アルベルトの真意
「短慮公の領地シルダニアは平和なところだったんだけどね、ある日、あいつの居城ヘルゲンに奇妙な傭兵団が訪れたんだ。傭兵団の首領は自分たちを雇い入れてくれれば、この地に巣くう賊からヘルゲンを守ってやる、って言ったんだ」
あだっぽい仕草で髪をかき上げると、カヤは言った。
「平和な領地なのに賊から守ってやると持ちかけるとはとは妙だな」
「そうだね。ところがおかしなことに、短慮公はこの申し出を受け入れたんだ。もちろん賊なんて出るはずもない。もともと平和な土地だからね。普通、おかしいと思うだろう?シルダニアには正規兵だっているんだから、これ以上戦力を増やす必要なんてあるわけがないんだ」
「その傭兵団は解雇されたのか?賊がいないなら雇っておく意味がないはずだが」
「ところがね、この傭兵団の首領がこう言ったんだ。我々がこのヘルゲンを守っているからこそ、誰もこの城を襲ってこなかったのです、ってね」
「で、短慮公はその首領に文句は言わなかったのか?」
「それどころか、ずいぶん感心したらしいよ。よくぞこのヘルゲンを守り通した、今後もわが城を守備せよ、なんて言ったんだとさ。今でも傭兵どもはあの城で雇われ続けているらしい」
「そいつは聞きしにまさる間抜けだな」
レヴィンは苦笑した。その話が本当なら、短慮公は賢王と名高い兄とは似ても似つかぬ愚か者だということになる。詐欺師のような傭兵団に騙され続けているのに、短慮公をいさめる者は左右にいないのだろうか。
「ま、そういうちょっと足りない公爵の治める領地なら、どうにか潜伏できないかって思わなくもないのさ。でも、あそこまでたどり着く手立てがなくちゃどうにもならないね」
カヤは窓の外を見て、軽くため息をついた。あの空を自由に飛んで行けたなら、と思っているに違いない。
「しかし、ここで何もできずに手をこまねいているというのもな……うん?」
レヴィンがカヤの見ている方向に視線を投げると、三人の男がこちらへ歩いてくるのがみえた。男たちはいずれも甲冑の上から黒一色のサーコートを羽織り、髪は修道僧のように短く切りそろえている。
「アルベルト……」
カヤがかすれた声を出した。いよいよ来るべきものが来てしまった。
真ん中の男は左右の男にここで待て、と言いつけると、ドアを開けて踏み込んできた。
「黒蝶の魔女カヤ、この場でおまえを成敗してくれる」
剣を引き抜くが早いか、アルベルトはそう言い放った。謹厳そうな顔には、かつての想い人に再会した懐かしさなど微塵も感じられない。
「ふん、あんたもしょせんはそっち側の人間だったわけかい」
乾いた笑い声をあげるカヤに続き、レヴィンが問いかける。
「昔の恋人に再会した第一声がそれか?もう少しましな挨拶ってものがありそうだがな」
「過去などどうでもよい。今の私は異端審問官だ。魔女にかける情などない」
「一度は世話になった女を斬るためにわざわざ審問官の道を選ぶとは、ずいぶんと敬虔なことだ。天にまします神も、お前の働きをたいそうお喜びだろうよ」
レヴィンが皮肉気に唇をゆがめると、その袖をミラが引いた。
「ん、どうした」
「レヴィン、あの人……」
ミラの頭頂の髪がぴんと立ち、それからアルベルトのほうを指し示した。
(悲愴の
いくらアルベルトが心の奥底に悲しみを押し隠していても、ミラは敏感にその心を察知する。アルベルトの抱える悲しみの原因は、カヤに決まっている。
「なあ審問官さんよ、ほんとうにカヤを始末する気なのか?」
「当たり前だ。そのために私はここに来た」
「それならなぜ部下を外に待たせてあるんだ」
「これはカヤと私の問題だからだ。私は私の過去にけりをつけに来たのだ」
「ふん、そうとは思えんがな」
レヴィンが鼻を鳴らすと、アルベルトはいぶかしげに片眉をあげた。
「貴様、なにが言いたい」
「お前は今でもカヤのことを想っている。そうだろ?」
「馬鹿をいえ」
そう言いつつも、アルベルトは少し後ずさりし、扉を背にする格好になった。
「レヴィン、何を言ってるんだい?いいかい、これはあたしとアルベルトとの間の問題なんだ。あんたとミラは手を出すんじゃないよ」
「手は出さんさ。これからアルベルトのすることを見届けるだけだ」
「ああ、それでいい。さあアルベルト、やるならさっさとやりな」
カヤは大股でアルベルトに近寄った。
「ねえレヴィン、ほんとうに助けなくていいの?」
「その必要はない。おそらくな」
カヤとアルベルトを交互にみつめるミラの肩を、レヴィンは軽く叩いた。
「民を惑わしこの国を脅かす魔女め、お前を今すぐにここで消してやる!──聖なる光よ、万能の
アルベルトがカヤにむかって掌をかざし、聖句を唱えるとまばゆい光がカヤを包み、彼女の姿は周囲の景色に溶け込んで見えなくなった。
「なるほど、そういう使い方もできるってわけか。そいつをおまえ自身に使われたら厄介だったが」
アルベルトの法術「盲者の聖域」は任意の対象を透明化する力を持つ。アルベルトが自らの姿を消しつつ戦いを挑んできたなら、レヴィンでも勝てたかどうかはわからなかった。
「さて、そういうことならちょいとお前さんの手伝いでもしてやるか」
レヴィンは掌を上にかざし、聖句を唱えはじめた。
「神の
レヴィンの掌から見えざる気弾が放たれ、カヤの家の屋根に大穴をあけた。
「ご協力、痛みいる」
アルベルトが小声で言うと、レヴィンは無言でうなづいた。その後、かすかに羽音が聞こえた。カヤが飛び立っていったらしい。
「魔女の住みかは浄化しなくてはならぬ。おのおの方は外に出てもらいたい」
アルベルトに言われたとおり、レヴィンはミラの手を引いて表へ出た。しばらくすると、カヤの家のあちこちから火の手が上がり始めた。アルベルトが法術で火をつけたのだろう。
「魔女は、こうして完全に灰にしてしまわなくてはならない。首だけになっても噛みついてくるものもいるからな。お前たちも相手が女だからと情けをかけてはならぬぞ」
「はっ」
ふたりの部下は、燃え落ちるカヤの家を厳粛な表情で見つめていた。
◇
「つまり、アルベルトさんはカヤさんを助けるために審問官になったってこと?」
カヤの家を後にし、元来た山道を下りながらミラがたずねる。
「そういうことだ。この国が魔女狩りに熱心である以上、放っておけばいずれカヤは捕まって殺されてしまう。それなら自分が異端審問官になって熱心にカヤのもとに行く以外に助ける方法がない」
「ずっと、二人で一緒に暮らせていればよかったのにね」
ミラの顔に、わずかに憂いの影がさした。
「一緒になっても、いずれあの隠れ家にも探索の手が伸びていただろう。そうなってからではカヤを守りきれないとアルベルトは考えたはずだ」
「好きな人を助けるために離ればなれにならないといけないなんて、おかしいよ」
「おかしい、か。そもそも誰も傷つけていないカヤを敵だと考えている教会がまずおかしいからな」
レヴィンは不器用な、人の好過ぎる魔女の面影を思いうかべた。カヤには殺されなければいけないほどの罪などない。だが、教会のすることなどもともと道理に合わないことばかりなのだ。
「──ねえレヴィン、僕と教会って、どこか似てるよね」
「なにを言ってる。そんなわけがないだろうが」
「教会の人たちは、いつも敵を必要としてる。裁くべき誰かを。そして僕は、誰かの悲しみを必要としている。どっちにしても、苦しむ人なしには存在できない」
「そいつは違うな、ミラ」
レヴィンは横目でミラを一瞥すると、続ける。
「教会は人の悲しみを積極的に増やしているが、お前は悲しみを癒している。やっていることは逆だ」
「でも、悲しんでいる人がいないと僕は生きられない」
「いいかミラ、仮に協会が完全無欠の組織だったところで、人の世からは悲しみはなくならない。人は必ず老い、いずれは死を迎える。大事な人との別れをだれもが経験する。どう頑張ったところで、人は悲しみと無縁ではいられない。だからこそ、お前みたいな存在も生まれたんだろう」
それはただの願望だった。ただこの願望が真実とまったくかけ離れているわけでもないだろう、とレヴィンは思っていた。
「僕は、ほんとうに必要な存在なのかな」
「必要がないなら、生まれてくるわけがない」
そう言うと、ミラの表情がようやくやわらいだ。レヴィンは安堵しつつも、先を急がねばならない、と己に言い聞かせた。
(ナルヴァなら、ミラの能力についても何か手がかりが得られるだろう)
ミラの能力はは人の悲しみを癒すことができる。しかし、ミラ自身の悲しみまではなくせはしない。人ではないミラがどれほどの悲しみを抱えているかはわからないが、レヴィンは早くミラの憂いを除いてやりたかった。
「カヤさん、無事にシルダニアについたかな」
ミラは東南の空を振りあおいだ。鈍色の雲の隙間から陽光があふれ、神々しい光の筋が地上へと降りそそいでいる。
「アルベルトにあんな真似までさせておいて助からなかったら、俺は神の脚本に文句を言う」
「レヴィンは教会に仕えてたのに、神様には文句ばっかり言うんだね」
ミラが顔をほころばせると、レヴィンもつられて笑った。こうしてずっと笑っていられないものか、という思いを、レヴィンは心の底へ押し込んだ。
悲しみ喰らいの魔女と護衛者 左安倍虎 @saavedra
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