魔術と法術と

 まだ熱が下がりきらないうちに身体を動かしたため、レヴィンは滝壺から戻った後、もう一日カヤの家で休まなくてはならなくなってしまった。

 粥と薬湯をふるまわれ、一晩ゆっくり休むと翌朝には調子が戻っていた。朝食を食べ終わると、レヴィンは財布から銀貨を取り出し、テーブルの上に置いた。


「礼ならいらないよ。あんたの世話ならあたしが勝手にしたことだ。あたしは頼まれごとの代価としてしか金は受け取らない」


 カヤはテーブルに置かれた銀貨をレヴィンにつき返した。

 

「だが、俺にも俺なりの筋の通し方ってのはある。一宿一飯の恩は犬でも忘れない。ましてや俺は人間だからな」

「じゃあ、あんたがアルベルトを追い返してくれるかい?できるだけ傷つけずに」

「その男がどれくらい強いかわからんが、傷つけずにってのは難しいかもな」

「ま、そりゃそうだろうね。それはわかってる。言ってみただけだよ」


 カヤは力なく笑うと、鏡の前に立ち、櫛で髪を梳きはじめた。


「審問官なら、おそらく法術も使えるだろう。それにここに来るとなれば、部下も数人は連れてくるはずだ。ミラにも戦う力はあるが、無傷ですむとは思えん」

「だからそのことはもういいって言ってるじゃないか。あたしの事情にあんたたちを巻き込むわけにはいかないよ。これはあたしがどうにかしなきゃいけないことなんだ」

「もし逃げるつもりがあるなら、手を貸してやることもできるが」

「ふん、この国のどこに逃げる場所があるっていうんだい?ラサーナの修道士だって、魔女までは受け入れてくれないよ」


 エルフであるイリーナをラサーナ修道院が受け入れていたのは、あくまでエルフを受け入れるのが国王の方針だったからだ。国王が刃を向けている魔女には、ノストマルクのどこにも居場所はない。国境を越えてマーセラスに向かえば、異端の取り締まりはより厳しくなるだけだ。


「隠れる場所でもあればいいんだが、あいにく俺はこの国の地理には詳しくない」

「仮に詳しくたって、もうどうにもならない。あんたは知らないだろうけど、審問官ってのは平目みたいなもんなんだ。どいつもこいつも上だけを見てる。出世のためなら草の根分けてもあたしらを探し出すよ」


 もう取りつく島もない。レヴィンは黙ってかぶりを振ると、椅子から腰を浮かせた。その時、窓の外に人影がみえた。

 

「おや、今日は早かったね。マゴ」


 戸口に姿を現したずんぐりとした中年男に、カヤは声をかけた。


「スノーヤムと春キャベツ、そして蝋燭。確かに持ってきましたぜ。去年は冬が厳しかったから、キャベツはかなり甘くなってるはずだ」


 男は荷物を置くと、いかにも朴訥そうな笑みをみせた。


「いつもすまないね」

「なあに、あんたには女房の流行り病を治してもらった恩があるんでね。歩荷くらい買って出なけりゃ罰が当たるってもんですぜ」

「魔女の味方をしない男に、いったいどこの神様が罰を当てるっていうんだい?」

「さあ、少なくとも天神教の神さんじゃないでしょうなあ。魔女を守ってくれないケチな神さんなんて、おいらは拝む気にはなれねえや」

「あいかわらず罰当たりな男だねえ、まったく」


 軽口をたたき合うと、二人は声をあげて笑った。


「ところで魔女さん、ベルダスクの村の酒場に最近妙な連中が出入りしてるんだ」


 マゴは真顔にもどり、言葉を続ける。


「どうにも陰気な連中が四人、いつも隅のテーブルで何かささやきかわしてる。黒一色の外套を着てフードをかぶってるんだが、どうも飯の食い方が妙でね」

「へえ、どんなふうに」

「二人づつ組んで、ひとつの器の中から手づかみで食い物を取ってる」


 レヴィンは延髄に蹴りを叩きこまれたような衝撃を受けた。


(そりゃ、聖騎士の食い方じゃないか)


 天神教の異端審問官は、神の僕たる聖職者でもあり、異端を狩る騎士でもある。生涯の独身を誓い、神の戦士として戦う聖騎士団を教会はいくつも抱えているが、聖騎士の中でもとりわけ優れた能力を持つものが異端審問官となっていた。


「おいらにはあいつらが何者なんだかわからねえんだが、どうにも胸騒ぎがしてねえ」

「おそらく、そいつらは聖騎士だ。中の一人は審問官にちがいない」

「えっ」


 マゴは目を丸くし、カヤと顔を見合わせた。


「そうかい、いよいよこのあたしを狩りにきたってわけか」

「狩りにきたって、あの男たちがですかい?」

「ああ、そうだよ。そいつらの中にアルベルトが混じっているのかもね。あたしを狩るには一番うってつけの人材だから」


 ため息を吐くカヤを前にマゴはしばらく沈黙していたが、ようやく言葉を継いだ。


「そういや、どうにもおかしな噂を聞いたんですよ。あの怪しい男どものなかの一人が、村はずれの森に入っていくときに、まるで夕闇に溶け込むように姿を消したっていうんですわ」

「それは間違いなく審問官の使う『盲者の聖域』という法術だ。異端を狩るものは、しばしば姿を消して敵地に潜入することがある」


 レヴィンがそう告げると、マゴはあんぐりを口を開けた。


「じ、じゃあ、今この近くにもあの男が潜んでるかもしれねえってことなんですかい」

「いや、今のところまだ俺たち以外の者の気配は感じない。それよりも気をつけないといけないのは、そいつが戦いの最中に姿を消すことだ。剣でも魔術でも狙いがつけられなくなるぞ」

「なら、どうしようもないね。もうあたしはこれまでだ。どうせ死ぬなら、あの人の手にかかって死ぬのがいい」


 他人事のように言うと、カヤは薄く笑った。アルベルトはカヤを殺そうとしているのに、カヤの胸の奥にはいまだにアルベルトへの想いが熾火のようにくすぶっているらしい。


「し、しかしカヤさん、あんた、それじゃあ」

「マゴ、もうお帰り。あんたは用済みだ。二度とここに来るんじゃないよ」

「そいつはあんまりだ。おいらがここであんたを見捨てるほど薄情だと思ってんのかい」

「いいかいマゴ、情ってのは生きてる人間に対して使ってこそ意味があるんだ。これから死んでいくあたしに情けなんてかけるんじゃないよ。ここにいるところを審問官に見つかったら、あんたまで殺されかねない。そうなったら、残されたあんたの女房はどうなるんだ?あたしがあいつを助けたのは、寡婦にするためじゃあないんだよ」

「しかし、これじゃああんたがあんまりにも報われねえじゃねえか……今までさんざん人助けした結果がこれなのかよ!」


 目を真っ赤に充血させ、マゴが悔しそうに唇を噛む。


「ほら、いつまでそうしてるんだい。とっとと出ていきな!」


 カヤが右手の掌を上に向けると、そこにまばゆい光球が出現した。

 彼女が息をひと吹きすると、光球がマゴの頬をかすめて飛んで行き、すさまじい音が響いた。レヴィンが外に目をやると、戸口の外の木の幹に大きな穴が開いている。

 マゴは短い悲鳴を漏らすと、一目散に駆け出してしまった。


「今のは、魔術か?法術と違って聖句を唱える必要なんてないんだな」


 目の前で魔術をみせられたレヴィンは、その威力に驚いた。

 

「あたしは六つくらいのころから、こういう真似ができるようになっていたんだよ。あたしをよくいじめていた近所のガキ大将を叩きのめしたい、って強く願ったら、握った拳の中にこの光があふれだしてね」


 カヤは再び掌の上に魔力の光を灯してみせ、もう一度消した。どうやら彼女の魔術は誰かから教わったものではなく、生まれつきのものらしい。


「それ以来、あたしは魔女と呼ばれるようになった。あたしをいじめるやつはいなくなったけど、近寄ってくるやつもいなくなったんだ。こういうあたしでも人に受け入れられるには、人のしたがらないことをしなくちゃいけない。魔獣のうろつく森の奥に分け入って薬草や茸を取り、木の根を掘って薬を煎じる。それが魔女の仕事だ。獣は魔術で追い払えるからね。──でもそんな暮らしも、もうすぐ終わりだ」

「本当に死ぬ気なのか?魔女が隠れ住んでいるような里は、どこかにないのか」

「そんな場所は聞いたこともないけど、シルダニアみたいなところなら、あるいはあたしでも隠れ住めるかもしれない。あそこを治めてる短慮公は頭がゆるいから、悪人への追及も甘いとは聞くね」

「なら、そこに逃げればいいじゃないか」

「無駄だよ。もうあたしの顔は割れてるし、もう国中に似顔絵がばらまかれてるはずだ。空を飛んで行っても姿を見られるし、法術の飛び道具で撃たれるかもしれない」

「そうだな。やはり厳しいか」

「アルベルトが短慮公みたいな間抜けなら、どうにかなったんだろうけどね」


 カヤを慰めようとしてか、ナハトがカヤの肩にとまった。カヤは皿の中から豆をつまむと、その嘴に入れてやる。


「その短慮公ってのは、そんなにだめな奴なのか」

「そうだねえ、今の王の弟なんだけど、兄貴とは違ってずいぶんできが悪いらしいよ。どれくらいだめなのか知りたいかい?」


 レヴィンは黙ってうなづいた。役に立つ話は聞けないかもしれないが、話したいことを話させて少しでもカヤの気がまぎれればいいと思った。

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