。たぶん次の街まで徒歩でいかれると思いましたので、道中で食べてください」
「アルルは手際がいいのね」
横合いからジルナが感心したように覗き込む。褒められたアルルは嬉しげに目を細めた。
「ユキト様がいらっしゃらないので、もしやと思って調理場をお借りしたんです。こんなもので良ければ、ですけど」
「いや、嬉しいよ。ありがとうアルル」
素直に喜ぶユキトの反応に、ジルナとルゥナは揃ってムッとする。
『そういえばアルルも』「あなたもユキトのこと狙ってたのよね」
「えっ!? いえあたしなんかはそんな……!」
「とか何とか言って、帰ってきたら急接近する気満々でしょ」
刺々しいジルナの声にアルルは恐縮しきりだ。しかしこの二人は仲が悪いわけではなく、むしろ良好な関係を築いている。年が近いということもあるが、好奇心旺盛なジルナと、旅で培った豊かな感性を持つアルルは馬が合うようだった。
気心が知れる同性がジルナの近くにいることは、姉のルゥナとしても安心なことだ。
「もうーどれだけ恋敵がいるのよ」
「あら、ここにもおりますわよ?」
頬をひくつかせたジルナがゆっくり振り返る。大通りの向こうから騎士のセイラとライラ、それに多くの騎士達が向かってきていた。その中にはロド家重鎮のゴルドフとクザンも混じっている。
共に戦った戦士達が勢揃いしたことでユキトは驚きを深めた。
「皆も、なんで……?」
「なんでもなにも水くさいっすよーユキト殿。アルルが教えてくれたから良かったものの。まだ勝利の酒杯すら掲げてねぇってのに、急に出てくんすか?」
「そうですわよ。酔い潰したあとに部屋に連れ込もうと思ってましたのに」
セイラが残念そうに頬に手を当ててため息を吐く。
免疫のないルゥナとアルルは赤面するが、ジルナは唇を尖らせていた。
「セイラのは路線が違うし卑怯よっ」
「これが大人の魅力というやつですわジルナール様。それにわたくしは別にユキト様が誰を何人愛そうと構いません。強い種だけでも授かればゴーシュ家の血筋も安泰。そうですわよねお爺様?」
水を向けられたゴルドフは「う、うむ」と微妙な返答で頭を撫でる。ユキトが父親ならまんざらでもないと言いたげな家臣の顔に『裏切り者-!』とルゥナは叫んだ。
セイラの隣に立つライラも頭の後ろで手を組んでにししと笑う。
「まぁあたいもユキト殿が相手ならいいかもなー」
その言葉に誰よりもショックを受けていたのはギルバートの息子オーレンだった。人知れずうなだれる彼を、周囲の仲間が慰める。
「でも、引き止めるわけにはいきませんものね。ユキト様は旅途中の導師ですし。それにルゥナール様が付き添われるなら、是非とも外の世界を堪能させてあげてくださいませ。わたくし達なら、もう大丈夫ですから」
一転して向けられた優しい言葉に『お前たち……』とルゥナは感慨を深める。周りの騎士達も、次々にルゥナへ感謝の言葉を語った。
まったく予想外のことが立て続けに起こって、場はすっかり騒がしくなっている。しかしユキトの元へ来訪する人々はまだ増え続けた。
「ユキトー!」「ルゥナママー!」
大勢の足音が大通りに響いた。元気に走っているのは孤児院に住む子供達だ。移住してきたニックスの妻サンドラと娘のミリシャも混じっている。
「出てくなんて急すぎるよ!」「まだ眠いってルゥナママ!」「ママならいつまでも残ってていいから!」「元気でねユキト!」「無理するなよー」「戻ってきたら遊びに来てね!」
ユキトの元に駆け寄った子供達は、抗議とも応援とも取れる言葉を遠慮なくぶつけてわぁわぁ騒ぐ。
驚愕のあまり硬直していたルゥナだが、自失から戻ると泣き笑いを浮かべた。
『みんな……』
声が詰まって、ルゥナはそれ以上言葉を出せなかった。
こんな風に笑顔で見送られるとは思っていなかった。別れとはいつも寂しくて辛いものだと、勝手に想像していた。
しかし今は違う。胸は締め付けられても、甘く切ない感触がどこか心地いい。暖かい感情がルゥナの全身を包み、解きほぐしていく。
「はは……結局、盛大な見送りになっちまったな」
ユキトが困ったように言う。彼も決して、悪い気分ではなさそうだった。
「……ユキト様。これを」
横合いから急に声を掛けられて「うおっ」とユキトは仰け反る。
クザンの接近に気づいてなかった彼は戸惑うが、家臣が差し出したある物に気づいた。それは数枚綴りの薄い板金で、ロド家の玉章が刻まれている。
「クザンさん、これは?」
「……もし他国に入られるのであれば、この通行手形をお使いください。あくまで身分を偽造したもので通用する期間は限られていますが、役に立つかと」
通行手形を渡したクザンは、ルゥナがいる方向に頭を下げる。おそらくクザンにとっては、これがルゥナに対する最後の奉公だ。それを感じ取ったルゥナは唇を噛みしめて頷いた。
「んもう-! 私だけで見送るつもりだったのに!」
と、急に声をあげたジルナは走りだした。そしてユキトに抱きつくような形で彼の頬に唇を押しつける。
周囲から歓声が上がり、ルゥナは『ああー!?』と素っ頓狂な声を上げた。
「ほら! もう行っていいですから!」
ユキトから離れたジルナは顔面真っ赤でしっしと手を振る。これがジルナの、最大限のわがままの示し方だった。
頬を押さえてぽかんとしていたユキトは、じわりと滲み出るように破顔する。男らしい顔が少年のように幼くなる、ルゥナの好きな笑顔だった。
「うん……それじゃ」
ユキトは背嚢を抱え直してルゥナの方へ向く。
ルゥナもまた見つめ返し、微笑みながら頷く。
『「いってきます!」』
いってらっしゃい。皆の声が重なり、朝焼けのゼスペリアに響いていく。
『がんばって、ユキト。ルゥナール』
豊穣神セレスティアもまた二人の旅立ちを祈り、微笑みを携えて見送る。
そしてユキトとルゥナは、故郷を後にした。
******
その日は雲一つない晴天だった。なだらかな平地が続くオアズス街道を一人の少年がてくてくと歩いている。
街道に、彼以外の人の姿はない。だというのに少年はなにもない空中に向けて語りかけていた。
「帝国までは何日かかるかなぁ。山越えはさすがに徒歩だと難しいだろうから、その前の街か関所で寄り合い馬車でも捕まえようか」
少年は意見を伺うように語る。
「でもまずはドルニア平原に寄らないとな。ギルバートさんもファビルも待ちくたびれてるだろうし。他の人達も一カ所に集めて、話し合えるようにしようか」
てくてくと歩く少年は、そこでふと首を傾げた。
「……もしかして、怒ってる?」
『別に』
ぶっきらぼうに返したのは騎士姿の少女だ。
その姿は半透明に透き通り、少年以外には声も聞こえないし姿も見えない。
「でも、怒ってるようにしか……」
美貌が台無しになるほどふくれっ面をした少女は『ふん』と鼻息を荒くした。
『怒ってない。ジルナとアルルとセイラに言い寄られて鼻の下伸ばしてたことなんて別に怒ってないから』
「いやそれ怒ってる」
『怒ってないもん!』
少女は腕を組んでぷいとそっぽを向く。意外に嫉妬深いな、と心中で呟いた少年だが、こほんと咳払いを一つして告げた。
「でも俺、こうしてルゥナと二人でいられるの、嬉しいよ」
『そ、そんなこと言って……!』
一転してわたわたと慌て始める少女だが、ふと悪戯でも思いついたかのようにニヤリと笑う。
『じゃあユキト。ここから次の街まで走って行こう』
「……は?」
『訓練だよ訓練。私は君の師匠でもあるしね。時間は有限なんだから、こういうときに走り込みしないと。私の気も済むし』
「それは訓練じゃなくて腹いせという行為では」
『とにかく走る! さぁ行くわよ!』
少女が渇を入れて、少年は慌てて走り始める。
晴天の空に、少年一人と幽霊一人の笑い声が吸い込まれていく。
これが、始まりの物語。
後に語り継がれる「
~Fin~
憑依騎士道 ~幽霊の力を借りて民と国を救います~ 伊乙志紀(いとしき) @iotu_shiki
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