⑱-奇跡の意味-

 早朝ということもあって、ゼスペリア内地から外へ出るための大通りはまだ門扉が硬く閉ざされている。そのためユキトは、門番が待機している詰め所に寄っていた。兵士専用の通用門を使わせて貰おうという考えだったが、しかし詰め所にユキトが現れると門番達は揃って慌て始める。ユキトの名と顔は、既に一般市民ですら知るほどに有名になっていたからだ。

 そんな彼が早朝から外に出してくれと頼むものだから、兵士達は対応に困った。ユキトはロド家が特別に信任した<憑依騎士>という称号持ちの重要人物で、かつゼスペリア州を救った英雄の一人だ。何やら理由がありそうだが、通したことで大目玉を食らうのは自分達かもしれないと警戒するのも無理からぬ話だった。

 楽観視していたユキトは出鼻をくじかれて焦る。兵士達に迷惑をかけるわけにはいかないので、何とか自分が出たことは黙っていて欲しい、いつの間にか抜け出ていたことにしてくれ、と交渉を始めた。


 彼のそんなやり取りを、ルゥナとレティは離れたところから眺めていた。

 ルゥナとしては助けてあげたいところだが、この場面では憑依も意味を成さない。機転が利く彼のことだから何とか説得するだろうと見込んで、代わりにルゥナはレティへ話しかけた。二人きりの今こそが内密の話をする絶好の瞬間だ。


『あの、セレスティア様。内地を出てしまってはもうお伺いできないと思いますので、今ここで聞いておきたいことが』


『未練を解消したのになんで残ったのか、ってこと?』


 レティにはお見通しのようだった。ルゥナは小さく顎を引く。

 孤児院の中庭でジルナと衝突し、ユキトに告白したことでルゥナの未練は全て解消した、はずだった。その証拠にルゥナの体は一度消え去った。

 しかし消滅した瞬間、彼女の体はまた現世に浮き上がり霊体として復元したのだ。

 あまりに予想外の出来事でルゥナは呆然となった。霊体ながらも彼女は確かに存在し、薄くなることも消えることもない。

 騒然となったのはユキトとジルナだ。二人はすぐに事態を受け入れると泣いて喜び、ルゥナのことを再び迎え入れる。留まった原因を二人ともに何となく察したようで、すんなりと元の関係に戻っていた。

 ルゥナも、新しい未練には少なからず心当たりはある。だが死んだ人間が現世に留まることはやはり自然の流れを尊重するラオクリア教の教義に反することで、ルゥナとしては釈然としない感情もあった。

 だからこそ、ラオクリア教が崇める豊穣神に見解を聞いてみたかった。


『もうお姉ちゃんはわかってるんじゃないかな。未練は解消した、でもまた新たに強い情念が加わったことで現世に楔が打ち込まれたんだよ』


『新しい未練ができた、と』


 確かライオットが消え去る前、彼はユキトに確認していた。未練を解消してもまだ留まることは可能か、と。ユキトは新しい未練が生まれれば可能と答えている。しかし未練解消の寸前では、よほどの強い想いがなければ上書きできないとも言っていた。

 つまりルゥナは、それまで抱いていた未練を超えるほどの新しい未練を抱いてしまったのだ。


『それで、その、新しい情念とは……』


『えーボクから言うの? 言わせないでよ恥ずかしい』


 レティがニヤニヤし始めたのでルゥナは気まずげに顔をしかめる。


『まぁ一言でいえば愛だよね、愛。お兄ちゃんが大好きで心配でずっとそばにいたくてもうそれ以外には考えられ――』


『あーあー! わかりました! わかりましたから!』


 ルゥナはぶんぶんと手を振って言葉を遮った。勘付いていたとはいえ、いざ面と向かって指摘されることほど恥ずかしいものはない。

 深呼吸して気持ちを落ち着かせたルゥナだが、予想できていたおかげか驚きはさほどでもなかった。むしろ起きてしまったことは仕方ない、とすら思う。

 それよりも、この先の未来を考えるとルゥナは途端に不安を覚えた。


『……ですがセレスティア様。私がユキトをその、好き、という個人的感情で現世に留まったのであれば……それはやはり許されることではないと思うのです』


『どうして? 留まっちゃったんだからしょうがないじゃん。滅多にないよ、こんな奇跡。大切にしないと』


 軽い返答に拍子抜けするが、レティ状態の豊穣神は大体こんな感じではぐらかそうとする。もっと核心に迫りたくて、ルゥナは更に突っ込んで聞いてみた。


『肉体を持たない私が、これ以上現世に影響を及ぼすことの是非を問いたいのです。今まで散々ユキトやジルナに肩入れしてきた立場で言えることではないのですが……神々あなた方は、アマツガルムの行いを嫌悪しておられました。しかし邪神は己の欲望に忠実に動いただけとも言えます。それは私も同じではないか、と』


『うーん。まぁいい顔をする人ばかりじゃないとは思うけどね? 生きてる人達にとって、お姉ちゃんという特殊な存在は卑怯とかチートって捉えられるかもしれない』


 最後の言葉の意味はわからなかったが、歓迎されるべきでないことは感じ取れた。


『ではやはり……』


 消えるべきか、とルゥナが言いかけたところでレティは優しく首を振る。


『でも、アマツガルムと決定的に違うところがあるよ。人を生き返らせようという矛盾に満ちた欲望とは違って、人が人を愛することは自然の摂理。誰も否定すべきじゃないし、ルゥナールの抱いた愛は変えるべきでもない。たとえあなたという存在がユキトの運命を変えたとしても、ボクは人の営みの結果だと思う。愛ってさ、肉体の有無とか、究極的には生きてるか死んでるかってことも関係ないんじゃない? そこに心が、魂があれば成り立つものだから』


『そ、そういうものなのでしょうか……』


『そーそー。構わず愛し合ってなよ」


 うう、とルゥナは赤くなった頬を抑えて唇を噛みしめる。心に響くとてもいい見解だが、愛と連呼されては恥ずかしさのほうが勝ってしまう。

 しかし、とルゥナはふと考える。神が、皆が愛情の行く末を見守ってくれているとしても、ルゥナにはどうしても配慮しなければいけない男性が一人だけいた。


『あと、もう一つだけお伺いしたいことがあるのですが』


『ライオットのこと?』


 言い当てられたルゥナは眉を上げた。この幼女姿の神は、一体どこまでお見通しなのだろうか。涼しい顔つきのレティからは心の内が読み取れない。


『……その通りです。彼が消える前、天界で待ち会う約束をいたしました。ですが私はこの通り留まってしまった。立つ瀬がないというか、心苦しい限りなのですが……しかしよくよく考えてみれば、セレスティア様は死後の人々の魂はすぐに消えてしまうように仰っていました。ライオット殿下も同様なのでしょうか』


『そうだね、死後の固有情報はすぐに拡散して消える。現世に留まっていた幽霊も同じ。でも会おうと思えば会えるよ』


『え?』


 気落ちしかけた瞬間の意外な言葉に、ルゥナは再び柳眉を上げる。


『情報は拡散した、でもそれはあくまで一人の人間の形が崩れたに過ぎない。彼の断片的な情報は世界のどこかに記録されている。もしも未練を解消した直後のライオットに出会いたいならボクが道案内してあげるよ。会話できるくらいの容量を残しておくことも可能だから』


『では、いつの日か私が消えたときには……殿下に会えると』


『うん。でもお姉ちゃん、今は深く考えないでいいと思う。せっかく自由になれたんだし』


 気遣いをさせてしまった申し訳なさと安堵感が入り交じってルゥナはぎこちなく笑う。

 だがその直後、ルゥナはハッとしてレティの横顔を見つめた。


 ――自由になれたとは身分の……いや、心情のことを言っているのか?


 一瞬、レティなりに慮った台詞かと思ったが、どこかしっくり来なかった。

 彼女にとってルゥナとは、国に住む人間の一人に過ぎない。今までの貢献があったとしても、世界を救うという至上命題からすれば差し障りのない存在だ。それがなぜ釘を刺すような言い方をしたのか。

 ふとそこで、ルゥナは考え直す。レティにとって重要な人間とは他でもない、ユキトだ。彼を軸にして考えると違和感が消え去った。


 もしかするとレティは最初から、国外に出て行くユキトの補佐役を求めていたのではないか。いくら彼が憑依の影響で強くなったとはいえ、レティは同行することができず助けにもならない。異世界人のユキトにとっても一人旅は辛いものになるだろう。だから、彼を導き助ける相棒が必要だった。

 考えれば考える程にルゥナは物事を穿って捉える。レティがつい先日まで姿を隠し、詳細を黙っていた件はどう見ても不自然だったが、やはりユキトを軸に考えると合点がいく。

 もしかするとレティは、ユキトの素質を試すために放置していたのではなく、彼がルゥナとの絆を深めるためにあえてそうしていたのではないか?


 ゼスペリア州の安泰やジルナの将来だけでなく、神々との戦いに巻き込まれたと知ったとき自分はどういう対応を取るか。きっと迷うことなくユキトの師匠役に徹するだろうと、ルゥナは自己分析した。

 その関係はただの任務であり、義務だ。前以上に彼への恋心を抑えつけて育たないようにする。そして役目が終われば消え去るであろうことに、ルゥナは疑いの余地を持たない。

 ルゥナが州長代理への未練を断ち切り、同時にユキトへの未練を上書きしてこの世界に残るためには、世界の危機という情報は邪魔だった。あくまで彼の優しさで成り立つ関係性を構築しなければいけなかった。

 現にルゥナは、もはやロド家への未練はない。そして自由の身だからこそ、どこまでもユキトについていくつもりだ。


 ――……いや、よそう。


 のほほんとした表情のレティを見ながら、ルゥナは小さく首を振る。今までの思考は胸の奥にしまいこんだ。

 たとえ神の見立て通りだったとしても、この愛情は自分の中から生まれたかけがえのない輝きだ。誰かに指図された結果ではない。だったらそれ以上の理屈など不要だ。


『あ、戻ってきたね』


 レティの言葉で顔を上げれば、ユキトが走り寄ってくるところだった。彼はこちらに向けて親指を立てている。どうやら交渉はうまくいったようだ。


「悪い、手間取った」


『おかえり。なんて誤魔化したんだ?』


「ギルバートさんのことを使わせて貰った。ドルニア平原でまだ魂が留まってるから、未練解消の手伝いに行くって……ちょっと悪い気がしたけど」


『なるほど。でも気に病むことはない。帝国に入る前に寄ることは事実なのだし』


 それでもユキトは嘘をついたことに気後れしているようだった。こういう誠実なところが本当に好ましいと、ルゥナは頬を緩ませる。

 それから三人で門扉の前まで進むと、ユキトはレティの方へ振り返った。


「じゃあ行ってくるよ。一区切りついたら報告しに戻ってくるから」


『うん、待ってる。でもお兄ちゃん、行く前からピンチだね~』


 え、とユキトが声を出したとき、砂利を踏む音が大通りに響いた。

 ギクリとしたユキトは恐る恐る振り返る。


「どこに行くつもりでしょうか、ユキト。それに姉様」

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