ふろく:勝手版・小林存年譜、参考資料

明治10(1877)年 明治維新まで新発田しばた横越よこごし島(現在の新潟市江南こうなん区ほぼ全域)113か村を統治した大庄屋の家に、8人きょうだいの末っ子として誕生(6月6日)

明治16(1883)年 横越小学校入学

明治24(1891)年 亀田高等小学校卒業

明治25(1892)年 東京専門学校(後の早稲田大学)入学

明治27(1894)年 蒲原かんばら有明ありあけらと同人誌「落穂おちぼ双紙ぞうし」発刊

明治29(1896)年 東京専門学校卒業、帰郷。大水害「木津きつ切れ」に遭遇。11月に県立佐賀中学校に英語教師として赴任

明治31(1896)年 この時期に英語教師を辞し帰郷、新津にいつの石油会社に就職?(後に「山師にいじめられて」石油会社を退職)

明治33(1900)年 新潟新聞(後の新潟日報)紙上で同社の記者に論争を挑み、同社社長坂口仁一郎にいちろう(安吾の父)に評価される

明治35(1902)年 結婚

明治37(1904)年 新潟新聞に入社、主筆(編集長)となる

明治40(1907)年 ウラジオストク訪問、紀行文「鵬程ほうてい日乗にちじょう」を新潟新聞に連載。また烏啼うていと号し句作に取り組み、河東かわひがし碧梧桐へきごとうと交流

大正元(1912)年 金銭トラブルに巻き込まれたのを機に新潟新聞退社

大正2(1913)年 「弥彦やひこ神社 附国上くがみ良寛りょうかん」「越後鉄道を主とせる一市三郡案内記」刊行

大正4(1915)年 満洲・朝鮮訪問。「成大録せいたいろく」「村杉むらすぎの湯」刊行

大正5(1916)年 「高志こし時報」創刊

大正14(1925)年 週刊誌「東北時報」顧問、粲楼さんろう学人のペンネームで論説を寄せる

昭和7(1932)年 満州・朝鮮再訪、「満蒙まんもうの生命線への道」刊行。福徳生命新潟出張所長を務める

昭和9(1934)年 民俗学研究グループ「高志路こしじ会」結成

昭和10(1935)年 「高志路」創刊。第1回日本民俗講習会に参加、柳田やなぎた國男くにおと顔を合わせる

昭和11(1936)年 柳田を新潟に迎え、民俗学の講演会を開催。「越後史料温古おんこしおり」(全4巻)復刻

昭和12(1937)年 「越後方言考」刊行

昭和13(1938)年 寺門てらかど静軒せいけん新斥にいがた富史ふし」に訳注をつけ刊行

昭和14(1939)年 「東北時報」廃刊

昭和16(1941)年 夫人と死別

昭和20(1945)年 「新潟商工会議所全史」編纂。「高志路」、資材欠乏のため休刊

昭和21(1946)年 「新潟民衆新聞」創刊

昭和23(1948)年 「高志路」復刊、その後再び休刊

昭和24(1949)年 第1回日本民俗学会年会出席

昭和25(1950)年 新潟日報文化賞受賞。「県内地名新考」(上・下)執筆

昭和26(1951)年 「越後方言七十五年」執筆

昭和27(1952)年 日本民俗学会名誉会員となる。「新潟短歌」加入。「横越村誌」刊行

昭和28(1953)年 地元紙関係者の依頼で十日町とおかまち来訪、長期滞在し「中魚沼なかうおぬまの物語」取材・執筆。その中で津南つなん町にて「アンギン」実物を発見。新潟県民俗学会設立。「高志路」復刊。夕刊新潟新聞にて「新潟浜村から大新潟市まで」連載開始。

昭和29(1954)年 新潟県民俗学館の設立運動始まる。「中魚沼の物語」「新津市誌」刊行

昭和30(1955)年 脳出血で倒れ入院、このため「高志路」休刊

昭和31(1956)年 「中魚沼の物語」増補版を再版。「高志路」復刊

昭和32(1957)年 新潟大学農学部内に「新潟県民俗学館」開設。「水原すいばら郷土史」刊行

昭和33(1958)年 「玉石ぎょくせき同架どうか 小林存歌集」刊行

昭和36(1961)年 死去(3月10日。83歳)


昭和49(1974)年 横越小学校前に「われこそは街の酒場のソクラテス 君与へんか毒杯もまた」の歌碑建立

昭和51(1976)年 「越後方言考」復刻

昭和53(1978)年 新潟市学校町菅原神社に「黒川のメダカすくひて遊びたる とほどほし日の面影に立つ」の歌碑建立(※かつて存さんは学校町に住んでいた)

昭和54(1979)年 川崎久一「小林存伝―日本民俗学の先駆者―」刊行

昭和55(1980)年 「小林存伝」出版記念会・講演・遺墨展開催(北方ほっぽう文化博物館)

昭和56(1981)年 亀田町(現新潟市江南区)加賀屋に「ふるさとの加賀屋の菓子の窓の月 酒を謝すればもてなされけり」の歌碑建立

昭和61(1986)年 笹神ささかみ村(現阿賀野あがの市)やまびこ通りに「出湯山の五月はよろし湯上がりの 筍の味出ほととぎす」の歌碑建立

昭和62(1987)年 津南町見倉に「五戸の里に女もあるか子もあるか 日当る軒に赤きもの干す」の歌碑建立

平成元(1989)年 「烏啼句集」刊行

平成2(1990)年 横越村大庄屋屋敷跡に「小林存生誕地碑」と「桃の汁滴らし途方もない計画だ」の句碑建立

平成5(1993)年 「明治の蒲原佐渡探訪」刊行

平成16(2004)年 「越後のソクラテス 小林存展」(新潟市燕喜館えんきかん)開催。「新潟地名新考」(上・下)復刻

平成17(2005)年 「小林存選集」刊行。同書刊行記念「横越町の小林存展」開催(北方文化博物館)

平成26(2014)年 横越の横越神社前に「ふるさとの堤の茶屋の酒悲し 長橋わたるバスに手を振る」の歌碑建立

平成28(2016)年 「高志路」400号記念特大号刊行

平成29(2017)年 「すてきな布―アンギン研究100年」展、「特別対談 アンギンの発見者―小林存を語る―」開催(新潟県立歴史博物館)


参考資料

川崎久一著「小林存伝―日本民俗学の先駆者―」(野島出版、昭和54年)

小林存著「横越村誌」(横越公民館、昭和27年)

新潟日報社編「幕下りるとき~新潟70人の生きざま」(新潟日報事業社、平成26年)

田中榮一ほか著「郷土の碩学」(新潟日報事業社、平成16年)

渡辺赳夫編「悼 小林存先生 高志路別冊」(新潟県民俗学会、昭和36年)

小林存著「玉石同架 小林存歌集」(新潟県民俗学会、昭和33年)

「すてきな布―アンギン研究100年」関連イベント「特別対談 アンギンの発見者―小林存を語る―」次第(新潟県立歴史博物館、平成29年)

「小林存選集」(横越町、平成17年)

ニイガタカラ.net

早稲田大学會津八一記念博物館公式サイト

 他、もろもろ。

※引用だらけになってしまってますが、ほぼ全て原文のままです。

「横越村誌」だけは、口語体/旧仮名遣いで書かれていましたので新仮名遣いに直しました。


(4/12)

図書館を訪れ、間違いをちびちび訂正したり姑息なことをやっています。

同時に、読んでいたはずの資料で新事実を発見してしまったり(私がスルーしてた、というか見落としですが)、「この本の存在に気づいていれば」と地団駄を踏んだり。

全然足りてないものを、堂々と晒していました。

存さんが愛弟子に説いたとおり「結論を急いではいけない」。

あーあ。

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われこそは街の酒場のソクラテス ~ 民俗学者・小林存のはなし。 中野徒歩 @yabu_neko

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