第2話ソフィアと弟

 オーデンゼルフ伯爵令嬢ソフィアの朝は早い。太陽が姿を現すと同時に飛び起き、寝巻から鍛錬用に誂えた衣服へと着替える。最後に衣装棚から真紅のベルトを付けて準備は完了だ。

 ソフィアは付けたベルトを一瞥して、外そうか迷いながらも部屋を出る。彼女の趣味ではないし、鍛錬としてもズボンは紐で縛っていた方が楽だ。しかしメイドが言うにベルトは貴婦人として、なくてはならない装飾具である。それは鍛錬だとしても欠かせない。13歳はここでは大人だ。ソフィアは貴婦人なのである。とはいえ見た目の身長は小さく、整った容姿は美しいと表現するよりは可愛らしいと分類するべきものであり、要するに見た目は可愛い子供だ。


 「おはようございます。お嬢様。今日はご主人様がお帰りではないですが、朝食はいつも通りの時間でよろしいでしょうか?」


 鍛錬には十分すぎるほど広い庭へ出ると、メイドがソフィアへと声をかけてくる。毎度に見られて初めて自分の金髪に寝癖がないか、手で確認しながら答える。


 「お帰りではないですか。ではそのように」

 「承知いたしました」


 目の前から去っていくメイドを眺めソフィアは思う。


 (随分とお嬢様らしい言葉使いになったものだね私も。まぁ自分がこうして考えてる言葉が何語かも分からないわけだけど、話し言葉が外国語だと思えば口調が違うのは当たり前かな)


 庭で、まず座ると内功の鍛錬だ。丹田から内気を細心の注意を払いつつ、全身に駆け巡らし丹田へと戻す。ソフィアの義父ラインハルトによればソフィアの言う気とは魔力であると言う。自身の魔力を循環させることにより魔力総量を増やす技だとの結論であったが、ラインハルトの見立てでは、その増える量はすでに常識の範疇を超えているらしく、またその循環技術も常人では真似できないものであるらしい。その魔力量があれば強力な術式を惜しげもなく使うこともできるであろうが、残念ながらソフィアに魔術の才能は皆無であった。ラインハルトに憧れるソフィアとしては遺憾の意を示したい事柄だ。


 (既に前世での奥義も秘伝も鍛錬しつくした。前世の私をすでに超えたはずだ。それでも母様と父様には届かない。それに今の私が前世の私だと証明できるものは剣しかない。唯一前世から持ってこられたものと言えるしね。それに裏切ったのが私だとしても、名すら覚えてないとしても、せっかくこの世界まで持ち込めた流派を途絶えさせるのは師に申し訳が立たない)


 内功を鍛えた後は外功である。ソフィアは力の殆どは内功頼りであり、外功はもっぱら技術がほとんどだ。


 「装剣」


 ソフィアが呟けば、それが鍵となり、銀の腕輪が剣へと変わる。剣を帯剣することのできない女の身分であるソフィア用にラインハルトが作った魔道具だ。剣は何の装飾もない細身な銀の剣で、ただ折れないことだけを追求してある。切れ味なども何ら特別性はない。とは言え、ソフィアにとってはラインハルトから貰った剣である。特別な宝物なのだ。

 型をひたすら繰り返せば朝の日課は終わる。汗を流し、ドレスに着替えれば朝食の時間だ。パンと野菜のスープ、それだけを食堂で食べた後は自室で算術や歴史の勉強をし、それが終わればメイドに礼儀作法の指導を受ける。そしてまた朝と同じ鍛錬を終わらせれば、昼時だ。食堂にソフィアが顔を出すころには義理母のレイティスが起きてくる。


 「ふぁー。今起きたぞメイド。肉を出せ」


 欠伸をしながら食堂に入ってきたレイティスは寝巻のままだ。真っ赤な髪も寝癖が酷く、とても他人が見れば伯爵夫人だとは思われない姿だろう。その姿はソフィアが初めて会ったことから年を取っている様子はなく、あと数年もすればソフィアの方が見た目の年齢は超えそうだ。


 「母様おはようございます。父様は、また出かけているようなので夜まで寂しいですね」

 「ん、おはよう。お前はいつも可愛いな。流石私の娘だ。それに強くなってるな。よいことだ」

 「はい。母様に追いつけるように精進いたします」

 「母は偉大だぞ。頑張るがいい」

 「はい。ありがとうございます」


 挨拶を交わしながら席に着くころには料理が運ばれる。ソフィアのメニューは朝と同じ内容に肉と野菜が追加される程度だが、レイティスのメニューは肉のみだ。種族的なものを考えれば、そのメニューには納得がいくだろうが、何分量が多い。見た目は美少女なだけに初めて見た人間ならば違和感が酷いだろう。ラインハルトの前では基本的に食事の作法等もしっかりしているレイティスであるが、寝起きとラインハルトがいない時は、杜撰な食べ方だ。とはいえそんなところもソフィアにとってはレイティスの可愛らしいところだと思っているので何ら問題はない。


 「メイド。夕方のラジオドラマは何だったか?」

 「魔術師と農家、その後に魔術師とメイドの恋です」

 「ふむー。どちらもまだ盛り上がりに欠けるのだがな……魔術師と剣士はまだだしなー」


 基本的にレイティスは一日中ソファーで寝そべってラジオを聴いている。魔力電池で動くラジオに劇が取り入れられたのは最近であり、レイティスは随分とそれを気に入っていた。ソフィアも勧められて何度も一緒に聞くことがあるが、あまり興味はなく、レイティスと趣味を共有できないことが残念で仕方がなかった。


 「母様。父様が帰ってくるまでにはドレスに着替えましょう。きっと喜んでくれますよ!」

 「う? うむ。よ、喜んでくれるか?」


 ソフィアの言葉にレイティスが、はにかみながら答える。それは正に恋する乙女という風で、それを見たソフィアもつい微笑んでしまう。


 「えぇ。もちろんです。ついでにお帰りのキスもしましょう!」

 「は! いや! それはレベルが高すぎるだろう! ダメだダメだ!」


 (うーん……)


 ソフィアのここ数年の悩みは両親の仲である。とはいえ関係は良好であり、問題はないように見える。しかし、10年以上手を繋ぐ以上のことはないという関係だ。レイティスの気が種族故長いこと、とラインハルトが女性との関係についてまったくと言っていいほどに気に留めないことが大きな原因と言えるだろう。


 (父様はともかく、母様が父様のことが好きなのは確定だし、もっと仲良くなってほしいんだけどね。こうなったら考えてた例の作戦を使うしかない)





 その日の夜である。帰ってきたラインハルト、それに昼間とは違い、まさしく令嬢といった姿に変身したレイティスを交えた夕飯の席でだ。ラインハルトは出会ったときに比べて相応に老けてはいるがその分大人の魅力が増しているように見える。メイドからは王都で1,2を争う人気ということで、そのことも両親の仲を進展させようとする理由の一つだったりする。


 「旦那様よ。今日はどこに行っていたのだ?」

 「よくぞ聞いた妻よ。王都の学院で少し演説をしてきた。簡単な術式の説明をしただけで、皆感動していたぞ。流石だと思わないか?」

 「うむ、さすがだぞ」

 「そうだろう! そうだろう! はっははははは!」


 ワインの力もあるのか、ラインハルトの調子が程よくなってきたところでソフィアは作戦を実行する。誰かの仲を取り持つなど、ソフィアにとっては前世を合わせても初めてのことなのだ。要するに頑張って考えた結果である。


 「父様! 私は弟か妹がほしいのです。お願い押します!」

 「ふむ」

 「うん?」


 レイティスとラインハルトがソフィアの言葉に思案気な顔をしたかと思うと、最初に反応したのはレイティスの方だった。きょろきょろと視線を彷徨わせ、気を落ち着けるためか、ワインを口に含む。が、そこで確信に至ったのだろう。


 「ぶふぅー! げっほっ……そ、ソフィアそぅれは……」


 ワインを吹き出しつつも慌ててソフィアに確認を取ろうとするレイティス。弟か妹がほしい。それにはもちろんソフィアの親である2人が、ああしたり、こうしたり、しなければいけないということである。未だキスすらしていないレイティスには刺激が強かっただろう。もちろんソフィアも経験はないが相手もいないのだからそういう事については何とも思わない。


 (母様の反応は予想通り。でもどんなに嫌がっても父様がするって言ったら父様大好きな母様はしてしまうはず! 完璧!)


 これぞ、ソフィアの作戦である。逃げ道を塞ぐことで強制的に仲を良くしようとしたのだ。

 一方のラインハルトは思案気だ。そして口を開いて


 「メイドよ。ソフィアに兄弟は必要か?」


 部屋の隅で控えていたメイドが答える。


 「兄弟はいて悪いことではないでしょう。また、ソフィア様の場合は鍛錬の相手として兄弟はアリかと」


 その言葉にラインハルトは鷹揚に頷く。彼は考えはするが、あまり細かくは考えない性格なのだ。


 「ほ、本気か? 旦那様よ」

 「母様! ここは覚悟をお決めになって!」

 「う、うぬ」

 「焦るな2人とも! 私に不可能はない! しばし待て! そうだな少なくとも明日いっぱいは時間はもらおう!」

 「そ、そうだな。心の準備は必要だものな」

 「頑張ってください!」


 ソフィアは上機嫌だ。作戦がうまくいったことで、さらに家族が仲良くなると思うと口元がにやけるのを抑えられない。前世合わせて初めてのお節介はこうして成し得たのだった……

 と、ラインハルトが何かに気付いたように目を細めた。


 「ソフィアよ。弟か妹どちらが良いのだ?」

 「? どちらでも構いませんよ?」








 次の日、ラインハルトは朝早くから外出していった。その日は珍しくレイティスも起きており、一日中屋敷の中を歩き回っていた。ソフィアはそんなレイティスを見るのが嬉しくて仕方がなかったが。そうさせた責任もあるので、「父様が帰ってくるまでに、お風呂に入ってお化粧もしましょう」「一緒にラジオを聞きましょう」と声をかけ続けたが、レイティスの徘徊が収まることはなった。

 ラインハルトが帰ってきたのは日が落ちてしばらくしてのことだ。ソフィアはレイティスと二人で玄関まで迎えに行こうと、恥ずかしがり嫌がるレイティスを引っ張っていく。ひたすら無駄に豪勢に仕立てられた廊下を抜けて、玄関まで行くとそこには予想だにしなかった光景があった。


 「今帰った。ソフィアよ。弟を持ってきたぞ! 少し時間はかかったが落ちていた。手加減したとはいえ私の術式も2発耐えきった! 鍛錬にも耐えられるだろう」

 「「……」」


 玄関には髪も服もボロボロの男が横たわっていた。黒い髪は伸び放題で、服も汚れが酷く、まともな生活は出来てなかっただろうことが窺い知れる。意識はないようで、浅い呼吸だけが聞こえる。しばらく観察していたソフィアとレイティスであった。が、この男のこともあるが何より目の前のラインハルトが大きな考え違いをしていたことに、ハタと気づく。


 「「そうじゃない!!!」」


 ソフィアの思惑とは全く違う方向で弟が出来た瞬間だった。

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